10 少女と学園の守護神

 ノアが四賢聖の業務を終えて自室に戻る頃には、日付が変わる時間になっていた。

 ノアの主な業務は、学園内に行われる行事の取り仕切り。だがその他にも慈善事業として、学園内外の怪我人の治療や、リューゲル魔法学術院との共同研究など、多くの仕事を抱えていた。

「オーネットもまだ、起きているかしら。」

 月の光が部屋いっぱいに差し込む窓。そこからの景色を、ぼんやりと眺める。窓の外では木々の隙間から隣の建物がわずかに見え、カーテンの隙間から漏れる部屋の灯りが見えた。

 オーネットも、まだ起きている。

 ノアは自身の首に下げているネックレスを取り出す。それは、ノアの瞳そっくりの、藍色の小ぶりな宝石が嵌められた金色のネックレスだった。

 ――私の事をわかった様な口を聞くな。

 目を瞑ると、切迫したような表情でそう吐き捨てたオーネットの姿が、今も瞼の裏に浮かぶ。

「わかるわよ。あなたの事も、あなたが消そうとしている過去も、全部。でも、全部消した後に残るあなたは、一体誰なの……。」

 ノアはただ、祈るようにネックレスを握る。しかし天使の祈りはオーネットの元に届くこともなく、煌々と輝く星空へと、儚く消えるのだった。



* * *

 


 結局、オーネットの変化の原因は分からないまま。日々は流れていった。

「うーん………………」

「今日も悩んでるねえ。」

 普段は真面目に講義を受けるハルの、何も手につかない様子に、リアが笑いかける。

「オーネット様の様子が最近変、って話だっけ?」

「結局何もわらかなくってさ。オーネット様みたいな人に心理操作をかけるなんて、やっぱり無理だよなって。」

 リアは「そうだね」と言って、ノートの隅に落書きのような絵を描いて説明した。

「人の体には、みんな魔力が流れてる。流れる魔力、は魔力の出入口を通して、出たり入ったり。それは知ってるよね?」

「うん。私はその出口が殆どないって言われた事ある。」

「本当に不思議な体だよね」

 笑いながら、リアは説明を続けた。

「ハルみたいな例外を除くと、普通この出入口の大きさは、魔力量と比例する。つまりオーネット様みたいな人は、この出入口も大きい。心理操作系の魔法は、この出入口から本人の魔力と結び付いて、意思を混濁させたり意図的に操ったりする魔法なんだ。」

「オーネット様のように入り口が広い人は、むしろかかりやすいって事?」

「そうとも限らない。心理操作の魔法は、本人の魔力に働きかける必要があるから、かなり複雑で時間がかかる魔法なんだ。それに、本人を鎧みたいに囲う魔力の壁を突破しなきゃいけないし……オーネット様の外壁を突破するなんて、普通の人じゃ絶対無理。」

「そうだよね……」

 また、振り出しに戻ってしまった。

 ハルが諦めるようにだらしなく机に突っ伏していると、リアが「コホン」と、わざとらしく咳払いをした。

「頭を悩ませるハルの為に、この親友リア様が一肌脱いであげました!」

「?」

 リアは教室の入り口に向かって「こっちこっちー!」と手を振る。そんなリアに気付いてやって来たのは、真っ赤な腰までの髪と、燃える様な瞳をした少女。

「イグテア……?」

 首を傾げるハルに、リアが話を続けた。

「イグテア、実はノア様の付き人志望だったって、知ってた?この前夕食でそんな話になってさ。ノア様が困ってるらしいって話をしたら、力になりたいって言ってくれて。」

 リアが「誰にでも話してる訳じゃないからね!」と補足する。

 イグテアは、先日の実践訓練で共に戦った少女だ。

「勝手にお話を聞いてしまいすみませんわ。実は私の家系は代々、医師・薬師を排出しているラフィーネ家と懇意にしていますの。なのでその話をリア様から伺ったら、いてもたってもいられなくって…………」

 と眉を下げるイグテア。だが、ハルは返事をするわけにはいかなかった。

「ちょっとリア、私セシリア様との約束で……!」

 セシリアの命令によって、日中リア以外の生徒と会話ができない事は、リアにもやんわり伝えていた。

「今なら大丈夫だよ。セシリア様、今日は学園外に出てるって話だし。このままだと、ずっと迷宮入じゃん!」

「うぅ…………」 

 確かに、リアの言う通りだった。オーネットの変化の原因について、現状何も糸口を掴めていない。

 ハルが答える前に、イグテアが口を開く。

「オーネット様が心理操作系の魔法にかかっているというお話、方法に心当たりがありますの。」

「本当?」

 それは願ってもいない話だ。ハルは口に出して、「しまった、会話してしまった」と気づく。だが例えセシリアの折檻を受けることになるとしても、イグテアの話が聞きたかった。

「物に魔法をかけると、その物には魔法をかけた者の魔力が宿りますの。なので、大抵は一発で気づかれてしまいますわ。ですが、はじめから魔力が宿った物。例えば、魔法時計や魔獣の角を使ったアクセサリー等であれば、多少は気付かれにくくなります。」

