17

 切れ間なく降り続く雨は、まるで自分の心模様をあらわすようだと思った。


 日曜日の昼下がり。


 冴木は学校を訪れていた。誰にも言わず、一人きりで。


 例の制服盗難の一件について。監視カメラには誰にも映っていなかったらしいなんていう学校の怪談のような噂話を、クラスメイトたちの会話を小耳に挟んで知った。


 そんなばかなことがあるわけない。ならば盗んだ制服を持ち出すことはおろか、中に入ることさえもできない。


 あの時冴木は、制服盗難が発覚した直後からずっと女子更衣室にいたが、隠したり、持ち出したり、不審なそぶりを見せる人は誰もいなかった。


 と、いうことは。


 冴木はある可能性を思いついていた。それは突拍子もないことで、誰かに話したら鼻で笑われてしまうかもしれない。けれど、彼女の中には確信に近いものがあった。


 部活動などで日曜日でも登校する生徒たちは多数いるので、冴木が学校に来ても違和感はない。


 でも、制服姿で校舎内にやって来たのは冴木くらいだろう。みんなほぼ部活動ジャージ姿で、大体が運動場や体育館へ向かう。


 ウォッチを使って教室棟の玄関を開け、パソコン室に向かう。転入時に担任教師からもらった学校案内を読んで、日曜でもパソコン室が生徒向けに解放されていると知っていた。


 いつも沢山の生徒たちが行き交っている廊下は人気がまったくなく、奇妙な感覚だった。防音のしっかりした校舎は、窓の外の雨の音さえ消している。


 教室棟の階段を七階までのぼり、パソコン室へ。窓の外の景色が高くなる。


 パソコン室のドアもウォッチを認識させると自動で開く。入室するとセンサーが反応して自動で室内灯がついた。室内は冴木一人きり。わざわざ雨の日曜日に学校のパソコンを借りに来る生徒など誰もいない。


