04 少女と判決


 瞼を開くと、ジメッとしていた牢獄には朝日が差し込んでいた。




「もう陽の光に当たる事はできないって分かってる前日でも、人って眠れるんだ。」




 そう言って自虐的に笑いながらも、ノアの施してくれた治癒魔法の中に微弱ながら睡眠へと誘う催眠魔法が施されていた事は、薄々ハルも感じていた。恐らくノアのできる精一杯の優しさだったのだろう。


 ぼんやりと、僅かな隙間から覗く真っ青の空を眺めていると、扉が開く音がしてカツン、カツン、と堅い靴音が響き渡る。




「ハル=リースリング、時間だ。出ろ。」




 そう無骨に告げて現れたのは、緑髪の麗君にしてグラソンの守護神、オーネットであった。


 看守はいないらしい。オーネットが錠前で手をかざすと、ガチャリと音を響かせて格子状の扉が開く。


 ハルは地面に手をついて立ち上がると、オーネットの後ろに続いて歩き出す。その目はもう俯かず、前で揺れる、束ねられた艶やかな深碧の髪を真っ直ぐ眺めていた。




「分かっているだろうが、お前に個人的な恨みがある訳ではない。」


「・・・はい。」




 意外にも、牢を出て階段を歩きながらオーネットが話をし出す。




「お前にも守りたいものがある様に、私にも守りたいもの、守らなくてはならないものがある。」


「はい。」




 オーネットは真っ直ぐと正面を見据えて話す。ハルは何となくオーネットのさす”守りたいもの”が、秩序やルールなどではなく、その先にある何かを指しているという事に気づいていた。




「だから私はこれまでも、ここから先も、お前に一切容赦はしない。恨みたくば恨め。」


「大丈夫です。オーネット様が本当は優しい人だっていうのは、分かってますから。」




 自分でもなぜその様な事を言ったのか、ハルには分からなかった。しかし、どこかオーネットには、心のずっと奥底、誰も触れられない様な場所へ自分の意思を押し殺し、理屈で何重にもそれを覆っている様な印象を持っていた。それがたった数枚のハリボテの様なものであれば、ハルもわざとオーネットに泣いて縋り付き、心の隙を突こうとしただろう。


 しかし、あまりにその壁は重厚であった。そして、仮にその重厚な壁を無理矢理にでもこじ開けてしまえば、きっとこのオーネット=ロンドという雄鹿の様に気高く高貴な人間は、きっとその事実を受け入れられず廃人の様になってしまうのだろうーーーそんな風にも感じたのであった。




「なるほど、悪魔はそう言って誑たぶらかすのだな。」




 オーネットが一瞬驚いた表情をした様に見えたが、それはほんの一瞬で、すぐに取り繕って凛とした佇まいでそう返した。




「着いたぞ。」




 そう言われてたどり着いたのは、牢獄がある建物と地下で繋がった一階にある、何の変哲もない普通の部屋の扉だった。




(ここが、私の運命が決まる場所ーーー)




 一見するとただの部屋の様にも感じるが、そこから漂う禍々しい気配が、ここが最後の地になる事を告げていた。


 いざ前にすると、とっくに覚悟はできていたと思っていたものの、心と体が全く別物であるかの様に、膝が細かく震え、足がすくんで前へ進めない。


 そしてドアノブを握ろうと腕を持ち上げようとするのだが、ただただ手汗が出るばかりで、指一本動かす事すらできなくなっていた。




「入れ。」




 それはハル以外の罪人も同じなのか、オーネットは特に意に介さず、ドアノブをひねるとハルの背中を部屋の中へと押し入れた。


 ハルがヨロヨロと数歩踏み込み、顔をあげると、その部屋は外からは想像がつかない程広い部屋だった。床は一面大理石が敷かれており、中央には黒い円柱の様な台座が置かれている。そしてそれを囲む様に4つの簡素な木の椅子が設えられ、そのうちの3席が埋められていた。




