15
防音ながら、窓から見える慌ただしい人の出入りでなんだか廊下が騒々しいと思っていたが、その後深刻な表情をした担任教師がやってきて、説明を受けて納得した。
海一は皆と同じように手荷物検査を受けた。
SS支給の携帯端末は制服の下。学生鞄は二重底になっており、SSのからの紙資料や、念のため所持している小型タブレットはそこに隠している。問題なく検査を通過することできた。
再度、緊急職員会議が開かれるということで教室に監督者の目が無くなり、海一は教室を抜け出した。クラスメイトたちは口々に今回の事件について語り合い、黙って出て行く海一を気に留めるような者はいない。
海一は隣の綾香のクラスの前を通り過ぎるとき、窓からさりげなくその中を覗く。制服姿でない、部活動ジャージや体育着の女子生徒が数名目に付く。
姿の見えた綾香は制服を着ていた。被害者ではないようだ。
しかし海一としてはそれよりも、綾香が無我夢中で鞄にタオルを詰めまくっているのが不思議でしょうがなかったのだが。彼女が自分には理解のできない行動をとることはよくある。気にせず目的の場所へ急ぐことにした。
海一が向かったのは、職員棟。前回と同じような方法でセキュリティをかいくぐり、自動ドアを抜け、現在職員会議が行われている職員室の上階にある物置部屋に、気取られぬよう移動した。
職員室に設置してておいた盗聴器からの音声を聞くため、受信機の周波数を合わせる。こんなこともあろうかと、予め設置しておいて正解だった。
すぐに音を受信する。壁を背に、周りの気配に気をつけつつ、海一は聴覚に集中した。
――また何も映ってないってどういうことですか!?
――先日の貴重品盗難騒ぎでも、以前に制服窃盗があったときもそうだったじゃないですか! なんのための監視カメラなのですか!
誰かを責める声が、耳に飛び込んでくる。
困り果てた黒川の声が続く。
――わ、私にもさっぱり分からなくて……。でも、本当なんです。嘘じゃないです。他の数名の先生に立ち会って一緒に見ていただきましたし、信じられないのならここで映像を流したって構いません。女子生徒たちが女子更衣室に入り、再び出て行くまで、映像で確認するかぎり本当に誰の出入りもないんです……。
――まさか、2年2組の女子生徒たちのうちの誰かが盗って隠したということか?
信じられない、とざわついたあと、女性教師の声が入る。
――いえ、待ってください。報せを受けて私はすぐに更衣室に駆けつけ、全てのロッカーを調べましたが、隠しているような物はありませんでした。私が到着する前にジャージなどを取りに更衣室から出た女子生徒たちも、手荷物は持たず身一つで出て行ったそうです。皆が目撃しています。夏服とは言っても制服はかさばりますから、半袖ブラウスとスカートの下に四人分も隠せるようなものではありませんし……。
――そもそも、おかしいじゃないですか。他学年も含め全クラス手荷物検査を実施し、掃除用具入れからゴミ箱、物置、職員ロッカーにいたるまで、盗まれた制服が隠されていないか手分けしてあらゆる場所を探しました。ウォッチの記録でも、校門の監視カメラの記録でも、学校への出入りはないんです。入ったのも、出たのも。なのに制服は見つからない。制服だけが跡形もなく勝手に消えたって言うんですか? 制服は一体どこにいったんですか?
