28
「ほら。早くウォッチのセンサーに指紋を読ませて、お前が冴木 怜だと証明しろよ」
そう言って投げてよこされた冴木のウォッチ。
男子生徒たち四人の刺すような視線を受けながら、綾香はゆっくりとした動作でそれを拾った。
そしておそるおそる、自分の人差し指をセンサーに滑らせる。
すると。
REI SAEKI。
2-2。
38。
MG-03581XXX。
冴木のウォッチが彼女の指を所有者のものと認め、個人情報を次々表示した。
「よし。冴木本人に間違いないな」
男子生徒の言葉に、綾香は内心ほっと胸をなでおろす。
綾香は自分の人差し指にはめていたものを、制服のポケットに手を突っ込んでさりげなく外した。
それは、先ほど用具管理室で冴木の指紋を取ったセロテープだった。こんなこともあろうかと用意しておいたのだ。
以前に海一が、コピー用紙一枚でロックのかかった自動ドアを開けたときのこと。「高度なセキュリティも意外に見落とされている初歩的な点は多い。指紋認証なども、セロテープで盗み取った本人の指紋から解除できたというケースもあるそうだ」、と彼が言っていたのを覚えていたのだ。
奇跡的にうまく行ったからいいものの、今のは本当に綱渡りだった。
「んじゃ、冴木サン? それで証拠ってどれ? 出してもらおうか」
ホッとしたのもつかの間。
男子生徒たちの次なる要求は、証拠を出せという。
綾香は何のことだか分からなくて瞬時に頭を回転させる。この非常事態に際し、普段の五百倍くらいの速さで思考している気さえする。
そういえば冴木はこう言っていた。セキュリティルームのコンピュータに不正アクセスしている容疑者の証拠を手に入れたが、尻尾をつかまれてしまった、と。手にはしっかりUSBが握られていた。
目くらましとして見せられるような記憶媒体のようなものを、今の綾香は何も所持していない。
やばいな、と改めて自覚した。
こうなるとどこかに隠したとでも言うのが常套だろうが、彼らがそれで納得して解放してくれるとは到底思えない。それが見つかるまで、痛めつけてでも隠した場所を吐かせるだろう。男子生徒の一人の手元にあるバットが恐ろしい。
こうなったら戦うしかないのか。しかし、がたいの良い上級生たちと四対一では、スタンガンを使ってもかなり苦しいと思う。一度捕縛されてしまえば武器など何の役にも立たない。むしろ相手側に武器を渡してしまうことになる。
綾香はここで選べる最良の手段を取ることにした。
「その……証拠っていうのは、どのことに関してなのかしら?」
男子生徒たちが、「あん?」と不愉快そうに顔をゆがめる。
綾香の取った手段、それは、ひたすら時間を稼ぐことだった。きっと逆転できる転機が訪れるはず。それを待って会話を引きのばすのだ。
彼らの口ぶりからすると、自分たちが何を探させられているのか、どういう意図で行動させられているのか、あまりよく理解していない様子だ。ごまかせるかもしれない。
「だから……。ええと、なんだっけな」
指示メールか何かだろうか。スマホを確認しながら、たどたどしく話す。
「盗みを働いてる間に監視カメラのループした映像を流したり、開けられたらまずいドアが開かないようにしたり操作した記録、だとよ」
なるほどねぇ、と綾香は納得する。たしかクラスの女子生徒たちが、開くはずのドアが最近開かないことがあると不満げに言っていた。人が入らないようにした上で、安全に泥棒を働いていたというわけだ。
荒事などの実働はこの人たちが行っているとして、一体誰が頭脳となり、不正アクセスをしてセキュリティを操作し、盗みの指示をしているのだろう。正直、彼らのような人たちのデジタルリテラシーが高いとはとても思えない。
そんなことを綾香が考えている間、つい無口になってしまっていたようだ。
「早く出せよ、その証拠。持ってるんだろ」
一歩一歩追い詰められていく。綾香の背後は壁。唯一の脱出口であるドアは彼らの後ろ。
「ええと……その……」
「時間を稼いでも無駄だぜ。この四階は完全にロックされてるってさ」