「時計に、アクセサリー……」

「呪術で用いられるものにそういったものが多いのも、同じ理由です。」

 呪いのネックレスや指輪の話は授業でも習ったことがある。だが、オーネットが時計やアクセサリーといった装飾品の類を身に付けているような印象はなかった。

 オーネットが身につけている、魔力を持った何か。

 何があるだろうか。

「魔力が宿ってるものが無いか気になるなら、直接確認してみればいいんじゃない?」

 直接確認する、というリアの言葉が、全くピンと来ていないハル。リアはポケットから装飾された方位磁針のような道具を取り出した。

「これは私の魔力感知器なんだけど、要は魔力を察知するレーダーみたいなもの。魔獣討伐の時とかに使うんだ。もちろん、人間の持つ魔力には反応しない。例えば今だと……」

 リアが魔道具に魔力を流す。すると針がくるくると回転し、一つの方向を指して止まった。

「ハルさんが今日付けている髪飾りに反応している様ですわね。」

「髪飾り?これって、何か魔力が宿ってたんだ。」

 全然気が付かなかった。

 針に指し示された方向にある、髪飾りを取ってみる。確かに追いかけるように、魔力探知器の針は動いている。

「おお、すごい。それじゃあ、これをオーネット様に使えば……?」

「魔法がかけられた対象物が、見つけられるかもね。」



* * *


 

 そうとなれば、すぐに行動だ。

 ハルはリアから魔力探知器を借りると、講義終了後に、オーネットを訪れた。

 久しぶりに真っ正面から見るオーネットは、麗君という言葉の通り、変わらず端正な顔立ちをらしている。だがその肌は青白く、目の下にはくまができていた。

 その姿に、絶対何かあると。ハルは再度確信した。

「なぜ貴様がそこにいる?」

「あの、お話をさせていただきたい事があって……!」

「話だと?」

 ハルが単身で乗り込む事に、リアやイグテアは当然猛反対した。

 しかし、オーネットを惹きつけて尚且つその部屋に入り込む為には、話題――咎人の話を出すしか無い。そう考え、ハルは二人を置いて、オーネットの元へ一人やって来ていた。

「悪魔との契約に関しては身に覚えが無いのですが、幼い頃、今持っている力に似た事をお祈りした事があって、今の力と、何か関係があるんじゃないかって……」

「ふん。あくまでシラを切るんだな。」

 オーネットは、明らかに敵意むき出しの「今すぐにでもお前を斬り殺したい」と言う目でこちらを見ている。

 やはり、一人で来るべきでは無かっただろうか。

 ヒリヒリと痺れるような威圧感に後悔するハルであったが、意外にもオーネットは、ハルの申し出を承諾した。

「いいだろう、入れ。ただし怪しい真似をすれば、すぐにでも斬り殺すからな。」

「は、はい……」

 オーネットの執務室は、最低限の物しか置かれていない。シンプルで、無機質な部屋。

「座れ。茶を用意する気はない。」

 部屋の隅には本棚が置かれており、歴史や法律、剣術に関する本が多かった。まさに、オーネットという人物そのものを表した本棚だ。

「悪魔って、どのような姿なのでしょうか?」

「知らん。姿なら、お前の方が詳しいだろう。」

 向かいの椅子に腰掛けたオーネットは、疑うような視線をこちらに向けている。

「私が祈ったのは、生まれ育った村の御神木なんです。御神木に悪魔が宿るなんて事、あるのでしょうか?」

「精霊の力が宿るものに、悪魔が自ら近づくとは思えんな。」

「他の咎人は、どうやって悪魔と契約していたんですか?」

「その質問には答えられん。お前は罪人。悪用される可能性もある。」

 そんな話をするためにきたのかと、オーネットのこちらをみる視線が、一層厳しいものになった。これでは、魔力探知器を使う隙もない。

 必死に、うまい口実を探す。オーネットに何か物を取りに行かせるか?だが、一切信用されていないハルを置いて、そう簡単にオーネットが部屋を出て行くとも思えなかった。

 こうなったら最終手段。と、意を決してハルは口を開いた。

「あの、お手洗いに行ってきてもいいですか……?」

 恐る恐る告げると、オーネットは明らかな嫌悪感を顔に出した。帯びていた魔力が刺々しさを増し、ハルの背中を冷や汗が伝う。

「貴様、自分の立場がわかっているのか?」

「も、申し訳ございません……でも、ずっと我慢していたせいで、もう…………」

「チッ……部屋を出て右の突き当たりだ。他の部屋には入るな。」

「ありがとうございます!」

 オーネットの執務室の扉を締めると、ハルは溜め息を漏らした。

 トイレを催したのは、当然嘘である。目的は一つ。ハルは、そっとリアから受け取った魔道具を取り出した。

 オーネットの部屋には、本棚くらいしか物がなかった。即ち、魔力を持っていそうな物は無い。

 もしもここで、針がオーネットの方を指せば、オーネットが直接身につけているものが怪しいと、絞り込める。

 取り出した魔道具に魔力を流す。すると中央の針が、玩具のようにくるくると回りだした。そして、まるで力強い何かに引っぱられるように、一点を指す。

「強い力に引っ張られてる……しかも、オーネット様の執務室じゃない!?」

 魔道具の針が指した先は、トイレの手前。別の部屋だった。

 強い魔力を持った魔道具でも、置いてあるのだろうか。だとすれば、ハルの行動は杞憂に終わる。

 心理操作をかけるためには、常にオーネットのそばに置かれている物でなければならない。

 ハルは針が指し示した方の部屋へ向かうと、そっとドアノブを捻った。



* * *


 