「やっと来た。面倒くさいし、さっさと殺して帰ろ。」




 厳粛な空気を一蹴する様に、待ちくたびれたと言う態度で眠そうに目を擦りながら言ったのは、椅子の肘掛に頬杖を着いて座る銀髪の兎の様な少女、クロエである。


 そして、昨夜ハルの傷を癒してくれた、藍色のミディアムヘアと泣き黒子が特徴的なノアが、「来てしまったの」とでも言う様に、悲しそうな目でハルを振り返る。


 そしてノアの向かいに座るセシリアは、相変わらずの無表情で脚を組み、ハルには一瞥もせずに中央の黒い台座を見つめていた。




 ハルは刑場、四賢聖のいる元へ向かって足を踏み出そうとするが、なかなか足が言う事を聞かない。するとそれを見たクロエが、ニヤリと笑いながら頬杖を着いている手の人差し指を、こちらへ招く様に動かす。




「クロエッ」




 それに気づいたオーネットが、それを止めようと腕を伸ばすが、ほんの数秒早く床から伸びた太い鎖が忽たちまちハルを縛り上げ、中央の円柱の台座上にY字になる様に拘束する。


 そして吊したハルの両腕を無理やり引っ張り上げる。




「痛っ…」


(この鎖は、裁判の時の!?)




 そして何か重いものが風を切る様な音が背後から聞こえたかと思うと、鈍い音が響き渡った後に背中に引き裂かれた様な鋭く激しい痛みが走る。




 パァンッッ




「あああっ」




(背中が焼ける様に痛いっ)




 そしてもう1発また重い鎖が風を切る音を立てたところで、背後から鎖を剣で断ち切る甲高い音が部屋に響き渡る。




「クロエ、そこまでだ。まだ正式な判決は決まっていない。私刑は認めない。」




 オーネットが剣を鞘にしまいながらクロエを睨んでそう言うと、




「でも知らないって言ってるんでしょ?ならどうせ口を割らないから死刑だよ。今殺しても変わらないでしょ。」




 とクロエは背中から血を流して苦悶の表情を浮かべるハルを、つまらなそうな表情で見やる。




「クロエさん、台座が汚れてしまうからやめて下さい。」




 それをノアが嗜める様に諭すと、ようやくクロエは興味を失った様に「ノアがそう言うなら」と言ってハルの両腕を縛り上げた鎖を解放する。ノアは椅子から立ち上がり、台座の上で背中の痛みに蹲るハルに近づき、痛みを緩和する魔法を施した後、「ごめんなさいね」と言って両腕を背後で拘束し、首に魔法の枷を嵌め、着席した。




 オーネットも着席すると、ハルの正面に無表情で座ったセシリアが口を開く。




「これより、ハル=リースリングの判決言い渡しを行います。」




 ハルはゆっくり顔をあげ、目の前で自らの処遇を言い渡そうとしているセシリアの目を真っ直ぐ見つめ、唾を飲み込む。


 例え死罪であっても、無期限の投獄であっても、両親に別れの挨拶をする事と引き換えに「何でも話す」と約束をしてしまっている以上、何も身に覚えがないハルには、死よりも苦しい拷問が待ち受けている事が確定していた。




 セシリアは、ハルの目は一切見ず、手元の書類を見て言い渡す。




「ハル=リースリングは、咎人である事を隠匿し、グラソン魔法学園に新入生として侵入、本人は意図を否定しているものの、禁忌を犯した上で無差別に人を危険に晒した。よって教会法違反、王国法違反、魔法条項違反により、あなたを無期限の投獄の刑に処します。」


「…っ」




 ついに言い放たれた判決。この判決は、実質的には死刑と言える。本来なら死罪となる所を、まだ《悪魔との契約》《メフィストフェレス》の内容や協力者等の存在が一切明かされていない事から、ただ死なすには惜しいという理由だけの判決である。そしてそれは即ち、ハルが本当に何も知らないという事が分かれば、即座に死刑となる事も意味する。


 疑われても拷問の末、殺される。疑われなくとも殺される。そんな絶望しかない未来が今、大口を開けてハルを飲み込もうとしていた。




 手足を切り落とされるのだろうか。全身の爪を剥がされ、何日間も火に炙られるのだろうか。頭に次から次へと浮かぶ恐ろしい想像に、観念していたとはいえ、ハルは深くこうべを垂らした。


 しかし、それで終わったと思われた判決に、セシリアが更に口を開いた。




「但し、以下の条件を満たし続ける限りはその限りではないとする。」




 思わぬセシリアの発言に、ハルだけでなく、オーネットをはじめとする四賢聖達が一斉にセシリアを見る。




「一つ、ハル=リースリングはその能力をグラソン王国の魔法発展の為にだけに捧げる事。二つ、それに伴い、1日1回以上自身の魔力をグラソン魔法学園、セシリア=セントリンゼルトに捧げる事。三つ、上記の二つを厳守すべく、セシリア=セントリンゼルトの許可なく行動しない事。四つ、上記三つに背いた場合にはその場で判決を待たず、死罪とする事。以上。」




 思いがけない判決に、一瞬静粛が広まる。言い渡されたハル自身も、何を言われているのかさっぱり分からなくなっていた。


 予想外の事態に、最初に椅子から立ち上がって声をあげたのはオーネットでたった。




「セシリア!そんな判決毛頭賛成できかねるぞ!咎人は死罪、口を割らない場合には投獄して拷問、それが同盟国間の取り決め。そんな生温い処罰など言語道断だろう!」




 語気を強めてセシリアへと迫るオーネットだが、セシリアは無表情のままオーネットを一瞥すると、口を開く。




「咎人を死罪とするのは当然。でもハル=リースリングは多少のリスクを負ってもそれを大きく上回る利用価値がある。」


「利用価値・・・それは魔力を捧げるという事?」


「そうよ、ノア。順を追って説明する。皆ーークロエは知らないかもしれないけど、昨日私とハルはある村で、ドラゴンに襲われた。それも普通のドラゴンじゃない。上空を警備している高等魔法士の目を掻い潜り、私も直前まで接近に気付かない程の上位個体だった。」




 ノアは顎に手を当てて考え込む様にセシリアの話を聞く。




「私達は盟約のせいでドラゴンを殺す事はできない。だから殺さずに追い帰したかったのだけれど、傷をつける程度の攻撃では届かない上空から、村に向けてブレスを打ってきたの。そこで、もう少しだけ、威力は中程度の魔法を任意の距離まで飛ばせるだけの魔力があれば、って考えた。そこで思い立った。なぜこのハル=リースリングは他者にしか回復魔法が使えないのか。なぜオーネットの攻撃を防いだ時、反撃する事ができなかったのか。なぜ魔力の気配を一切感じないにも関わらず、装置では430もの数字が出たのか。そしてなぜ、それだけの魔力を持っていて、草花に水を与える魔法しか使えないのか。」




 オーネットは眉間に寄せ、「いや、そんな事あるはずがない」と狼狽え、クロエは「これは面白い事になった」と言わんばかりに口角を上げてセシリアの話に聞き入る。




「そこで私は仮説を立てた。おそらくこの咎人、ハル=リースリングが《悪魔の契約》《メフィストフェレス》で得た力は”人に魔力を与える力”。そしてその代償は”与える力、以外の力を全て失う事”」


「だがそんなのはあくまで仮説!証拠はあるのか?」


「証拠とは言えないけど、私にも思い当たる節があるわ。」




 怪訝そうな表情で問いかけるオーネットに答えたのは、意外にもノアであった。




「私、何度かハルさんの事を治療しているけど、不思議に思う事があるの。セシリアが言ってた”魔力を感じない”にも近いんだけど、ハルさんには魔力の出入り口が殆ど無い。そのせいで、魔力を流し込んで施す様な痛み止めの魔法や催眠系の魔法はすごくやりづらい。きっともっと複雑な身体強化系の魔法なんて、ハルさんにかけるのは無理に等しいと思う。」


「魔力の出入り口が殆ど無い・・・それは生まれつきでは無いのか?」


「膨大な魔力を持つ人は、その魔力に相対して魔力の出入り口も大きくなる。ハルさんは不自然に出入り口だけが小さいし、それに小さいと言うより、塞がれたって表現の方が適切な感じがする。」


「塞がれた・・・契約によって・・・」




 オーネットとノアがじっとハルを見つめる。ハルは自身の話をされている事は理解しているものの、魔法に感する知識が疎いせいで全く内容について行けずにいた。




「魔力の出入り口?何のこと…?」




 するとここまで黙って議論を傍観していたクロエが口を挟む。




「その話が事実なら、私はハルを生かしておくの、賛成だよ。魔力の授受は魔法学での永遠のテーマのうちの1つ。不老不死とも並ぶ究極の命題。それを紐解く鍵になるのなら確かに殺すのは惜しい。でも、」