答えの出ない問いかけに誰もが言葉を継げなくなっていたが、ようやく誰かが重い口を開いた。
――……とにかく、警察に連絡しないと、ですよね。
――被害者がいるのだから、当然だ。ただ、またこれまでのように公表は控えられるだろう……。マスコミに嗅ぎ付けられて騒動になるのは、生徒たちのためにも良くない。また、デジタル先進校の名誉ある第一校目たる我が校の望みではない……。
そのまま会議は紛糾し、各々が勝手に喋り出すので収集がつかなくなっていた。聞き取りづらくなって、海一は片耳に入れていたイヤホンを一旦外した。
映っていない、というのはどういうことなのだろう。海一はあごに指先を添えて考える。
この学校の更衣室は、体育館、プール、柔道場など運動施設のそばにある。中でもプールには一番近く、更衣室内から直通の通路を通って直行できるようになっている。
更衣室に入って、着替えて、中の通路からプールに行き、終わったら通路から戻って、着替えて、更衣室から出て行く、という流れになる。
更衣室前を撮影する監視カメラの映像を確認した黒川の説明によると、女子生徒たちが女子更衣室に入り、再び出て行くまで、誰の出入りも映されていないという。
可能性の一つとして、水泳の授業中に泥棒が盗っていった場合。更衣室に入り、盗んだ制服を持って出て行くところが映っていなければならない。しかしそれはまったく映っていないということだ。
また、もう一つの可能性として。先ほど教師の一人が言っていたように、女子生徒のうちの誰かがこっそりと制服を盗って隠してしまった場合。
更衣室内の隠せるような場所や手荷物は駆けつけた女性教師たちが探しつくしているし、女性教師たちが駆けつける前に出て行った生徒たちも、盗んだ制服を持ち出せるような荷物や格好ではなかったという。
それにもし、事件発生後に不審な行動をしていた女子生徒がいるのなら、綾香と冴木という二人のSSの監視の目をかいくぐらなければならないのだ。
一体どうなっているのだろう。
職員会議で誰かが言っていたように、これではまるで制服が跡形もなく勝手に消えたようである。
海一は現場である女子更衣室の様子を見ておこうと思った。さすがに中には入れないが、直後の周りの状況だけでも確認しておきたい。幸い今は、全ての職員が職員室に集まっているようであるし。
と、一歩踏み出してから、改めて思う。
これは今回の調査とは全く関係ない。今回自分たちに課せられた使命はあくまで個人情報流出事件の事後調査。
しかし、それでも。行動したいという気持ちは抑えられなかった。SSとして、このような事態を無視してじっとしていることなどできないのだ。
海一は職員棟を抜け出し、監視カメラになるべく映らず人目につきにくいルートを使い、更衣室近くにたどり着く。
更衣室のすぐ目の前まで行かずに足が止まってしまったのは、そこにある人の姿を認めたからだった。
八剣がいる。
海一と同じように気になって見に来たのだろうか。監視カメラに映らない範囲で観察している。
こんな突然の事件にも、さすがというべきか八剣の顔に動揺は見られない。むしろ恐ろしく冷静に、落ち着いていた。
監視カメラの位置を確認したり、地面を見たり、辺りを注意深く確認している。
よく見てみると、八剣はただ観察しているだけでない。さりげなく端末を操作して現場写真を撮影している。動きで何となく分かる。拡大して撮影しているのだろう。
女子であれば疑われることなくもう少し自然に近づけるだろうに、なぜ冴木でなく八剣が調査しているのだろうという点も、海一は少し疑問に思った。
それと、そもそもなぜ、わざわざ撮影しよう思ったのか。それも不思議に思った。
思い返してみれば、先日の一年生の貴重品盗難で荒らされたロッカーのところにも、すぐに駆けつけて写真に収めていた。
SSとしての使命感、好奇心というだけでは、説明ができない行動。
さらに思い返せば八剣はなぜあの日の放課後、学校から離れたあんな路地裏にいたのだろう。個人情報流出の事件に何の関係があるのだろうか。
もしかして。
いや、やはり。彼らは違う任務を受けているのだろうか。
確信を持てなかったので綾香にはまだ言っていなかったが、一校に二組のSSが派遣されるなど聞いたことがない。それに、昨晩宮乃から受け取ったメールに書いてあった内容。
自分たちの関われないところで、何かの事態が進行していってしまっているかのような心地の悪さ。
深く考え込んでしまっていた海一の目の前に、気づけば八剣の姿があった。
「よぉ。神無月家のご長男サマじゃないか。授業中に何してんだ? こんなとこで」
嗤うように、そう軽い調子で言ってくる。
海一は返答に迷う。何を言うべきか。何を訊くべきか。
八剣も、海一が何かを考えているのを察して、視線を合わせて海一の目の奥をうかがう。
海一が何かを口にする前に、八剣が牙を剥く。
「ああ、そうだ。そういやお前ってさ……」
ニヤリと上がった口角から、とがった犬歯を見せる。
海一の心に、牙を剥くために。
綾香は一人で校舎内を駆けていた。
先ほどのトラブルのせいで、教室を抜け出すのにずいぶん手間取ってしまった。
周りの生徒たちが辛抱強くなだめてくれたことで、被害に遭った女子生徒たちもようやく冷静になれたようだった。あのままでは、激情に駆られて誰彼構わず疑い、責め続け、大暴れしていたに違いない。
