14
翌日。事件が起きた。
プールの授業が終わり、水着姿の女子生徒たちがガヤガヤと女子更衣室に戻っていく。この時期の女子更衣室はほんのり塩素の匂いがする。
綾香もいつもどおり、濡れた髪をタオルで拭いながら更衣室に戻ってきた。
更衣室の中には縦長のスチールロッカーが並んでいる。壁に沿って敷き詰められたその数は四十から五十ほど。体育の授業に臨む女子生徒たちが一斉に着替えられるくらいの数だ。
更衣室の入り口にウォッチによる障壁があるので、ロッカーは普通のもの。
誰がどこを使うかは決められていないので、毎回適当な場所を好きに使う。とは言っても、夏休みも目前のこの時期ともなれば、クラスにおいては誰がどの辺りを使うかは大体決まってくる。
綾香は普段一緒にいることの多い女の子たちのそばのロッカーを使っていた。
タオルを肩に羽織り、ロッカーを開けようとした時のことだった。
「何これっ?! どういうこと?!」
更衣室の一角がにわかに騒がしくなる。
綾香はすぐに声のした方に視線を向けた。
取り乱して泣いている子もいれば、怒っている子もいる。
「制服が、ないの!」
半狂乱になった声。綾香は犯罪の気配を感じて背筋がぞくりとした。
綾香はすぐに自分のロッカーを開けて中身を確認する。自分の制服と手荷物は問題なくそこにあった。思わずホッとしてしまうが、それは彼女たちに悪いのかなとも思ってしまう。
いち早く着替えを終えていたクラス委員の女子生徒が、「せ、先生呼んでくる!」と慌てて職員棟方面へ走っていく。
泣いて叫んで大騒ぎになる、制服を取られた女子生徒たち。パニックになる彼女たちをなだめようと、別の女子生徒たちも輪になるように囲んで声をかけていた。
綾香は自由に行動できるよう急いで水着を脱ぎ、制服姿に戻った。着替え終わると、周りの女の子たちに声をかける。
「体育着持ってきてる子、いない? 部活動のジャージとかでもいいから、代えの服を貸せる子は教室に取り戻ろ」
綾香の提案にハッとした何人かの女子生徒たちは急いで着替え、綾香と共に教室に向かう。
深刻な表情で教室に戻ってきた女子生徒たちを不思議に思っていた男子生徒たちも、すぐにどこからか話が漏れたのか、ザワザワし始める。
各々の持つ衣類を携えて綾香たちが女子更衣室に戻った時には、すでに何人かの女性の先生が駆けつけていた。
騒然となる現場で、綾香はある人の姿を目に留めた。
制服を盗まれた女子生徒たちのロッカーを、表情も変えずにじっと見つめる、冴木。
綾香は静かに近付いて、こそっと声をかけた。
「冴木さんは大丈夫だった?」
顔も向けないまま、冴木はうなずきだけを返した。
綾香には一ミリも興味がなさそうな、ドライな反応。視線も動かさず、じっとロッカーを見つめている。
仕方のないことかもしれない、と綾香は思う。以前、「あまり馴れ馴れしく話しかけないでください」と面と向かって言われている。
綾香は制服盗難の被害に遭った女の子たちを観察していて、あることに気がついた。
制服を盗まれていたのは、まるで狙いすましたかのように、綾香と同じクラスのギャル風の派手な女の子たちだけだったのだ。
偶然、なのだろうか。綾香は嫌な予感がした。
ややあって二年二組の教室に生徒たち全員が戻ったきた時には、もう既に体育の次の授業は終わっていた。
それからすぐ、校内の全クラスの授業が中断され、担任教師よる臨時のHRが始められる。
綾香のクラスの担任である若い女性教師は、言いにくそうにこう口にした。
「先ほど、数名の方の制服が見当たらなくなってしまったことに関してですが……。緊急職員会議の結果、生徒を疑うわけではないのですが、手荷物検査をすることになりました。もしかしたら、何かの間違いもあるかもしれないので……。男子生徒は男の先生に、女子生徒は女の先生に、鞄と机の中、あとは廊下にあるロッカーの中を見せてください」
生徒を疑うわけではないとか、何かの間違いとか、綾香からするとつっこみどころは満載だった。
手荷物検査などさぞ嫌がられると思いきや、意外にもこのクラスでは生徒たちの中で反対の声を上げる者は少なかった。
それもきっと、本来なら手荷物検査を一番嫌がりそうな女子生徒たちが被害者だったからかもしれない。
彼女たちは大声で悪態をつく。
「前に起こったときもそうすれば良かったのよ! そうしたらあたしたちの制服が盗られることなんてなかったのにッ……!」
そう自分で言って感極まってしまったのか、またポロポロと泣き出してしまう。
現在、彼女たちは自分の制服がないので、一時的にクラスメイトたちの部活動ジャージや体操着を借りて着用していた。制服を取られた女子生徒たちは合計四人。いずれもギャル風の派手な女子生徒たちだった。
周りの女の子たちがそばに寄って、嗚咽を繰り返す彼女たちの背中を慰めるようにさすっている。
やんちゃな雰囲気の男子生徒たちも、今ばかりはどうふるまって良いか分からないらしく、居心地悪そうにしていた。
綾香は泣き出した彼女の言葉の一節が気になっていた。前に起こったときにも、という。
まさか、前にも制服盗難があったというのだろうか。そしてこの口ぶりからすると、犯人は捕まらず、無くなった制服も出てきていない様子だ。
ウォッチで出入りが学校関係者だけに限定される上、監視カメラもあるのだ。残酷だが容疑者の絞込みも容易になってくる。きっと生徒や教師など学校関係者になってしまう可能性が高いとは思うが、なぜ犯人をはっきりさせ、処分しなかったのだろう。
今回泥棒を働いた者が前回と同一犯か、模倣犯かは分からないけれど。しかし、あくまで一般論だがこういった類の犯行は、同じ場所で違う人物が連続で行うことは滅多になく、同一人物が連続的に行う場合が圧倒的に多い。
そういえば、先日一年生の貴重品がロッカーから盗まれたという知らせがあったとき。海一から聞いたことだが、その二ヶ月ほど前にも二年生の貴重品がロッカーから盗まれるという事件があったらしい。しかも、その犯人はまだ見つかっていないという。
そもそも、この学校は盗難事件が多すぎやしないだろうか。
綾香たちが転入してきてから、もう二回も重大な盗難事件が起こっている。
しかも、二ヶ月前にも貴重品泥棒があり、そう遠くない以前にも制服盗難があったようだから、この短期間で少なくとも四件は起こっていることになる。
綾香の順番が回ってきて、担任の女性教師に荷物を見せる。鞄の中身、机の中、ロッカー。幸い、SSの任務に関わるようなものはすべて海一が持っているし、SS支給品の携帯端末やスタンガンは制服のスカートの下。問題なく検査を終えた。
特に異常も発見もなく、すべての生徒たちの手荷物検査を終えると、教師たちは校内放送に呼び出され、再び緊急職員会議に招集されていった。
教師たちも慌てていたのか、自習などの具体的な指示もなく、ただ待機となっていた。
そして、綾香の嫌な予感は当たることになる。
「……あんたたちがやったんでしょ!!」
監督する教師が居なくなった途端に、被害者の女子生徒の告発が始まった。
指をさしている先にいるのは、文芸部の三浦と戸波だった。標的にされた彼女たちは、絶望の表情で目を見開いている。
「さっきの水泳の授業休んでたの、この二人だけだよ! 盗むために休んだんでしょっ?! よく思い出してみたら、見学のはずなのにプールサイドにはいなかったし……!」
立ち上がって詰め寄り、糾弾する。
冷静に考えれば、行動が自由な他のクラスの生徒たちだって多数いる。そちらの方がよほど疑わしいのに、怒鳴り散らす彼女の瞳にはすでに冷静さのかけらも見られなかった。
被害に遭った彼女たちは怒りと屈辱に震えている。気持ちは想像できなくはないのだ。どれだけ嫌で、恥ずかしくて、みじめで、怖いことか。
「わ、私たち……体育の先生の指示で、炎天下で熱中症になるといけないから、見学者は屋内で自習って言われて……それで……」
申し開きをする二人は、顔面蒼白になっている。
「ほら! 校舎内にいたんじゃない! なら一層怪しいっ。その間にいくらでも泥棒できるでしょ! いつも気持ち悪い部活のことからかわれて、逆恨みしてやったんでしょ!? そうに決まってる! 制服返してよ! この変態ッ! 泥棒ッ!!」
力の限り罵倒した一人の女子生徒は興奮が過ぎて、近くの教卓の上にあった大きなガラスの花瓶を逆手につかむ。
さすがに他の女子生徒たちもやりすぎだと思い焦った表情になるが、頭に血が上った彼女を無理に取り押さえれば自分がそれの餌食になるかもしれない。
男子生徒たちもどうしたらいいか分からずオロオロとするばかり。
「謝ってよ!!」
叫びと共に振りかざされるガラスの花瓶。当たればただでは済まない凶器。三浦と戸波は立ち上がって逃げようとするが、二人の反射神経では間に合わない。
皆が最悪の展開を想像して、強く目をつむる。
だが、ガラスが割れ散る音を想像していた一同の耳に届いたのは、ボフッというくぐもった音だった。
「ちょ、ちょっと待って。落ち着いて!」
振りかざされたガラスの花瓶を受け止めたのは、先ほどの水泳で使ったタオルを詰め込んで適度な柔らかさにされた、綾香の鞄だった。
綾香は危機を察知するや否や、すぐにクッション代わりになるこれを作り、固まってしまった生徒たちの机を邪魔そうに飛び越えて、なんとか間に合ったのであった。
机の上をピョンピョンと飛ぶように歩かれた生徒たちは、そちらにも唖然としている。迂回していたら間に合わなかったので、綾香としても仕方なくだったが。
「こいつらをかばうの?! あんたも泥棒の一味ってこと?!」
女子生徒は歳に不似合いの化粧のはがれた顔で怒り狂う。
綾香はなるべくゆっくり、静かな声で話した。
「違うわ。お願いだから落ち着いて」
相手の鏡になってはダメ。こちらが大声を出せば、相手はもっとヒートアップする。
「監視カメラの映像を見たら、誰が盗ったかなんてすぐに分かるはずよ。今頃先生たちが確認しているわ。責めるのはそれからにしましょう。ね? それからでも遅くはないでしょ」
もっともそうなことを話しているふりをして、なんとか怒りを先延ばしにさせるしかない。
さっきの一撃で幾分か冷静にさせられたのか、取り乱していた女子生徒も次第に我を取り戻したようで、上がった息を整えるように、フラフラと席に腰を下ろした。
とりあえず、なんとかこの場のピンチはしのげたようだ。
あの花瓶が、自分を含め誰かの頭に当たっていたら取り返しのつかないことになっていただろう。綾香はバクバク鳴る心臓に手を重ね、胸をなでおろした。
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