男子生徒のうちの一人が、スマホを耳に当てて何かを聞きながら、綾香の考えを見透かしたように言う。誰かと通話しているようだ。きっと黒幕の人間だろう。
「なんかお前以外の人間もこの部室棟をチョロチョロしてるみたいだが、この階のセキュリティだけは鉄壁だそうだ。この部屋どころか、通路、階段から、誰も入れないように非常扉を下ろして厳重にロックしてある。誰も助けになど来ない」
確かに、男子生徒たちの背後に見えるドアの小窓からは、非常扉が下りて通路の先が見えなくなっている。
これはいよいよまずいかもしれない。
今更自分は冴木ではなくおとりだったと言って信じてもらえるだろうか。信じたとして、許してもらえるだろうか。いや、無傷では済むまい。
追い詰められた綾香の背中が、ついに壁に触れたとき。
綾香はハッと気がついた。
それと同時に、どうしたらいいかな、とも考えた。
素早く思考する。
「……はい、分かりました。証拠のデータはお渡しします」
綾香は男子生たちに降参を示すように、両手を挙げてみせる。迫ってくる彼らの足が、数メートルの距離をあけて止まる。
「でも、いいのかなぁ。そんなにセキュリティってのを過信して」
綾香は芝居めいた口調で、大きな声で言う。表情には薄くあざけるような笑みを浮かべて。
「あのドアがちゃんと閉じてるかなんて、分からないじゃないですか。もしかしたら、意外と簡単に開けられちゃうかも。あなたたちの目を盗んでこっそり通路に入り込んだ人が、ドアの小窓の下のところに、しゃがんで隠れてるかもしれないですよ」
綾香の言葉に不安になったのか、男子生徒たちの内の数名が背後に気を逸らされる。
「戯言だ。耳を貸すな」
スマホで電話していた男子生徒が注意する。
「別に私はいいですけどぉ……」
そう言って、綾香の一言で男子生徒の数名が動揺した瞬間。
「来て!!」
ドアに向かって綾香が叫んだ。
男子生徒たちが一斉に背後を振り向く。
だが、そこから来訪者は現れない。
頭上からガガン!と何かが開く音がして、綾香の目の前に人が落ちてくる。
一緒に避難はしごも降ってくる。
一瞬にして四人の背後を取った二人はすぐに駆け出し、それぞれ一人に一撃入れて無力化し、もう一人には即座にスタンガンをお見舞いした。
四人の男子生徒たちが動かなくなったのを確認すると、綾香は緊張が解けたのか、ペタンとその場にお尻をついてしまった。びっくりした顔で、パチパチまばたきを繰り返している。
「……上手いこと誘導したものだな」
五階から避難はしごの穴を使って飛び降りてきた海一が、いつもと同じ抑揚の少ない声色でそう言う。
四階通路に通じる非常扉のロックが厳重にガードされていてどうしても開けられなかった冴木は、代替案として五階に行くことを提案した。綾香のいる部屋はちょうど避難はしごが下りる真下の部屋。横から行くのではなく、上から行ったのだった。
対する綾香はと言うと。
「私……本当にドアの外から来るんだと思ってたわ」
と、目を丸くして驚いている。
珍しく称賛してやった海一の動きが止まる。
どうやらあの誘導はまったくの偶然だったらしい。
五階の真上の部屋にについた海一は、避難はしごの隙間から下の階の様子をうかがっていた。同時に、綾香に自分の存在を気づかせようと、部屋にあった椅子の脚を規則的に強く壁にぶつけていた。
だから綾香は、追い詰められて背中を壁に当てた瞬間、その振動に気が付いて誰かが味方が近くにいることに気が付いたのだ。
「あはは……。まあ、結果的に良かったわよね」
苦笑いを浮かべる綾香に、海一は頭をかかえている。
とにかく、無事で良かった。
「怪我はないか?」
海一は綾香に手を差し出す。
「大丈夫」
綾香はそれを力強くつかみ返した。
海一がぐいと引き起こす。
するとその時、海一の胸元に入れられていた端末のスピーカーから声が聞こえてきた。
『川崎さん、無事ですか?』
綾香はすぐにその声の主が誰なのか分かった。
「冴木さん! そっちは大丈夫? 私は大丈夫よ!」
