25
予想外の冴木の告白。
それには綾香も目をぱちくりさせてしまう。八剣はあんなに、俺たちはエリートだと繰り返し言っていたのに。
「中学生になる前からSSになることが分かっていた私たちは、いろんな練習をして、知識をつけて、準備してきました。八剣家のご子息として努力している姿をそばでずっと見てきましたから、私は彼を少しでも支えたいと思っていたんです。幼馴染だった私たちは、パートナーとなる人に互いを指名して、その希望は受理されました……」
気づくと冴木の涙は止まっていて、ただ淡々と過去をつぶやいている。
「一回目の任務。初めてなので本当に簡単な任務のはずでした。でも私は、夜の学校で警報を鳴らして、当直の警備員に捕まってしまいました。逃げるすべは習っていましたが、パニックになって、怪我をして、逃げられなかったんです。その事件ではその警備員が黒幕容疑者だったのに、私が所持していた収集した証拠を取られてしまい……。調査していることも感付かれてしまって、私たちは転校を余儀なくされてしまいました。八剣さんは逃げることもできたのに、私と一緒にわざと捕まったんです」
そこで少し息をついて、辛そうに目を強くつぶった。
「初回任務失敗の報せに、八剣さんのお父様、お母様は大いに失望され、期待されていた関西支部からも落胆の眼差しで見られました。100パーセント私の落ち度でも、矢面に立たされるのは八剣さんなんです……。でも、八剣さんは私を責めたりは一言もしませんでした」
綾香からするとそんな優しい八剣は想像もできないのだが、そういうエピソードを聞くと、なるほど冴木が八剣を優しい人だと強く訴えるのもうなずける。
「でも……それから八剣さんは変わりました。任務が始まっても、その内容すらほとんど教えてくれない。八剣さんは数々の難題を全て一人の力で解決してきました。私が助力を申し出ても、お前は何もしなくていいと断られます」
冴木の声が、また震えを帯びる。
「とても惨めで、悲しいです。私はいてもいなくても変わらないんです。むしろ、私が相方の座におさまっていることで、本来二人でやることを一人でやらせてしまっている……。足を引っ張っているんです。でも八剣さんは相方を変えてほしいとは言いません。きっと私の家と、私の名誉のためです。そんなことになったら私がどんな風に扱われるか、どんな目で見られるか、分かっているから……。だから私は、ただただ、八剣さんの後ろに、何も出来ずついて回っているだけなんです……」
綾香が見つめる冴木の頬に、涙が乾いた跡がカラカラに乾いている。
冴木はポツリと本音をつぶやいた。
「八剣さんはきっと、こんな足手まといと組むんじゃなかったって思ってる……」
そう言ったきり黙り込んでしまった冴木。
気密性の高い建物内は本当に静かで、校舎の真隣の木にとまっているはずのセミの声すら遠くに聞こえる。空調の音だけが絶えず静かに吐き出されていた。
綾香は遠慮がちに口を開いた。
「……私、八剣くんは冴木さんのこと、けして足手まといだなんて思ってないと思うけどな。……ていうか、そんなこと、私じゃなくて冴木さんが本当は一番よく分かってるんじゃない?」
覗き込む先の冴木の瞳が、その言葉を否定しない。心の底では分かっているのだ。八剣の本心を。
「八剣くんはまた冴木さんを危ない目に遭わせて、傷つけてしまうのが怖かったから、全部自分でやろうと思ったんじゃないかしら」
綾香がなぞった、冴木が心の奥で思っていたとおりの言葉に、彼女は、
「それでも……」
とだけ、言葉を絞り出した。
それでも、頼ってほしい。一緒に任務に臨ませてほしい。隣に立たせてほしい。
きっと、その言葉は何度も喉でつかえて、八剣に言い出せなかった一言だったに違いない。
ふと、冴木は綾香の顔を見た。
「川崎さんのところは、いいですね……。何でも言い合うことができて。きっと川崎さんが、戦えるし、気配も消せるし、優秀だから、なんですね。そういう人たちは最初から上手く行くんですね……」
初めて名前を呼んでくれたことと、めったに言ってもらえない優秀なんて称してもらえたことを内心でちょっと嬉しく思いつつも、綾香は困ったように頬を掻く。
なんて言ったらいいかなと少し悩んでから、正直に言うしかないかと覚悟して、綾香はこう述べた。
「うーん……。今だから言うけど、私、初任務の時はずっと海一に無視されてたのよねぇ」
自分の恥を見せるようで、苦笑いで情けなさや恥ずかしさをごまかすが、冴木は目をぱちくりさせている。
「無……視?」
努めて軽い感じで「うん」とうなずきつつも、当時のことを思い出すとどうしたって渋い顔になってしまう。
「初対面で挨拶した時。開口一番、『すべて俺が一人でやるから、余計なことはするな。グズに足を引っ張られたくないから、引っ込んでいろ。話すような用はないから声もかけるな』とか言われて、任務内容も教えてもらえず去られてね。なんて人だと思ったわよ」
ちなみに海一のセリフのところは、目を細めて声を低くして、眼鏡を押し上げるものまねをマネをしながら喋ってみせた。
綾香も今考えれば分かる。
人は、それまでかけられた言葉でしか語ることが出来ないのかもしれない。その冷たい言葉と非情な態度は、すべて海一が周囲から与えられてきたもので、彼はそれを鏡のようにコピーしているだけだったのかもしれない。
「そ、それで、どうしたんですか……?」
「最初は私も下手に出て歩み寄ってたわよ? でもすぐに、ひっどい大ゲンカになったわ」
「川崎さんが一人でキャンキャン言ってたんじゃなくて、ですか? あの神無月さんが喧嘩をするんですか?」
どうしてこの関西支部のペアは私を犬扱いしようとするんだろうなぁと苦笑いしつつ、綾香は肯定する。
「そうよ。ていうか、今でもよくするけど」
「川崎さんはそれからどうしたんですか……?」
綾香は記憶をたどる。
「えぇ? うーんと、まぁとにかくしつこく海一について回って。どこに行くのか、何をするのかもよく分かってなかったけど。……教えてもらえなかったから」
当時を思い出して、フッと自嘲めいたシニカルな笑みを口元に浮かべる。
「だからしょっちゅう人に気取られて、『いい加減にしろ!』って怒鳴られたりして……。だから、『なら、何をするか教えてくれたらまだ気をつけようもあるでしょ』ってヘリクツこねて、何をするのつもりなのか聞きだして、そこから芋づる式に任務の内容を聞き出して……」
二人の過去に、切れ長の目をまばたかせるしかない冴木。
相方から悪知恵を使って任務内容を聞き出すのが初対面の初任務だなんて。冴木の想像できるSSのパートナーの初任務パターンには、一切存在しなかった。
あの時の心境を思い出して、次第にエンジンがかかってくる綾香。くだをまくような、愚痴めいた言葉が続く。
「本当にもう……名前もさ、呼ばないのよ。ていうか覚えないのよ、アレが。『おい』とか『そこの』とか、貴族か殿様かっての! だからもう何度も、呼ばれるたびにフルネームで名乗り返してやってなんとか覚えさせて。もう犬訓練するのと同じ感じよね」
そう言って、昔の自分に「よく頑張ったね」とでも言いたげに、遠い目をする綾香。
「しかも、私が『神無月くん』って呼んでも、呼んでも呼んでも呼んでも呼んでも……全っっっ然反応してくれないから」
その”全然”の強調と、”呼んでも”の繰り返しでどれだけ無視されていたのか、どれだけ綾香がイライラしていたのかが伝わってくる。
「試しに『海一!』って呼びかけたら、ビックリしたのか初めて振り返ったのよ。そのときはもう、一本取ったわ! って感じよね」
むきになっていた当時の自分に多少呆れているのか、綾香は小さく肩をすくめて笑ってみせる。
なんだかずいぶん自分たちの恥ずかしい話をしてしまった気がする。
冴木は呆れていないだろうかと思っていたら、彼女は真剣な顔で虚空を見つめて、こう尋ねてきた。
「……私も、八剣さんに頑張ってたくさん、何度も話しかけたら、また前みたいに二人で話せるでしょうか」
綾香は努めて優しく穏やかに、こう口にした。
「……八剣くんは海一じゃないし、冴木さんは私じゃないから、適当なことは言えないな……。でもね、私たちなんかよりよっぽど、冴木さんと八剣くんは深い絆で繋がってると思うんだ。だから、何度も話しかけようとしなくたって、『話を聞いて』ってまっすぐ目を見て言ったら、八剣くんはきっと冴木さんの話を聞いてくれると思うよ。八剣くんが冴木さんのことをとっても大事に思ってるのは、つい最近知り合ったばかりの私にだって、よく分かるんだから」
顔を上げた冴木と目があって、綾香は勇気づけるように薄くほほえんだ。
冴木は決心するように一度目を伏せると、目を開いて瞳に光を湛え、綾香をまっすぐ見つめてこう告げた。
「……私たちは、この学校で頻発する連続窃盗事件の調査をしにきたんです。“監視カメラに写らない犯人を探す”という内容で、この学校の特殊性からして、おそらくデジタル技術を駆使していると思われていました」
“個人情報流出事件の事後調査”という命の自分たちとは違う任務ということに多少面喰いつつ、綾香はうなずいて話の続きを待った。
「私は単独行動で、セキュリティルームのコンピュータに不正アクセスしている容疑者の証拠を手に入れましたが、尻尾をつかまれてしまってこんなことに……」
冴木はずっと握り締めていたUSBを見せる。
「……八剣くんには、言ってないの?」
遠慮がちな綾香の問いを、冴木が控えめにうなずいて肯定する。
「はい。はじめは任務の内容すら、教えてもらえていなかったので……。セキュリティルームのコンピュータをを調査しようと思ったのは、窃盗の話を聞いて、自分で考えた結果です。パソコンなら多少はできるので、これで成果を出して、自分一人で解決できたら、八剣さんの隣にまた立たせてもらえるかと思って……。まあ、こんなことになってしまいましたが……」
そう言葉尻が消えて数秒。妙な間の後、冴木が「あの……」と言いにくそうに綾香の目を見てきた。
綾香が小首をかしげると、冴木は不思議なことを尋ねてきた。
「日曜日、八剣さんと出かけていたんですか?」
「えっ? ああ。案内役と、なんか荷物持ちみたいなのさせられたわね……」
そういえばそんなこともあったなぁ、くらいの記憶で語る綾香とは対照的に、冴木はとても深刻にとらえていたようだった。
「私、その時、八剣さんの電話越しに川崎さんの声を聞いて、ショックで……。だから、思い切ったことをしてしまったんです……」
川崎さんのせいにするわけではないのですが、と最後に小さな声で添えられた。
「そうだったのね……」
あの八剣にかかってきていた電話は冴木からのものだったのか、と合点がいくと共に、そう語る冴木がいつもとは違う表情をしていたので、彼女がただ忠誠心や幼馴染としてだけで彼の力になりたいと言っていたわけではないんだなと察した。彼女に自覚があるにせよ、無いにせよ。
蓼食う虫も好き好き、なんて反射的に思ったのは失礼だったかもしれないが。
いろいろと話しているうちにずいぶんと時間が経ってしまった。
綾香は気を取り直して、現状を打破するべく冴木に質問をした。
「冴木さんを追いかけてくる、あの不良っぽい男子学生たちは一体何なの?」
「分かりません。でも、私が不正アクセスの調査で尻尾をつかまれて以降まとわりつかれているので、たぶん、犯人の一味……あるいは手先なんだと思います」
冴木もだいぶ冷静さを取り戻してきたのか、いつものように理路整然とした話し方に戻っている。
「もしかして、この部室棟の出入り口が開かないのって……?」
「はい。恐らく犯人がセキュリティルームのコンピュータに外部から不正にアクセスし、操作しているんだと思います。証拠をつかんだ人間をここから逃がさないために」
冴木の予想に、深刻な面持ちで見つめ合う二人。
捕まったらどうなってしまうのか。男子生徒たちの手にあったバット。以前には階段から突き落とされたり、照明を頭上から落下させられそうになったこともあるのだ。背筋が冷やりとするどころではない。
するとその時、また男子生徒たちが近づいてくる気配を察知した。
今度はいろいろ部屋を探している様子もなく、速度や動作的にまっすぐこちらに向かっているようだ。
まさか、こちらの居場所がばれているのだろうか。そういえば男子生徒の一人が先ほど、『――さんに訊けばどこにいるかなんてすぐに分かる』といったようなことを言っていた。
そう考えた綾香は冴木に尋ねてみる。
「ねえ。もしかしてこのウォッチって、位置情報を示すみたいな機能ってあるのかしら?」
「GPSですか? 機能としてオープンにはされてはいませんが、こういう類のガジェットならついていてもおかしくないと思います」
綾香は焦る。だとしたら、自分たちは完全に犯人の手のうちだ。すぐに捕まってしまう。
綾香はすぐに行動を開始した。
「冴木さん、時間がないからいろいろ端折って話すわね。まずウォッチを外して私にちょうだい。それから、こうして指を……うん、ありがと」
備品を使って、見よう見まねで何かもぞもぞした。
そして。
「私がおとりになって、冴木さんのウォッチを持って逃げる。あの四人なら冴木さんの顔は見たことはないはずよね。なら私が冴木さんのふりをすることもできるはずだわ」
「そんな」
「私は体力もあるし、足が速いのが何よりの取り柄だから心配しないで」
そう言い切って、ためらう冴木の言葉を封じる。差し迫った状況の今、ああだこうだ言っている暇はないのだ。
「それで、冴木さんにはここのロッカーにじっと隠れていてほしいの。外から鍵をかけて、他の空きロッカーで何重にも隠すわ。障害物や鍵とかで外から封鎖されてたら、まさかその中に人がいるなんて疑われないと思うわ」
そう言ってから、綾香は制服の下に隠していたSS支給の携帯端末を冴木に預ける。予想通り、冴木は自分の端末を鞄の中に入れたままにしていたようだった。
「あいつらの捜索をかわしたら、このスマホで八剣くんをここに呼んで、鍵をあけてもらって。八剣くんの連絡先は入れてある。私の端末の解除パスは……」
口頭で番号を伝えられて、冴木はそれを頭に叩き込む。
奥の方のロッカーに入ってもらい、扉の備え付けの鍵をまず閉める。その前にロッカーを何台も置く。これだけ障害物があれば、開けるのも一苦労だろう。時間稼ぎにもなる。
冴木は暗闇の中で端末を胸に抱きしめる。
「暗くて狭いけど、ごめんね。きっとすぐに八剣くんが助けにきてくれるから、少しの間頑張って!」
冴木にそう声をかけ、綾香は隣の部屋につながる室内の扉に背をつけた。すぐ移動できる姿勢になって、気配を探る。
それから彼らが入ってくる直前に、隣の部屋に移った。
隣の部屋を飛び出し、物音を立てず、腰を低くして廊下へ。
さあ。これからは自分一人の力で、できる限り逃げ続けなければならない。
大丈夫。連絡ができなかろうが、携帯端末がなかろうが、何だろうが。
きっと来てくれるはずだから。
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