きっと海一は緊急職員会議を盗聴するために職員棟へ行っている。綾香も急がねばと思い、監視カメラと人目を避けつつ、自然と足が速くなる。
今回の自分たちの任務とは関係ないことは分かっている。それでもきっと、海一も向かっていると確信があった。
その時、ほんの偶然。窓の外をちらと見やった。
ここは高さのある三階なので、外を俯瞰で見ることができる。
学校の裏手のあたる場所。学校の敷地をぐるりと囲む高い鉄柵の外の道に、気になる人影があった。
綾香の視力でなければ恐らく見えなかったであろう、ほんの小さな姿。それでも目に留まったのは、その人が目を引く金髪だったからだ。
「あれ……? あの人、確か……」
以前、路地裏で不良少年たちと一緒にいた人だ。綾香の頭の中で記憶がつながる。
偶然歩いていただけなのか。あるいは、学校に来ていたのだろうか。
いや、学校敷地内はウォッチがないと入れない。ここはデジタルの要塞のようなもの。保護者などの関係者に限り、守衛の人間に受け付けてもらうことでようやく入校許可が得られる。その際も、身分証明書の提示や、来校目的や連絡先の記入義務がある。見るからにあんな派手な人を易々と入れたりはしないだろう。
その金髪の人は、綾香が校舎の三階から見つめていることなど気づいているわけもなく。歩いて学校から離れて行く。
綾香もいつまでもここで窓の外を見ているわけにもいかないので、気になる人影に後ろ髪を引かれつつも、職員棟へと足を急がせた。
夜。
各々の家にて一日の終わりを過ごす綾香と海一は、電話で話していた。
「それでね、職員室に行こうとしたとき、学校の外にいたのを見たのよ。あの金髪の人。路地裏で不良連中と一緒いたの。あの時海一は気づかなかった?」
「俺は見えなかったが、お前がいたと言うならいたのだろう」
綾香の視力の良さに関しては海一も認めるところだ。
「それにしても……。海一が聞いた職員会議の内容によると、犯人は監視カメラに写ってなかったんでしょ? どういうことなのかしら」
綾香は古びたマンションから見える窓の外の景色を眺めながら、不思議そうに尋ねる。遠くのほうに、きらめく都会の夜景が見えている。
「あのね、私も聴きに行こうと思ったんだけど、被害に遭った女の子が大暴れしちゃって大変で大変で……。ガラスの花瓶振り上げてたのよ? ぶん殴られるかと思ったわ。それで間に合わなくって」
嫌味の一つでも言われるかな、と覚悟していたが、海一は冷淡に「そうか」と口にするだけだった。
いつにも増して妙に口数の少ない彼のことを不思議に思いつつ、綾香は改めて確認する。
「っていうかさぁ……今日は会議しないってことで本当に良かったの?」
「別に、特に収穫はなかったからな」
そう。今夜は海一が会って話す必要はないと言ったのだ。
綾香としては当然のように、今日の制服盗難事件について話すと思っていたのに。
言われてみればたしかに、本来課せられた任務に関しては何の情報もない。
それでも、海一も緊急職員会議を盗み聞きしていたりと、この件に関して本来の任務と同じくらい関心があると思っていたのだけれど。
綾香は肩透かしを食らった感が否めない。
会議はしないことになったが、情報交換のためにと珍しく綾香の方から電話をかけていた。
「で、八剣くんが女子更衣室の現場検証してたっぽいっていうのはホントなの?」
「……ああ」
八剣の名が出たあと少し変な間が開いてから、肯定の声が返ってくる。
「たしか、貴重品盗難の時も現場を見に行って写真を撮ったりしてたのよね? 八剣くんたちって、私たちと同じこと調べてるんじゃないのかなぁ?」
「さあな」
淡白すぎる返事に、綾香はいよいよ首をかしげる。
「まあ、それはとりあえず、いい。俺も今日は少し疲れた。早めに休むことにする」
らしくない、消極的な海一の言葉。綾香は尋ねる。
「……海一、あんたどうかした?」
「何がだ」
本当に何のことを指しているのか分からないというような、彼の口ぶり。いつもと同じ声色。
綾香だって、電話口の先の雰囲気がなんとなく違うかなと思っただけで、具体的に何がおかしいのかなんて分からない。そう言われてしまったら、何とも言えない。
「何もないなら別にいいんだけど。じゃあ私も疲れたから早く休むことにするわ。おやすみ」
そう言うも、反応がない。無言になった携帯端末のディスプレイを見ると、合計通話時間と彼の名前が表示されている。なんとそのまま電話が切られてしまったようだ。
返事しなさいよね、返事。綾香はそう思いつつ、やはりもう一度首をひねってしまう。
「……なーんか元気ないと思ったんだけどな~? んん~?」
海一が何を考えているのかよく分からないのは今に始まったことではない。彼とペアになって早一年半。性格が合わないなりにそれなりにやっているつもりだが、やはり読めないことはまだまだ多い。
ただ。人の感情に敏感で、いつも一緒にいる綾香だからこそ、ほんのわずかな違和感に気づけることがあって、海一本人でさえも分かっていない自分の心の動きというものががあるというのを、この時はまだお互いよく分かっていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます