TIPS 4【B】

     






 ◆◇◆◇◆






 キョトンとした顔で、今だからこそシャレにならない事をさらっと言う。


『は…? 何、言ってんだよ…? 冗談言ってる場合じゃねぇだろ!!!』


 驚いた両親の顔。多分、こんなに激しく怒ったのも怒鳴ったのも初めてだった所為せいだろうか。


「落ち着け。何があったんだ?」


 親父がいさめる様に問う。

 、だって? じゃないか。そんなに分かりにくい事だったか? それとも心労ストレスでボケたのか? 妙にスッキリした顔しやがって。


『だから言ってんだろ!? アイツが、───』

「だから、それは誰の事だと聞いてるんだ!」


 人生で初めて、キレた。キレたって感覚を理解した。

 考えるよりも遥かに早く親父の胸座むらぐらを両手でつかみ上げた。


『テメェ! 親として言っていい事があんだろうが!? 本気で言ってんのかコラ!!』


 テーブルを弾き飛ばしてしまい、用意されてた朝食をひっくり返してしまう。少し心が痛んだ。


「ぐ…、おい、やめ…!」

「ちょっとどうしたの!? やめて! やめなさい!!」


 母さんが悲鳴を上げながら止めに入る。このままだと巻き込んでしまうと思い、掴んだ手を放す。


「一体どうしたっていうんだ…、父さん達が何かしたって言うのか?」


 親父が苦しげにこちらをにらむ。母さんも怯えていた。


『そうかよ…。だったら…自分達の目で確かめてみろよ!』


 俺は足音も荒々しくリビングを出ると、先程下りて来たばかりの階段を再び上がる。

 一歩上がる度に、あの信じられない光景を思い出し、頭に上っていた熱が急激に冷めて理解出来ない恐怖の様なモノに変わっていった。

 親父達は渋々しぶしぶ後をついて上ってくる。これまであんなにこの階段を上がることを躊躇ためらっていたというのに。

 二階。階段を上りきると廊下をまたいだ正面に俺の部屋があり、廊下を右奥へ進むとアイツの部屋があるハズだった。




 その廊下が、無くなっていた。

 手前で壁でも建てたかの様に、あるはずの廊下はそこで終わっていた。




 昨日までそこにあったアイツの部屋が、ごっそりけずられ無くなっていた。

 俺はその一夜にして変貌へんぼうしたそれを指して問い詰めた。


『見ろよ、これでも…分かんねぇのか…!?』

「…? 何がだ?」

『だから本気で言ってんのか!? 昨日までアイツの部屋がここにあった! それが無くなってんだろうが!!』

「アイツって…ねえ、本当に誰の事言ってるの…?」


 気が触れそうだった。いや、触れてたのかもしれない。


『お前等が産んで育てた子供だろうが!! 俺の双子の弟がここにいた!!! 何で覚えてねぇんだよ!!?』

「いい加減にしろ! !!」


 冗談を言っている目ではなかった。

 辛すぎる現実を投げた目でもなかった。

 本当に、そうであると信じて疑っていない。

 疑うも何も、両親にとっての今日までが実際にそうであった事実に変わっていたのだ。


『俺が…一人っ子だったって…?』


 頭の中でアイツとの思い出を思い出そうとした。なのに、親父のその言葉がささくれみたいに突き刺さり回想を邪魔してくる。

 いや…、邪魔されてるのが原因なのか? 思い出せないのは、そもそも存在しないから───


 ドクン、と大きく心臓が鳴った。


 違う、これは俺の心臓じゃない。

 泣いている。俺がじゃない。涙があふれている場所が俺の中に感じられない。

 …魂の、繋がった先───?


『…嘘だ…!!』


 親父達を払いけるとまた階段を駆け下り、今度は外に飛び出してアイツの部屋が有った場所を外側から見た。


『ハハ…何だこりゃ…』


 どれだけ建築の素人しろうとだって分かる。アイツの部屋が存在していた二階の空間、そこが無理矢理無くなった事により、ウチの外見は一般的な一戸建ての常識から大きく外れた奇形きけいの家となっていた。平屋ひらやの屋根から俺の部屋がたんこぶの様に飛び出した的な。

 この家は親父が設計段階から色々とこだわっていたという自慢話を散々聞かされていた。

 そんな親父がこんな気色悪い形状の家を建てる訳が無い。


『随分と雑に隠してくれんじゃねぇか…』


 何に対してなのか分からない怒りが胸に生まれた。

 何なのか分からない存在に対する怒りだったんだと思う。


 胸の奥のここではない何処かが、ズキっと痛んだ。






「それで、突然やって来て何がどうしたって言うんだい?」


 久し振りに訪れた懐かしいにおいのする玄関。

 荷物をまとめて実家を飛び出した俺が情けなくも頼ったのはばーちゃんだった。両親には何を話しても意味が無いし、アイツの存在をゆがんで感じるあの家に居続けるのはもう無理だったからだ。


『いきなりごめん、ばーちゃん…。仕事見つけて一人で住める部屋借りられるまでの間だけでいいから、ここに居させてほしいんだ』


 うつむいたまま、頼るべき人の顔を見る事も出来ずに床に問い掛ける。


「あんたがそこまで思い詰めてここに来たって事はそれなりの理由があるんだろう?」

『それは…』


 ある。あるのは間違いない。でも " 理由が多分この世界に存在していない " なんて言って誰が信じるだろうか。


「信じてもらえない、って思ってるね?」

『えっ!?』


 見透みすかされて思わずばーちゃんを見上げる。

 小さい頃から知っている、変わらない、強い眼差まなざし。


「やっとこっちを見たね。昔から何度も言ってるじゃないか。人と人、分かり合う為にはどっちかがそっぽを向いてちゃいけない、って」

『でも…誰にも信じて貰えない事なんだ…。ばーちゃんだって理由を言ったら俺がおかしくなったんじゃないかって思うかもしれない…』

「ハッ、めんじゃないよ」


 ばーちゃんは歯を見せてニカっと笑った。


「この世に信じられない様な現実が一体どれだけあると思ってんだい? それが一つ増えるだけさ。あたしの所で世話になりたいってんならちゃんとスジを通しな」


 …本当の事を素直に言うべきか。喉がカラカラに乾いた。

 でも、筋は通したい。ばーちゃんの孫だから。


『───が、居なくなった。俺の双子の弟の。行方不明とかって意味じゃなくて。誰もアイツがいなくなったって事が理解出来なくて。最初からいない事にされたんだ。それを何でか俺だけが知ってるんだ』


 言葉を、丁寧ていねいに選んだ。それでも客観的には何を言ってるのか分からなかっただろう。


「ふむ…、それは誰の事だい?」


 …! やっぱり、そうか…そうだよな。


「…って、皆に言われてしまうってこったね?」

『えっ!?』


 初めての反応に心がね上がった。


「や、申し訳無いけど、あたしの記憶の中でもあんたは一人っ子だ。嫁が出産した時もこの家に親子で来た時も、それからのどの場面もあんた一人の顔しか思い出せない」


 ばーちゃんは目を閉じて記憶を掘り起こしている様だ。


『だよな…やっぱりおかしいのか、俺』

「多分、おかしいんだろうねぇ」


 その言葉が、深く心臓を刺した。

 ばーちゃんならもしかして、という勝手な希望を押し付けていたのは自分だ。当たり前の反応をされて傷付くなんて今更どうかしてる。


「あらやだ、なにヘコんでんのさ。おかしいって言ったのは、さね」

『え?』


 すずしい顔でなんかとんでもない事を言った。


「あんたの事は生まれた時から知ってるし良く分かってる。嘘をついていないって事も、こんだけとしうと相手の目を見れば大抵分かる」


 ばーちゃんは真っ直ぐに俺を見ていた。


「じゃあ一体何がおかしいのか? 誰も知らない誰かの事を覚えていると言い張るあんたか。それともあたしを含め何も覚えていない世界か」

『…』

「なら単純な話さ。一人だけでも覚えているという真実の方が、0の世界よりも重いって事さね」


 そう言ってばーちゃんはカカカッと笑った。


『そ、そんな理由で信じていいの…?』


 安堵あんどすると同時に久し振りのばーちゃんの豪快ごうかい偉大いだいさに圧倒あっとうされる。


「ハン、自分の子供の言う事も信じないバカ息子とアンチクショウより、かわいい孫を信じるに決まってるじゃないか!」


 信じる───。

 " あの日 " から誰にも信じて貰えず誰も信じる事が出来なかった自分にとって、これ程までに胸を熱くしてくれる言葉は無かった。


「かと言って、あたしにはどう力になってあげればいいのか皆目かいもく見当けんとうもつかないんだけど…何か手掛かりとかはあるのかい?」


 ばーちゃんはあごを親指と人差し指で挟む探偵ポーズで神妙しんみょうな顔をした。


『手掛かりって言うか…馬鹿にされるかもしれないんだけどさ。時々胸が…心臓の辺りが何かをうったえる様にうずくんだ。でも感覚的には俺の心臓じゃなくて、胸の奥のどこか遠くの場所、みたいな…』

「そりゃあ、魂がつながっているってこったろうね」


 驚いた。すんごく驚いた。

 魂とは俺が自分の中で勝手にそう表現していた事だった。

 それを、何十歳も歳の離れたばーちゃんが答えてくれたから。

 こんな馬鹿げた話を真面目に聞いてくれる大人がいる、それだけでも今の俺にとっては救いと希望だった。


「なにほうけた顔してるのさ。あたしらの時代の方があんた達の時代よりも霊だ魂だって信心しんじんぶかかったんだよ? 『死んだらどうなる?』とか『死んだらおどろいた!!』とかね」


 そのフレーズは色々マズいと思うんだ。


黄昏時たそがれどきには人が消える。消えてあらわたれかれ、ってね。昔は神隠しと呼ばれ、それこそ日本各地であった事さね」

『神隠し…。人ひとりを消して、記憶も存在も無かった事に改竄かいざん出来るような " 何か " がいるって事か…』


 そんな事が可能な存在って、神様とかそれにるいするモノだろうか。


「怖いのかい?」


 ばーちゃんがからかう様にニヤリと微笑んだ。


『怖くなんかねぇ! …って本当は言いたい。でも、実際に起きてる事実が余りにもぶっ飛びすぎてて正直分かんないんだ』


 本当に " そんな奴が相手なのか " も。


「それが正解さ。蛮勇ばんゆうおろかな物だ。いいかい、これはいくさだよ。今日この日から、あんたがあんたの片割れを救う為のね」

いくさ…』

戦況せんきょう至極しごく劣勢れっせい打開策だかいさくは今の所無し。味方は老いぼれが一人だけ、敵の数は未知数。これを勝利へ導く為には己をきたえ、冷静な思考と判断力を養い、砂漠の針を探す様な地道な努力の積み重ねが必要になる」


 喉が鳴った。

 自分でも理解していたつもりだったが、実際に言葉にされると俺がやろうとしている事はスタートの時点でこんなにも途方とほうもないハンデを背負っているんだ。


「でもたったひとつ、敵は大きなあやまちを犯した」

『過ち?』


 ばーちゃんはビシッと俺を指差した。


「あんたの存在だ」

『俺…?』


 俺が、あやまち?


「あんたが片割れを忘れずに覚えていた事、それが敵にとっての最大の誤算ごさんさね。言わばあんたは敵の目的にとって最大の弱点となり得ると言う訳さ」


 忘れなかった事が、相手の弱点…!?


「恐らく敵は全ての関係者の記憶を改竄かいざんしたと思って油断している。必殺の一打を撃ち込むのならば恐らくここだろう」


 こんな科学万能の現代で何をファンタジーかSF小説みたいに盛り上がってるのか。他人が俺達を見たらきっとそう言って指さして笑う事だろう。

 でも、俺が選んだのは " そういう道 " だ。


「終わりのない戦になるかもしれないよ。覚悟は出来てるかい?」

『…ああ。必ずアイツを助ける。だからばーちゃん、俺に力を貸してくれ』


 心臓の向こう側が、じわっと熱を帯びた気がした。


「ぃよぉぉぉぉし! よく言った、それでこそ日本男児だ! 今日は合戦かっせん開始記念として派手に行こうかね!!」


 ばーちゃんが何故か嬉しそうだった。

 良かった、俺にとって最高で最強の理解者が出来て。

 これで戦える。何年かかっても、お前を絶対に探し出して見せる。

 だから…負けるなよ、俺の魂の片割れ。


「───失礼ですが、話は伺いました」

『!?』

「!?」


 予想もしなかった声に二人同時に振り返る。


「私なら、彼の様な人間の力になれるはずです」


 開いたままの玄関扉。見切れて死角になっていた空間から音もなく現れたのは───







 恐ろしく恥ずかしい恰好をした、金髪長髪の女だった。


 知らない振りをした世界が、この日を境に大きくあわて出す。









 嘘みたいな話だろ。

 そう思うんなら全然それでもいいと思う。

 俺の記憶が真実だって証明は出来ないし、あんたらの記憶がいつわりだって証明も出来ない。

 この心臓を遥か超えた場所にある鼓動こどうが、俺にとっての唯一の真実さ。




 戦う理由なんて、それだけあれば十分だろ?










(TIPS 4 【B】 END)







           

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