13
「どういうことだ……?」
携帯端末に届いたSS本部からのメールに目を通した海一は、思わずこう漏らしていた。
教室棟と職員棟のパソコンの調査を終え、帰路につく黒川を尾行し終えた、夕闇が迫る頃。学校の提携駐車場から街中へと歩いているところだった。
日中、綾香と携帯端末のチャットアプリでの連絡を終えたあと、海一はSS本部にある人物の情報を請求していた。
それは、先ほど黒川から聞き出した話の中に出てきた、夏前までいた教育実習生のこと。
黒川の話をよく聞くと、その教育実習生とやらは、黒川の尻拭いで代わりに何度かセキュリティルームのコンピュータを触っていたという。しかも、黒川は不審な行動を見破れるような知識はないので、その教育実習生が何かやましいことをしていたとしてもきっと気づけなかっただろう。
しかし、SS本部からの返答は。
『黒川教諭以外を調査する必要はなし。当該人物の情報請求を棄却します』
SSとして任務に就いてから、未だかつてこのような通達を受けたことはない。
一見関係がなさそうに思えることでも注意深く可能性を疑えと、SSの事前研修でも散々教えられることで。これまでも、突拍子もない情報請求にも臨機応変に対応してくれていた。
自分の伝え方に落ち度があったのかと、海一はもう一度送りなおしてみる。
『当該人物は黒川教諭の手引きでセキュリティルームのコンピュータを操作していたことが分かっています。無関係の人物ではりません』
しかし、それもなしのつぶて。先ほどと全く同じ返信が機械的に送られてくるだけだった。
なぜだ。海一は考える。
いくら上層部に自分を嫌っている人間が多いからといって、任務遂行に関しては別だ。これまで私情を挟まれたことはない。問題はなかったはずだ。自分個人に帰属する問題ではないだろう。
そもそも、今回の任務はイレギュラーが多いのだ。一つの学校に、二組のSS。決めつけられた容疑者。指定された調査方法。与えられない情報。
不信感がふくらんでいく。
海一はしばし思考した後、意を決してメールを打ち始めた。SS本部とはまた別の宛先に。
深夜二時。
壁の薄い古アパートにて。眠りに落ちかけていた海一のもとに一通のメールが届いた。
既に部屋の明かりを落としており、薄手のカーテン越しに差し込む外の薄明かりが照らすばかりの、ほの暗い室内。
眠ってしまっていてもすぐに起きられるように、今宵この人からの連絡の通知だけはオンにしておいた。
上半身を起こして、すぐに眼鏡をかける。
携帯端末に届いた受信通知を見て、パソコンを起動する。
薄暗い部屋の中でディスプレイだけが白く光り、眼鏡のレンズに映り込む。
海一は受信したメールをパソコンの画面にに表示させた。
『遅くなってしまいましたが、頼まれていた資料を添付します』
鍵つきの添付ファイルを開く。SSの個人識別コードと、指定されたパスを入力する。
表示されたのは、黒川が言っていた教育実習生のデータ。
『増渕 渉(マスブチ ワタル)。
中経大学教育学部教育学科四年生。
本年五月から六月にかけて、該当中学校にて三週間の教育実習を行う。
該当中学校の前身となる中学校のXX年度卒業生』
教育実習時のものと思われる写真も添付されている。
ふちの太い黒縁眼鏡に、かっちりしたブラックスーツ。撫で付けるようにセットされた黒髪。
しっかりした身なりのはずなのだが、でもどこかいかがわしさがある。闇社会の人がきちんとした人を装おうとしたらこうなるのだろうな、というイメージをいだいた。綾香ならもう少し的確に見抜くのかもしれない。
メールの文章が続いている。
『また、あなたがたへのSS本部の不自然と思われる対応についてですが、あいにく私も関東での任務すべてを把握できているわけではないので、すぐには答えることができないのが現状です』
それはそうだろう。現在、関東支部だけで何組のSSが任務に当たっていることか。
『ただ、気になることが一つ。今の私のできる限りの範囲で調査をしてみたところ、今回のあなたがたへの任務の指令は、関東支部ではなく関西支部から下されているようです』
黙って文字を目で追っていた海一の眉間にしわが寄る。
所属とは違うところから任務遂行の要請をされたり、指示を受けたりすることはよくある。前の学校の任務だって、関東支部から出張するような形で地方の学校に潜入した。
地方のSSの人数が少ないということもあるが、単純に同じ人を同じところで回し続けると、誰かに二度会ってしまったりしてぼろが出たり、経歴の設定に齟齬(そご)が生じる可能性があるからだ。
転入の際、過去の知り合いやこれまでの任務地で出会ったことのある人とはかぶらないよう、その点はよく気をつけられている。だから、所属とは異なる地域の要請で任務に当たることは別に珍しいことではない。
だが。関西地区の任務で関西支部の要請と指示を受けるのは分かるのだが、なぜ関東地区の任務で関西支部に要請されているのだろう。
しかも、今回は一つの学校に二組のSSが派遣されており、そのもう一組とは関西支部所属のエリートペア。何かの意図を勘繰らずにはいられない。
『もう少し詳しいことを調べたいのですが、私は明日早朝より出張で都内を離れるため、あまり有益な情報は見つけてあげられないかもしれません』
今はもう、深夜の二時。もう十分に早朝に近い時間帯だというのに、かなり無理をしてメールを送ったのだろう。
『力になれず申し訳なく思います。どうか頑張ってください。微力ながら任務の成功を祈っています』
結びの言葉の、その後に。
『神無月 宮乃』
肩書きのない署名が記されていた。
関東支部長としてでない、個人的なメール。
その下に、最後に付け足すように一言添えられていた。
『綾香さんにもよろしくお伝えください』
とても姉弟のやりとりとは思えない他人行儀な文面に中に一行だけ、控えめながらも姉としての言葉が入っているようだった。
責任ある立場の関東支部長として忙しい身の彼女が、こうして個人的な調査をし、メールの返事をする時間を取ることがどれだけ大変なのか。立場が全く違う海一にも分かるつもりだ。だから、これが彼女のできる限りの速さだったのだと思う。
妾の子であった海一は、姉の宮乃とは母親が違う。宮乃の母親は、神無月家の正妻。だがそれも、妾の子という裏切りの証左である海一が神無月家に預けられたことで、宮乃の母は心を病んでしまい、宮乃の家族は崩壊した。
お互いの神無月家での立場、生まれの違いなどから、長い間距離があった二人。
海一は自分が神無月家に来たことで宮乃の家族を壊してしまったから、彼女はずっと自分を恨んでいると思っていた。偽善や哀れみで自分に近付いてくるなと、彼女に怒ってさえいた。
だが宮乃は、家族が壊れてしまった自分だからこそ、海一に自分が一人だと思わせたくないのだと、長いすれ違いの末にようやく伝えることができた。
以前の海一ならば、こうして義姉の力や立場を利用するなんてと嫌悪したかもしれないが、今は違う。
彼女は自分に憎まれていることが分かっていながらも、自分に歩み寄ろうとしてくれていた。これまで、彼女が差し伸べる手を悪意あるものとして邪推し、曲解し、無視して、否定してきた。でも今、それを徐々に受け入れる気持ちになりはじめている。
関係性と立場だけでただただ毛嫌いするのではなく、宮乃自身のことを一人の人間として見つめ、よく考えてみようと思いはじめることができたのは、誰のおかげだったろうか。
海一はディスプレイを見つめながら、昔のことを思い出していた。
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