24

 一階の端。用具管理室に男子生徒たちが乗り込んでくる。四人の男子生徒たちはバラバラに、手あたり次第隠れていそうな場所の捜索を始める。


 ロッカーを片っ端から開けていく。しゃがんで机の下を確認。


 人が隠れられそうな大きめな箱や段ボールは全部蓋をあけて確認する。


「いねぇな……。別の部屋か?」


「まだ上にいるんじゃねえの?」


 男子生徒たちは口々に別の場所にいる可能性を話し出す。


「ちょろちょろ動き回りやがって、クソアマ……」


「――さんに訊いてみるか? そうしたらどこにいるかなんてすぐ分かるだろ」


「いや、ちょっと待て……。あの人を怒らせるかもしれない。もう少しオレらで探すぞ。どうせこの建物内からは逃げられないんだ」


 その言葉を最後に、男子生徒たちがドヤドヤと部屋を出ていく気配がする。


 そしてドアが閉まり、物音が完全に消えた。しんとした静寂が戻ってくる。




 なんとか男子生徒たちをかわせた安心感で、冴木は自分の全身の緊張がゆるむのを感じた。強張ってほとんど息ができていなかったのか、やっと血液が体中に回るよう。


 冴木は、綾香に「自分が声をかけるまで絶対に出てくるな」と言われていたが、息も苦しくなってきた。


 物音が聞こえなくなってしばらく経つし、そろそろ出て行こうかと、動こうとした瞬間。


「……んー。出てこねぇか」


 誰もいないはずの部屋から、急に男の声がした。


 冴木は口から心臓が飛び出るかと思った。ハァハァと自分の息が恐怖で荒くなるのを感じる。




 誰もいないと思っていたのに。今まさに、出て行こうと思っていたのに。


 きっとこの残った男子生徒は、冴木がここに隠れているとにらみ、みんながいなくなったふりをしたらのこのこ出てくると思い、罠を張ったのだろう。


 その気配に気づいていたからこそ、綾香はいつまでも冴木に声をかけなかったのだ。


 最後に残った男子生徒は今度こそ出て行ったようだ。用具管理室の自動ドアが開き、また閉まる音がする。


 冴木は今度こそ素直に、少しくらい息が苦しくたって、じっと綾香の指示を待つことにした。


 それから少しして、何かが落ちる音がした。ドサッ、と、ベチャッ、と、ズサッの中間くらいの、何が落ちたのかよく分からない音。


 そして息も絶え絶えといった声が聞こえてきた。


「さ、冴木、さぁ~ん……も、もう、いい、わ……」


 恐る恐る冴木が段ボールを押し上げ、ビニールを避けて上半身を起こす。箱から出てみると。


 視界に飛び込んできたのは、窓際の床で全身投げ出して倒れこんでいる綾香の姿だった。


 慌てて駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか?!」


 いつも冷静な彼女らしからぬ声。それも無理はない。それだけ綾香はぐったり脱力していたし、息も荒く、顔も手も真っ赤だった。


「一体どうして……」


 心配する冴木を手で制して、綾香は黙って体を回復するのを優先した。


 不安そうに冴木が見守っていた。


 なんとか話せるくらいまで回復した綾香に、「どこに隠れていたんですか?」と尋ねると。


「ああ……。私、カーテンの裏にいたの」


 と、力なく答えた。


 でもここの暗幕カーテンは、長さは一般的な女子生徒のお尻くらいまでしかない。どうやっても足が丸見えになる。


 その疑問を見透かして、綾香は先に説明した。


「足が見えないように、上の窓枠にぶらさがってたのよ……」


「え。ずっとぶらさがっていたんですか……?!」


 信じられない、と冴木の目が驚きで見開かれる。


 綾香がとっさに思い付いたのはこういうこと。カーテン裏に隠れているとばれてしまうのは、カーテン下に足が見えるから。だったら見えなければ、そもそもめくって探されることもないのではないだろうか。まさかカーテンの裏側に人がふらさがってはりついているなんて、常識で考えて思いもしないだろうから。


 というわけで、窓のサッシに足をかけてのぼり、上段の窓の枠にぶらさがっていたのだった。


 外から見られたなら、さぞ間抜けでわけの分からない光景だったに違いない。というかむしろ、その異常さに気づいて誰か人が来てくれとさえ思っていた。とはいえここは他の棟からは離れた場所にある建物であり、昼間は誰も近寄らない。誰が異変を察知できようか。


 冴木は驚嘆する。そんな極限状態で室内の気配にまで神経を研ぎ澄まして、最後の一人の男の存在を察知していたのだから。


 指先はまだ痛むが、それ以外はそこそこ回復してきた綾香が、いつまでもこうしてはいられないと上半身を起こす。


 そして改めて冴木に言った。


「冴木さん、くじいてるでしょ? 足、見せて」


 冴木は申し訳ない気持ちと情けない気持ちで隠していたのだが、やはり気づかれていた。はしごを降りたとき、着地に失敗して足を痛めてしまった。それでよたついてうまく走れなかったのだ。


 綾香がこんな自分を逃がすためにこれほど頑張ってくれているのに、はしご一つまともに降りられなくて。


 何も言葉を返せず、黙って左足を出した。


 靴を脱ぐと足首がわずかに腫れてきている。靴下を脱いだたらきっと患部は赤紫になりつつあるに違いない。


 ここから全く歩かないわけにはいかないので、再び靴を履かせる。


 綾香は自分のネクタイをシュルシュルとほどくと、靴ごとぐるりと巻いて足首を固定した。


 SSの研修で習ったはずなのだが、いざとなると合っているのか自信がない。一度で出来れば格好良かったんだろうけれど、結局何度かやり直した。


「……よしっ。まだ痛いと思うけど、ごめんね。もうちょっとだけ我慢してね」


 自分が固定した冴木の足を見つめながら、不甲斐なさそうに眉を下げる綾香。


「海一とか八剣くんだったら、もっと上手に処置できると思うんだけど……」


 するとその時、冴木の目から、何の予兆もなくぽろっと涙がこぼれた。


 思わぬ輝きに気づいて、綾香がハッと彼女を顔を見る。


「ごめんっ、そんなに痛かった?!」


 冴木は首を横に振る。止めどなくぽろぽろと涙が流れる。


「いいえ。私って、本当に何をやってもダメですね……」


 突然の冴木の涙に綾香はアワアワするしかない。


「だ、誰にでもミスはあるわよっ。あ、ほらっ、緊張状態のときはいつもの言葉で平常心を取り戻せとか言うでしょ? いつも言う言葉とか言って落ち着いてみましょうよ!」


 そして綾香の口から出てきたのは、


「バカいいち!」


 と、


「冷血眼鏡!」


 だった。


 冴木は涙を流しながら言う。


「人の悪口で精神が落ち着くって、人間性を疑います……」


 綾香としては悪口を言おうとしたわけではなくて、いつも言っている口癖のようなものをとっさに挙げてみたら、結果的に全部悪口だったというだけ。だが、よく考えてみたらそのほうがよりまずい気もする。


 でももう、こちらの方向に舵を切るしかない。


「ま、漫画とかでね、そうするといいって読んだのよ。冴木さんも何か、ほら、身近な人への不満とかない?! この“俺様男!”とか、“私服が派手!”とか、“B専野郎!”とか」


 それらは全部綾香が思った八剣への不満なのだが、自然とスラスラ口から出た。


 冴木はまた首を横に振る。


「……悪口や不満なんて、ありません。八剣さんは優しい方ですから」


 冴木のまっすぐで心のこもった言葉に、綾香は首をかしげる。


「私、八剣さんが“俺様”だなんて思ってません。八剣さんはとっても優しい方。私は、本当は八剣さんの役に立ちたい……。でも、俊敏に動いたり、速く走ったり、ましてや戦ったりなんて、練習したって全然できない……」


 うるんでいた瞳からまた涙があふれ、決壊したように嗚咽を漏らして泣きだす冴木。


 鼻をすすりながらも、言葉に詰まりながらも、まるで懺悔するかのように話すことを止めない。


「……昔は、よく一緒にいてくれて。でも今は。私が不甲斐ないから、相手にしてもらえないんです……」


 そんなことは、と反射的に否定の言葉を言いかけて、綾香は口をつぐんだ。何も知らない自分がそんな気休めを言ってはいけないのだと思ったから。だから、ただ黙って、ジャッジをせずに、耳を傾けた。


「八剣さんの役に立ちたかった……。だから、証拠をつかもうと思って……。そうしたら、また一緒に、任務を。隣に立たせてもらえると思って……」


 いつもの冷静さの仮面の下にこんな激情を抑え込んでいたなんて。嗚咽まじりで泣きながら、冴木は自分がどれだけだめなのかを訴える。


「でも。結局私、八剣さんの、何の役にも立てない……」


 時折言葉の順序もめちゃくちゃになる吐露を、それでも綾香は、うん、と静かにうなずいて聞き、話の続きを待った。じっくりと。


 すると、彼女の口から意外な告白が飛び出してきた。


「……私たち、実は、初任務を失敗してるんです」

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