 主に授業などで使われるため、四十台近くのパソコンがずらりと並んでいる。


 そのうち一台のパソコンを起動させる。ID認証を求められたので、自分のウォッチのIDを入力する。承認され、システムが動き出す。


 まるで熟練のプログラマーのようにキーボードを操る、馴れた手つき。


 冴木は通常では使わない画面を裏技的な方法で開き、更に奥深くへもぐっていく。


 いつもと変わらぬ能面のような表情にほんの少しだけあせりをにじませて、彼女は自分を鼓舞するように励ます。


――ここから行けるはず。お願い私、頑張って。唯一のとりえ。このくらいしか私のできることはないのだから。


 高鳴る鼓動。集中する冴木は緊張してつばを飲み、エンターキーを押す。


――ああ……行けた! やっぱり行けた! やった。これがあれば、きっとこれで役に立てる。あの人の、隣に立てる。


 あせる気持ちを落ち着けて、目的のアクセスログを自分の持ってきたUSBにコピーしていく。


――さっきのあれは、ショックだった。本当に私は要らないんだと、駄目押しされたようで……


 表情の変化のに乏しい冴木が、少し前の時間のことを思い出し、思いつめたように目を細める。


 コピーをしている間に、ふと気になる情報を見つけた。その、関連するあるアカウントから最近アクセスされたというサイトに移動してみる。


 会員制サイトのようだ。入り込んだこのアカウントが管理権限を持つようで、記録されている情報を使えばいけそうだ。


 パッと表示されたのは、黒地の背景にピンクと白の文字。アングラでいかがわしい雰囲気のそのページには、写真がいくつか掲載されていた。


 よく見てみると、床に平置きして撮られている服のようだ。洋服のショッピングサイトのように、4枚ほど同じような写真が並べられている。


 一瞬何かよく分からなかったけれど、冴木はすぐにハッとした。


 写真に写っている服は、自分が今着ている制服と、同じ。


 ずらりと並んだ4枚の服の写真は、みんなこの学校の制服だった。


 しかもその写真の脇には、それぞれ所有者と思われる女子生徒たちの身長、体重、部活、顔写真まで掲載れている。


 そしてその下には。


「値段……?」


 これが現実のこととは思えなくて、思わず口に出していた。


 冴木は、一、十、百、千、万……と震える指先で数字の桁数を数えていく。すごい値段だった。お値段は守秘義務代込みです、といかにもそれらしい文言が書いてある。


 冴木の鼓動が乱れ出したとき。突然、画面に次々とポップアップが現れた。悪いサイトでウイルスに感染したときのように。


『Who are you?』


『You are the uninvited guest.』


 冴木は驚いて手が動かせなくなる。


 今度はいきなりゲージのようなものが表れたかと思うと、0パーセントから100パーセントまですぐに満たされた。


『REI SAEKI』


 自分の名前が画面いっぱいに表示される。冴木は思わず周りを小動物のようにキョロキョロしてしまう。直接的に姿を見られたわけではなく、ログインをした際に回線を通じて通じて正体を知られたのだということは、普段の冷静な彼女ならすぐに分かるのだろうけれど。


『I have to ask you to leave.』


 ポップアップが画面中に次々現れ、警告文だらけになる。画面が真っ黒になり、一瞬ドクロの画像が出たかと思うと、今度は真っ赤に染まった。


「ヒッ……」


 冴木は恐ろしくなって電源コードごと引っこ抜いてパソコンを殺した。本当はこんなこと絶対にやってはいけないことだ。そんなことは冴木自身が一番よく分かっている。そんな彼女でも、恐怖でそうする以外に行動が選べなかった。


 コピー中だったUSBがどうなっているかも確認せず引っこ抜き、走ってパソコン室を飛び出す。


 誰も見ているわけがないのに、監視カメラが人の目のように感じられて、誰かの視線に追いかけられている気がした。


 傘も差さずに無我夢中で校舎から飛び出す。とたんに蒸し暑く不快な空気に全身を包まれる。


 ねずみ色の空。土砂降りの雨。手に強く握り締められたUSB。


 雨の音の奥に、雷の音がしていた。












 週明けの月曜日。綾香は朝から不思議な光景を目撃した。


 昨夜はいろいろと思い悩んでいたせいか深く眠れず、早朝に起床してしまい、またもや珍しく早く登校することになった。


 人気のない学校にウォッチを使って入る。


 教室棟三階。階段をのぼった先の廊下で、教室前の個人ロッカーと格闘している人がいた。


 どうやらロッカーの扉が開かないようだ。細腕で一生懸命引っ張ろうとしているようだが、びくともしない。


「おはよう。どうしたの?」


 無視して教室に入ることはできず、声をかける。それがたとえ、以前に馴れ馴れしく話しかけるなと言われた相手であっても。


「いえ、別に」


 予想通り、冴木は綾香を一瞥もせず淡白な返事だけつぶやく。


 いつものように能面のような感情の分からない顔をしているが、状況的にはどう見ても困っているはず。綾香が覗き込んでみると、彼女のロッカーの扉だけが不自然にベッコリへこんでいた。


「開かないの? ちょっとやらせて」


 綾香は自分の肩にかけていた学生鞄を床に下ろすと、隣のロッカーに片足をかけてロッカーの取っ手を引っ張る。


「ふんぐぐぐ……」


 引く力に自分の体重も加えて開けるつもりなのだ。


 すると、何の前兆もなくパカッと開いた扉は、綾香を反動で後頭部からひっくり返らせそうになる。「うぎゃっ」というまぬけな悲鳴はあげたものの、とっさに足でバランスをとってなんとか転倒を免れた。


 冴木はそんな綾香に軽く一礼だけすると、扉の開いたロッカーの中身を淡々と取り出していく。


 体勢を立て直した綾香が、痛めた腰をさすりながら問いかける。


「何か物でも当たったのかな? かなりへこんじゃってるわねえ。今日はストッパーでも挟んで閉めない方がいいかもね。何か大事な物とかあれば、今日は私のとこにでも入れておく?」


 どう見ても人為的なものを感じるへこみ方だったが、綾香はあくまで事故であるかのように語っておいた。


「……いいです」


 対する冴木は目も合わせずに、ボソッとそう断るだけ。


 だから、絶対に蹴られた跡だよね、どうしたのかな、と思っても、綾香は口に出すことができなかった。


 その後、生徒たちが登校してくる。休日前の制服盗難騒動のせいか、教室はどこかピリピリしていた。


 証拠などないし、疑われるいわれもないはずなのだけれど、あの騒ぎがあってから文芸部の三浦と戸波は遠巻きにされるようになっていた。もともとクラスでも日陰の存在ではあったが、今では影でこそこそ言われたり、事実上の犯人扱いと同じだった。彼女たちは本当につらそうで、病んだような表情を見せることもあった。


 制服を盗まれた女子生徒たちは、サイズの合わない野暮ったい貸し出し用制服を不服そうに着ている。


 ガスが満たされ、ちょっとした火花一つで大爆発を起こしそうな緊張感がクラスをずっと支配していて、非常に居心地が悪い。


 だが、今日の綾香は文芸部の二人よりも、なんとなく冴木のことが気になっていた。


 朝のロッカーのへこみと格闘していた時。彼女があまり感情を表に出さないタイプということもあるのだろうけれど、混乱したりショックを受けている様子はあまり見られなかった。ということは、そうされるだけの理由が彼女自身でも心当たりがあったということなのかもしれない。


 綾香の中の不信感が決定的なものになったのは、その日の学年集会での出来事だった。


 目前に迫った夏休みの生活指導という名目で、体育館に集められた生徒たち。そこでついでに、遅くはなかったが転校生たちの顔見せ代わりに壇上で挨拶をすることになった。


 転校生の数が四人と多かったからというのもあるのだろう。


 とはいえ、その四人の中に本当の転校生など一人もいなかったのだが。


 教員たちの話が終わったあと舞台袖に四人だけが集められて、一人ずつ壇上に上がり簡単な自己紹介をしてくれということだった。


 一番手は八剣で、事情を知る綾香からすると非常に適当なことをいかにもそれらしく述べていた。これが全部嘘だと、この学校の中の誰が分かるというのだろうか。


「山梨から来ました。八剣 全です。前の学校ではハンドボール部に入っていました。この学校でも運動部に入れたらと思っています。まだ分からないことばかりなのでいろいろと教えてもらえたら助かります。よろしくお願いします」


 八剣が壇上で挨拶している間。薄暗い舞台袖で、綾香は自分の設定を思い出そうと必死だった。海一のワイシャツの袖をくいくいと引っ張って彼に耳を近づけてもらうと、そばの冴木に聞こえないようになるべく小声で尋ねる。


「ねぇ、私ってどこから来たんだっけ?」


「なんだその問いは。哲学か?」


 綾香はなるべく自分の恥をさらさないように声をひそめて喋っていたのに、海一が普通に喋り出してしまうので結果的に冴木には筒抜けだった。


 海一はスラスラと綾香の設定を話し出す。転入する時に考えられた出身地や前の学校などの設定があり、申請書類上もそうなっているので、下手なことを言って間違えると齟齬が生じてしまう危険性がある。


 それを聞きながら綾香は「あー! そうだったそうだった!」などと相づちを打ちつつ、海一がいつも通りの様子であることにこっそりと安心していた。


 最後に話した先週末、彼は電話の向こうで元気がなかったような気がした。本人も気づいていなかったかもしれないくらいのわずかな感情の動きだったかもしれないけれど、綾香は日曜に八剣から話を聞いて確信した。


 綾香としては本当は彼に何か言ってあげたかったのだけれど、こちら側が勝手に良いと思った不用意な言葉を突然電話してぶつけるのもどうかと思い、結局週明けの今日まで話すことはできなかったのだ。


 挨拶を終えた八剣が反対側の舞台袖から壇上を降り、自分のクラスの列に歩いていく。


 次は冴木の番だった。


 綾香と海一には何も言わず、静かに舞台上に出て行く。相変わらずゆったりとした身のこなしで、育ちの良さを物語るようだった。ただやはり、SSとしての機敏さはあまりないように感じられるが。


 マイクの前に立ち、形式的に一礼してから口を開く。


「福島県から転校して来ました。冴木 怜で――」


 その反射神経は、その場の誰よりも速いものだった。


 海一の肩越しに舞台を見ていた綾香は、異変を察知すると弾かれたように壇上に駆け出す。そのまま冴木を抱いて押し倒し、勢いよく床に滑り込むように倒れこんだ。


 刹那、冴木が立っていた場所に照明が落下した。


 重い金属の立てる破壊音。弾け飛ぶ部品。


 一瞬の静寂の後、体育館はパニックの渦に包まれる。


「キャアアアアアアッ!」


「落下事故だ!」


 悲鳴とざわめき。教員たちが壇上に駆け寄ってくる。


 舞台袖にいた海一は目視で壇上の二人の無事を確認すると、素早く身を翻し、背後にある天井部に続く階段を駆け上がる。落下した照明が設置されていた場所に人影はなかったが、反対側の舞台袖から一瞬強い光が差して、誰かが屋外に出て行ったことは分かった。


 この舞台には海一と綾香、冴木の三人しかいなかったはず。だが、天井部には知られざる四人目が潜んでいたということだ。恐らくその人物が照明に細工をして、このタイミングで落下させたのだろう。舞台の外からは天井部は高くて見えないし、壇上にいてもまじまじと天井を見上げることなどめったにないため、気づかれないと踏んだのだろう。


 舞台からは離れた場所でクラスの列に戻る途中だった八剣は、駆け戻りたくなる気持ちをぐっとこらえた。もし綾香が異変を察知できなかったら、あるいは飛び出しても間に合わなかったら、冴木がどうなっていたか。考えるだけでも恐ろしい。


 壇上に集まってきた教師たちが、綾香と冴木に口々に「大丈夫か?!」と声をかける。


 綾香は衝撃で痛む体をなんとか起こす。綾香の下敷きになっていた冴木もゆっくり身を起こした。何が起こったのかまだよく分かっていなかった冴木は、周りを見回してようやく事態を理解したようで、顔面を青ざめさせていた。


 幸いなことに二人は特に大きな怪我もなく、綾香が膝をすりむいたくらいだった。これもすべて綾香の驚異の瞬発力のおかげだったわけだが、冴木は動悸が激しくて何も言えないのか、目を見開いたまま胸を掌で押さえていた。


 学年集会はそのまま中止になった。


 教師たちは天井部に上がって照明器具の確認を始め、生徒たちは自主的に教室に戻りだす。保健室に行くような目立つ怪我もなかった二人は、落ち着いた頃にそのまま壇上を離れた。


 生徒たちの流れの中に混ざろうとするところで、綾香に心配そうに声をかける女子生徒たちがいた。


「だ、大丈夫でしたか……?」


 それは同じクラスの文芸部の三浦と戸波だった。


 彼女たちはクラスメイト相手であっても積極的に他者に声をかけるタイプではない。以前に自分たちをかばってくれて、部活見学などでもいろいろ話をした綾香だからこそ、特に心配して気にかけてくれたに違いない。


 振り返った綾香はあいまいな笑顔を浮かべる。


「あー、うん。私はね……」


 自分の体も冴木の体も、幸い傷は負わなかった。でも、冴木の精神的なショックなことを考えると、全面的に大丈夫だとは言い切れなかった。


「どうしてこんなことに……」


 つらそうに吐き出す戸波に、綾香も同意する。


「ホント、どうしてだろうね……」


 綾香は何かを考えながら、舞台を見つめていた。二人が今まで見たことがないくらい、鋭く細められる目。


 三浦と戸波は、不安そうに綾香の横顔を見つめていた。

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