02 少女と悪夢の始まり

「ハルおはようー!」


「おはようリア、今日は早いね。」


「何てったって今日は魔法量測定試験の日だからね!」




 いつも気怠そうに一番後ろの席でうつらうつら講義を受けているとは思えない程のしゃっきりとした声で、愛くるしい花の様な少女、リアが返す。




「風の伝説となる私の歴史は、今日この日から始まるのさ!」




 今日行われる魔法量測定試験の概要は事前に周知されていた。リア曰く、どうやら全て知っていて当然の内容らしいが、どれもハルにとっては初めて聞く内容ばかりであった。


 魔法量測定とは、正式に言えば「体内魔法濃度測定」である。魔法は大気中の水を主な源とする水、大地の恵みを源とする地、日の力を糧とする火、あらゆるもののから発生させる微電子を元とする雷、そしてこの空を流れる風の5つの属性に別れている。


 基本的に人は何かの属性に対する適正が突出して高く、その一方で他の属性の魔法も多少であれば扱えるというのが一般的だった。つまり、主とする属性はあくまで「得意分野」という認識である。


 そしてこれら魔法は、水であれば大気中からの水の魔力を体内に取り入れ、増幅させ、それらを何かしらの形に沿って体外に出す事によって形となる。




 その際の「体内に取り入れる事が出来る量」と「増幅させる量」によって、扱える魔法の量や力の強さは決定付けられる、というのが広く普及している考え方である。


 そして、この体内に流れる魔法濃度を今日測定する事によって、今年の入学者各人の魔法の強さが決定付けられるのである。いわば“魔法士の格付け試験”と言っても過言ではない。その為に私達一年生、総勢60人余りは、広さ500平方メートルはありそうな訓練場に午前中から集められていた。




「でもこの測定って半年に1回くらいのペースでやるんでしょ?どうしてそんなに気合いを入れるの?」


「甘いねーハルは。いい?過去のどの賢聖達も、1回目の魔法量測定で必ず爪痕を残してるの。それに魔法量はそう簡単には上がらない。だから伝説を目指す私にとって、今日は負けられない戦いなの!」




 そう言うリアの目は見えない敵を見据えてメラメラと燃えている。どうやら測定を控える学生達はリアの様に野心を持った生徒の方が大多数の様で、訓練場を歩く学生達は緊張した面持ちや、興奮して夢を語る様子の者が大半であった。


 しかし、そんな興奮で沸き立つ場内の空気は、突然の一言によって一気に凍りつく。




「今年はあんまりピンと来る人いないね。時間の無駄だったかな。」


「やめろセシリア。人の気持ちが分かる薬を調合して貰うように、ノアに頼んでおくぞ。」




 一切の物音も立てず、誰もいなかったはずの生徒達の背後、訓練場入り口に突然現れた膨大な魔力の気配、そして明らかにこの場にいる人間を貶おとしめる物言いに、集められた誰もがその場を振り返り、そしてそこに立つ二人の人物を見て思考を停止させた。




 一人は新緑を思わせる緑の艶やかな長い髪をきっちりと後ろの高い位置で一つに縛り、牡鹿の様に凛とした佇まいで茶色い瞳をゆっくりと瞬きさせる凛とした麗うるわしい少女。


 そしてその隣に無表情で佇むのは、あの夜ハルを串刺しにしようか考えあぐねていた暴君ーーーとハルは思っているーーーセシリアに他ならなかった。




「セ、セシリア様だ・・・」


「隣にいらっしゃるのはオーネット様?初めて見た。」


「性別不詳の緑髪りょくはつの魔剣士って噂は本当だったんだ・・・」


「セシリア様からオーネット様に乗り換えてしまいそう。」




「はーいはいはい、そこまでにして早く集まってー」




 一気に騒然となる訓練場の空気を割ったのは、講師という立ち位置で招かれている穏やかそうな30、40際前後の講師の声であった。 講師は試験概要や結果の与える今後への影響などの説明をしているが、大半の者が話半分、背後に立つ二人を盗み見る生徒ばかりである。




(そりゃあんなに存在感放たれたら皆んな気になるよね、うんうん分かるよ・・・)




「ハルはセシリア派?オーネット派?」




全く落ち着かない空気にハルが苦笑いしていると、隣で同じ様に背後の二人を盗み見ていたリアが急に話しかけてくる。




「な、何それ!?さっきも変な事言ってる人いたし何となく察しがついてるけれども!」


「この学園の四賢者は学園を導く実力者でもありつつ、カリスマ、いわば全校生徒の憧れの対象なんだよ。何なら賢聖目当てで入学してくる人も少なくないしね。誰を推すかを決めるのが新入生の最初の仕事とも言われている!」




