26

 朝は所用ですぐには登校しないと綾香に伝えていた海一だったが、実は学校の近くにはいた。


 海一はやっと用事を済ませて学校に戻ってきたところで、違和感を覚えた。


 授業中のはずの校舎内に、忙しなく動き回る人の気配がする。


 はじめは自分の教室にまっすぐ向かおうと思っていたのだが、気になってその何者かの気配を追跡する。


 その人物は教室棟を出ると、渡り廊下を通り職員棟方面へ。


 目視で確認すると、その人はいつにない焦りの表情を浮かべている。辺りをキョロキョロ見回していた。何かを探していて、かつそれは単なる捜索ではなく、非常に切迫した事態なのだろう。


 あの男が、自分の存在にまったく気づいていないくらいなのだから。


 海一は周りに人がいないことを確かめ、その人の前に姿を現した。


「何があった」


 振り返った八剣がハッと彼の存在に気づいて、気まずそうに視線を逸らす。


 それから、言いにくそうにこう告げた。


「冴木が校内で行方不明になった。……探しに行った川崎とも、別れたきり連絡がつかない」


 海一は目を見張る。一瞬にして全身に緊張が走った。


 自分が不在の間にそんな事態になっていたとは。


 八剣の疲弊した表情からして、朝から探し回っていたに違いない。


 たぶん、同じクラスである綾香がまず異変に気付き、八剣に伝え、一緒に探す流れになったのだろう。そしてその冴木を探しに行った綾香までもが連絡がつかなくなったという。


 綾香は冴木が不良集団に目をつけられていることを知っていた。それがなぜなのか理由は教えてもらえないけれど、冴木が理不尽に絡まれたり、嫌がらせを受けたり、階段から突き飛ばされたり、脅迫状を受け取ったりしていると言っていた。学年集会の時の照明落下事件も、冴木を狙ってのことだったのだろう。


 しかもそれを八剣には言えないと冴木は言う。だから綾香は、自分が冴木を守ると約束した。


 八剣を糾弾するように、鋭い目がさらに細められる。


「……綾香は冴木に身の危険が迫っていることを分かっていた。だからすぐに探しに行ったんだ」


 口調に、彼らしからぬ責めるような熱を帯びていく。


「冴木は自分の相棒なんだろう? 何をもめているのか知らないが、そのくらいちゃんと自分で見ておけ」


「もめてなんて……」


「なら、冴木が脅迫状を受け取っていたことは知っていたか?」


 逸らされ続けていた八剣の目が、見開かれて海一をとらえた。


 そんなこと、八剣はまったく聞いていなかった。この、冴木とはほぼ交流のない海一が知っていたくらいなのに。パートナーのはずの自分は彼女に危険が迫っていることなどまったく把握していなかった。言ってもらえもしなかった。ショックだった。


 その時、海一のSS支給品の携帯端末が強く震えた。すぐに手に取り確認すると、非常事態を通知するEMERGENCYの文字が画面に表示されている。


 この特別製の端末には、互いの相方に即座に非常事態を伝えるボタンがある。単独行動時にのっぴきならない危機的状況に陥った時、パートナーに大至急の救援要請するためのもので、そうめったに押されることはない。


 海一の端末が鳴っているということは、綾香からのSOSだ。


 八剣の持つ端末は、震えていない。助けすら、求められていないということなのか。八剣は自分の手元のそれをギュッと握るしかなかった。


 海一はいつものように極力冷静に、ふうと息を吐きだして語る。


「初めからおかしいと思っていたんだ……。同じ学校にSSが二組。やけに易しい任務内容。そして、お前たちとは調査場所で一緒になることがほとんどない」


 八剣のどんな嫌がらせも涼しい顔で流していた海一が、初めて険しい顔で彼に迫る。


「お前たちは本当はこの学校に何を調べに来た? 何の目的でここに来た?」


 顔を背けて口を閉ざす八剣に、海一がまさかの行動に出た。


 一歩迫ると八剣の胸倉をつかみ上げる。


「……言え!」


 綾香の身の安全がかかっているのだから、海一も本気だ。じっくり粘って聞き出すなど悠長なことは言ってられない。


 本当は絶対に話したくなかったのだろう。それでも、海一の気迫に押されて諦めたのかしぶしぶ八剣は語りだした。


「……監視カメラに写らない、連続窃盗事件の調査だ。犯行状況からセキュリティルームのコンピュータを不正アクセスして利用している可能性が高いと考え、セキュリティ主任の黒川教諭の動きを封じるため、気を引くためのおとり役としてもう一組のSSを投入した」


 いつもクールな海一の表情が歪む。SS本部はわざと説明しなかったのだろう。誰の差し金かはなんとなく分かる。


 これは済んだ事件の事後調査などでなく、事件真っ只中の調査だったのだ。


「財布なんかの金品だけじゃなくて、女子生徒の制服の窃盗も頻繁に起こっていた。もし金銭目的だけでない理由もあるのなら、冴木が危険だと思った……。だから、標的になりやすい目立つ人をおとりにする必要があると思った……」


 自分の胸倉をつかむ海一が、冷ややかな目をしながら恐ろしいくらい怒っているのが分かる。けれど、殴られる覚悟ですべてを話した。隠し立てするほうがよほど恐ろしそうだったから。


 もう何も隠していないか確かめるように、眼光鋭く海一が一層険しい表情をした時。


 八剣の携帯端末が鳴った。


 八剣は慌ててそれを取り出し、表示を確認する。


 相手の名前は、川崎綾香。


 スピーカーモードで周囲に聞こえるようにして、着信を取った。


「川崎?!」


「すみません、川崎さんじゃありません。冴木です。川崎さんからこの端末を借り受けました」


 どういうことだ、と二人は眉間にしわを寄せた。


「今どこや?!」


「今、部室棟一階の端の、用具管理室のロッカーの中です」


 電話口につかみかからん勢いで問い詰める八剣に対し、努めて冷静に言葉を返す冴木。


「なんでそんなところに……」


「現在、私はここから自力では出られない状況になっています。男子学生たちに追われた私を、川崎さんがここに閉じ込めて外から封をしたんです」


 その説明を聞いただけで、八剣と海一は綾香がどういう意図をもってそうしたのかすぐに理解した。


 海一が尋ねる。


「綾香はどうした」


「川崎さんは私の身代わりになって部室棟内を走りまわると言っていました。恐らく相手側には、ウォッチによってこちらの位置情報が把握されています。私のウォッチと川崎さんのウォッチ、二つを持って移動中です」


 冴木の説明に、海一はいぶかしげに問い返す。


「なぜ部室棟から出ない?」


「電子ロックがかけられていて、部室棟の出入り口ドアが開かないんです。相手側の策だと思われます。性質的に物理的破壊も難しいです。デジタル機能はあちらが完全に掌握しているものと思って間違いないかと」


 めったに顔色の変わることのない海一の表情に、分かりやすい深刻さが現れる。


「私たちを追っている男子生徒たちは犯人の一味なのか手先なのかは分かりませんが、交わされていた会話内容から、より上層の存在から指示を受けているように見受けられました。バットなどの凶器を所持しており、危険な状態だと思われます」


 事実をしっかり伝えられるよう、なるべく感情を挟まないように冴木が冷静に語っているのが分かる。この非常事態においても落ち着いて情報の正確な伝達に努めるという点は、さすがSSというべきか。


「……よし。今からお前の今いる部屋の窓を外から破壊して入る」


 教師を巻き込むだとか、正攻法でドアを開けてもらうだとか、他にもいろいろな手段が考えられただろうが、今は綾香が一手に危機を引き受けて逃げ回っている、一秒一刻を争う事態だ。八剣の即決した判断は海一も同意するところだった。


 すると、冴木が思わぬ一言を挟んできた。


「あ……八剣さん。私のノートパソコンをなんとか持ってきていただけませんか。私の下足箱の中に二重底にして隠してあります」


 急な依頼に八剣は少々面食らい、首をかしげる。


「状況を打破するために必要なんです。お願いします」


 彼女が自分にこんなふうにはっきり願い事を口にするのは、かなり珍しいことだった。


 八剣は「ああ、分かった。すぐ行くから待ってろ」と約束し、一旦通話を切った。


 それから海一に問う。


「神無月。お前はどうする?」


「一人で校舎の窓を割って中に侵入するのは骨だろう。俺も行く」


 いつも通りの抑揚の少ない話し方でそう答える海一に、八剣は小さく答えた。


「……すまない」


 それには返事をせずに、海一は八剣とともにすぐ駆け出した。








 部室棟内を逃げ回っていた綾香だが、次第にウォッチでドアが開かなくなっていた。恐らく、犯人側がセキュリティルームのコンピュータに不正アクセスして、綾香が逃げられないように開けられなくしていっているのだろう。


 いくら足が速く体力があるとはいえ、こんな密閉された空間で、廊下や階段といった見通しがよく隠れにくい学校の校舎の作り。冴木の前では強がって見せていたが、身体能力だけで逃げ続けられるものではない。


 四階の端にある部室に逃げ込んだところで、袋小路となってしまう。


 走り回って上がった息。肩で息をしながら、綾香は「あー、やばいな……」と心の中でつぶやき、自分の状況を客観的に振り返っていた。


 相手が途中から位置情報を得ていることが分かったので、適当な教室に二人のウォッチを投げてきたのだが、それでも的確に場所を把握されて追いかけられている。


 おそらく廊下の監視カメラの映像も見て、追跡されているのだろう。セキュリティルームのコンピュータの中枢に自由にアクセス出来ているなら、監視カメラの映像を覗き見ることなどたやすいことだ。


 そして、監視カメラの映像を掌握されている以上、いくら逃げ隠れしてもごまかしようがない。


 たとえこの部屋の中でなんとか隠れてたとしても、他の通路の監視カメラに人影が写らない限り、駆け込んだこの室内にいることはばれているから、見つかるまで探し続けるだろう。


 そして、綾香はついに見つかってしまった。


 綾香と同じくらい、相手の男たちも走り回って息が上がっていた。


「よくもまあ、ここまで逃げまわりやがって……」


 手こずらされたことへの怒りなのか、はたまた指令を受けている上の人物からのプレッシャーなのか。彼らは目に見えていら立っていた。


「お前が冴木 怜か?」


 やはり彼らは冴木の顔はよく知らなかったようだ。部室棟に入り込んでいる冴木という名の女子生徒、とだけ聞いていたのだろう。


 綾香はなるべく自然にコクンとうなずいた。


 すると、男子生徒のうちの一人があるものを綾香に投げてよこした。


 それは冴木のウォッチ。綾香が途中で部室棟の部屋にわざと放置してきたものだった。


「証明しろ」


 ウォッチのセンサーに指をかざして指紋をよませると、氏名やクラス、出席番号などが表示される。


 ただしそれは、当然のことながら本人の指紋に限る。入学時に取った指紋を学校の機械に登録したもので、後から個々人が勝手に変更することはできない。


 相手側は位置情報により分かっていたのだ。冴木だけでなく、もう一人の女子生徒がいる可能性を。それを証明するように、ウォッチを投げてよこした男子生徒のもう片方の手には、綾香のものと思われる同じく放置してきたウォッチが握られていた。


 冴木のウォッチを起動することができたら、この人間が冴木だということの動かぬ証拠になる。


 だが、綾香は冴木ではない。指紋だって違う。


 綾香の背筋を、暑さ所以とは違う種類の冷たい汗が伝う。

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