誰かの幸せを祈る人

キノハタ

神様の祈り

 私は流れ歩いた旅の途中、事故で足を折っていた。そのせいで働き口もないから、誰も知り合いのいない街の隅で独りきり。


 なんとか添え木を足に巻きつけながら、汚れた身体を引きずって。野盗に襲われにくい教会のひさしの隅で、こっそりと傷が癒えるのを待っていた。


 何日かそうしていると、その教会の女神官が昼時に隣に座るようになった。


 その神官は時たま身体を拭いてくれたり、食料を分けてくれたりはするけれど。施しはそこまでで、決して教会の中までは入れてくれなかった。一度それをしたら、物乞いがたくさん寄ってきて収拾がつかなくなったから辞めたらしい。


 敬虔な神の信徒のわりに、随分と世知辛い話なもんだ。神様ならそこらへん懐深く、誰彼も救ってはくれないものか。物乞いの分の食料とベッドくらい、教会に預けておいて欲しいものだ。


 私は軽くため息を吐きながら、ふと気になって女神官に気になったことを聞いてみた。


 「私が困ってるのに、助けてもくれない神様って、一体どんな人なんですか?」


 ちょっと意地悪してやろうと思った問いだった。ただ神官は特に動じた風もなく、私と分け合ったパンの片割れを食べながら呟いた。


 「んとね、誰かの幸せを祈ってる人だよ」


 私は少しだけ首を傾げる。


 「祈ってるって、ただ祈ってるだけ?」


 「そう、ただ祈ってるだけ。でもこの世の中、誰も彼もに祈ってるんだ」


 私は思わず目を細めながら、神官を藪にらみにする。


 「なによ、それ。そんなことに何の意味があるってんのよ」


 「そうだねえ、実際、祈られても何にもならないよね。ただうちの教えだと、神様にとって、地球ってビー玉みたいにちっちゃいから、1人1人上手く助けたりはできないよってことになってるんだよね。まあ、要するに、都合よく、具体的に助けてくれるわけじゃ、ないんだよね。だからずっとずっと祈ってるんだって」


 「……そんな神様、信じてる意味ある?」


 「んー、あるよ。なぜなら神様の祈りには、ちょっとだけ特別なところがあるの」


 神官はいたずらっぽく微笑んでからそう言った。


 「……特別なこと?」

 

 「そう、あのね、神様はどんな人にでも祈ってるの。幸せになってねって、頑張ってねって、君の生きたいように生きていいよって」


 「……」


 「それで、神様の凄いところはね最後まで諦めないんだ。たとえ君が諦めても、必死に泣きながらどんな時でも祈ってるの。頑張って、諦めないで、幸せになって、お願い、お願いだからって。必死に、一生懸命に君の幸せを祈ってるの」


 「……」


 「まあ、別にそれで何も変わりはしないけど、そう信じられたら素敵じゃない? きっとこの世の中のどこかには、そんな人がいるんだよ。


 私がどんなに辛くても、君がどんなに苦しんでも、間違えても、つまづいても、諦めても、見放されても。


 どこかにたった1人だけ信じてくれてる人がいるんだよ。祈ってくれてる人がいるんだよ。


 そう想えたらほんの少しだけ頑張れる、そんな気がしてこない?」


 神官はそう言うと、そっと私の顔を覗き込んだ。


 「……それがあなたが神官になった理由?」


 「ううん、神官になったのは、実は人に勧められたからなんだよね。だから、私は別にその『祈ってくれる人』の呼び名は何でもいいんだよ。司祭様に言ったら怒られちゃうけど」


 「………」


 「東の国の人はそれを仏って呼ぶんだって。山や川、海にいると思う人もいるし、空や星、何かの像にそれを預ける人もいるよ。いろいろだね、面白いでしょ」


 「………」


 そう言って、神官は立ち上がると服についた埃をぱんぱんと取ると軽く伸びをした。


 「そんな人に成れたらいいなって想うから、私もこっそり真似してるんだ。まあ、救えるものは大してないかもしれないけど。それでも、私は君の幸せを祈っているよ。ま、神様と違って私は私が目につく人にしか祈れないけど、それでもね。


 私は君の幸せを祈ってるよ」


 そう言って彼女は私に微笑んだ。正直うまく理解できないまま、私はただ首を傾げた。


 「………よそものの私にそこまでする意味ってあるの?」


 「ん? 別にないよ意味なんて。なんだったら理由もないよ。でも、独りで膝を抱えて困った時、世界から見放されたみたいな時、ふと思い出すかもしれないじゃない?


 ああ、そういえば、今日もどこかで自分のために祈ってる人がいるんだなって。


 それを思い出したらもしかしたら、ちょっとだけ勇気が湧いてくるかもしれないでしょ?」



 私はただぼんやりとその人を見上げていた。



 「辛くなったらね、思い浮かべるの。君の頭の奥で、君の胸の底で、君の心の中心で、必死になって、君のために祈ってる人のことを。


 誰よりも何よりも君の幸せを願ってる人のことを。どうか辛くても苦しくても、諦めないで、どうか頑張って幸せになってって、そう想ってくれる人のことを。


 そうやって背中を押された君がまた歩けることを、祈っているのだ」



 それから去り際に神官はしーっと秘密を話すみたいに私に笑いかけてこう言った。



 「頑張ってね、君が幸せになるのを、私はこっそり楽しみにしてるから」


 

 そう言った後、軽くスキップしながら神官は教会に戻っていった。



 正直、よくわからない人だった。首を傾げたまま、空を見た。



 そして、よくわからない話だった。だからわからないまま、貰ったパンと一緒に飲み込んだ。



 それからぼんやりと想像する。足が折れて何もできない私でも想像することくらいはきっとできる。



 私の幸せを祈る人。私がどれだけ辛くても、私がどれだけ諦めても、頑張って、幸せになってっていつまでも祈ってるそんな人。



 泣きながら、必死に、必死に、私の幸せを祈るそんな人。



 人はそれを神様と呼ぶらしいのだけど。



 私のちっぽけな想像力ではどれだけ頑張っても、さっきの神官が祈ってる姿しか思い浮かばない。



 だからあの神官で想像した。さっきまで隣にいたあの人が、自分の幸せを願ってくれている姿を、ずっとずっと必死に泣きながら祈ってくれているその姿を。


 頭の中にそっと思い描いたら、ちょっとだけ空を見た。



 そうして、最後のパンの一欠片を飲み込んだ。



 そしたら、ちょっとだけ勇気が湧いてくる気がしていた。



 ずっとずっと、この世界は途方もないほど広いくせに、自分は独りっきりだと思っていたけど。



 もしかしたら、どこかで私のために祈っている人がいるのかもしれない。



 この胸の奥の方で、どこか遠くの空の向こうで、小さな街の教会の中で。



 そんな人が、もしかしたらどこかにいるかもしれない。



 そう想うと、なんとなく面白くなって私はこっそりほくそ笑んだ。




 それから、儀礼も知らないまま手を合わせた。




 そうして祈って考えた。神様のこと、神官のこと、それとどこかの誰かのこと。




 そういえば、自分が神官の名前すら知らないことに気がついて、まあいいかと笑った後に祈りだした。




 別に大して興味はないけれど、できたらあんたも幸せになったらいい。




 そっちの方が、なんだか楽しそうだから。





 私は笑って祈ってみた。





 今日もこの空の下、あなたの幸せを祈っている人が、きっとどこかにいるのでしょう。




 頑張ってね。



 諦めないでね。



 そして、できたら幸せになってね。



 どうか、どうか。



 今日も、私は。



 そんなことを祈ってる。

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