 クロエは立ち上がると、ゆっくりとハルに近づき、指でそっとハルの唇をなぞりながらニヤリと笑ってセシリアを見る。




「その条件はセシリアばっかり良い思いしすぎなんじゃ無い?魔力を渡させるだけなら、わざわざ自由にさせなくても、薬漬けにして牢屋に縛りつけて置けば良い。どうせ魔力の受け渡し方は口付け、あるいは同衾なんでしょ?」




「ドウキン・・・?」




 聞き慣れない言葉にハルはクロエとセシリアの顔を交互に見やる。ハルのそんな様子にクロエは一瞬キョトンとした様な顔を浮かべた後、楽しそうな笑みを浮かべ、突然ハルの口の中へ自身の人差し指を入れる。




「な!?あにふるんえふか!?」


「同衾って言うのはね、つまり性行為って事だよ、ワンちゃん。」


「!?」


(性行為・・・ってええ!?!?)




 クロエはハルの反応を楽しむかの様に言うと、差し込んだ人差し指で奥歯の歯列に触れ、上顎の裏を撫でる。そして気持ち悪さとくすぐったさの中間の様な感覚に顔を歪めるハルの顔を見て、満足したのか指を抜き取る。




「だからわざわざ自由にさせなくても、牢に繋いで魔力が欲しくなったら誰でも好きなタイミングで自由に襲える様にしておいた方が効率的じゃない?」


「クロエ、言葉を慎め。」




 クロエの歯にもの着せぬ物言いに、オーネットが釘を刺す。


 するとセシリアが、座ったままクロエの方を見て答えた。




「魔力を渡すだけなのであれば、確かにその方が効率的。だけどハル=リースリングの利用価値はそれだけでは無い。」




 セシリアは軽く握った自分の左手を見ながら言葉を続ける。




「ドラゴンと戦った際、確かにクロエの言うとおり、私は接吻を通じてハル=リースリングから力を与えられた。そして私の魔力量は爆発的に上昇し、ドラゴンを無事に退ける事ができた。当然、その力は恒久的なものではない、もって3時間程。最初はそう思っていた。」




 オーネットがまさか、といった表情でセシリアを見やる。




「ーーーでもそうではなかったと?」


「そう。確かに与えられた力はその大半がすぐに消え去ったけど、ハル=リースリングに与えられた魔力のごく一部が、私の中の魔力と同化して今も微力ながら体内に宿っているのを感じる。」




 なるほど、リースリングはそう呟いて思案顔になる。しかしそれでも納得いかないとばかりに、クロエがセシリアへ詰め寄る。




「計画的に使いたいってのは分かった。でもそれが、セシリアがそれを独占していい理由にはならないんじゃない?」




 クロエが魔法によってハルの首につけられた魔法の首輪を持ち上げると、無理矢理セシリアの方に顔を上げさせる。




「セシリアの独占欲に、何で私が素直に従わないといけないわけ?」




 セシリアが無表情からほんの少し眉を寄せ、不快そうな表情を浮かべる。




「独占欲では無いわ。ハル=リースリングの持つ可能性は頭打ちとなっているグラソン王国の魔力量増強の一助ともなりうる。そしてそれを最も効率的に示すには、この王国随一の能力を持つ私が実践するのが最も相応しい。それにいずれ、この力が公になる可能性があると想定すれば、彼女を他の権力から守る力も必要になる。」


「うわー王国随一とか自分で言っちゃうんだ。」




 クロエはそう言うと、ハルをまた正面から見据える。


 台座の上に膝をつき、頭を垂らした姿勢で拘束されるハルは、低身長の部類であるクロエが正面に立つと、目線が全く同じ高さとなる。そして、ハルの頬を左手で撫でながクロエが口を開く。




「まあいいよ。但しセシリア以外の四賢聖との接触に関しては、特に定められていない。私は私の好きにするから、セシリアはそれが嫌なら、ちゃんとその力で守って見せなよ。」




 そう言うと一瞬でクロエはセシリアの座る椅子の肘掛の上に一瞬で移動し、意地悪な笑みを浮かべてセシリアの耳に囁く。




「私、一度気になったものは、壊れるまで遊ぶ主義だから。」




 そう言い残すと、クロエは姿を消した。




(不穏!!不穏すぎない!?)




 状況について行けずにただ戸惑うハルと混沌とした空気に、咳払いをして切り込んだのはオーネットであった。




「セシリアやノアの話は未だ仮説の域を出ない。仮説を理由に、教会法や禁忌に背いた咎人を裁かない理由とする事は認められない。だから私からも一つだけ条件を設けたい。条件は、半年後、夏の測定会にて、セシリアの魔力量が明らかに上昇している事。そして上昇していなかった場合には法に則り、ハル=リースリングを死罪とする事。」




(半年後・・・)




 ハルはじっとセシリアを見やる。


 セシリアはまたいつもの無表情のまま、オーネットとノアを見て言った。




「それは確かに最もな意見。受け入れる。ノアは他に何かある?」


「いえ、私は二人の取り決めに従うわ。」




 ノアが静かに首を振って答えたのを聞くと、セシリアは宙に手を翳して宣言した。




「それでは以上をもって、判決言い渡しを閉廷します。」




 するとセシリアの頭上には、セシリアの手の平から放たれた青い光が輝き、光の文字を作り出した。






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




   Hal Riesling




 この者を悪魔と契約を行った罪により、【教会法】【グラソン王国法】【魔法条項】に基き、<無期限の投獄>の刑に処する。




 但し、以下の条件を満たし続ける限りは、執行猶予とする。




 1. その能力をグラソン王国の魔法発展の為にだけに捧げる事。


 2. 1日1回以上自身の魔力をグラソン魔法学園第一位、セシリア=セントリンゼルトに捧げる事。


 3. セシリア=セントリンゼルトの許可なく行動しない事。




 尚、上記に背いた場合には審判を待たず死罪とする。


 尚、8月の魔法量測定試験にて、セシリア=セントリンゼルトの成績の向上が見られなかった場合には審判を待たず死罪とする。




 Cecilia Saintlinsert


 Chloe Westcolin


 Aunet Rod


 Noa Raffine




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






 そして、ノアとオーネットも片手を翳すと、下部に記載された名前の横へ魔力のサインが記される。




「クロエのサインは私が取ってくる。」




 サインをするや否やオーネットはそう告げると、ハルをチラリと一瞥し、




「首が繋がったな。生き永らえたいのであれば役に立て。」




 そう言って扉から出て行った。静まり返る室内。




(終わった・・・の?)




 未だ条件を飲み込めずにいるハルの気持ちを察したかの様に、手足と首を戒めていた枷が外れ、地面に手をついてハルが倒れ込む。




(投獄されないで済んだ・・・?)




 すると突然、上半身が柔らかく暖かい感触に包まれた。ハルが驚いて抱きしめられた方、横を見ると睡蓮の花の様な少女、ノアが満面の笑みでハルを優しく抱きしめていた。




「よかったぁ〜〜〜〜〜〜〜」




 そう言ってノアは呆気にとられるハルに何度か頬擦りをすると、「いけない!」と我に返ったかの様に顔を離し、体は抱きしめたまま、ハルの顔を覗き込む。




「色々大変な事に変わりはないけれど、一先ずはもう大丈夫よ。」




 そう言って藍色の瞳を和らげに細めるノアの表情に、やっと状況を理解し、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、




「私、私は、、、」




 とうわ言のように呟いてから、ハルは大粒の涙を零した。ノアはそれを姉の様な表情で優しく見守り、制服が涙と鼻水で濡れることも惜しまずハルを抱き寄せる。そして赤子をあやす様に優しくハルの背中を摩さすった。




「よしよし、大丈夫、もう大丈夫よ。」




 10分程そうしていただろうか。漸く鼻水も涙も収まったタイミングでノアはそっとハルから体を離す。そして、




「それじゃあここから先はセシリアさんにお任せするわね。さっきみたいにあんまり意地悪しないでね!」




 とセシリアを指差すと、ノアもまた、音もなく消えて行った。




「意地悪なんかしてないつもりだけど・・・」




 残されたのは不服そうにそう呟き、台座の正面、ハルの目の前の椅子に腕を組んで座るセシリアと、台座の上でぺたんと座り、両膝の間に両手をついてセシリアを見るハルだけであった。




(えっとこれ、私から話しかけた方がいい感じ?でも何て話しかければ・・・助けてくれてありがとうございます?でもそもそも殺そうとしてたのこの人だし。)




 じっと流れる沈黙の時間に、どんどん気まずさが増していく。しかしセシリアは物思いに耽っているのか、ハルの事など御構い無しにじっとハルの座る台座を見ながら腕を組んだまま思案している。




(えーっと話題話題、そういえば確かいくつか条件があるみたいな話ししてたよね!なんだっけ、クロエ様とかが何か言ってたーーーー)




「ドウキン?」




 ーーーしまった。ハルは口に出してから一瞬で思った。同衾とは即ち性行為、そうクロエは言っていたではないか。




「や、えっと、今のは言葉の綾というか違くて!」




 慌てて取り繕うが、ハルの言葉を聞いて目線をあげたセシリアはじっとハルの目を見て視線を離さない。




「えっと、そう、条件がどうって色々言ってたから!あの、これから私どうしたらいいのかなーって思っただけで!」




 必死な様子のハルだったが、セシリアはそんなハルの事など一切無視するかの様に立ち上がり、ハルへと近づく。




(待って何何何!?)




 セシリアがハルの目前まで迫り、ハルはギュッと目を瞑るが、意外にもセシリアはハルの前をそのまま通り過ぎ、部屋の出口へと向かう。




「何してるの?行くわよ。」


「えっ!?あ、はい!」




 セシリアの言動に一瞬キョトンとしたハルであったが、その言葉の意味を理解すると慌ててセシリアへと続いた。








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「今日からあなたにはこの部屋を使って貰う。20分以内に全ての荷物をこの部屋に移動させて私の執務室に来なさい。」


「わ、部屋広っ!」




 セシリアに連れてこられた部屋は、入寮後にハルが使用していた部屋の4倍は広さがある、簡素ながらも質の良い調度品が置かれたシックな部屋だった。それだけ見れば優雅な一室だが、しかし、普通の部屋とは異なる点が2か所だけあった。


 一つは窓。部屋の東側には開放的な大きな窓が据え付けられ、一杯の陽光が部屋へ差し込んでいたが、開ける事はできてもその奥には魔法で作られたと思われる格子があった。恐らく触れたら最後、ただでは済まない事になるのだろう。それは魔法に疎いハルでも分かった。


 そしてもう一つは部屋の中央にずっしりと置かれたベッド。ハルがこれまで暮らしていた寮室ではシングルサイズが基本であったが、この部屋には純白のシーツで覆われたキングサイズはありそうなふかふかなベッドが置かれていた。




「それと彼女はオリビア=ガルシア。毎日のあなたの世話は基本的に彼女が行うわ。」




 そうセシリアが言うと、オリビアと呼ばれた女性はゆっくりと洗練された所作でハルへお辞儀をする。




「よ、よろしくお願いします!ただ世話なんて、そんなわざわざしていただかなくても・・・」




 畏まったオリビアの態度に、使用人などとは無縁の世界で生きてきたハルは完全に恐縮しきった態度でそう述べるが、セシリアが「勘違いしない様に」とでも言うかの様に、言葉を挟む。




「オリビアはこう見えて、長らく私に仕えていた使用人。並大抵の兵士でも叶わない程の実力者だから、あなたが下手な真似を起こさない様に監視して貰うのが本当の役目よ。」


「なるほど・・・」




(そりゃそうか。一応まだ私は完全に罪人って扱いなんだし、そう簡単に自由な学園生活を送らせてもらえる訳ないよね。)




「どんな事情があろうとも、私は本日よりハル=リースリング様の使用人です。何なりとお申し付けください。」




 そう鉄壁の営業スマイルといった笑顔を浮かべて述べるオリビアは、身長こそセシリアよりは僅かに低いものの、すらっとしたスタイルと、きっちり2・8に分けて後ろでお団子に纏めたグレーの髪、そして笑うと糸目になる切れ長の細い目、シュッとした顔立ちが、微笑んではいても、少しの容赦も許しはしない様な厳格な雰囲気を醸し出していた。




「は、はい、よろしくお願いします!」








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 オリビアとの挨拶を終え、昼過ぎの日差しの中、自分の使っていた寮の部屋へと荷物を取りに廊下を一人歩いていると、ハルの部屋の前で、見知った顔が壁にもたれて俯いているのが見えた。




