21

 これをやらないと、だめ。


 本当はやりたくない。


 でも、やらないと自分たちは破滅する。


 あれ。でも、本当にやりたくないと思ってたのはいつまでだっけ?


 “本当はやりたくはない”と言っていれば、自分の心の免罪符になると気づくまで?


 手を伸ばす。


 この人も対象内だから。


 個人的な理由は一切なく、ただ決められた対象だから。指示されたから。


 でも、私は躊躇した。


 本当にこの人にこうしていいのかな。


 良心とエゴが戦う。


 戦わせてるふりをしてるだけかもしれない。


 だって、いくら戦ったって結果はエゴが勝つんだから。それまでの過程なんて、周りから見たらあってもなくても同じ。


 考えるのが面倒だ。何も考えずに校則や右側通行を守るように、上からの命令に従う。命令されたから。自分の意思じゃない。


 着信がある。


「――――」


「うん……でも、言われたことだから、しょうがないよ……」


「――――」


「分かってる……。でも、もう、どうにもできないよ……」


 電話の先で、同じくためらう声がする。


 かなり前に一緒に諦めたはずなのに、またこうして悩んじゃうのは、どうしてなのかな――。


 








 時間を少し前にさかのぼる。


 放課後になると、海一はいつもの教室棟の物置部屋で、職員室の盗聴をしていた。


 黒川を徹底的にマークせよというSS本部から指示された捜査手法を変え、誰かが事件についての情報を口にしないだろうかという可能性の低い目論見に賭けていた。


 本来の任務である個人情報流出事件の事後調査の情報はもちろんだが、できれば盗難事件に関する情報も得られたらと思っていた。


 ずっと職員室にいられる理由を見つけることは難しく、夜中に職員室にもぐれない以上、教員たちの情報はここで盗聴して手に入れるしかない。


 しかしながら、事件にかかわるような発言がされることはかなり稀で、聞いている間はほとんど誰も喋らないか関係のない話題ばかり。退屈さとの戦いでもあった。


 幸い今は臨時職員会議の最中だったのだが、事件に関する情報には触れられていない。夏休み中の分担や研修について淡々とアナウンスされている。


 その時、海一の携帯端末に反応があった。


 それは、ここに来るはずの綾香からだった。


 めったに人の訪れる場所ではないが、周りの気配に注意しながら通話ボタンをタップした。


「海一? 今大丈夫?」


「ああ」


「ねえ。やっぱり冴木さんの様子がおかしいのよ。何か、狙われてるみたいな……」


 綾香は今日一日で冴木の身に起きた出来事を詳しく説明した。荒らされていた机、ぶちまけられていたゴミ箱、階段で突き飛ばされたこと。脅迫状まがいの物まで受け取ったいたことも。


 全てを聞いた海一はその異常さを噛み締めるように小さく唸ったあと、


「八剣は何か言っているのか?」


 と尋ねる。


 海一とはほぼ交流が断絶している相手ではあるが、綾香だったら少しは窓口が開いていることを知っている。


 すると、電話の先の綾香の声が物憂げな響きを帯びる。


「それが……冴木さんが八剣くんには話したくないみたいで、隠してるようなの。冴木さん本人としても、どうやら思い当たる理由はあるみたいなんだけど、喋りたくないみたいなのよね。あと、私はあんまり冴木さんに好かれてないみたいで、私に話してくれることは絶対になさそう」


 海一は考え込む。


 同じ調査をしているSSのペア同士で、任務に関して相方に話せないことがあるというのはあまり考えづらい。となると、冴木の個人的なトラブルにより、何かに巻き込まれたのだろうか。面と向かってちゃんと話したことはないが、見た感じそんな迂闊(うかつ)な行動をするような人間には思えなかったのだが。


 すると、綾香の思わぬ一言が耳に飛び込んでくる。


「でね、私心配だから、これから冴木さんの護衛をすることにするわ。そっちのことは手伝えないけど……。いい?」


 海一は正直面食らった。


「お前は……自分のことを嫌ってる奴の護衛までしようとするのか」


「え? いや、だって、危ないじゃない。階段から突き飛ばすようなバカどもに目をつけられてるのよ?」


 至極当たり前のようにそう言う彼女は、自分には想像できないほど歪みのない心をしているのだろうと、すごく遠いもののように海一は感じた。


「……いや、言っただけだ。好きにしたらいい」


「っていうか、ダメって言われても勝手にやるけどね。もう、一方的にだけど冴木さんに約束しちゃったもん」


 そうだろうとは海一も思っていた。建前上許可を求めるようなことを言ってきただけであると。


 満足げにピースして笑っている顔が浮かぶようだった。


 いつものことながら、彼女はこういうところがあるから色んな人に心を開かれるのだろうと思う。


 八剣が間接的にせよ自分に、「言い過ぎた、悪かった」と謝ったというが、あの男が自発的に謝るわけがない。だから多分、彼女の無意識に人の心を開かせる力の賜物なのだろう。


「んじゃ、今日の帰りは冴木さんを家に送ってから合流するからよろしく~」


 気が抜けるくらい軽い調子で、綾香との通話が切断される。


 ディスプレイに目をやると、携帯端末にもう一つ通知が来ていることに気づいた。


 メールが届いていた。差出人は、神無月宮乃。出張を終え、ひと段落ついたのだろうか。


 海一はメールを開いた。


『任務ご苦労様です。該当中学校に教育実習で来ていた増渕氏に関して、追加情報を入手できたので送付します』


 改めて周囲に注意を払い、壁を背にして文面の先を追うと。


『教育実習直後、中経大学教育学部を除籍処分。処分事由・不正アクセス禁止法抵触により処罰を受けたため』


 教師になれなかったどころか、大学を除籍までされていたのか。


 しかも除籍の理由が、不正アクセス禁止法違反。


 改めて増渕の写真を見る。撫で付けた黒髪に、太いフレームの眼鏡。


 海一の眼差しが、疑惑で鋭くなっていく。










 職員たちがちらほらと帰りはじめた頃、海一は盗聴を切り上げることにした。ウォッチで時間を確認すると、遅くまで活動している運動部の生徒たちも帰路につく時間帯だ。窓から差し込んでいた日差しもとうになくなり、濃紺の色が見えるばかり。


 あまり遅くに校門を出ると、ウォッチに記録が残るので怪しまれてしまうかもしれない。そろそろ潮時だろう。


 職員棟を出、教室棟を横目に校門を出て行く。まだところどころ電気がついている教室もあったが、何か作業中だろうか。


 校門を出たらもうウォッチは必要ないので、SSの腕時計に付け替える。


 海一は最寄り駅に向かいつつ、繁華街のライトに照らされながら考え事をしていた。


 海一の胸には不信感が広がっていた。


 この学校での真の任務は、本当に個人情報流出事件の調査なのだろうか。


 先のSS本部の不審な返答の一件、宮乃から知らされたイレギュラーな指示形態の件もあり、海一はSS本部の言うことを信じられなくなっていた。


 十中八九、八剣たちは何か別のことを調べている。


 互いに調査場所や行動などがほとんどかぶらないこともその証左と言えるだろう。偶然会った時といえば、路地裏で煙草を吸っている不良少年たちと鉢合わせた時くらい。


 それぞれ別の任務が下されているのは間違いないだろう。


 海一が任務とは関係ない自発的な行動をとった時に、八剣を目撃することがあった。一年生の貴重品盗難があったとき、一年生のロッカー前にいち早く駆けつけこっそり写真を撮っていた。女子制服の盗難があったときも、女子更衣室の近くを密かに探っていた。


 そもそも、綾香も言っていたが、学校内でこんなに盗難が多発するなんてまともな事態とは思えない。生徒たちの噂によると、ロッカーを破壊しての貴重品盗難や女子制服の盗難は、ほんの少し前にあったばかりだという。たしか、クラスの女子生徒たちから聴いた話だと二ヶ月前ほどのこと。


 そういえば、個人情報の流出があったのも二ヶ月前ではなかっただろうか。


 高度にデジタル化された校舎内で、監視カメラに映らない犯人。


 発想を転換して、自分が犯人ならば、監視カメラに映らないにはどうしたらいいだろうか。


 自分たちの任務の時のように、カメラの場所を徹底的に把握して避ける? いや、そうすると、入り口に監視カメラが直接向けられている更衣室には入れないし、100パーセント監視カメラの監視下にある教室前の廊下にあるロッカーも破壊できない。


 監視カメラを物理的に破壊するか、停電などで回線を切断する? そんなことをしても壊す直前の映像はデータとして残るし、そんなことをしたらすぐに異常を感知されて警報が鳴りわめくだろう。それに、停電時などは非常電源にすぐ切り替わることも学校資料で確認済みだ。


 そもそも、監視カメラの映像は犯人が映っていないだけで、普通に映像は撮れているという。制服盗難があった際も、授業前に女子生徒たちが更衣室に入っていく姿と、慌てて更衣室から飛び出していく姿までが続いて流れたそう。


 あれ。ということは。


 いやでも、この学校内のネットワークは独立しており、アクセスは学校内からしかできない。


 となると、どういうことだ。


 海一は思考を進める。


 個人情報流出事件と窃盗事件に何かしらの関連があると考えてみよう。


 初めに起こった時期は同じ二ヶ月前。


 最重要被疑者とされていた黒川は、パソコンの知識がまるで無い様子。なるべくセキュリティルームには近付かないようにしているとか。


 黒川に指導されていた教育実習生の増渕なら、触れる機会も自身の技術もあり、セキュリティルームのコンピュータに細工も情報流出もできたかもしれないが、現在は学校敷地内に立ち入ることも許されていない。黒川の口ぶりだと、増渕とは教育実習以来別れてそれきりの様子だった。


 それに、教育実習に来ておきながら、犯罪行為で大学から除籍処分を食らった人間を易々と校内に入れるような学校ではないだろう。ここは外部の人間が無断で入るのは相当に困難なので、誰かの手引きがあったとしても許可のない人間が勝手に立ち入ることもまず無理だろう。


 そして、肝心のセキュリティルームのコンピュータは、学校内部からしか絶対に干渉することができないのだ。


 すべてをつなぐような何かが足りない。


 海一は夜の街中で足を止める。


 自分の感じた根拠のない嫌な予感に過ぎない。でも、綾香に何か伝えておいたほうがいいだろうか。


 海一がふと、車の走る向こう側の道に目を向けると。


 見覚えのある不良集団がいた。


 そういえば前に彼らに追いかけられたのもこの近くの路地裏。この辺りを根城にしているのだろうか。たしかに少し治安の悪い雰囲気の店が軒を連ねている。


 すると、さらに視界に入ってきた異質な存在。


 不良少年たちの中に、一人だけ派手な金髪が混ざっていた。


 前に綾香が言っていた「不良集団の中に金髪頭の人がいた」というのは、恐らくこの人物なのだろう。なるほどたしかに、中学生集団に混じると違和感がする。


 一般的に義務教育中の学生が金髪にするのは考えづらいし、高校生だって茶髪はともかく金髪はかなり稀だろう。


 周りと比べて体格が小さいので遠目だと分かりにくいが、もしかしたら意外と成人した大人か、あるいは高校を中退した人とかかもしれない。


 ネオンの光に邪魔されながら、海一がよく目を凝らしてみると、金髪の人間が周りの学生たちひとりひとりに何かを渡しているのが分かった。


 それは多分、一万円札。


 札であることはともかくなぜ金額まで分かったかというと、貰った側が手にしたあとに、軽く拝むようにして礼をしていたからだ。そこそこの不良少年たちが、千円札程度でそこまでしまい。


 結構な人数がいるが、全員に一万円札を渡すとなると結構な金になるはずだ。一体なぜ、こんな子どもなんかに気軽に金をやるのだろうか。


 金髪が不良たちに何かしゃべっている様子だが、車通りの激しい道を挟んでいるため何も聞こえない。


 妙に気になったので、リスクを冒すことにはなるが、そばに行って聞き耳を立ててみようかと思ったとき。


 海一の端末が震えた。


 かけてくる人物など一人しか思い当たらない。


「どうした?」


「海一?! 良かったすぐ出てくれて……!」


 その逼迫した声の主は、綾香だった。


 先ほどの会話とはまったく異なる焦ったトーン。


 海一は反射的に身構えた。

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