第2章 百合と魔法と緑の計略

06 少女と魔獣討伐授業

 






「あっ・・ぅんん・・・や、はぁっ・・・」








 真っ白なベッドの上、陶器の様に強く触れれば割れてしまいそうな程華奢な少女が、切り揃えられた黒髪を振り乱しながら、獰猛な肉食獣の様に琥珀色の瞳を輝かせた青藍色の髪の少女に組み敷かれ、月明かりの下、必死にもがいていた。




 しかしどんなに離れようとしても、うつ伏せで体重をかけられた体勢では広いベッドの上を泳ぐ様にシーツを引っ掻くだけで精一杯で、必死なその姿すら見る人の劣情をそそるものと成り果てていた。




「も、本当に無理だからっ、もう、休ませ・・・んんっ!!」




 少女の必死な哀願などまるで聞こえていないかの様に、熱く蕩けきったそこに沈められた2本の指の機械的な動きは一切止まる事なく、特に少女が高い嬌声を上げる一点を執拗に狙い定め、擦り続ける。




「やっぱり今日も流れ込む魔力の量はどんどん上がっていくわね。」


「やっ、ああっ・・・!」




 黒髪の少女は、折れそうな程に背中を大きく反らすと、何度か体を痙攣させ、やがてぐったりと身体をベッドに沈ませた。




「・・・・・・」




 青髪の少女は意識を失った事を確認すると、先程までの妖美な艶やかさとは無縁のあどけない表情で眠る黒髪の少女の柔らかい頬をそっと撫で、閉じられた瞼をじっと見つめるのだった。








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「一日中座学なんてつまらなすぎて死んじゃうよ!」


「そんな事言ってるとまた補習になるよ、リア。」




 机に突っ伏しながらリアが気怠そうに話すと、隣の席で念入りに予習を行う黒髪の少女ーーーハルが「あとはこの授業だけだから頑張ろう」と笑いながら諭す。




 ハルの《悪魔の契約メフィストフェレス》を取り巻く一件は、無期限の投獄とそれを免れる為のいくつかの条件をハルに課す形で幕を閉じた。


 条件付きとはいえ、無期限の投獄、それもあの屈強なオーネットからの拷問付きの処遇から免れた事に涙を流して喜んだハルであったが、その条件ーーーセシリアへの魔力の譲渡ーーーの本当の意味をその身で知ってからは、現在の置かれた状況は手放しで喜べる様な物ではなかった。




「・・・ハル、大丈夫?」




 そんな一見すると以前と変わらない表情を浮かべながらも、誰も見ていない時にだけ浮かべる苦しげな表情に、ずっと側で見てきたリアが気付かない訳が無かった。




「ん?ああ、最近ちょっと寝不足なんだよね。」


「・・・そっか。ちゃんと寝ないとまた実技試験中に倒れるからね!」




(嘘じゃないんだけど・・・ちょっと良心が痛むな。)




 しかしリアはそれ以上踏み込まない。それはハルの事を心配していない為では勿論なく、むしろその逆である。


 そもそも突然の部屋の移動、決して一緒には摂らない夕食、時折見せる辛そうな表情から、その身に何かあった事も、それが現在も解決していない事は明白であった。


 そして常に危うげなハルを弟の様に大切に思っていたリアにとっては、出来るのであれば肩をゆすってでも問い質したいとも思う程であったが、恐らく誰よりも優しいハルが隠し事をするのはリアの為ーーー根拠はないが、リアはそう確信していた。なのでハルが自ら助けを求めるまでは、深く追求しない、ハルと似て優しすぎる友人は、そう決めていた。




(何となくこの日常に慣れてしまっている自分が怖いな・・・)




 ハルは教壇上で火の魔法を作って見せる講師をぼんやりと眺めながら、リアに気付かれない様にそっと溜め息をつき、そう心の中で零すのであった。








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 初めての情事ーーーそれも一方的な蹂躙に近い行為の翌日、講義が終わるや否やハルはセシリアの執務室に押しかけた。理由は勿論昨夜の行為と自らに課せられた条件について問い質し、回避方法を何とか模索する為である。




 コンコンコン




「・・・ハル=リースリングです。」


「入りなさい。」




 緊張した面持ちでハルがセシリアの執務室へ入ると、セシリアがまるで昨夜の凶猛さは嘘の様に無表情で積み重ねられた書類に目を落としていた。




(何となくわかっていたけどこの態度、ムカつく・・・!)




 そのあからさまな“私は何も気にしていない”という態度と、気怠さや下腹部の違和感が未だに続いている事に腹立ちを感じながら、ハルはセシリアの前へと進み出た。




「お話があって参りました!」


「私から話す事は何もないわ。自室に戻り、夕食後に入浴を済ませたらベッドに入りなさい。」


「・・・っ」




ーーーベッドに入りなさい。


 セシリアのその言葉は、つまり本日も夜伽をする事を意味する。想定はしていたものの、一般的な恋人同士のそれとは全く異なる、ハルが意識を失うまで続けられる一方的な行為を連日行う事は、人よりタフな方だと自負しているハルにとっても、体力的にも精神的にも耐えられるものでは無かった。




「あの、昨夜みたいな・・・その、ああいった事を、これから毎日するんですか?!毎日あなたにあんな抱かれ方するんですか?!」




 ハルがキッとセシリアを睨みながらそう言うと、セシリアは漸く書類から視線をあげ、無表情のままハルを見た。




「あんな、というのが何を指すかは知らないけど、そうね。昨日わかった事が二つある。一つはあなたの感じる快楽の度合いと渡される魔力量が比例している事。もう一つは魔力をどんなに譲渡してもあなたの魔力はすぐに回復してしまい、実質その上限は無いに等しい事。」




 セシリアのその言葉に、一瞬昨夜の光景がフラッシュバックしてしまったハルは、思わずセシリアから目を逸らす。しかしそんな様子のハルは意に介さず、セシリアが話を続ける。




「だから条件通り、今日以降もあなたには毎日私に魔力を供給して貰う。もしそれがどうしても出来ないと言うのなら、8月の測定会で私の魔力量は上昇せず、使用用途のなくなったあなたは咎人として死罪か監獄行き。まぁ出来ないって昨日の夜みたいに泣き喚こうが続けるから、後者の心配はする必要無いわ。安心して。」


「そんな・・・」




 ハルは全く安心できない自身の置かれた状況を再認識し、俯きながらそう呟く。




(何とかして回避しないと・・・それにそんな、売春婦みたいな生き方、絶対に嫌!!)




「セシリア様はそれでいいんですか!?私みたいな何の取り柄もない田舎娘と毎日あんな性行為って明らかにアブノーマルロードまっしぐらですよ!?親が知ったら泣きますよ!?」




 回避の手段として説得、それも理性に訴えるという安直な案しか出てこない自分の情けなさに、我ながら泣きそうになりながらも、ハルは必死でセシリアに訴える。


 しかしセシリアは案の定動じない。




「あなたに何の取り柄もないというのは否定させて貰うわ。あなたは魔力を譲渡できる力を持ったこの世界で唯一の人間。その利用価値は計り知れない。それに私の親、魔法部の大臣にはこの話は内々に通しているわ。でないといくら四賢聖とはいえ、咎人を牢から出す事は出来ない。それと・・・」




 セシリアはまたハルから視線を下ろし、手元の書類を見る。




「昨夜の事に散々振り回され、頭を悩ましているあなたに言うのは申し訳ないけれど、私にとってこれはただの業務の一つに過ぎない。あなたはただの利用価値のある道具。そしてその道具を最大限利用する為に、毎日私はあなたを抱く。そこに愛や情は存在しない。」




(そんな・・・私ばっかり気にしてて馬鹿みたい・・・って、なんか悪戯に想い人に体を弄ばれた純情乙女の反応みたいになってない!?負けるな私!頑張れ私!)




「そ、そんなに言うなら、絶対あなたの魔力を爆上げして、解放された暁にはあなたがとんだ変態でアブノーマルな性癖の持ち主だって言いふらすわよ!」




 説得が失敗したのなら脅しだ!ーーーそう考えたハルであったが、当然こんな生徒一人の脅しで屈する様な四賢聖などいない。


 セシリアは初めて無表情から呆れた顔に、そして悪戯っ子の様な笑みへと表情を変え、頬杖をついてハルの必死の抵抗を弄ぶ様に答える。




「ええ、いいわよ。その時はどんなにあなたが乱れ、悦んでいたかもちゃんと伝えてね?それとーーーそうね、昨日であなたの快感を増幅させる必要がある事が分かったから、今日はどこがどうイイのかをちゃんと全部言って貰おうかしら?できるわよね。昨日だって最初は嫌がっていても、最後はあなた、何でも言う事をーーー」




 そこまでセシリアが言うと、ハルは顔を青ざめさせながら「わかりました!わかりましたから!」と言ってセシリアの口から放たれる恐ろしい言葉を必死で遮る。そして心の中でもう二度と四賢聖を脅す真似はしないと誓うのであった。








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「魔獣討伐訓練キターーー!」




 ハルの哀愁漂う回想は、突然のリアの叫び声によって遮られた。


 見ると壇上の黒板には“5/18 魔獣討伐訓練”と書かれ、他の生徒にもリア同様に顔を輝かせる生徒が多くいる様だった。




「5月18日は終日魔獣討伐の実践訓練を行います。例年大怪我をする生徒も多く出る授業ですので自分の力を過信し過ぎず、しっかりと準備して望んで下さい。」




 講師の言葉に、リアが「やっと自分の出番が来た!」と更に歓喜の声をあげ、拳を握る。まるで瞳にメラメラと炎が宿そうなリアの気合の入り様に半ば呆れながらも、ハルも少し期待に胸を高鳴らせる。




「今回このクラスが討伐するのはセイレーンです。セイレーンについて知っている生徒はいますか?」




 講師がそう問うと、複数の生徒が答える。




「はい!セイレーンは中級クラスの危険度に分類され、主に歌声を主とした幻術を使う知能の高い水棲魔獣です!」


「集団で行動する事が多いと聞いた事があります!」


「そうです。皆さん正解です。」




 講師はそう言うと、魔法を唱え、壇上にグラソン王国の地図を表示する。




「今回討伐するセイレーンは、グラソン王国南部、アイレオ海に頻繁に出没する事が確認されており、今年は特にその活動は顕著です。今月に入ってからすでに数名の漁師や村人、十数人を乗せた客船がその被害にあっています。今回はアイレオ海に囲まれたテルテラ海岸にて、セイレーン10体を討伐する事がミッションです。尚、セイレーンはその歌声を聞いた人に幻覚を見せるという様に、魔獣の中でも特に知能が高く、討伐難易度が状況によって大幅に変化する事から、生徒は必ず2人ずつペアを組み、討伐に当たって下さい。」




 そして「より詳細な指示は書面にて全体に周知します」と言うと、授業は終わった。




(セイレーン討伐かぁ。確かに久しぶりの実践で少しワクワクするな。でもその前に・・・)




 ハルはリアの方を向き、その手を両手で取って聞く。




「リア、私とペアになってくれる・・・?」


「もっちろん!当たり前じゃん!」




 リアの溢れんばかりの笑顔とその回答に、ハルはそっと胸を撫で下ろした。ハルが日中にリア以外の生徒と会話をする事は、セシリアによって禁止されている。その為、もしリアが他の生徒と組みたいと言った場合には、ハルは魔獣討伐授業への参加を辞退するか、他の生徒と一言も会話せずに組むしか選択肢が無くなってしまう。




「私、リアの役に立てる様に実習までにもっと強くなるね!」


「まあ頑張りたまえハル=リースリング君!」




 リアはそう言って胸を張る。座学中はいつも寝ているか、あるいはハルにちょっかいを出してくるリアだが、魔力量は8.8%程と高く、全校生徒200人の中でも上位20%に入る成績を修めていた。




(授業とはいえドラゴン以来の魔獣討伐!あの時はアクシデントだったとはいえ、殆ど手も足も出せなかったけど、次こそは・・・!)




ーーーいつかあの青い悪魔、セシリアを倒して自由を手に入れる。


 不可能に近い事は重々承知であったが、現在の状況から脱出する一つの方法として、“セシリアを魔法でもって圧倒する”という事もハルは念頭に置いていた。




 そうして各々意気込むハル達に、同じクラスの生徒3人組が声をかける。




「あら、ハル=リースリングさんもまさか魔獣討伐に参加されるの?」


「まさかそんな。どっちが魔獣か分からなくなってしまうもの。」


「でも間違って攻撃してしまっても構わないわよね?あなた、実は咎人なんじゃないかって噂されてますもの。」




(リアとばっかりいるから忘れてけど、そういえば私物凄く嫌われてるんだった!)




 ハルへの敵意を隠そうともしない3人組の物言いに、「誤解だ」と言ってなんとかその溝を埋めたいハルであったが、ハルが会話する事を許されていないのは、この3人組に対しても同様である。


 言葉を交わすことができず、ただ黙り込むハルの態度に、更に3人組の温度感が上昇する。




「まあ無視するなんていい度胸ね!」


「だいたいオーネット様に串刺しにされるなんて羨ましすぎるのよ!」


「ちょっと魔力量が多いからって調子に乗らないで!」




(二人目の発言は聞かなかった事にしておこう…)




 3人組の難癖はどんどんとヒートアップしていき、ついに1人が「悪魔の眷属かどうか、その左目を抉って確かめる事もできるのよ!」と風魔法の刃でハルの左目を切りつけようと身を乗り出す。




「ちょっと待ってよ!」


「それは流石にやりすぎじゃない!?」




 ハル同様に焦り、簡易な防御魔法を展開しようとするリアと、教室での魔法の行使は流石にまずいと思った3人組の他の2人も止めに入るが、3人組のうちのリーダー格の様な一人が、静止を振り切って片手から風の刃をハルの左目めがけて放つ。


 そして一直線にハルの桃色の瞳を切りつける、誰もがそう思ったが、風魔法の刃はその手から離れた瞬間、唐突に「パチンッ」と指を鳴らす音と共に消え去った。


  そして聞こえる氷の様に冷たい声。




「何をしてるの。」


「セシリア・・・様・・・?」




 3人組は背後に立つその顔を確認するや否や、顔を真っ青にする。ハルとリアの顔にも3人組と同様に緊張が走るが、特にハルはセシリアの眉間に皺を寄せた表情に、




(やばいこれかなり怒ってる顔だ!襲われてる時になんとか逃げようと奇をてらってセシリア様の胸を触った時と同じ顔してる!この3人殺される!)




 と、思い出すだけで震える程恐ろしかった記憶と照らし合わせ、ハルは咄嗟に3人組を庇う。




「いや、えっと違うんです!ちょっとみんなで、その、魔法の練習してて、この3人にやましい事なんて全然ないですから!」




 そうハルが言うと、必死に首を縦にふる後ろの3人組とリアであったが、セシリアは黙ったままハルの目の前に立ち、その冷たい目でハルを見下ろして話す。




「何をしてるのって聞いたのはこの3人組ではなくあなたによ、ハル=リースリング。もう17:00を3分も過ぎているのだけれど、私との約束より優先すべき事があったのか、後できっちり説明してくれるわよね?」


「え?・・・・あああああ!!」




 壁の時計を見ると正しく針は17:03を指している。


 瞬時に理解した自分の大きな過失と目の前でニッコリと笑う青い悪魔に、背筋にゾッとしたものが込み上げたハルは大慌てで荷物をまとめると、自室へと猛ダッシュで駆けていった。


 取り残され、呆然と立ち尽くす3人組とリアに、セシリアはまたいつもの無表情に戻る。




「さっきはああ言ったけれど、教室での魔法行使は講師を除いて基本的に禁止されているはずよ。ハル=リースリングに感謝するのね。それとリア=ロペス。」


「は、はいっ!」


「ハル=リースリングの事をよろしく。」


「はい・・・・・・え?」




 セシリアはそう言うと、用が済んだとばかりに青藍の長い髪を靡かせて教室を出て行った。そしてまたもや取り残された3人組とリアは、たった今起きた四賢聖の度重なる予想外の発言に、ただただ口を開けて絶句するのであった。




「ハル・・・本当に何をしたんだ?」




 しかしその声は廊下を猛ダッシュで走るハルの耳には届かないのであった。






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