百合と魔法と伝説の賢者

ウニ

第1章 百合と魔法と青い悪魔

01 少女と出会い




ザァァァァァァァーーー








「はっ・・・はっ・・・はっ・・・・」




 降りしきる雨は音も無く野山を濡らし、土路を一面、泥が混ざった鼠色の水溜りに変えて行った。いつもは賑わう商店通りも、まだ漁師も船出を待つ午前3時という事もあり、今は閑散とし人一人歩いていない。


 そしてそんな雨の中、跳ね返る泥も全身を強く打つ雨も気にせず、道の真ん中を無心で走る黒髪の少女が一人いた。




「神様っ・・・大精霊様っ・・・・」




 息を切らし、時折道に転がる石や木の根に躓いては、荒い布で繕われた服を泥だらけにしながら、少女は村の外れにある丘の上を目指して走り続けた。


 そしてなだらかな丘陵に広がった町を見渡す様に、小高い丘の上に一本生えた大樹にの前にたどり着くと、少女は力尽きた様に手をついた。




「どうして、どうしてお姉ちゃんがっ」




 ずっと一心不乱に駆けてきた為に呼吸をする度に痛む胸を、小さな両手で抑えながら少女は掠れた声で叫んだ。


 しかし、まるで少女を覆う様に、大人が5人囲んでも余りある程立派な幹を生やした大樹は、雨の音を吸い込み、沈黙しか答えない。




「お願いします・・・大樹の大精霊様・・・どうかっ・・・私の力を全部・・・全部あげますから、どうかお姉ちゃんに、誰かに、私の力を与える力をくださいっ」




 少女はそう叫ぶと気を失った様にその場に倒れ伏した。


 雨の中、残されたのは泥だらけで眠る様に倒れる少女と、微かに葉を揺らしながら黙々と押し黙る大木だけであった。








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 ーーー春


 人は新しい任地や住処、職を選ぶとき、春を選ぶ。


 それは花々が芽吹くと同時に新しい命を宿すこの季節が、過去の穢けがれを禊みそぎ、新地にて大成を祈る誓いを立てるのに相応しい為だと人は言う。




 そんな春の祝福は、街から遠く離れた小さな村に住む少女、ハルにも平等に訪れる。


 グラソン王国の西の外れにあるセモール村に住むハル=リースリングは、田舎の村娘にして、この春よりグラソン魔法学園への進学が決まっていた。




「お昼のお弁当は持った?アイン山脈を超える列車は1日に3本しかないから、間違えない様にね。青色の文字盤が目印よ。」


「なんてったって村初めてのグラソン魔法学園への進学者だからな。間違っても初日から遅刻しない様にな!」




 入学する本人よりも不安そうな表情を浮かべる柔和な女性と、興奮で沸き立ち、力強くハルの肩を叩くやたら筋肉質な男性こそがそう、ハル=リースリングを育てた両親であった。




「はいはい分かってるよ。これでももう16なんだから」




 やれやれといった様子で、オイリア牛の皮で出来た艶あでやかな鞄を持ち、身なりを整えようとドア横にある鏡に視線を移す。


 そこに映るのは、真っ黒なサラサラとした軽やかなボブヘアと、水晶の様な桃色の瞳。やや童顔な顔立ちは華奢な体格と合間り、見る人によっては妖精の様な無垢な純蓮じゅんれんさを感じさせる少女であった。




「書類は持った?あとお財布も。必要な洋服とかは送ってあるけど、もし足りないものがあったらいつでも手紙を飛ば巣のよ?」


「母さん流石に心配しすぎだよ。ハルは俺に似て屈強な精神の持ち主だから、きっとどこへ行っても元気でやっていけるさ!ただ・・・」




今にも涙を流しそうな母の肩に手を置きながら、続けて父が力強い目でハルを見つめながら言葉を紡つむぐ。




「ただ、もしも辛くなった時には、いつでも帰って来なさい。父さんも母さんもお前の命より大切なものは何も無いんだから。」


「・・・っ」




先程までの陽気な空気が、一気に”別れ”を思わせる張り詰めたものに変わる。


父の言葉に母が鼻をすすりながら何度も頷く。




(私は、グラソン魔法学園で絶対に強くなる。そして誰かを幸せに出来る賢者になるんだ!)




そう決意を固めると、ハルは窓の向こう、神木が根をおろす方を見つめながら力強く答える。




「お父さん、お母さん。行って来ます!!!」








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2つの山といくつかの川を越え、ハルを乗せた列車がグラソン魔法学園に到着したのはお昼を少し過ぎた頃であった。




 グラソン王国の首都、イスタニカには4つの魔法教育機関があり、王国全土から苛烈な競争をくぐり抜けた優秀な魔法士が、日々勉学や鍛錬に励んでいる。四校にはそれぞれ特色があり、所属する学生は自おのずと思考や特技、キャリアを同じとする者が多く、ハルが進学するグラソン魔法学園も、その例外ではなかった。


 また、魔法教育機関では、研究開発を主とするリューグル魔法学術院を除き、全ての学院が全寮制を強いていた。




「やっと着いた〜ここが英雄グラソンの遺産、グラソン魔法学園・・・」




 列車を降り、数分ほど歩いて正門に辿り着くと、そこから広がるのは丁寧に手入れをされた木々が生い茂る、緑と水豊かな壮麗そうれいな庭園と、膨大な敷地を取り囲む高さ15m程はありそうな壁、そして真っ直ぐ続く道の先にそびえ立つ、お城かの様に青や白で彩られた校舎であった。




「グラソン王宮より城っぽいって噂は本当だったんだ・・・あっやばい入寮締切まであと20分しかない!」




 これから始まる学園生活に、ぼうっと惚けていたハルだったが、慌てて道を進んで行く。どうやらまだ手続きを済ませていない学生は他にもいるらしく、ちらほらハルと同様に大きな鞄やリュックを背負った少年少女が歩いていた。




「新入生って何人くらいいるんだろう。こんなに広いなら全校で1000人くらいはいてもおかしくなさ・・・うわっ」




 辺りをキョロキョロと見渡しながら進んでいると、石畳の段差に足を躓かせてしまったらしい。重心が取れず前のめりに手をついて転びそうになり、思わずギュッと目を瞑り地面の衝撃に備える。




「わわっ・・・・ん?」




 しかしいつまで経っても地面の衝撃は来ず、やって来たのはフリージアの様な香りと腕を優しく掴む腕。そして浮遊感であった。




「えっあれ、なんか浮遊感・・・って本当に浮いてる?!」




 違和感に足を動かすと感じるのは母なる大地、ではなく空気をただ切るだけであった。




「大丈夫!?ずっとキョロキョロしてたから、いつか転びそうって思ってたんだけどまさか本当に転ぶなんて。しっかりしなよー」




 そう言って目の前の少女は朗らかに笑うと掴んでいた左手をそっと離す。するとハルの体はゆっくりと地上へ足を着けた。どうやら浮遊力の正体は少女の風魔法であった様だ。




「ありがとうございます、すみません助かりました・・・それとすごいですね、今の魔法」




 そう言って落としかけた鞄を持ち直しつつ前を見ると、目の前にはハルより更に幼く見える、ピンク色の癖っ毛のショートヘアをした可憐な少女が、肩に鞄をかけて立っていた。




「人一人浮かべるのなんて簡単簡単、寝ながらでもできるよ。それより君、今日から入寮する新入生だよね?私はリア。私も今年入学組なの。これからよろしくー!」




 そう言ってフリージアの香りを漂わせる少女、リアは快活に笑いながら呆然としているハルの手をギュッと握る。




「よ、よろしく・・・てかえっ!?リアちゃんも一年生なの!?あんなにすごい大魔法使えるのに・・・」


 リアの掴んだ手を握り返しながら、驚いた目でリアを見つめるハルを、リアを更に驚いた目で見返す。




「ここグラソン魔法学園だよ!?世界中のバケモノみたいな魔法士を集めた最高峰の動物園・・・じゃなくて教育機関なんだから、私以上にすごい奴なんてゴロゴロいるって!」




そう言って握手した腕をブンブン振ってくるリア。




「そんな謙遜・・・って訳でも無さそうだよね・・・」




 ここで初めてハルは、これまで地方の田舎町で人づてに聞いてきたグラソン魔法学園の話と、現実の学園の間には大きな相違がある事に気付くのであった。


 入寮手続きを進める道すがら、ハルは現在のグラソン魔法学園の認識と実際の学園の相違を埋めるべく、学園の概要についてリアに解説をしてもらった。




「まず、ここはグラソン王国最高峰にして最古の学園、グラソン魔法学園。生徒数は200人と、他の学園と比較しても少ない所から”少数先鋭”って言われてたりもする。ここまでは大丈夫だよね?」


「うん。在校生1000人くらいはいるのかなって思ってた事以外は大丈夫です・・・」


「1000人って最大のグルゴ・パランでもその半分だよ・・・」




 やれやれと心配そうな表情でリアはハルを見やりつつも、話を続ける。




「グラソン王国の首都であるイスタニカには4つの魔法教育機関があるのは流石に知ってるよね?」


「うん!4つあるのはもちろん知ってるよ!名前は知らないけど・・・」


「まじかよ。一つずつ説明をすると、まずはさっきもちょっと出てきたグルゴ・パラン学院。生徒数最大の武闘派集団ってイメージだとわかりやすいかな。全校生徒450人でもっぱら魔法戦闘術が専門。聞いた話だと講義の半数が実践形式で卒業後は軍人になる生徒が大半らしいよ。グルゴ・パランには3割くらい男もいるらしい。」


「えっ3割!?そんなに少ないの!?」




 武闘派集団と聞いて、筋骨隆々な男達を想像していたハルが思わず聞き返すと、リアは眉間に皺を寄せながらハルの質問に答える。




「一体ハルはどんな育ち方をしたんだ・・・?魔法は剣術とは違って女の方が圧倒的に魔力濃度が高い。平均だと5倍〜10倍はな。だからこの学園、グラソン魔法学園にも男は1割もいない。でもグルゴ・パランは魔法の他にも体術とか剣術にも重きを置いてるから比較的男も多いんだ。て言っても多くて3割ってとこだけどね〜」


「なるほど・・・大変勉強になります・・・」


「後は聖レヴァンダ学園。ここは四校の中でも最も新しい学校、というかまだ創立してから7年くらいしか経っていない。特徴としては魔法以外の学問、政治やら外交やらとかにも力を入れてるらしい。ちなみに学長は元グラソン魔法学園の人だよ」


「名前は聞いた事あるけど、まだ創立7年なんだ。」


「名前だけって、この界隈じゃ首都に200年ぶりに新興教育機関ができるなんて言って大騒ぎになったんだけどな。」




 ハルの情弱っぷりにも慣れて来たのか、リアはそのまま話を続ける。




「次はリューゲル魔法学術院。ここは他の三校と比べてちょっと特殊で、教育機関の面もあるけどどっちかって言うと研究機関に近い。20代30代での編入も認めてるし。内容は魔法学研究が専門で魔法技術や魔法薬学、魔法医学とかに分かれてるらしい。よく知らないけど頭の良さで良し悪しつける風土だから、ここは男も多いらしいよ。」


「そうなんだ。リアってなんでも知ってますね・・・」


「今話してる内容、全部その辺の10才の子供でも知ってると思うよ?」


「うぅ・・・世間知らずの田舎娘ですみません・・・」




ハルが肩をすぼめるのをケラケラと笑いながらリアは話を続ける。




「そして最後が、我らグラソン魔法学園。四校の中で最も歴史が古く、かの英雄グラソンによって設立されたと言われている。特徴としては魔法薬学から魔法戦術まで、魔法に纏まつわるものは全て最高の水準で身につけられる、身につける事が求められる場所。他の学校と最も違うのは特に四賢聖の存在。四賢聖くらいは知ってるよね?」


「すみません。存じ上げません・・・」


「まじかよ・・・賢聖っていうのは、このグラソン魔法学園で最も優秀な生徒数名に与えられる称号。優秀って言っても、明確な魔法濃度の基準があって、代によって2人だったり3人だったりする。ちなみに今の代は優秀で、過去最多に並ぶ4人が君臨してる。だから四賢聖ってみんな呼ぶ。」


「なるほど・・・村役会みたいなものか・・・」




「村役?何言ってるんだ?」と首を傾げながら、ここからが一番大事なところという表情で、リアは話を続ける。




「そして、グラソン魔法学園には学長、会長なるものは存在しない。」


「えっ?じゃあ誰がこの学校を運営してるの?」




 顎に手を当てながらハルが首を傾げると、待ってましたと言わんばかりにリアが胸に手を当てながら答える。




「グラソン魔法学園は完全に生徒自治、もっと言うと四賢者が治め、導いている。そしてその中でも絶対的な権力を持ち、四賢者を取りまとめているのが入学当初から常に第一位の座に君臨し続ける首席、セシリア=セントリンゼルト、別名、絶零ぜつれいの魔女!」




 決まった・・・とスッキリした表情で腕を下ろすリアとは対象的に、その名前を聞いたハルの表情はどんとんと曇っていく。




「ねえリア、変な質問なんだけど、そのセシリアって人、髪は浅瀬みたいな鮮やかな青で、波みたいにゆるくウェーブかかったロングヘア?」


「ん?まあ聞いた話だとそんな感じらしいけど・・・」


「瞳は翡翠ひすいみたいなグリーン?それに腰には金色に青い宝石のついたレイピアを下げて歩いてる?」


「やけに詳しいな?ただ確かに聞いた話だと、瞳はグリーンで愛用してる武器はレイピアって聞いたなぁ」




「セシリアのファンか?」と言いながら少し驚いた顔をしているリアに、ハルは顔を真っ青にしながら、更にリアを驚かせる言葉を続ける。




「私・・・セシリア、様にお会いしたわ・・・今朝・・・」


「・・・・・・・・え?」








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 それは完全に事故だった。どちらかというとセシリア側の過失による事故、とハルは思いたかった。


 ハルが生まれ育った村を出て、1刻ばかり経った頃である。


 馬車を降り、列車に乗り込もうと切符売りの列に並んでいると、一人の身なりの綺麗な羽帽子を目深く被った女性騎士が、列車の情報を記載した紙が無数に貼り付けられた掲示板の前で、腕を組み、立っているのが見えた。




(どの列車に乗るか迷っているのかな・・・)




 なかなか列が進まない為、ぼんやりとハルがその光景を眺めていると、掲示板の周囲には多くの人がいるにも関わらず、何となく皆その女性騎士を避けて歩いている様に見えた。




(うーん・・・誰か助けてあげればいいのに・・・)




 しかし10分経っても20分経っても誰も声を掛けようとしない。


 切符売りの列は進み、ハルが切符を手にしてもまだ、騎士は掲示板の前で腕を組んでいるままであった。




(まだ列車の出発まで時間はあるし・・・よしっ)




 強い人よりも優しい人になりなさい、という母からの言葉のもと、ハルは意を決して思案している女騎士に近づいた。




「あ、あの・・・」




 しかしハルが声を掛けようとした瞬間、なんと女騎士は舌打ちをしながら掲示板を右手で思い切り殴ったのであった。




「チッ」




ドンッッッ




 16年出た事がなかった田舎村を出て、ハルはわずか1時間で世界の広さと暴力を目にしたのであった。


 女騎士は隣で目を丸くしている少女ハルに気付くと、少しだけ眉間の皺を緩め、ハルの方を見る。




「ん?何か用?あぁ掲示板を見るのに邪魔だったかな、ごめんなさい。」




 じっと目を丸くしてこちらを見つめるだけのハルに、特段不信な印象を感じなかった女騎士はそのままハルから視線を逸らすと、立ち去ろうと歩き出す。


 しかしその瞬間、がしっと音が出そうな程、強い力で右肩を掴まれた。




「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!!」




無論、女騎士の肩を掴んだのはハルであった。


女騎士は少しだけ驚いた顔をした後、面白いものを見つけたかの様に口角を僅かにあげながらハルの方へ向き直る。




「見知らぬ人を引き止めるだけにしては、掴む手が強すぎる。」




 そう言って女騎士からハルの方へ距離を詰めると、鼻と鼻が接近しそうな程に顔を近づける。




「っ」




 急な接近と余裕溢れる立ち振る舞いに、田舎から出てきたばかりの、一般的には「世間知らずの箱入り娘」に分類されるであろうハルは、圧倒されて次の言葉を失ってしまう。


 更に悪い事に、たった数秒の出来事であったにも関わらず、周囲には「なんだなんだ」と徐々に人だかりができ始めていた。




(うっ、公共のものを殴って立ち去るなんて、絶対にいけない事だからはっきり言わないと!しかもこの人美人そうだけど絶対に悪い人だ。常習犯だ。顔を見れば分かる。帽子でよく見えないけど・・・)




「引き止めたのなら人違いだった?でもせっかくだし、本当に人違いかちゃんと確かめる?」




 そういって女騎士は被っていた羽帽子を両手でゆっくり取ると、帽子に仕舞われていた髪が広がる。しなやかなターコイズブルーの長い髪は、サラサラと光を反射しながら放射状に下ろされ、その様はまるで、波打ち際の波が日を透過しながら岸へと寄っていく様の様であった。そして髪からほんのりと洋梨と桃を混ぜたような、冷たい印象を与える端正な風貌とは似つかない甘い香りが辺りに漂う。


 そして女騎士は流麗りゅうれいな仕草で、外した帽子を片手で胸に当てつつ、もう片方の手をそっと腰に据えたレイピアの赤い宝石を撫でる様に置き、翡翠色の透き通る大きな瞳で真っ直ぐハルを見つめて名乗る。




「私の名前はセシリア。セシリア=セントリンゼルトよ。」








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 事の顛末を話し終えたハルは、華々しく扉を開けたはずの舞台が突如としてスリル満点のサスペンスになった事を感じ、陰鬱な溜息を漏らした。


 一連の流れを聞いたリアは、しばらく口をあんぐりと開けていたが、咳払いをしながら思考を整理すると、入寮初日に落ち込む友人を慰めるべく、言葉をかける。




「ま、まあでもばったり会っちゃっただけだし、怒鳴りつけた訳でも無いんだから元気出して!ね!明日からまた頑張ろう!」


「・・・・怒鳴っちゃったんだよね、その後。」


「・・・・・・・・まじ?」




 しかしその一言は、慰めるどころかよりハルの心を抉る刃になってしまったのであった。








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 色々な事件はあったものの、入寮や入学に関する手続きや荷ほどき、着替えを終え、ハルはリアと並んで日が沈んだばかりの夕闇の中、街路樹に囲まれて伸びる道を食堂へと歩いていた。


 学園内には、広いだけあり食堂は何箇所かあるらしい(これもリア情報である)。




「それにしても、ハルはなんでそんなに何も知らないのにグラソンに来たの?魔力もそんなに強い訳じゃ無いでしょ?隠匿魔法を使ってる訳でも無さそうだし。」




 リアが歩きながらこっちの様子を伺いつつーーーいや、ハルのデリケートな部分に関する質問かどうかなどの配慮は一切せずに質問してくる。


 無論、この質問は「どうしてグラソン魔法学園に来たのか?」というたわいもない志望理由や将来の夢、身の上話を学友と語りあう様なものではない。


 なぜ、そんな知識も魔力も技術、家柄もないお前が、なぜこの名門と広く謳われる高貴なグラソン魔法学園へ“入学できたのか”という質問である。


 一見無遠慮な質問と思われるが、不思議とリアにはザックリとナイーブな話に切り込まれても、嫌悪感を抱かせない、むしろ何でも打ち明けられる様な信頼感を感じさせるものがあった。


 恐らくそれは、彼女の質問が好奇心や貶けなす気持ちなどでは欠片もなく、どちらかと言うとハルの今後を心配している気持ちからのものであったせいでもあっただろう。




「うーん、詳しくはまた今度話すけど、私はある人の推薦で入学してるの。だから学科試験や実技試験とかは一切受けてないんだよね。それに何も情報を知らなかったのは、地元がほんっとーに田舎で、魔法を日常で使ってる人なんて私くらいの村だったから」


「ふーん。推薦入学か。そういえばハルってどんな魔法が使えるの?」


「ごく簡単な治癒魔法だけ。・・・一つだけ水魔法が使えない事もないけど」


「一つ?それって何?推薦と何か関係あるの?!」




 リアが興味津々でキラキラした視線をハルへと向ける。ハルは罪悪感からその視線に耐えきれず、リアから目を背けながら足を止めてどう伝えようかと思案していると、リアも足を止め、今か今かとハルをフリスビーを投げる主人を見上げる犬の様な表情でじっと見つめている。


 どうにかはぐらかそうかとも考えたハルであったが、これ以上先延ばしにしたとて事態は悪くなる一方である事を悟ると、堪忍して口を開いた。




「わかった言う、ちゃんと言うから、絶対に笑わないって約束してくれる・・・?」


「わかった絶対笑わない!笑う訳ないじゃん!大事な友達の魔法を!」




 どんな魔法なのか、未知の魔法なのか、それとも神話に出てくる様な特殊魔法か失われた古の魔法か、と夢に目を輝かせてハルの一言を待つリアの目に耐えきれず、ハルは横を向きながらぶっきらぼうに小声で伝えた。