 一方その頃。ノアの執務室では、ノアがお茶を飲みながら、書類に目を通していた。

 書類は、オリビアに頼んで届けてもらったグラソン魔法学園の関所の書類である。王国に運び込まれた品目の一覧や、学園を出入りした人物の記録が全て、記されていた。

「怪しい人はいない、かぁ…………うん?」

 書類の片隅に記載されていたのは、オーネットの名前。四賢聖が頻繁に外出することは、特段珍しい事ではない。でも。

 束ねられた書類に、最初から再び目を通す。そしてノアの違和感は、確信に変わった。

「帰ってきたら記録がない……?」

 学園から出て行った記録は無数にある。だが、帰ってきた記録が残されていないのである。

 学園の入退の記録は、学園にある正門、東門、西門、それぞれに置かれた専用の官兵によって行なわれている。しかし、正門が閉められる夜の時間帯は、官兵はいなくなり、更に半刻ほどすると、東門も西門も同様に閉ざされる。

 その為、各門が閉ざされた後に学園へ入ったもの――例えば、壁を飛び越えて入ってきた者の記録は残らない。

「一体夜、外で何をしてるの?オーネット……」

 ノア静かに、窓の外を見つめる。

 先にあるはずのオーネットの執務室は、今もカーテンが締め切られたまま。中を覗くことは同じ四賢聖のノアであっても、叶わなかった。



* * *

 


 部屋に入ると、ハルは辺りを見渡した。

 魔力探知器の反応した先の部屋は、オーネットの自室の様だった。簡素なベッドと、小さなテーブル、そして様々な本や絵画が置かれている。

「……小説?」

 置かれている本は、執務室のものとは全く異なり、意外にも物語や伝記等が多かった。特に目を引いたのは、本棚の中段。飾られた写真立てに映る、三人の姿。

「オーネット様とノア様の小さい頃?それに…………」

 八歳くらいと思われる幼少期オーネットが、ノアに手を引かれ、笑顔を向けている。その隣にもう一人立つ、金髪の少女。

 誰だろう、この子。

 気になるが、そんな事をしている場合ではなかった。

「早く探さないと……!」

 あと一、二分しか時間はない。ハルは再度魔力探知器を翳す。

 針が刺しているのは、ベッドの方。

 ハルは足音を立てない様にして、ベッドへと近付いた。手汗で、魔道具を持つ手が滑りそうになる。自分の動悸が外に漏れそうなほど響く。

 針は、更に下。ベッドと床の僅かな隙間を指している。

 ここに、何かある。それはきっと、勘違いではなく、オーネットをあの姿にした、元凶。

 そう、ハルは確信していた。

 ベッドの下に差し込んだ指先が、冷たく固いものに当たる。慎重に引き寄せると、ベッドの下から出てきたのは、一本の剣だった。

 重たく真っ黒な鞘が鉛色に光り、鍔にあしらわれた真っ赤な火山竜の爪が、禍々しい魔力を発している。

 これが、オーネットにかけられた心理操作魔法の、根源。

 剣、それもドラゴンやクラーケンと並ぶ魔物である火山竜が素材として使われた代物であれば、何者かにかけられた魔法を、容易に隠す事もできる。

 それに剣であれば、オーネットは持ち歩くだろうし、魔力を放っていても、周りの四賢聖は気が付きにくい。

 ひとまず、オーネット様にかけられた魔法の対象物はわかった。解除方法はノア様やイグテア達に相談しよう。それと、セシリア様にもこの事を伝えないと。

 ハルは握った剣を、慎重にベッドの下へと戻す。

 だが剣は重たく、音を立てずに戻すのは至難の業だった。早く、戻らないと。思う様に奥へと動かず、焦る。焦った勢いで、剣の先端がベッドの脚へ当たった。

 重たいものがぶつかる、鈍い音。

 心臓が飛び跳ね、慌てて辺りを警戒する。だが、オーネットが物音に気付いてやってくる気配はなかった。

 ほっと、胸を撫で下ろす。

 剣も戻せたことだし、そろそろオーネットの元に戻ろう。

 そう、起きあがろうとした時だった。

「だから貴様に、自由など認めるべきでは無いと言ったんだ。」

 それはまさに、死神の声だった。

「…………………………オーネット、様……」

 部屋の入り口を振り向く。

 そこには、グラソンの守護神オーネットが、部屋を塞ぐように立っていた。

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