第12話:お兄ちゃんと呼ばないで
不意に名前を呼ばれて、俺は顔を上げた。
顔を上げたその先には。
「は、は、春沢? なんでここに……?」
「なんでって、普通にお買い物に来ただけだよ。私このお店のブランド気に入ってるんだ」
春沢の手には先ほど、俺が鈴原には似合わないと言っていた黄色のワンピースが掲げられていた。うん、確かに春沢だったらこういう暖色系は似合いそうだ。
……じゃなくて!
これってもしかして非常にまずいんじゃないか?
こんなところでまさかの仲のいいクラスメイトに遭遇するとは思わなかった。
以前、俺は学校で鈴原との関係は否定している。そんな俺が、鈴原と二人っきりでこんなところにきていれば、お買い物デートしていると勘違いされてもおかしくはない。
いや、しかし、相手は春沢だ。ここは正直に無理やり鈴原に連れてこられたと言えばどうにかなるんじゃないか、という淡い期待も持てる。
「間宮くんはなんでここにいるの? もしかして、誰かと来てるの?」
春沢はなぜか不安そうに、だけど鬼気迫る眼差しでこちらを見つめる。
やっぱり、聞かれた。こ、これは……ここで無理やりとはいえ、鈴原と一緒に来ていることがバレれば春沢は怒りそうな気がした。
一緒に住み始めたことを知れば、どうなるかもわからん。
どうすればいいんだ!? ……そうだ!
「え、え〜と……じ、実は妹と来てるんだ」
ここで俺がした選択は正直に話すこと、ではなく誤魔化すことであった。
ここは女性用のファッションブランド店。男同士で来ているという嘘は使えない。そのため、俺は架空の妹を錬成したのであった。
「え、妹さん!? 間宮くんも妹さんがいるの!?」
「お、おう。話してなかったけな?」
「あれ? でもそういえば、大神くんの妹さんの話になった時、兄妹はいないって言ってなかったけ?」
ギクゥ。しまった。以前、俺は一人っ子っていうことを話していたんだった。この嘘は失敗だ。しかし、まだだ。まだ終わらんよ!!
「あ、いや。あれだよ。従姉妹! 年下の従姉妹で俺の妹みたいなもんなんだ。お兄ちゃんお兄ちゃんってよく付いてくるからさ」
「ああ、そういうことね! その妹さんはどこにいるの? よかったら紹介してくれない?」
「あ、あーほら。今試着中なんだけど、妹は恥ずかしがり屋だからさ。その……初対面なのはちょっと……」
「あ、そうなんだ……残念……」
しゅん、と春沢は明らかに残念そうにした。うっ、嘘をついていることが心苦しい。
「そ、そういえば春沢は一人で来てたのか?」
休日に一人で買い物というのは寂しいやつだな。篠田とか誘わなかったのか。
「あ、今、友達いないんだなって思ったでしょ」
なぜバレた。
「違うもん。美織と本当は来る予定だったんだけど、急用が入ったみたいで仕方なく一人で来ただけだもん」
「そうか」
「うん」
「……」
「……」
突然、生まれる沈黙。なんだこの空気。
「えっと、妹さん結構試着長いね」
「あ、ああ。マイペースなやつなんだ」
「ねぇ、やっぱり私も一緒にお買い物したら妹さん迷惑かな?」
「うっ……」
そんな上目遣いで見るな!! 絶対無理だから! 俺に妹なんていないから!!
「い、いや。本当に極度の人見知りでな。基本は、家に引きこもってるから他の人と一緒っていうのは……」
あああああ。心が痛い。許してくれ、春沢。
「そ、そうだよね。ごめんね、無理言って……じゃあ、私──」
ピシャッ。
「あ……」
「お兄ちゃんっ!! 似合うかな?」
「…………」
「…………」
………………………………。
……………………。
…………。
死んだ。何がって、空気が。
春沢が行こうとした瞬間に俺たちの横の試着室のカーテンが勢いよく開いた。
そしてその中から、先ほどの花柄のワンピースを身に纏った鈴原が俺に向かっていつもは見せないテンションで衝撃の一言を放ったのだ。
「ま、間宮くん? これってどういうこと? なんで、鈴原さんが?」
ぎぎぎ、と錆びたブリキ人形のように首をこちらに戻し、恐ろしい形相で睨み付ける春沢。しかし、口元は笑っている。
ひぃ!!
嘘がバレた瞬間であった。
「あ、いや〜これは……」
「お兄ちゃん、誤魔化さなくてもちゃんと言えばいいのに。私と一緒にお買い物デートしてたって」
「お兄ちゃん言うな。それにこれはデートじゃないだろっ!!」
「デート? デート? デート?」
春沢は壊れた人形のように何度も同じ言葉を繰り返す。その目は遠いどこかを見ていた。
……怖い。普通にホラーなんだが。
「ともかく! 春沢、これは違うんだ。今日、俺は鈴原に無理やり連れられて──」
「あんなことをしておいて、無理やりだなんて酷い人……」
「鈴原は黙っててくれ!! は、春沢? そんな絶望に染まったような顔でこっち見ないで!? 誤解だからね、春沢?」
「い、いいよ、別に……私に嘘ついてまで鈴原さんとのデート隠さなくても……」
「いやいや、隠してたわけじゃ……それにデートじゃないし、誤解だって……」
「付き合ってるなら付き合ってるって言えばよかったじゃない!! 間宮くんの嘘つき!!」
春沢は涙を浮かべて、その場から走り去ろうとした。非常にまずい事態だ。涙の理由はわからないが、このままだと誤解を与えたままだし、さらにいえば周りに俺たちのやりとりを見ていた複数の客がいる。もしかしたら女子を泣かせた罪深いやつとしてSNSに晒し上げされてしまうかもしれない。
「ああ、待てって!!」
俺は鈴原を置いて、春沢を追いかけた。
「ついてこないでよーーっ!!」
「ちょ、春沢っ!」
商業施設内で俺と春沢の追いかけっこは続く。
そしてようやく追いつきそうになり、俺は必死に手を伸ばして春沢の腕を取った。つもりだった。
「はぁはぁはぁ、春沢。なんで逃げるんだよ……」
「だ、だって追いかけてくるから……」
「そんなストーカーみたいな扱いやめてくれ。ともかく、俺と鈴原は本当になんでもないんだって」
「ほ、本当?」
「ああ、本当だって」
俺は掴んでいた春沢の手を前に持ってきてぎゅっと握り、目を見てそう言った。
「わ、わかった。信じる……」
「そうか、よかった……」
「その……」
「なんだ?」
「手が……」
「え? 手?」
顔を赤くして視線を下におろした春沢につられて、俺も同じ場所に視線を向ける。
そこにはしっかりと春沢の両手を握りしめていた俺の手があった。
「ぶばっ」
「間宮くん!?」
視界が暗転した。
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