「イルアローゼ・・・・」


「・・・え?」


「・・・だからイルアローゼ!!!花に水をあげる魔法!!!!!」


「えええっ」




 思わぬ学友の告白に、一瞬思考が追いつかなかったリアであったが、ハルの言葉をようやく脳が処理できた頃には、驚きよりも思わぬ魔法の登場に対する笑いが優ってしまっていた。




「ふふっ・・イルアローゼ・・・ははっ」


「もう!だから笑わないでって言ったじゃん!」




 目に涙を浮かべる程笑うリアだがそれもそのはず、イルアローゼは手から水を作り出し、それを側の植物ーーーもっぱら花へと飛ばすだけの、使い道があまり無い魔法であった。農業を生業とする人々の間ではよく親しまれてはいるものの、より広範囲に水を撒ける魔法具の登場により、使用される頻度はめっきり減っており、現在では幼児が水魔法に触れる際に最初に習得する魔法、という意外の役目は無い魔法となっていた。




「ははは、本当にハルは面白いね。一緒にいて絶対に飽きないって、出会った今日確信したよ」




 そう言ってリアは目尻の涙を拭うと、「そりゃどうも」と不貞腐れるハルに謝りつつ、少し真面目な表情になってから言う。




「でも、笑っちゃったけどきっとハルにとっては何か意味のある魔法なんだろうね。唯一使えるのが花に水をあげる魔法。ロマンティックで素敵じゃん。妖精みたいいに繊細なハルの印象にぴったり。」




 そう言ってハルの頭を撫でるリアの目つきは、まるで大事な弟や妹へ大切な事を言い聞かせる姉の様で、唯一の魔法を笑われ少し拗ねていたハルの機嫌を取り戻すのには十分であった。








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「はぁ〜食べた食べた〜」


「人生で食べたご飯の中で1番のご馳走だったかも・・・」




 二人が食堂を出る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。


 食べ物が口に合わなかったら3年間悲惨な生活になるーーーと少し不安を抱いていたものの、その心配はどうやら杞憂であった様だ。今日行った食堂では、並べられた豪華絢爛かつバランスの取れた食事を、学園生であれば誰でも、自由に好きなだけ取れるという何とも神がかったシステムなのであった。




「そう?ハルそんなに食べて無かったから、てっきり嫌いなものばっかりなのかと思った。」


「それは多分リアが食べ過ぎなんだと思うよ・・・」




 事実リアは、その華奢な体のどこかにブラックホールを作っているのかと思う程片っ端から食べ続け、配膳係の女性や厨房から覗く料理人を震え上がらせていた。




「リアはもうこの後寮に戻る?」


「そうだね、もう少し荷解きしたいのと家族に手紙出さなきゃだから戻るかな。ハルはどうする?」


「私はもう少し学園内散策してから戻るね。」


「おっけー。20時過ぎると裏口からしか入れないのと、この時間は入れない場所もあるから気をつけてね。もし迷子になったら魔法鏡・・・は使える?」


「使えます!花に水やりしかできないけど魔道具は全部使えます!!!」


「はは、ごめんって」




 そう言って食堂の前でリアと別れ、ハルは寮とは反対側の学園中央にそびえ立つ校舎へと歩き出す。時間のせいか、人ひとりいない街灯に照らされた夜道を歩きながら、ハルは物思いにふけっていた。




(リアって物言いは結構サバサバしてるけど、何だかんだ心配してくれて、きっとすごく素敵な子なんだろうな・・・)




 昨日までは毎食が硬い麦パンとスープの様な田舎で、革職人の両親の元、真面目に薬草や作物、動物に関する勉学に励んでいた。魔法と関わり合っていた方だと言っても、知り合いのつての魔法士の下で魔法の練習に勤しんでいただけの少女が、今ではご馳走でお腹を満たし、星空の下、1mmの解ほつれも無い制服を身に纏い、王国最高峰と謳われる地で一人、歩いている。


 もちろんこれまで、首都がどんな場所か、学園がどんな場所かを想像した事は何度もあったが、目の前に、どこからが星空か分からなくなるほどキラキラと輝く青と白の校舎と、寸分の狂い無く整えられた石畳の道、そして丁寧に刈り上げられた芝や樹木、噴水から迸ほとばしる水しぶきの輝きはどれも田舎娘の想像では及ばない、まるで空想の世界であるかの様であった。




「本当に夢みたい・・・」




 今朝の出来事ーーー切符売り場での思わぬ人物との出会いーーーから今までを振り返り、ハルが喜びとも寂しさともつかない声音で呟くと、本来は木々の間に消えるはずだった言葉に、背後から返答の声が上がる。




「そうね、まるで今朝のあなたとは夢みたいな違い。」


「えっ!?」




 思わぬ声と発言の内容、そしてリアから聞いた情報からして、その声の主の心当りはひとりしかおらず、ハルは思わず振り返ろうとするが、




「動かないで」




 首に何の前触れもなく感じる冷たい金属の感触と、先程とは全く異なる返答を許さない冷たい声に、ハルの動きが止まる。




「っ・・・こ、これは一体」


「喋らないで」




 状況を整理しようと出した声は、更に首へと押し込められるレイピアと鋭い一喝によって止められる。




(な、ななな何これ、私入学初日を迎えずして死ぬの!?てかこの人絶対今朝の掲示板の人だよね!?根に持ちすぎじゃない!?声の圧だけでそこら辺の小動物殺せそうじゃん!)




「何故今朝のあなたがここにいるの?回答によっては串刺しにする。嘘をついても串刺しにする。」


「く、串刺しの確率の方が高くないですか・・・?」


「それが嫌なら潔白を証明しなさい」




 そう言ってレイピアが消えたかと思うと、目にも止まらぬ速さでハルの視界が反転、地面に叩きつけられ、首元にはレイピアの切っ先が押し当てられていた。




「目的は何?その服はどこから手に入れた?どうやって入り込んだ?」


「うぐっ」




 頭を地面に叩きつけられた鈍い痛みに唸りながら、視界の揺らぎに堪えて見上げると、満点の夜空を背景に、今朝鼻を付き合わせた翡翠の双眼ーーセシリアが、いつぞやに嗅いだ洋梨と白桃を混ぜた様な甘い香りを漂わせつつ、じっとハルを見据えていた。




(綺麗・・・・・じゃなくて、何これ待って絶対絶命じゃない!?甘い香りを漂わせながら獲物を刺すなんて、ビートル系の魔物じゃん!)




 何か言わなきゃ、と焦るものの何を伝えれば良いのか、と言うより何を説明すればこの危機的事態から脱出できるのかが浮かばない。何せ今は人生に一度訪れるかの命の危機、回答を間違えれば「間違っちゃった☆」では済まされない事態なのが明白であった。




(うわ、目がマジだ。これ物語とかだと今日別の場所でばったり会った騎士が助けてくれる奴だけど、その張本人が今まさに私の命の灯火を消そうとしてるんだよね!何で!)




「答えられない?口を割らないならそれまでの話。私はノアみたいに優しくはないから。」


「あの、待って、待ってください。今朝はあなたが誰か知らなくて、ただ街の掲示板を殴っていたから悪い人なのかなって思って、それで」


「じゃあ何でこの学校の制服を来てここにいるの?ここの学生の全生徒の顔は把握してる。それに今朝のあなたはボロくさい服を来た田舎娘だった」


「・・・・っ」




 ーーーボロくさい田舎娘


 その一言にハルの頭にカッと血が上る。セシリアのその発言は、ハル自身の生い立ちを明らかに侮辱する発言に他ならない。そしてそれ以上に、これまで自身を大切に大切に育てて来た両親や村の人たちをも貶けなす発言であった事が、ハルの心に更に火をつけた。




「ボロくさいって何ですか!貴方の服や今日とった食事、今振りかざしているそのレイピアの元となる石だって、全部貴方がボロくさいと罵ののしった人がいなければここに無いんですよ!」




翡翠色の瞳をキッと睨み、ハルは気圧されまいと言い放つが、セシリアはその無表情とも言える表情を少しも変えない。




「なるほど。あなたは革命軍もしくは盗賊団に下った貧民街育ちの孤児上がりってところ?」




(この人、何を言ってるの?)




全く予期せぬ返答で、ハルは想定とは正反対に近い解釈をされた事だけは理解した。




「どっちにしろ、ここで仕留めておかない理由にはならなそうね。この感じじゃ親玉の場所や内部事情までは知らなそうだし。」


「っ」




 レイピアを握る手に力が入ったのが視界の片隅に映る。




(何でっ・・・そもそも把握している全校生徒の中に私がいないって何よ・・・)




 そこでハルはふと一つの可能性に思い当たる。


 この完全無欠な魔法士、セシリアは今朝外で会った。そこから学園までは列車で3時間はかかる。見た所着ている服もその時から殆ど変化がない事から、駅から戻って着たばかりの可能性が高い。




(それに何より、この「私は絶対に間違ってない」って頑なに信じてるこの人の感じ、これはもしかして、もしかすると・・・)




「あの!私今日入寮したんです、明日からこの学園に入学するんです!」




 決死の声でそう叫ぶと、恐る恐る目を開ける。


 するとセシリアはハルにレイピアを突きつける姿勢のまま、怪訝な表情で思案していた。




「明日入学?確かにオーネットが似たような事を言ってた様な・・・」


「そうですきっとそれです!オーネットさんが正しうぐぐっ・・・!」




 生命の危機からの解放の兆しが見え、思わず矢継ぎ早に言おとしたところで突如、口の中に大量の水が流れ込む。恐らくセシリアが水魔法でハルの口内に大量の水を流し込んだと思われる。




「黙って。私の学友、それも四賢聖の名前を気安く呼ぶなんて、例えここの学生でも次はない。今度同じ真似したらその命の幕をこの手で下ろしてあげるから」




(待って、すでに今幕が下りそう何だけど!死ぬ、鼻の奥にも水がっ!)




「ゲホッゴホッ」


「魔法耐性も対して無さそうな感じ。本当にただの新入生の可能性が高そうね。」




 ようやく水の流れが止み、咳をしながら目の前に立つ青い悪魔を涙目で見やる。




「よ、ようやく信じてくれた・・・?」


「まあもし仮にあなたが、敵対する存在だったとしても、何もできそうに無いし」


「なっ!私だってあの手この手で人を貶おとしめる事くらいできるから!」


「じゃあやっぱりあなたは敵なのね、ここで始末しておこうかな」


「違う!今のは違うんです!!!」




 まんまと青い悪魔に唆そそのかされ、その手がまたレイピアを握るのを見て、慌てて誤解を解く。




「ふうん。まあ本当に入学生かは明日の入学式ではっきりするし。今朝の一件はこれでチャラにしてあげる」


「えっ私の比重重すぎじゃない?!命が天秤に乗せられてる時間ありましたよ?!」


「何?」


「いや、何でも無いです・・・」




 青い悪魔ーーーセシリアは抜いていたレイピアをそっと腰にしまうと、青い髪を星空に吸い込まれる様になびかせて身を翻す。


 そのまま立ち去るかの様に思ったが、5、6歩進んだ所で歩みを止める。




「あと、ボロくさいって言うのは嘘だから。」


「・・・え?」




 歩みを止めたセシリアが、少しだけハルの方へ顔を向ける。


 詳細な表情は影となっており伺えないが、僅かに街灯の光を反射して煌めく萌葱色の翡翠の様な瞳だけが見える。その瞳はハルを映すのを恥じらうかの様に、左脇の街灯を見つめている様だった。




「ボロくらいって言ったのは、あなたの激情を揺さぶってボロを出させる為だから。私は民衆を大切に思っているし、あなたが言った事も理解してる。」


「う、うん、じゃなくて、はい。ありがとうございます?」


「流石にあんなに正論叫ばれるとは思わなかったけど。」


「それは、なんかすみません・・・」




(何で私が謝ってるんだろう)




 言いたい事を伝えられて満足したのか、突如として勘違いによって私の生命を脅かした悪魔は音もなく地面を蹴ると、空へと飛び立って行った。




(一位になると空も飛べるんですね・・・ははは・・・)




 一人残された私はただ地上から空に輝く星を見上げる事しか出来なかった。








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 森の中での嵐の様な一件を終え、その後の日々は平穏そのものであった。


 翌日の入学式も滞りなく行われーーーセシリアが壇上に上がった際は「この人人殺しです!」と叫びたくもなったがーーーその後は特に大きな問題もなく時間が流れていった。




 そして今日、入学から僅か7日目にして、ハルの人生、グラソン魔法学園の命運、王国の未来を揺るがす事件の発端が起きるのであった。


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