「ーーーリア!!!」




 ハルはその顔を認識するや否や、その友人の名を叫ぶと、ガバッと顔を上げたリアがハルの方に振り向き、その場でヘナヘナと座り込む。




「ハル・・・?」




 最後にあった時から、かなりやつれた様に見えるリアは、ハルが駆け寄り抱き締めると、やっとその存在を現実のものとして理解したのかボロボロと涙を零してハルにしがみ付いた。




「ハルぅ〜ハルだ〜生きてる、生きてるよね」




 そう言って堪えていたものが溢れ出したかの様に泣き喚くリアに、ハルも漸くこの3日間の嵐の様な出来事と、今こうして親友を腕に抱きしめていられる奇跡に、つられて涙を流した。




「私だよ、ハルだよ、リア、ずっと会いたかった。ごめん、本当にごめんね。」


「私、ハルが死罪になるかもって聞いて、あの時助けに入ればよかったってずっと後悔して、ずっとハルに会いたくって、」


「私も会いたかった。」




 そう言ってお互いの温もりを確かめ、一頻り涙を流すとリアは涙を手の甲で拭いながら、心配そうな表情でハルに尋ねる。




「もう解放されたの?学園生活に戻れるの?それにその左目の色・・・」




 その質問に、ハルは「うーん」と少し思案する。




(私の力の事とか、裁判で決まった事とかって多分他人に言ったらダメなやつだよね?)




「完全に元通りって訳じゃないみたいで、正直まだどうなるのか私自身もよくわかってないんだよね。」




 そう言って苦笑いしながら頭をかくハルに、リアは更に心配そうな顔をしてハルの手を握る。




「元に戻れないって、大丈夫なの!?今回の件って完全に冤罪でしょ!?疑いが晴れた訳じゃないの!?」


「えっと、まだあまり多くは話せなくって・・・ごめん。きっともう少し解決したら、ちゃんと全部リアに話すから。ごめんね、心配かけてばっかりで。」




 ハルが困った様な笑顔でそうリアに話しかけると、リアは一瞬納得のいかない表情を浮かべたが、逡巡すると「わかった」とだけ言い、再度ハルを強く抱きしめた。




「でも、もし困った事があったら、その時は何でも話してね。ハルは私の大切な友達だから。」


「うん。ありがとう。リアもまた私に色々教えてね。」




 そう言って旧友との涙の再開は、穏やかなまま終わった。








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「ふぅ。私の荷物ってこれだけ?意外と少ないな。」




 新しく与えられた部屋に戻ると、ハルはざっくりと荷解きを終え呟いた。すると部屋の掃除をしていたオリビアがハルに声をかける。




「ハル様。もうセシリア様とのお約束のお時間です。」


「えっ嘘もう!?」




 壁にかけられた時計と見ると、セシリアとの約束の時間ぴったりを指していた。




「セシリア様の執務室は書庫を挟んだ3つ左隣のお部屋です。残りの荷物は私の方で整理させていただきますので向かった方がよろしいかと。」


「ありがとうございます!でも荷物は全然そのままにしておいて貰って大丈夫ですから!行ってきます!」




 そう言って慌ててハルは部屋を出て左へ走る。




「えっと3つ隣、この扉か!・・・こういう時ってノックした方がいいのかな?」




 コンコンコンッ




「ハル=リースリングです。」


「入りなさい。」


「失礼します。」




 そう言って恐る恐るドアノブを捻り、足を踏み入れると、教室1つ分はありそうな部屋が広がっていた。


 部屋の壁際には、ハルの部屋と同様にダークブラウンのシックな書類棚がいくつも並べてあり、そこには書庫かと思う程、所狭しと書物や書類が並べられている。また、1箇所には鎧が置かれており、天井から吊るされた小ぶりなシャンデリアの光に反射して鈍く輝いていた。そして中央の大きなスペースには、重厚な机が一つと、それを挟む様にソファが置かれており、更にその奥の書斎の様な机に、青い髪を後ろで一つにくくったセシリアが、いつも通りの無表情で書類に目を通しながら腰掛けていた。




「あなた達は夕食まで下がっていて。」


「畏まりました。」




 セシリアは側に仕えていた2名の使用人にそう声をかけると、入り口でどうすれば良いのかと突っ立っているハルに、「来なさい」と命じた。


 ハルが言われるがまま、未だ書類に目を落とすセシリアの前まで来ると、セシリアが口を開く。




「20分以内に来なさいと言ったはずよ。」


「す、すみません…」




 ハルが部屋を出た時点で丁度の時間だったため、恐らく遅刻と言ってもせいぜい1分か2分だろう。




(えっこれだけでそんなに怒るの!?)




 言葉に詰まるハルに、漸くセシリアが顔を上げてハルを見上げる。




「今、あなたは確かに条件付きで投獄を免れている。でもそれはあくまで条件を満たした場合に限り、よ。今度私の命令を守らなかった場合は、例え数秒の遅刻でも投獄かその場で殺すから。」


「っ!?」




(殺す!?遅刻で殺すなんて事ある!?死因「遅刻」なんて聞いた事ないんだけど!)




 しかし当然セシリアには冗談を言うなんて雰囲気は一切無い。無いどころか、頷く以外の選択をした場合を示すかの様に、ハルの足元から霜がズズズ…徐々に上っていき、すでに靴裏は凍結しているのか一切動かす事ができなくなっていた。そして気迫の籠もった目でセシリアはハルを見据える。


 睨まれたハルは、足元を凍りつかせながら、セシリアと自分との関係性を瞬時に理解し、セシリアから目を逸らしながら答えた。




「・・・はい。申し訳ございません、セシリア様。」




 セシリアはハルの回答を聞くと、「今回の事は不問にしてあげる。でも次は無いから。」と言って目を通していた書類を束ねて隅に寄せると、ハルのこれからの具体的な処遇について話し出した。




「一度しか話さないから、全部覚えなさい。」


「え、ちょ、メモを取らせてっ」


「まず、さっきも話した様にあなたには私の命令全てに、あなたの感情問わず従って貰うわ。」




(うわこの人全然人の話し聞いてない!)




「そしてあなたは日中は通常通りの学園生活ーーー授業には出て貰って構わない。それ以外の時間は私が許可を出した時以外は、私が用意した先程の部屋で過ごして貰う。具体的には9:00〜17:00以外の時間全て。」


「・・・はい。」




 ーーーまた学園生活に戻れる!そう思って真っ先に思い浮かべたのは先程心配そうな表情を浮かべていたリアの顔だった。




「そして9:00〜17:00の間は、リア=ロペス以外との会話を禁じるわ。」




(ん!?今なんて・・・)




 突然出てきた、ちょうど今思い浮かべていた人物の名に驚き、聞き返す。




「なぜリアが出てくるの!?」


「あなたが捕まっている間、リアという一年生が私に『何かの間違いだ、あなたを返せ』って直談判しに来たの。一昨日の朝だから、セモール村に向かう直前だったかな。思わず同胞かと思って調べたけど、一般的な中流家庭の生まれ、二人姉弟の姉ってだけで革命軍や新興宗教との繋がりも一切見当たらなかった。」


「でも何故・・・」




 なぜそれが、リアをわざわざハルの元に置いておいてくれる理由に繋がるのか?純粋なセシリアの優しさなのだろうか?と不思議に思っているのが顔に出ていたのか、セシリアが先に答える。




「はっきり言っておく。あなたは今、自分が最も恐れていた極刑から免れた、そう思っている様ね。でもきっとすぐにわかる事だけれど、貴方はこの先、この学園、そして私から”利用価値のある道具”としての扱いを受ける。それは投獄の方がマシだったと思えるくらいの地獄かもしれない。そして、そんな苦しみによって、貴重な道具が壊れない様にする為、貴方の大切な彼女を、貴方のそばに置く事にした。それだけの事よ。」


「そんなっ・・・」




(投獄の方がマシって、一体どんな目に合わせる気よーーー)




 元々楽観的に捉えていたつもりは無かったが、一気に不穏な暗雲が立ち込めた自身の未来に、ハルはどういう事かと問いつめようとしたが、セシリアへの訪問者によって遮られる。




 コンコンコンッ




「セシリア様。一年講師のルネとコレットと申します。郊外実習の件でお話させていただきたく参りました。」


「1分程そこで待って。」




 セシリアはそう言うと、もう用は済んだと言うばかりに告げる。




「夕食はオリビアが毎食18:00に持って行くから部屋で済ませて。その後は入浴し、布団に入る様に。」




 そう言うとセシリアはまた、別の書類を出し目を落とす。




(これ以上質問したら、また氷漬けにされるやつだ・・・)




 ハルは大人しく部屋を出て、新たに与えられた自室へと向かうのだった。




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