TIPS/いつかの、誰かの記憶

TIPS【15 years ago】

       






 寒い。


 心の中で人の言葉でまともに気持ちを表したのはいつぶりだろうか。昨日だったか、数年前だったか。

 それ程までに記憶にはが開いていた。

 とても、とても大きく深い穴だ。もともとそこにどんな色彩の記憶があったのかなど想像出来ないくらいに。


 冷たい。


 自分はどうやら仰向けに寝かされている様だった。

 背中に硬い板状の物体の感触がある。冷たさの出所はそれが一番だろうか。


 動けない。


 僅かな身動みじろぎも出来ない程に両の手足と胴体、首、頭のいたる場所が背中の物体と同じ冷たさを放つ物によって拘束こうそくされていた。

 肌に触れる感覚で分かる拘束具の数に少し大袈裟おおげさすぎないだろうか、と思った。なので解いてみようなどという考えが起きる前にあきらめた。

 視界は闇の中で何も見えない。

 見えないというよりただ単に目を何かでふさがれていた。音だけが聞こえる。

 ここまで厳重に拘束するなら何故耳も塞がないのだろう、と疑問だった。


『じゃあ何だ、この怪文章をそのまま信じろというのか!』


 意識が覚醒するにつれて耳もハッキリと音声を聞き取れるようになってきた。

 イラついた感じの低い男の声がハッキリ聞こえる。


『信じるも何も、なんですよ。ご丁寧に直筆の署名しょめいと電子変換された署名、そして我々が使用する高度機密コード及び簡易暗号含め現在使用されている全暗号パターンで報告データが作成されています。ついでに添付されている解読不能な暗号パターンは恐らく今後開発される物なのでしょう。まるで我々の事を知り尽くしているぞ、と言わんばかりの品揃えですな』


 こちらは少し高めの声の男。


『馬鹿な…本当にこんな事が…? 信じられん…!』

『これは驚きですな、この研究所のおさたる貴方あなたの口からそんな台詞セリフが飛び出すとは。表の世界の人間からしたら我々の存在こそ信じられない物であるというのに』


 表の、世界?


『…分かってる。ああ分かってるさ。この直筆のサインは間違いなく俺の字だ。鑑定かんていに掛けずともこんな汚い字を書く人間は俺は一人しか知らん。添付されたデータにしても文章のクセがまるっきりそうだ。だろうさ。───だからこそ、だ』


 くしゃくしゃと何かをむしる音。髪の毛だろうか。


『 " これ " が10と本気で信じろってのか!』


 これ、とは何の事だろう。見たいけど見えない。


『否定する要素が現在の所ありませんので。信じる要素も無いと言えばありませんが』


 上下関係としては下であろうこの声の主の方が考え方としては柔軟じゅうなんだった。

 気になるとすれば、声の中に何か不安になるような…不快なトーンが見え隠れする所だろうか。


『───成功した超限定空間凍結と解凍、消滅しない素体と仮説。そして素体の正体…非常に興味深い』

『そうか、それは重畳ちょうじょう生憎あいにく俺は頭の頭痛が痛くておかしくなりそうだ』


 ドサッ、ギシッ、と大きくきしむ音。

 椅子イスにでも身を預けたのか。


『おや、もう既におかしくなってるみたいですね、頭。よく効く頭痛薬でもお持ちしますか?』

『何飲まされるか分からんから遠慮えんりょする』

『これは心外しんがい


 クックックッ、と小さく笑う声。

 おかしい、とは頭痛が痛いという誤用の事を言っているのだろうか。よく分からない。

 コツ、コツ、コツ…と歩く音。


『 " これ " を信じるとすれば、我々は10年の時間を先駆さきがけて手に入れた事になりますな』

『読んだだろう? 10年後でも手に負えないから送り付けられたんだ。未来は分岐ぶんきする可能性と言うが、これで10年後の世界とえんが出来てしまった。我々の進む未来への分岐路は決まったのさ』


 低い声の男は投げやりに吐き捨てた。


『おやおや、技術部最高責任者がおっしゃる台詞とは思えませな。SF論ですか』

『寝ぼけてるのか。

『確かに』


 クックックッ、とまた笑う。


『ならば───』


 足音が近付いてくる。言い知れない不安が全身に走った。

 男の指が、てのひらが、体に触れた。

 ヒトとしての体温を感じるのに、その手は恐ろしく冷たく錯覚させた。


『───寝て過ごしますか? 10年後まで』


 ぞっとする、穏やかな声。黒よりも黒い感情を凝縮した底知れない悪意。

 声を上げそうになった。声が出せるかも分からなかったが。けれどその試みはこの男の放つ悪意につぶされ不可能にされた。


『…フン、相変わらず悪趣味な奴だな。分かってるさ、今の俺達がしなきゃならん事ぐらいは』


 ギシッと音を立て、やや重たい足音が近付く。


『怪人、か…』


 カイジン…? それは、私の事…?


『どうして外れて欲しい予想ばかり当たってしまうんだろうな…。いずれ知る事になったとしても』

『気が進まないと言う意味でしたらば私が全て取り仕切りますが?』


 嫌だ、と全身の細胞が叫んだ気がした。


『つまらん冗談言うな。お前の様な変態サディストに任せられるか、


 ニンゲン…? カイジンじゃなくて?

 どっちなのか。どっちもなのか。

 私はニンゲンで、カイジンと言う事なのか。分からない。


『私にとって人間も怪人も大して変わりはしません。知りたいのは真実、そして知識…! 10年後に成功する超限定空間凍結、そして不可能とされている空間解凍。未来が繋がったと言うならばそれを成功させるのはまぎれも無く私達であり、その技術を解明する鍵がここにある。だから知りたい、それだけです。10年後の未来へは我々の技術力が導くのですよ…!』


 さも嬉しそうに、楽しそうに、片方の男がのたまう。目をふさがれていなければきっと狂気に満ちた満面まんめんの笑みをおがむ事が出来ただろうか。


『そんなのはどうでもいい。俺は前線で傷付く奴等を少しでも減らしたいだけだ。俺の肩書かたがきに課せられた使命は果たす。───悪く思うなよ、


 自分の中には無くなったと思っていた臓器が、何かを報せるかのように大きく脈打った。

 そうか。

 きっとのか。

 私は一つだけ思い出した。失われた記憶の端っこ、最後に聴いた言葉。




【───ごめんなさい…ごめんなさい…!】




 そしてまぶしい光に包まれ、ここで目覚めた。

 あの時、どうして " あの人 " は私に謝ったんだろうと疑問に思っていた。

 でもそれはこれから私が受けるであろう日々を知っていたからなんだね。




 風になびく、光を透かした長い金色の髪の毛が綺麗だった。

 そして泣いていたような気がした。




 泣きたいのは私なのに。涙の流し方が、分からなかった。


 だから代わりに泣いてくれたんだと思う。







 すごくファンタジーな閃きをしてしまった。


 ああ、あの人は多分──────







           

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