(何それ、皆きっと優秀なはずなのにそれでいいのか国内最高峰・・・)




「うーん、セシリア様は絶対に嫌だから今のところオーネット?様かな?」




「移動してくださーい」という講師の声に従って、測定機と呼ばれた装置の方にバラバラと移動する生徒の後に続きながら、リアの質問に答える。




「セシリア様が嫌って珍しいね?実力や風貌に相応して圧倒的な一番人気なのに。」


「確かに見た目は美人かもしれないけど、あの人殺しはちょっと・・・」




「ーーー人殺しって誰の事?」




 発したのはリアではない。明らかにリアとは違う声。そして漂うフレッシュで軽やかな甘さ、フルーツタルトの様なーーー洋梨と白桃の香り。




「「セ、セシリア様!?」」




 突如背後に現れたセシリアに、リアと同時に驚き背を仰け反らせる。




(驚かせないと登場もできないのか四賢聖とやらは!)




 当のセシリアは、そんなリアとハルのリアクション等は一向にに意に介さない、無表情のままーーーと思いきや、その口元はほんの少しだけ微笑を浮かべ、翡翠色の瞳を輝かせている様にも見える。しかし、それは決して女神の様な優しい微笑みではなく、どちらかというと捕食者の獣が小動物をただ弄ぶ時の様な、獰猛さが見え隠れしている様な笑みであった。




「ねえオーネット。魔力の無い人間って存在する?」




 セシリアはリアとハルーーー特にハルからは一切目を逸らさず、そのまま背後の同行者に問いかける。


 ハルの背後からゆっくりと現れた緑髪の麗君、リーネットと呼ばれた少女は、突然のセシリアの問いかけに対して、まるでいつもの事かの様に淡々と回答する。




「知ってる通り、魔力が無い人間はこの世に存在しない。存在できないという言い方の方が正しいな。実際、体内の魔力を奪う事で人の命を奪う闇魔法や毒薬も存在する。」


「そうよね」




 あっさりとしたセシリアの反応に、オーネットは「なんでそんな事聞いたんだ?」と訝しげな表情をしつつ、ちらりとその焦げ茶色の柔らかな瞳をリアとハルに向ける。




「セシリアの急な行動に巻き込んですまなかったね。測定頑張って。」


「「は、はいっ!」」




 セシリアの苛虐的な表情とは異なった、オーネットの凛としつつも優しい表情と言葉に、ハルは心臓がドキッと心拍数をあげたのを感じた。




(オーネット様素敵・・・四賢者って一括りに言っても、どっかの悪魔みたいなのだけじゃないんだ。少し安心した・・・)




 考えてみれば四賢者が全員セシリアの様な極悪非道の人間だけであれば、学生の大半は卒業までに串刺しにされているかーーーとハルが無礼極まりない事を考えていると、




「私、この度入学したリア=ロペスと申します!こちらが友人のハルです!お忙しい所お引き留めしてしまいすみません!それでは失礼します!」




とリアが生徒の模倣の様な返答をし、ハルの手をさっと握って他の生徒の集団の方へと足早に歩き出した。




「はぁ〜緊張した。今ハル、オーネット様は優しいなって考えてたでしょ?」




 ハルの手を引きながらリアが聞いてくる。




「え、う、うん。何でわかったの!?」




 図星をついてきたリアの質問に、ハルは歩きながら聞き返す。




「うーん、オーネット様を初めて見た人はみんなそう思うから。でもオーネット様には気を付けた方がいいよ。オーネット様の別名はグラソンの守護神。」


「守護神?それなら尚更素敵じゃない。」




 少なくとも絶零の魔女なんて呼ばれている青い悪魔よりはよっぽどいい。そう思って聞くと、リアは「これだから素人は」とでも言う様に呆れた顔で首を振ってから話を続けた。




「オーネット様は誰よりも規律を重んじる。それこそ機械の様に。この間も話したけど、グラソン魔法学園では四賢聖が絶対的な権力を持つ。制服だって講義内容だって、生徒編成は尚の事、どの生徒を入学させ退学にするか、そしてその命だって四賢聖の掌の上なんだ。」


「い、命!?」




リアはハルの手を握ったまま話を続ける。




「ここグラソン魔法学園に限らず、四校は常に数多あまたの政界人や魔法界の要人、将軍を輩出していて、グラソン王国の国政とは切っても切り離せない関係なんだ。それ故、様々な情報や思惑が画策している。四賢者はその中でも生徒を守り、育てる役目を担っている。」


「それならむしろ安心じゃない?」


「けれど一方で、危険と判断した生徒であれば、例え生徒でも殺す。もちろん投獄とかの手段も一般的だけど、どちらにせよ、生徒に対しても自らの手で処罰を行う権限を四賢者には与えられているんだよ。」


「なるほど・・・だからオーネット様は・・・。」




ようやくリアの話が見えてきたハルは、ぎゅっとリアの手を握る。




「そう。オーネット様は第三位の実力を持って規律を重んじる一方で、それを破る輩には四賢聖の中で最も容赦しない。在籍僅か3年にして、下した処罰は最も多く、生徒内に潜んでいた革命軍の手先を何人か容赦なく切り伏せた事でも有名さ。」




(怖っ!やっぱり四賢者は全員やばい人ばっかりじゃん!みんな私より2歳くらいしか変わらないのに・・・)




 思わぬ学園運営の暴露をリアから受けたハルは、この先の学生生活はとにかく大人しく、目立たなく過ごそうと誓いを立てたのであった。そしてその誓いは、この直後から一瞬で破り去られてしまうのであった。








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「では早速、魔力濃度測定試験を始めます。」




 ハルを含めた60人余りの1年生は、訓練場の真ん中に運び込まれた人の肩ほどの高さがある真っ白な装置の前に集まっていた。




「測った事がある人もいるかもしれませんが、これが魔力濃度測定装置〈アルカナ〉です。一つにつき家を50軒は建てられる金額の代物なので、決して変な事をして壊す事が無いように。」




 装置には上部には手をかざせる様な円盤が付いており、その中央には何色かの石が嵌め込まれていた。




「まずは私がお手本を示します。よく見ていて下さい。」




 教師はそう言って装置の上部の円盤に手をかざすと、自身の名前を名乗り、目を瞑って呪文を唱えた。




「メディルス」




 すると円盤に取り付けられていた石のうちの一つ、茶色い石がほんのりと光り、更にその光はかざされた手に伝わり淡い山吹色の光となって放射状に伸びていく。そうして広がった光は講師を包む様に収束していき、やがて消えた。




「この様に、この円盤に手をかざして呪文を唱えたら、そっと魔力を円盤に流し込んでください。流し込む量は微量で問題ありません。量によって結果が変わる事もありませんので、くれぐれも変な真似はしない様にして下さい。そして、光が消えるとここに付いている銅の板に結果が複写されます。」




 そう言って講師が指し示した装置の左側面に取り付けられた青銅の板には、講師の名前と「81」という数値が表示されていた。




「私の場合は8.1%という結果になります。そして光った魔石や光の色は主属性を表します。私の場合は地属性ちぞくせいですね。ちなみにこの測定自体には一切の危険は伴いませんが、新入生の各々の能力が初めて公式に定められる場である事から、例年第一位と第二位の賢聖様にも同席を頂いています。」




 そう言って講師はハルやリアの背後に立つセシリア、オーネットを見やる。




(あれ、でもオーネット様は第三位って言ってなかったっけ・・・?)




 ハルの抱いた質問は、この場にいる他の生徒も同様だった様で、生徒たちは遠慮がちに後ろに立つ二人の賢者、特にオーネットに目をやっていると。するとハルの斜め前にいたオレンジ頭の短髪の少女が講師に向かって手を挙げる。




「あの、失礼ですが一点質問をさせて下さい!入学時、第二位はクロエ様と伺っておりましたが、こちらにいらっしゃるのはオーネット様とお見受け致します!クロエ様の身に何かあったのでしょうか!」


「ええと、そうですね…オーネット様、クロエ様は一体…」




講師も戸惑いながら遠慮がちにオーネットの方へと視線を向ける。




(講師も四賢聖には敬語なんだ…)




 この場にいる全員の疑問に答えたのは、意外にもオーネット本人ではなくセシリアであった。




「質問に回答します。第二位はクロエ=ウェストコリン、これは事実です。そしてここにいるのは第三位、オーネット=ロンド。クロエは面倒だから断ると言ったから代役を頼んだ。それだけの話よ。それと今後、四賢聖の全ての動向、発言、決定に関しては一切の質問も許さないから。気になる事があれば、各々の魔法でも使って解き明かしなさい。以上。」




そう答えるのが当然かの様に言い切ると、セシリアは闘技場の脇の方へ向かって歩いて行った。オーネットもそれに続いて歩いて行く。




(怖っ!絶対君主なのは分かったけど、もう少し感じ良くとか出来ないの?!質問した子とか涙目で泣きそうに…って、え?何で頬をちょっと染めて嬉しそうなの?!)




 手を挙げたオレンジ髪の少女は、どこか頬を高揚とさせ、まるで妄想の世界で運命の人と初めて目があった瞬間かの様にぼんやりと目を宙に向けていた。そして極め付けに両手を女神に祈りを捧げるかの様に胸の前で握っている。


 この生徒だけが少し狂っているのかとハルは周囲に目を向けるが、大多数の生徒がオレンジ髪の少女と同じリアクションであった。




「無駄だよ、ハル。なんでハルがそこまでセシリア様を嫌っているのかは分からないけど、あの傍若無人とも言えるカリスマ性はここにいる殆どの生徒を虜にしているから。」


「ううっ別に毛嫌いしているわけじゃないんだけどね・・・」




(ただ人の上に立つ人なら、あんなに角が立つ言い方なんてしなきゃいいのに。)




 ハルはぼんやりと背を向けて歩くセシリアの背中を見つめていたが、その瞳は他の生徒の惚けた視線とは異なるものであった。








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 セシリアとオーネットが訓練場の奥にある席に着くと、いよいよ魔力量測定会が始まった。


 一年生は一人ずつ測定器に列をなし、その全員が緊張した面持ちで自分の順番を待っていた。そして測定を終わった者の表情は皆千差万別ではあるものの、殆どの人間が想像より遥かに低い結果に落胆し、涙を滲ませている者が多かった。




「ねえリア、なんでみんなあんなに落ち込んでるの?」


「うーん私も含めそうなんだけど、グラソン魔法学園に入学している生徒は皆、魔法で何かしらの逸話を残したり、幼い頃から"神童"と呼ばれてきた様な人達ばっかりなんだよ。もちろんハルみたいな例外は稀にいるけど。ちなみに魔法量濃度の平均ってどれくらいか知ってる?」


「教えてください…。」


「男女差はあるものの、2〜5%が一般的。10%を越える人間なんてごく僅かで、その殆どが大臣や大将軍クラスとかの"高等魔法士"って言われる様な人達。ちなみに賢聖になるには10%以上の魔法量が条件。つまりあの装置で"100"を叩き出せば賢聖になれるって訳。」


「それじゃああのセシリア様も…」


「あの人は別格。セシリア様はこの装置で初めて20%越えを叩き出した、500年に一度の逸材って言われてる。」


「それは規格外ですわ・・・」




 今さっき魔法量の平均値という概念を知ったばかりのハルでも、その凄まじさはよく分かった。現に入寮初日の夜に体感したセシリアの発するオーラの様なものも、ハルにセシリアの異常さを知らしめていた。




「あっ次ハルだよ!気合入れてがんば!」




 リアとの話に夢中になっていると、あっという間にハルの順番が来ていた。


 一つ前の少女は、手をかざし、丁度緑色の光に包まれている所である。




(私の属性は多分、水のはず。水しか使えないもんね。数値は良くて3か4くらいだろうな…)




 特に自分の能力に期待をしていた訳ではないが、今まで漠然と認識してきた自分の魔力量が初めて数値化されるという機会に、さすがのハルも緊張をしていた。


 前の少女の測定が終わり、ハルが装置の前に進み出る。




「それでは次の方、名前を」


「はい!ハル=リースリングです!」




 講師は胸に抱えた書類に何かを記し終えると、ハルが装置に手をかけるのをじっと待つ。




(よし、手をかざして呪文を・・・)




 ハルが恐る恐る手を装置の円盤の上に掲げたその時、すぐ隣りから突如手が伸びて来てハルの腕を掴む。




「え、ちょっ何ですか!?」


「君の測定は一番最後にして貰ってもいいか?」




 ハルの腕をそっと、しかし簡単には抜けられない程の力で掴みながら、ハルの目を茶色い瞳でじっと見つめるのは、グラソンの守護神ーーオーネットであった。




(なんかこの音もなく現れるパターン、物凄く既視感!!!)




 突然の事態に講師を始め、周囲の生徒が「何があったのか」とざわめき立つ。そしてリアが「今度は一体何をやったんだ」と心配半分呆れた様にこちらを見る視線を背中に感じる。




「えっと、一番最後・・・ですか?」




 このタイミングでの、散々レベルが違うと聞かされていた直後の四賢聖の突然の行動に、ハルは聞き間違いではないかと聞き直す。




「そうだ。君が測定をすると何だか物凄く悪い予感がしてね。予感と言うより正しくは悪い結果になるかもしれないっていう予測みたいなものが出てるんだ。とりあえず、順番によって結果が異なる事もないから、ひとまず一番最後に回ってもらえるかな?」




(予測?予感?それもそういった魔法の類の一種なのかな?)




 いまいちオーネットが話している事の意味が分かりかねたハルであったが、絶対君主の中でも規律の為なら容易に人を切り捨てる、そんなリアからの助言を思い出し、少しだけ顔色を悪くしながら咄嗟に答える。




「は、はい勿論です!」


「協力感謝する。」




 そう言うとオーネットは握っていたハルの手を離し、また後方に備えられた席へと歩いて行った。




(何だったんだ一体・・・)




 特に、どうしてもすぐに測定がしたい理由がある訳でもなかったハルは、オーネットに言われたがまま、列の最後尾へと歩みを進めた。途中すぐ後ろにいたリアから「一体何をしたんだよ」と小声で囁かれたが、ハルは本心から「今回ばかりは全く身に覚えがございません。」と伝えるしかないのであった。そして他の生徒からの好奇心や訝しむ無遠慮な視線を感じながら列の最後尾に着く頃には、また滞りなく測定は再開されていた。


 それからリア、他の生徒と測定試験が進み、最後尾のハルの順番が来るのにはそこまで時間は掛からなかった。測定が終わった生徒は自由に教室、もしくは他の訓練場にて自己研磨という指示であったが、いかんせん先程のオーネットとのやり取りを見ていた生徒達は「何か起きるのではないか」と数十人程がハルの測定を見学すべく、周囲に集まっていた。




(うぅ…気まずすぎる…)




 好奇の目に晒されながら、注目を浴びるきっかけとなった当の犯人をチラッと振り返るが、二人の賢聖は「我関せず」といった姿勢でこれまでと同様、セシリアは頬杖をつきながら、オーネットは姿勢を正して測定の様子を眺めている様であった。




(待っていても仕方ない、むしろこれ以上何か厄災を被るのは勘弁だ。)




 と、ハルが装置の前に立つ。先程の時と当然、装置には何の変化も無いのだが、周囲の生徒が見つめる眼差しや先程のオーネットとの一件が「ここに手をかざしてしまうと、これまでの世界が何か崩れてしまうのでは?」という警鐘をハルに感じさせていた。




(いや、これはただの測定機…測ったからといって何か変わるものでもないし、危険はないって先生も言ってたから…)




 じんわりと汗をかいている手をギュッと握りしめると、ハルはそっと左手を装置の上にかざす。




(何も起きない。絶対に何も起きないから。)




 左手を円盤の上にかざし、右手を胸の前で軽く握ると、軽く俯き目を閉じる。




(悪い予感なんて当たらない。四賢聖だって間違える事はある。私はただの、小さなソモール村で生まれ育った田舎娘、ハル=リースリングなんだから。)




 ハルへ好奇心の目を向けながらヒソヒソと話をしていた生徒達も今は会話を止め、じっと中央のハルを見る。そして、そよそよと吹いていた風が一瞬止み、ずっと訓練場を照らしていた太陽が雲に隠れ、まるで体感温度が2、3度下がったかの様な空気が流れる。


 静まり返った訓練場でハルはそっと呟く。




「メディルス」




 すると円盤上の青い魔石に柔らかい光が宿り、その光は放射状へと広がりハルを包むーーーと思われたが、予想外に魔石に宿った光は何度かの点滅を繰り返し、やがて光を失った。




「・・・・・え?」




 予想外な出来事に、静寂が続きその場にいる全員が中央で呆然と立つハルを「何が起きたんだ?」という表情で見つめていた。




「失敗…?」




 ハルは円盤にかざしていた手のひらを眺めて呟く。




(上手く作動できなかったのかな?もしかして流し込む魔力の量があまりにも足りなかった?)




 再度実行してみようと、もう一度ハルが手を円盤の上に掲げようとすると、講師がそれを引き止める。




「いえ、正常に測定は行われた様です。数値が・・・」




 講師が指さす先では、確かに装置の左側に据え置かれた銅の板が数値を表示しようとしているのが見えた。






 ーーーーーーーーーー


 hal riesling


             430




 ーーーーーーーーーー






(・・・・・何これ?)




 一瞬、その数字を目にしたその場にいる全員が、講師までもが、目の前で起きている状況を理解する事ができず、言葉を忘れた。


 そして数十秒程経ってから、徐々に生徒達はざわめき出し、その輪は段々と広がって行く。




「430...って事は43%って事!?」


「そんな数字聞いたことないわ!」


「化け物かもしくは何かしらの仕掛けがあるのよ、じゃければ故障か何かじゃない?」


「セシリア様にあんなもやしっ子が敵うなんて到底思えないし。」




 口々に生徒は憶測や僻みの混じった意見を口にし、その場の中心でただ事態を受け入れる事ができずに狼狽えるハルを、好奇心ではなく敵意が混ざった視線で見つめていた。




「待って、今のは本当に何が何だか…」




ドォォォォォォン




 するとその時、突如大地を割る様な重低音がハルのすぐ隣で響き渡り、目の前の装置すら見えなくなる程の土埃がハルや取り囲む学生らの周囲を覆った。




「今度は何!?うあっ」




 そして数秒して埃が落ち着く頃には、訓練場の装置の前では先程まで立っていたハルが地面に片手を捻り上げながらうつ伏せにされており、その上では片膝をハルの背中に乗せ、首元に片手剣を押し当てるグラソンの守護神、オーネットの姿があった。




(ぐ、息ができない…しかもこれも既視感...どうなってるの最近の私!?)




 背中に体重をかけられ、片手を無理矢理背後にひねりあげられた状態では息をする事も自由にできず、苦痛にハルの顔が歪む。




「430...随分堂々とやってくれるな」




(何の話!?それに目に砂が入って…)




 うつ伏せにされた時に打ち付けたのか、頭からも僅かに血が流れ、砂で開けられない片目を濡らす。背中に乗せられた足には、かけられる体重が徐々に増し、肋骨からググッと聞いたことも無いような音が響く。地面につけられたハルの横顔は、細かい砂利によって所々頬に傷を作っていた。




「うぐっ」


(肋あばらが折れる…それに腕も…痛っ…)




苦痛に涙目になりながら顔を歪めるハルの事など意に介さず、オーネットは言葉を続ける。




「狙いはなんだ?430なんて数字、貴様は紛れもなく咎人とがびとだろう。この装置は聖具聖具の類、小細工はできない。どこで何と契約をした。何が目的だ。全部吐け。吐いたら一瞬で殺してやる。吐かないのであれば苦しんで死ね。」


「な、何を言ってるの…とが…びとって…一体…」


「そうか。苦しんで死にたいのだな。」


「待って、本当に私は…うっ…ぐぁぁぁぁぁぁ」




 言葉の終わりを待たずして、脇腹に感じた初めての感覚。そして同時に感じる熱感とそれを大きく上回る激しい痛みに、首に当てられていた剣が脇腹に深く突き刺されたのだと認識するのは一瞬であった。




「ぁぁぁぁぁっ」




 服をどんどんと温かく湿らせているのは恐らく自分自身の血だろう。ドクドクという心臓の鼓動の様に、湿った滑り気が脇腹を始め、肩、腹部へと広がって行く。


 戦闘とは無縁の世界で育ってきたハルにとって、これまで腕を枝で切ったり岩場から滑り落ちて脚を骨折したりした経験があったものの、こんなに激しい傷、剣で突き刺される痛みなどは全く耐性が無く、あまりの痛みに脳に血を上らせて必死に叫ぶ事しかできなかった。




「ぐあぁぁぁぁぁぁ」




痛みにのたうち回ろうとも、剣を突き刺された状態ではそれも叶わず、必死に血を吐きながら叫ぶハルに、オーネットは冷たい声で言う。




「痛いか?楽にして欲しいか?それならば言え。貴様は何が目的だ。咎人との戦闘の経験はないが、先月戦った盗賊団の長は両腕を切り落とし、足を落としてやったら漸く吐いたぞ」


「ぐぅっ……フーッフーッ」




 大量の出血により徐々にハルの視界が狭窄していく。口から溢れる血に叫ぶ力は徐々に消え失せ、内臓が体外に曝け出されたかの様に感じる痛みに意識が朦朧とする。まだかろうじて、生きている事を伝えるかの様な荒い息遣いをただ繰り返す事しか、ハルには出来なかった。




(痛い…熱い…死ぬの、私、ここで…一体、私が何をしたの…リア…助けて…リア・・・)




 狭窄していく視界の中で、引き攣った表情でこちらを見つめる少女達の中に、青ざめて口を両手で抑える桃色の髪の少女ーーーリアの姿が目に入る。




(リア…リア…助けて…)




 そっと最後の力を振り絞り、片手をリアの方へと伸ばしかけるが、




「ほう、同胞がいるのか。誰だ、吐け。」




 オーネットの容赦ない言葉に、飛びかけていた意識がほんの少しだけ覚醒する。




(ダメ。今リアに助けを求めたら、リアまで同じ目に遭いかねない…そんな事絶対にできない…)




 心臓の鼓動と同時に感じる、地獄の様な痛みと薄れ行く意識の中で、僅かな期間ではあったがリアの優しさ、暖かさ、誠実さ、そしてフリージアの様な可憐な香りを思い出す。




「知ら…ない……」




 ハルは、いつ意識を失ってもおかしくないと感じる程の激痛と朦朧とする意識の中で、無けなしの力を振り絞り、脇腹に刺された剣に、片手を後ろに回してそっと触れる。




「咎人なんて…知ら…ない…」




 出血が酷くなる事も省みず、剣を握る腕に力を込めるが、なけなしの力では掴んだ指に刀身によって傷が入る程度が精一杯で、剣を僅かに動かす事すら叶わない。




「ほう。この程度の痛みでは言わないか。ただ誤解するなよ。ただ脇腹を串刺しにしただけで吐くとはこちらも思っていない。」


「あがっ」


 グシュッ




 背中に乗っていたオーネットの重みが消えると同時に脇腹に刺されていた剣が突然引き抜かれ、ハルの体がそれに合わせてわずかに浮き上がり、血飛沫を上げる。




「ぁあああああっっっ」




 ほんの少し麻痺していた痛みがまたぶり返し、視界の色が徐々に失われて行く。


 ハルにはもう、指の一本も動かす力は残っていなかった。




「次は片脚を削ごう。回復魔法でどうにかしようと考えているのであれば無駄だ。私の剣で斬り伏せた傷は、痛みは和らげられても傷跡を埋める事はできない。四賢聖ノアでもない限りはな。」




(回復魔法、そうだ回復魔法で…痛みだけでも…)




 オーネットの言葉に数少ないハルが使える魔法の一つ、回復魔法を自身の脇腹の傷に使おうと試みる。




(なんで…)




 しかしハルの出した回復魔法は、傷跡をぼんやりと光らせる事はできるものの、止血やや痛みを抑える効果は全く確認できなかった。




「無様だな…回復魔法もまともに使えないのに魂を眷属に売ったのか。」




(・・・っ・・・どうしてこんな時も碌に魔法が使えないの…このままじゃ本当に私…)




 うつ伏せから起き上がる力も無く、色を失った視界の片隅に、ゆらりと一分の隙もない動作で剣を振り上げる緑の守護神の姿だけが映る。




(訳も分からず串刺しにされて脚を失って・・・お父さん、お母さん・・・そしてお姉ちゃん。本当にごめんなさい。)




 ハルは自らの最後を悟り、頬を冷たい涙が伝う感覚を感じながらそっと目を閉じた。








 しかし、いつまで経っても恐れていた痛みはやって来なかった。それどころか、訪れたのは脚を切り刻む衝撃ではなく、狼狽うろたえるオーネットの叫ぶ声であった。




「これはっ・・・!貴様はやはり!」




(な、何が起きたの!?何も見えない…)




 うつ伏せの姿勢、かつ片目を閉じた状態ではリーネットの足元しか見る事ができない。


 しかし異変はすぐにハルにも訪れた。




(あれ、痛みの感覚が…消えてる?それに、この目の前に転がっているのは…オーネットの剣…?)




 ふと気がつくと、心臓の鼓動と共に感じていた血が抜けていく感覚、指先の痺れ、そして声も発せない程の痛みは殆ど感じられない程に弱まり、徐々に焦点が合っていく視界には、手が届く程の近い距離に、先程までオーネットが持っていたと思われる銀色の剣が転がっているのが見えた。




「全校生徒・講師は校舎へ直ちに避難!講師は本件をクロエ=ウェストコリンとノア=ラフィーネへ報告を!」




(一体何が起きたの…?)




 全く状況が読めなかったが、ただ焦った様なオーネットの声が辺りに響き渡る。




(何が起きたのか分からないけど、とにかく立たなきゃ)




 ハルはぐっと腕に力を入れて起き上がる。


 あまりに大量の血液を失った為にひどい目眩に襲われながらも、よろけながらも何とか起き上がると、自身が立っていた場所がひび割れ、服と同様真っ赤に染まっている光景に、置かれている状況の凄惨せいさんさを理解する。


 そしてそれと同時に、普段はない感覚、まるで自身の体内のエネルギーが絶えず湧き出し、全身から溢れ出している感覚を覚える。




(この感覚は…魔力…。)




 それは、普段ハルが魔法を使う際の感覚とは全く異なるものであったが、どこかその感覚は懐かしく、見覚えのあるものであった。




「とにかくどうにかしてこの場を切り抜けて、そして生きて帰る…その為にはこの人、オーネットから逃げないと…!」




 ハルは決意を込めた瞳で目の前の深緑の髪を靡かせたオーネットを見やる。




「その眼はやはり…それにあの状態から立ち上がるとはな。だが例え魔法だけであったとしても、私に勝てると思わない方がいい。」


「あなた達みたいな化け物に勝てるなんて全く思ってませんから!」




 ジリジリとお互いの出方を伺う時間が続いたが、生徒が全員避難するのを見届けるや否や、行動に出たのはオーネットであった。




「メテオ・ボルケーノ!!!」




 オーネットが叫ぶと、突如上空、オーネット頭上に直径10メートルはあろう火球が無数に出現する。その数、1個や2個ではない。




「これが第三位…無理ゲーじゃん……」




 物語などで知る限りでは、普通は序盤、小さい魔法で戦いつつ最後に特大魔法を奥の手として取っておくのが魔法戦闘のセオリーである。それは物語だけの話ではなく、無限ではない魔力を最も効率よく使用し、連戦の可能性や他の思わぬ敵の出現に備えるという意味もある。




「これが第三位にとっては軽度の魔法って事…やっぱり化け物だ!」




 我を忘れ、諦めの境地で呆然とその光景を眺めるハルには、もはや抵抗の術などない。しかしそれでも、命を守り、生きて帰ると約束した家族の為に、今まさにハルの元へ落ちんと高速で迫る火球に向けて、ハルは両手を上げて水属性の最高級魔法の名を叫ぶ。




(この全身に魔法の流れを感じてる今なら、撃てるかもしれないっ!)




「レヴィア・ローア!!!」




 すると突如、ハルの手のひらが淡く青色に発光する。身体中に感じていた魔力の流れが、一気に解放されて両腕に収束して行くのを感じる。




「これで迎え撃つ!!!」




 しかし、腕に宿った魔力は眩い光を発する程に凝縮されると、放たれると思った瞬間に霧散し、跡形もなく消えた。




「え?」




 そしてハルはただ呆然と、目の前に迫り来る無数の火球を見つめる事しか出来なかった。




 ドゴオォォォォォォン




 感じる火球の熱が最高潮に高まり、死を覚悟した瞬間、火球のエネルギーが何かにぶつかる様な音が響き渡る。


 しかし、死んでいるのであれば聴覚が残っているはずがない。ましてやあの全てを焼き尽くす業火の中ではそれは尚の事であった。




(あれ、まだ私生きてる・・・?)




 恐る恐るハルが目を開くと、そこには地獄の様な光景が広がっていた。




 地面は溶けたかの様に溶岩化しつつ広範囲に深さ1、2mは抉られ、唯一無傷なのはオーネットが立つ場所から後ろと、何故かハルが立つ場所の半径1m程の場所のみであった。


ハルが生きている事に驚きを隠せないのはオーネットも同様の様で、眉間に寄せていた皺を更に深くしながら、再度魔法を放とうとハルに両手を翳かざす。先程のオーネットの攻撃を何故防げたのか、自分自身でも分からないハルは必死に叫ぶ。




「なんで突然私を襲うの!!!私自身こんな力とか、さっきの数字とか全く分からなくて、本当に検討がつかないの!!!」


「そんな戯言で欺けると思うな。その闇の様な濃紺の左目が何よりもの印。悪の眷属に魂を売った証明だろう。」




 そう言って全く聞く耳を持たずにオーネットは再度無詠唱で先程よりも小ぶりな火球を何十発も同時にハルに向けて飛ばすが、どれもハルに当たる1m程手前で、見えない結界があるかの様に弾かれ、霧散していく。




「左目って何!?私は両目とも母譲りのモルガナイト色だよ!魔力強すぎて視力でも落ちてるの四賢聖は!私が使える魔法なんて花に水あげるかちょっとした治癒魔法くらいだけなんだから!大体最初から装置の数値が高かったからって理由も聞かずに殺すなんて頭おかし過ぎるでしょ!どんなものにでも間違いはあるんだから!殺すなら装置に不具合がないかちゃんと調べてからにして!」




散々痛めつけられ、苦しめられ、何度も命の瀬を渡りかけたハルの精神はもうとっくに限界を越えていた。




「悪の眷属?意味がわからない!!!」




やけくそになり一心不乱に叫ぶハルであったが、不意に背後からセシリアに抱きしめられ、顎に手を当てられる。




「装置に不具合がない事を今確認してきた。そして見える?あなたがモルガナイトと言い張った左目が、しっかりと濃紺に染まっているのを。」




 目の前にレイピアの鞘を見せつけられる。そして金属製の鞘には、透き通った桃色の右目とは対照的に、濃紺に染まった全てを吸い込むかの様な左目が映し出されていた。




「そんな…どうして…」


「眠れーーーエヴァノール」




 セシリアの呪文を最後に、洋梨と白桃の香りに包まれて、ハルは意識を深い海の底へと落としていった。酷く胸焼けする様な、甘く重苦しい白桃と洋梨の混ざった様な香りを感じながらーーー












 頭を落とし、完全にハルが意識を失ったのを確認すると、セシリアは膝の下に腕を通し、そっとハルを抱えて後者に向けて歩き出した。全力の魔法を連発し、肩で息しているオーネットは、ハルをお姫様の様に抱えるセシリアに並ぶと怪訝な表情で訝しむ。




「セシリア、それは咎人。鎖でも繋いで引き摺って連れて行けばいいんじゃないか?」


「・・・・・そうね」


「・・・・・・・」




 聞いているのか聞いていないのか、表情を一切変えないセシリアに、「まぁよく分からないの行動はいつもの事か」と肩を落としながらオーネットは後を続く様に歩いていった。

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