かごの中に
ビッコー
第1話
大きな瞳に尖ったクチバシ、首元から流れる羽は翼となって身体の中に収められている。大きな身体に似つかわしくない小枝にも満たないような小さな脚。
そこにいたのは一羽のカラスだった。
そのカラスは網の先にいた。金属でできた黒い棒は何本も、縦横にまっすぐと延びては中と外、彼と私たちとを隔絶していた。彼の姿が隠れてしまうのが煩わしくて、顔を近づけてみると冷やされた空気が頬を撫でた気がした。
やや小振りな姿を見るに、もしかしたら彼はまだ幼い子供なのかもしれない。世界の全てに興味があるように、あちらこちらと首を動かしては細い脚でぴょんぴょんと、跳ねるように歩いた。ただそれだけなのに、私の眼はそこにいるカラスから離れようとしなかった。
「おお」と歓声があがった。
いつのまにやら。周りを見渡してみれば、そこにいる彼を見ようと人混みができていた。紺色のジャケットにやけに大きなローファーで半ズボンを履いた幼い子供がそこにいれば、腰を曲げた老人が杖を支えにして、みなは彼を見ている。
たかがカラスに、ではない。そのカラスは、白かった。
彼はペンキの中に落としてしまったかのような白さを持っていた。白さは決して光を吸収することはない。だからなのだろうか、彼の姿からは、まるで光を発しているかのようにも感じられる。眩いばかりの明るさが彼にまとわりついているのだ。
「どうしてあのカラスは白いの?」
子供の声だった。母親が「あれはね、アルビノって言うの。生まれついて白くなってしまうの」と答えると、子供は「もう黒くなれないの?」と訪ねる。そうして母親がコクりと頷くと、子供は「かわいそう」と続けた。
他愛のないやり取り。それがなぜだか私を苛立たせた。
彼がカアと鳴いた。また歓声があがった。人々の顔に喜びがあるようだがそんなことはどうでもよかった。
彼の興味がこちらに向いたようだ。
彼の大きな瞳がこちらをじっと見ている。気がつかなかった。彼の瞳は赤いんだ。奥底にある血管が彼の命を証明して、明るさのなかに一粒の柔らかさを生んでいるのだ。
彼に触れたい。私はそう感じた。
なぜだかはわからないけれど、彼に触れられれば、彼のその白い羽の柔らかさを感じることができたら、なにかが変わるかもしれない。そう思えてしかたがないのだ。
手を伸ばせば彼に触れられるかもしれない。しかし現実は残酷で、目の前にある金属がその冷たさで拒絶している。
彼はこちらを見続けている。何が彼の好奇心をそそっているのか、私にはわからない。赤い目はひたすらに私を見つめている。あるいは同情なのかもしれない。
ふと、いいことを思い付いた。
そう、たしかあったはずだ。
私は肩にかけたカバンの中身を漁った。目を離してしまえば彼が消えてしまうかもしれないから、彼から目線を外すことはできない。だから私は手の感覚だけを頼りにそれを探した。
ゴム質の柔らかさ、これは携帯電話。大きい、これは財布。書類の数々が邪魔をして、微かに感じた硬い塊。
あった。
ようやく取り出したそれのキャップを取って、唇に塗りたくる。風がくすぐると温度が下がったような錯覚に陥いった。
彼を逃さぬように、横目で手のひらの上で転がるそれを見た。それは確かにリップクリームだった。真っ赤な、彼の目よりも真っ赤なリップクリームだった。
彼がこちらへ近づいてきた。しめた、と私は思った。打算と呼ばれようとかまわない。周囲の目線など私には関係ない。鉄格子の隙間から指をいれて、もう少し、ようやく彼の身体に届こうとした、その時だった。
彼の翼が彼の身体から離れると、大きく振るわれた。ふわりと宙に浮いて、さらにもう一度。彼はもうこちらに目を配ることなく、空へと飛び立った。
段々に小さくなる姿を追っかけて、溢れた光を探そうとしたが、空には天井があって彼の姿はどこにも見つからない。黒くて冷たい天井がじっとこちらを見ているばかり。
後悔の念が私を襲った。私が触れようとしたからだろうか。遠くで見てるだけで満足してさえいれば、彼はまだそこにいてくれたのだろうか。
彼がさきほどまでいた外を見てみれば、雑草のなかにタンポポが一輪咲いているのを見つけた。どうして私はあれを摘むことができないのだろう。
ため息をひとつついて、私は戻ることにした。冷たいかごの中に。
かごの中に ビッコー @bikkle2
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