09 少女と不穏な影
結局朝食を運んで来たオリビアにシャツの前を留めて貰いながら、ハルは自分が気を失った後の魔獣討伐の行方を聞いた。
オリビアがセシリアから聞いた話では、世界中に甚大な被害をもたらしている超級の魔獣クラーケンの瘴気しょうきに当てられ、セイレーンをはじめとする低級〜中級の魔物も普段以上に獰猛になっていたらしい。ハル以外のチームでも怪我人は例年以上に出ていたが、幸いにも死者は出ず、また怪我と言っても最も重傷なのはハルだったそうである。
ハルはセシリアに抱えられ、そのまま昼過ぎにはこの部屋に届けられたそうだが、傷は塞がっているものの全身血にまみれ、ぐったりと意識を失ったハルを見たオリビアは生きた心地がしなかったという。
「命に関わる傷は治したわ。明日の朝には目を覚ますだろうから、軽い入浴と朝食をお願い。」
そう言って執務室へと戻ったセシリアも、全速力で駆けつけたというのはあながち嘘では無かったのか、「珍しく少しお疲れだったんですよ。」とオリビアはハルを朝食の席に着かせるとこっそり教えてくれた。
「セシリア様にも“疲労”って概念とかあるんですね・・・」
「ありますよ。ただよっぽどの事でないと、普段は有事の際に備えて力を温存しているので、珍しいですね。」
(やっぱり心配はしてくれたのかな?)
セシリアのらしくない行動が、ただの利用価値のある道具を大切にする為だけだったのか、それともその奥に、何か別の、絶対に本人は明かしてはくれない理由、それこそハルに対する何かしらの気持ちの芽生えがあったのかは分からない。
(いや、それはないな・・・)
考えるだけでセシリアの意図した罠に貶められている気がしてならず、ハルは「考えないでおこう」と頭を振って紅茶を飲んだ。そんなハルの様子に、オリビアが鋭い切れ長の目をほんの少し細めながら、
「そうですね。夜ーーー特にハル様といらっしゃる時は“疲労”という概念はなさそうですものね。」
「ブフッ」
と言ってハルの口から紅茶を吹かせる。
冗談などとは無縁そうなオリビアの放った突然の一言に、思わずハルはむせ返りながら、
「ゲホゲホッ・・・オリビアさん、なんか最近雰囲気変わりましたね・・・」
と涙目でオリビアを見やるが、オリビアはただニッコリと余裕の笑みでそんなハルに応えるのだった。
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オリビアは当初、自身がハルに給仕する事について反対していた。それは自分が担当したくないという訳では決してなく、何か罪を犯した人間に対して、セシリアの貴重な戦力であると自覚している自分をわざわざ割り当てる事が、どうしても賢明な判断とは思えなかったのである。
「セシリア様のご命令に異を唱えるつもりは毛頭ございません。ですが、私ではない方でもいいのではないでしょうか?私の方で対処していた各方面との交渉や見回り、諜報業務が疎かになってしまいます。」
お辞儀しながらそう答えるオリビアに、セシリアは椅子に腰掛けたまま口を開く。
「ハル=リースリングは今後王国の命運を分ける重要な戦力になる。今はまだ、その存在が公になってはいないけど、きっとそれも時間の問題。」
「彼女を巡る争奪戦が起きる、という事でしょうか?」
(そのハルという少女に、なぜセシリア様はそこまで執着するのだろうか。)
オリビアの疑問に、セシリアは窓の外を見ながら答える。
「ええ。この王国も一枚岩ではないわ。咎人と言われた罪人を処刑し、王国内の警備体制も4院が主導して厳しくなっている。にも関わらず、暗殺や不審死は増える一方。もし暗躍している、革命軍でもない何かがこの王国に魔の手を伸ばしているとすれば、敵は必ず彼女、ハル=リースリングの前にやってくる。」
「囮にする、という事ですか?」
「・・・・・まあ、そうね。」
セシリアは相変わらずの無表情のままそう言うと、真っ直ぐオリビアを見据える。
「彼女は魔力譲渡の力を持った重要な道具。あなたの今日からの役割は、そんなハル=リースリングの逃亡防止と警護。人として彼女を扱わなくても構わない。ただ、命に代えても彼女を守りなさい。」
「承知致しました。」
オリビアはセシリアの命令に、お辞儀をすると黙って部屋を出た。
(ーーー人として彼女を扱わなくても構わない、絶対私がそうできない事を知っての命令なのでしょう。)
世間ではセシリアを、目の前に現れたら最後、後には何も残さず周囲を凍てつかせる“絶零の魔女”、なんて呼び方をするが、セシリアが5歳の頃からずっと見てきたオリビアには、全くそんな風には見えなかった。
(セシリア様に人、それも少女を道具の様に扱う事が本当にできるのでしょうか?)
そんなオリビアの疑問は、翌朝ベッドの上でぐったりと眠るハルの姿を見て核心に変わる。
「心の傷はわかりませんがーーーやっぱり傷一つ、つけられていないじゃないですか。」
しかしオリビアのそんな声は、夢の中でもセシリアに襲われ、うなされるハルに届く事はなかった。
(私はあなたの事は知りませんが、セシリア様の事はよく知っています。なので命を懸けてもあなたをお護りしますよ。ハル=リースリング様。)
そう思うと、オリビアは自身のきっちりと纏められたグレーの前髪をそっと撫でた。
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朝食を済ませたハルは、制服に着替えるといつも通り校舎へと向かった。
今朝は指一本うごかせなかった指は、オリビアの回復魔法のおかげで何かを持つ程度には動かせる様になっていた。
(セシリア様が指を治しておいてくれなかったの、絶対わざとじゃん!)
オリビアに魔法をかけて貰いながら、またハルはセシリアに静かな怒りを抱くのであった。
教室に到着すると、生徒たちは皆、昨日の演習の興奮が冷め止まぬのか、あちこちで塊となって談義をしていた。
その中に、教室の後方の隅で一人座る、ピンク色の見慣れたショートヘアの少女を見つけると、ハルは走って駆け寄る。
「リア!おはよう!」
「・・・・・・」
「・・・リア?」
いつもだと眠そうにしながらも挨拶を返してくれるリアだが、今日はどこか様子が違う。心なしか顔色も少し青白く、その瞳はハルを映す事なくじっと机の上を見つめている。
「リア、大丈夫?どこか体調でも悪い?」
「・・・・・・」
明らかに不自然なリアに、益々心配になったハルはリアの隣に腰掛け、リアを優しく抱きしめる。
「もしかして、昨日の演習の事?」
「・・・・・・」
「リア、私を抱えて運ぼうとしてくれたよね。全身に力が入らなくなって、もうダメだって思った時も、リアが私を呼ぶ声だけはちゃんと聞こえてたよ。」
「・・・・・っ」
ハルはよしよしと子供をあやす様に優しくリアの頭を撫でると、リアがおずおずとハルの背中に手を回す。
「ハル・・・また、私、逃げた。いつもハルが命懸けで戦ってる時に、いつも私は怖くなって、諦めて、ハルは私を助けようと、いつも命を張ってくれてるのに・・・」
リアはそうポツリポツリと話し、涙を流す。
「そんな事ないよ。真っ暗な海の中でセイレーンから私を助けてくれたのは、リアだよ。海の中から引っ張り上げてくれたのもリア。一人じゃ無理だったし、他の人でもダメだった。でもリアがいてくれた。」
「・・・うぅっ」
ハルがそう言うと、リアはまた涙を流す。そしてハルの言葉が届いたのか、リアは思い切りハルの体を強く抱きしめると顔を上げ、まっすぐハルの顔を見て言った。
「私、もう逃げない。絶対に逃げないから!」
「うん。リアは強いよ。また一緒に戦おう。」
そうして数分程抱擁していると落ち着いて来たのかリアが更に話し出した。
「朝からごめん、ハル。実はこれが昨日の夜部屋のドアの隙間から入って来て。」
「ん?何これ。」
そう言ってリアは鞄から一枚のメッセージカードを取り出した。
それは一見すると何の変哲も無い真っ白の手の平ほどのサイズをしたカードであった。
「これ、少しだけ魔力を感じるから不思議に思って魔法をかけてみたんだ。」
リアは指をカードに添えて魔法を唱える。
「エクエスト」
するとカードにぼんやりと紫色の小さな火が灯り、その火は文字を書いた際の筆跡の様に動くと、カードの表面に文章を書いていく。
「何これ・・・」
ーーーーーーーーーーーーー
Dear Lea
逃げたあなたを許さない。
From Hal
ーーーーーーー ーーーーーー
そこに書かれていたのは、リアへの恨み。恐らくタイミングからして、昨日の演習の際のリアの行動を非難するものと思われる。しかし当然ながら、「From Hal」には一切心当たりがなかった。
「これ、ハルじゃ無いよね?」
「当たり前じゃん!今朝までずっと寝てたし・・・それにこんな高度な魔法私には使えないよ。自分で言ってて悲しくなるけど。」
「そうだよね。」
リアはそう言うとカードをまた鞄に戻した。
「ハルの書いたものでは無いって、わかってはいたんだけど。でもあんな事があった後だったから、どうしても苦しくって・・・。」
そう言うとリアはまた少し瞳に涙を浮かべる。
「本当に悪質。誰かの嫌がらせかな?」
(でもそれならなぜリアに?)
ハル自身が対象であれば、恨まれる心当たりは無数にある為「またいつもの嫌がらせか」と済ませる事ができるが、相手がリアの場合はそうも行かない。
ハルと一緒に行動する頻度は多いものの、リアは誰にでも分け隔てなく接し、その愛嬌のある表情と明るさ、器用さから、ハルと行動を共にしているにも関わらず、マスコットキャラクターの様な立ち位置でクラス全員に好かれていると言う稀有な存在なのであった。
「順当に考えれば昨日の演習のメンバーかな・・・」
リアがそう呟くが、あの場では命懸けで全員を守ろうとしたイグテア、リアの他に、岩を登って逃げようとした2人と、ずっと怯えて頭を抱えていた1人、そしてリアしかおらず、とてもリアを糾弾しうる人物がいるとは思えなかった。
「昨日の話って、他のチームの人にもきっと知れ渡ってるよね?となると、リアじゃなくて私への嫌がらせかも。リアと私の間に亀裂を入れさせて、私を孤立させようとしてるとか。リア、熱狂的なファンとかに心当たりないの?」
ハルが笑ってそう聞くが、リアは首を振る。
「いないなー。みんなには分け隔てなく接する様に心がけてるから。あっでもハルは特別だよ!」
そう言ってまた抱きついてじゃれつくリアに、ハルは「はいはい分かった分かった」と答えながら、普段通りの顔色に回復したリアの顔を見てほっと安心するのだった。
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「じゃあまた明日!」
「ほーい」
その後、カードの謎は解けなかったものの何事もなく一日の授業を終え、リアは教室を後にした。
(向かうはノア様の執務室!)
実はほんの少し、ハルの中ではノアの執務室への訪問を楽しみにしている部分があった。理由は簡単、ノアは「グラソンの良心」と呼ばれる程底なしに慈悲深く、心優しい少女であった為である。それに、
(ノア様めちゃめちゃ可愛いんだよね!!!)
いつも微かに微笑んでいる姿、そして落ち着いた藍色のミディアムヘアと四賢聖の中でもクロエに次いで小柄な体、儚げな印象を与える目元の涙ボクロ。それらに魅了された学生は校内校外問わず少なく無かった。隣国の大臣から過去に見初められ、求婚されたという噂すらある。そしてハル=リースリングも、そんな彼女の聖母の様な美しさに魅了された人物のうちの一人であった。
また、外見だけでなく、裁判では唯一ハルの味方となり、オーネット等に斬りつけられた際は何度も哀しそうな表情をしながらハルの治療に当たってくれた人格者でもあった。そんな所も含め、ハルはノアに並々ならない恩や尊敬の念を感じていた。しかしあの一件以来、ノアとは稀に廊下ですれ違う際に挨拶をする程度の会話しかできていない。
(あの時の御礼もしたいな・・・)
ノアが居を構える建物は、校舎のすぐ横にある庭園の更に東、セシリアの住む建物から学生寮を越えた先にある。
ハルは校舎から出ると、庭園を抜けてノアの部屋へと向かう。
「初めて来たけどすごい綺麗・・・」
庭園は綺麗に整備された花壇が一面に並び、年中様々な花を咲かせる。今の季節はチューリップや菜の花が見頃を迎え、花畑の様に咲き誇っているが、日が傾き出した時間の為か、庭園は閑散としており、数名の恐らくカップルと思われる生徒がのんびりと花を見ているのか見ていないのか、談笑しながら歩いている程度である。
(こう言う所も四賢聖が手入れしているのかな。)
ふとした疑問に、花々に水をあげながら青空の様な髪を揺らして微笑むセシリア様を想像仕掛けたハルは、
(いや何考えてるんだ私は!?)
と頭を振って浮かんだ想像をかき消した。
(あの人なら水なんかあげなくても、一瞬で魔法を使って無理矢理満開にさせそう・・・)
そう考えると対抗する様にハルも魔法を使って側に植えられた鈴蘭に水をあげた。鈴蘭の花は水に濡れ、その雫に反射した夕焼けの光が、まるでオレンジ色の魔法をその身にまとった様に神々しく輝いた。
(綺麗・・・ノア様みたい・・・)
「鈴蘭が綺麗ですね。」
そう思いながらぼーっと鈴蘭の花を見ていると、突然背後から話しかけられる。
「えっ?そ、そうですねっ!」
突然の問いかけに声がした方、背後をばっと振り向くと、そこには赤毛の髪を腰まで伸ばした、やや高身長な女子生徒が、夕日を背に鞄を両手に持って立っていた。
「こんばんわ。私、イグテア=アークトゥルスと申します。昨日は有難うございました。」
「ああ!イグテアか!」
声をかけて来た人物はイグテア、昨日ハルと共に、その身を粉にしながら命がけでクラーケンと戦ってくれた少女であった。
(あれ、でも今って18:00前?会話したらダメなやつかな・・・?)
「私、ハルさんにどうしても昨日の御礼をしたくって参りましたの!」
「えっ御礼!?いいよそんな!それに私、あんまり人と話すの得意じゃなくって!だからごめん行くね!」
セシリアの命令を思い出し、慌ててノアの部屋へと向かおうとするハルであったが、そんなハルの腕をイグテアは長い腕をのばして掴む。
「セシリア様の命令ですか?」
「えっ・・・?」
そんな予想外のイグテアの行動と図星をつく発言に、普段通り適当に誤魔化して何事もなく立ち去ろうとしていたハルは、思わず足を止めてしまう。
「セシリア様から、ハル様には近付かない様にと言われましたの。お二人がどんな関係なのかまでは存じ上げませんわ。それでも私、命を助けていただいた恩人を、無下にするなんてそんな事、絶対にできませんわ!」
「えっと・・・」
(やばい、このパターンは初めてだどうしよう・・・)
今までのリア以外の生徒は、ハルが多少無愛想にすれば近付かなくなるか、もしくはそもそも声をかけてこなかった。しかしイグテアとは昨日の演習を通して、他人とも言えない関係になってしまっている事は、昨日の状況の壮絶さから流石のハルでも理解できる。
「気持ちは嬉しい。でも私、本当に御礼とか大丈夫だから。」
相変わらずハルの手首を強く握るイグテアに、ハルは心を鬼にしてそう告げる。内心では、イグテアの言葉は命を救われた身としての100%感謝の気持ちからの言葉であり、それを無下にすれば、どれ程この少女の善意を踏み躙るのか、わかっている分心が痛んだ。しかし予想に反して、イグテアはハル言葉を聞くと、握っていた腕をさっと離した。それを肯定と捉えたハルが、黙ってその場を立ち去ろうとすると、イグテアがそんなハルの背中へ語りかける。
「これ以上理由は聞きませんわ。でも必ず、昨日の恩はお返し致します。そして、必ずハルさんをお守り致しますわ。」
その言葉を聞き、ハルは逃げるように小走りに駆けて行き、
「だからいいって!」
と大声で叫ぶ。イグテアの言葉や行動は恐らく100%善意。しかしながら、近頃善意というものに慣れていなかったせいか、どこかイグテアの物言いが華奢なハルの身には大きすぎるものに感じたのであった。
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