海一のワイシャツの胸ポケットから端末を取り出して、綾香が大声で呼びかける。
『こちらも大丈夫です。八剣さんがそばにいます』
この声の落ち着き方からして、襲撃してきた輩たちは八剣がすべて無事に退治できたのだろう。海一は向こうの無事を確かめられて一安心した。
冴木の言葉は続く。
『申し訳ありませんが、まだ四階のロックが開けられません。そこの避難はしごをのぼって五階経由で脱出してください』
冴木の言葉を噛み砕き、犯人側がセキュリティルームのコンピュータに不正にアクセスをして操作しているだろうことなどを、海一が簡単に綾香に説明する。
綾香は納得してうなずいた。それから。
「やっぱりこいつらは黒幕じゃないのよね?」
と、尋ねる。
『……はい』
少し言いにくそうに、いつも淡々と喋るはずの冴木の返事が遅くなる。
「冴木。相手はどこから仕掛け来ているか、分かるか?」
海一の問いに、冴木は意を決して口にする。
『……部室からです。文芸部の』
ハッとする綾香。
綾香が彼女たちと交流を持っていたことを、彼女たちをかばっていたことを、同じ学級のクラスメイトとして見てきて知っていたからこそ、冴木は言いにくかったのだろう。
『私は日曜に学校のパソコンルームで学校の中枢システムにアクセスしたところ、セキュリティルームのコンピュータへの不正アクセスの発信源が文芸部のパソコンであることに気がつきました。その時に尻尾をつかまれ、怖い男の先輩たちから目をつけられるように……。今朝、私はあの文芸部の部室でログを取っていたんです』
あの、三浦と戸波が。綾香はにわかには信じられなかった。あの時部室でお茶を出してくれた戸波。過去の大事な話を教えてくれた三浦。
でも確かに言っていた。三浦のパソコンの技術は大人顔負けのもので、子供のころからシステムをいじったりすることができていたと。
だけど。そんなことをする子たちには、自分たちの技術で金品を盗んだり制服を盗んだりなんて、そんなことをするような人たちには見えないのに。
それと同時に、冴木が独りで背負い込もうとしなければ、余計な小細工などせずに全員が手を取って協力できていれば、もっとスムーズに解決できた案件だったのだと思うと、これまでのことが悔やまれた。
眉をひそめて自分の思考にもぐりこんだ綾香の横顔に、海一が声をかける。
「綾香。行けるか?」
そんなの、聞くまでもない。
「当たり前よ」
綾香は海一にうなずいてみせる。
海一もうなずきを返してから、綾香の手から端末を奪い、電話の向こうの冴木に話しかける。
「これから文芸部室に行く。行けるルートを調べてくれ。俺が通ってきた道にはすべて、再度ロックされないよう電子鍵のセンサーに物を挟んできた」
『了解しました』
操作を始めた冴木のキーボード音の向こうから、八剣の張った声が聞こえてきた。
『俺も行くか?』
ちなみに現在の八剣の足元には、気絶した男子生徒たちがきれいにのされて倒れている。パソコンを操作していて無防備な冴木には一歩も近づけさせず、全員瞬時にぶちのめした。
「大丈夫。そこで冴木さんを守っていて。犯人側は今もセキュリティを悪用して、あちこちの部屋のドアや通路を封鎖しようと攻撃し続けてるのよね? 冴木さんが落とされたらこっちはもう手が出せなくなるわ」
海一の持つ端末に向かって、綾香は顔を近づけてそう言った。
『このまま神無月さんが来た道を逆走すれば文芸部室に行けます。五階の端です。……あっ! 文芸部室には、たっ――いま――きを――』
急にノイズがかかったようになり、何を言っているのか分からなくなった。
「冴木さん? もう一度言って。冴木さん!?」
綾香が何度か呼びかけてみるが、通話はそのまま切れてしまう。
妨害電波か、と海一は察した。
何か重要なことを言おうとしたようだが、結局それは最後まで聞き取ることはかなわなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます