8
「綾香ちゃん、いいもの見に行かない?」
「いいもの?」
あまりに抽象的な誘い方に、首をかしげる綾香はパチパチとまばたきを繰り返す。
一緒にいることの多い女子グループの子たちに、ニコニコしながら声をかけられた。この昼休みは特に用事もなく、しかもいいものが見られるという。同行しない理由はない。
手を引かれて、四、五人の女の子たちの後について行く。
「どこに行くの?」
「隣のクラスだよ」
隣のクラスのいいものってなんだろう。綾香が考える間もなく。
先に歩く女の子たちが、隣のクラスからある人を呼び出した。
出てきた人物に、みな口々にこんな感じの声をかける。
「顔、大丈夫ですかぁー?」
「授業でケガしたって聞いて、心配してたんですぅ」
ゲッ、と足を止めた綾香の視界に飛び込んでくる、ものすごく見慣れた顔。
「な、何が“いいもの”なの……?」
「やだぁ。イケメンの顔なんていいもの以外の何物でもないじゃない」
ケラケラ笑って嬉しそうに肩をはたいてくる同級生のそばで、綾香は一歩も動けず固まっていた。
呼び出されていたのは海一だった。面倒な状況になったのをすぐに察したのか、仕方なく本日二度目の学校モードのスイッチを入れる。そのスイッチの入れ方は、朝、うるさい目覚まし時計のボタンをぶっ叩くような乱暴なものだったろうと推測される。
追い討ちをかけるように、綾香の耳に必要のない情報が注ぎ込まれる。
「彼が転校してきた日から、二年の女子の間ではこっそり『王子』なんて呼び名がついてるのよ。うふふっ」
綾香は思う。どこが“目立たないようにするのが一番”よ。顔に泥でも塗って歩けば、と。
自分がB専の肩書きを持つ男にに独自の視点で顔面を褒められている間、奴には知らぬ間に陰の尊称がついているなんて。すさまじいコンビ間格差に綾香の表情が死んだように消える。
「大丈夫。心配してくれてありがとう」
紳士の対応を見せる彼に、綾香は鳥肌が立ちそうになる。素の彼を知っている分、このモードの海一は気持ち悪くて仕方ない。あんたはそんな爽やか好感度キャラじゃないでしょ! と、猫をかぶる彼の化けの皮をむしりとるように剥ぎたくなる。
女が三人そろえば姦しいとはよく言ったもので、一人ではできないことも集団に紛れればできてしまう。「好きな歌手はいる?」、「お菓子は嫌いじゃない?」といった質問から、「連絡先を教えて」だの「メガネ外してみてくれませんか」だの、にぎやかなくらいにお願いが連発されている。
任務用の外面を使って適当に対応していた海一は、視界の端に綾香の姿を捉える。視線を合わせたほんの一瞬で言いたいことが伝わってくるようだった。“この面倒なのはお前の差し金か?”と。
綾香は首が取れるくらいブンブン横に振る。“んなわけないでしょ!!”を最大限伝えるために。
この場にいることが耐え切れなくなって、綾香は「私、先戻ってるね」と自分の手首をつかんで連れてきた女子に伝える。すると、
「アハハッ。イケメンを近くで直視するのが恥ずかしいのかなっ」
なんて言われる。
いつも嫌ほど近くで見ているし、昨日なんて頭を軽石呼ばわりされた上に極限までこき使わされた。反論しようとちょっと小石を投げると、土石流となって返ってくるし。
綾香は喉元にせりあがってくる叫びたい衝動をぐっとこらえて、一人教室へ逃げ帰る。
人は見た目じゃない、中身だ。人は見た目じゃない、中身だ。大事なことなので二回、心の中でつぶやいておいた。
もしSSのパートナーに希望が出せたなら、容姿なんてどうでもいい。絶対、「思いやりのある人」か「性格のいい人」か「ひねくれてない人」にする。
たしかに綾香も、初めて会ったときは正直ドキッとした。それは認める。ただ、初対面のはじめの五秒くらいだけ、だったけれど。こんなに顔のきれいな男の子がいるのかと。多分、ほんのり赤面していたんじゃないかと思う。
開口一番の彼の言葉に、絶句させられるまでは。
開きそうになった昔の記憶に蓋をして、綾香は自分の教室に戻った。
教室に戻った綾香は、席につく冴木の冷ややかな眼差しと一瞬目が合った。海一は隣のクラスなので、席の位置的に冴木は今の女子生徒たちの大声のやりとりが聞こえていたに違いない。
いたたまれなくなった綾香は、そそくさと自分の席に戻った。
いつも空き時間に自分がお喋りしている女の子たちは、隣の教室の前の廊下でキャイキャイやっている。どう時間をつぶそうかな、と迷っていると、不穏な会話が耳に飛び込んできた。
それは、耳に入ってくるのが仕方がないくらいの声量で、周りの誰かにわざと聞かせようとしていることは明白だった。
「文芸部ってさぁ、うちのクラスの地味な二人しかいないんでしょー? 部室なんて取り上げて、廃部にしちゃえばいいのにね」
「自分の考えた理想のお話をコソコソ書いてるんでしょ。自分がイケメンと付き合う話でも書いてんじゃないの。気持ち悪~」
「そんなこと言ったらかわいそうだって~。どうせマンガとかアニメくらいにしか相手にしてもらえないんだから、キモいオタクなんて好きにさせときゃいいじゃん。アハハッ」
悪意ある声に、綾香は即座に視線を走らせる。声の主は、あの派手な女子生徒集団だった。
そしてすぐに気づいた。やはりいた、聞かせている人物が。
窓際の席に向かい合って座っていた二人の女子生徒。大人しそうな二人は両方とも眼鏡をかけていて、一人はきっちりした三つ編み、もう一人は低い位置で二つに結っている。彼女たちの机の上には印刷された紙が大量にあり、昼休みを利用して部誌か何かを綴じようとしていたのだろうか。
二人は黙って視線を机に落として、聞こえないふりをしていた。していたというより、あの派手な女子生徒たちからの圧力により、そうさせられていたのだ。
綾香は彼女たちの低俗さに、心底うんざりした気持ちになる。
綾香は立ち上がり、話したことはない子たちだったが眼鏡の二人組のもとへ向かう。控えめな彼女たちを肴にギャハハハと猿のように下品に笑う女子生徒たちの不躾な視線を背中でさえぎるように、あちらに背を向けるようにして立った。
うつむいていたが、人影に気づいてハッと見上げた二人に、綾香はにっこりと話しかける。
「二人で話してるところ、ごめんね? 私、転入してきたばかりでいろいろ部活動見学してるところなの。文化部に興味あるんだけど、どんな感じなのかな?」
ああいう奴らは、悪意ある言葉にさらされる彼女たちが気持ちをこらえる反応を見て楽しんでいるのだ。綾香が視界を邪魔して、ノイズを遮断するように会話を始めるとすぐ、興味をなくしたように教室を出て行った。
綾香は彼女たちが出て行くその姿を、こっそりと横目でとらえる。やっとやめたか、と。
あんな奴らが身内なんかでは“いい子”として扱われ、卒業文集や通信簿なんかには「人気者」「明朗快活」なんて書かれたりするのだから、たまったものじゃない。本当に物事は多面的というか、見る人と見る側面によって事実は変わるというか。
綾香がそんな風に心の中で不満を垂れていると。
「あの……ありがとう」
二人がおずおずと、綾香を見上げてお礼を言っていた。
「え、なんのこと?」
綾香がとぼけてみせると、気まずそうに二人は目を逸らす。この表情から、こういう行為はいつも日常的にされているんだろうなと推察した。
こればかりは綾香一人の力ではどうにもならない。同情的にふるまっても余計に彼女たちのプライドを傷つけると思い、話題を変える。
「たくさん紙があるけど、これは何を作ってるの?」
「あ……これは、部誌のサンプル、です。これを元に、ちゃんとした本を作ります」
「ちゃんとした本って、本屋さんで売ってるみたいな? すごいわね~。そういう本って個人でどうやって作るの? 印刷会社みたいなところに原稿を持っていくの?」
「ううん、全部ネットで出来るの……。依頼も、入稿も。紙の原稿は渡さなくてよくて、データだけ送って」
遠慮がちながらも、二人が交互に、丁寧に説明してくれる。
話を聞いていくうちに綾香も興味が湧いて、いろいろ訊いては「へぇ~」「知らなかったわぁ」と自分の未知の世界に純粋に関心を示していた。
見せてくれたサンプルをしげしげと眺め、
「へぇ~っ。じゃあこれ、レイアウトとかも自分たちでしてるの? すごいわねぇ」
と感嘆の声を上げる。綾香はパソコンなどのことはさっぱりなので、どうやって作っているのかも想像がつかない。
「私は苦手だけど……、三浦(ミウラ)ちゃんがパソコンが得意だから、ほとんどやってくれてるの」
と、言ったのは眼鏡の女子生徒の二つ結いのほう。
「そんな、私なんてただ作業してるだけだから、全然……。戸波(トナミ)ちゃんがセンスよくデザインしてくれるおかげだよ……」
そう答えたのは、眼鏡の女子生徒の三つ編みのほう。
どうやら彼女たちの所属する文芸部は、パソコン技術に長けた三つ編みの三浦と、デザインセンスがある二つ結いの戸波の二人しか部員がいないようだった。
しばらく綾香はこの二人と話し込み、この学校の文化部の話などもいろいろ聞かせてもらえた。
成り行きで今度文芸部の見学行く約束までしてしまった。
今回部活の調査は必要ないとされているが、少しくらい放課後の余暇を使わせてもらってもいいだろう。
「三浦ちゃんと戸波ちゃんは、ずっとこの辺に住んでるの?」
話の流れでふと綾香が尋ねると、二つ結いの戸波が答えてくれる。
「私はそう。三浦ちゃんは、入学前に越してきて」
「もしかして、この学校に通うために?」
「あ、はい、一応……」
びっくりした綾香がパチパチまばたきをしながら訊くと、三つ編みの三浦は恥ずかしそうに顔を伏せて答えた。
口下手な三浦に代わり、戸波が補足してくれる。
「三浦ちゃんはすごくて、小さい頃から自分でパソコンを組み立てたり……今だって自作のアプリを何個も作っていたりするの」
詳しく説明されるのが恥ずかしそうで、三浦は首を振りながら顔を赤くしてうつむいている。
「へぇ~っ! すごい! まさにこの学校にうってつけって感じね」
彼女は綾香の純粋な褒め言葉にも、「そんな、私なんて……」と否定的な言葉を重ねている。けれど、三浦の両親はきっと彼女の才能を伸ばすにふさわしいと思い、このデジタル先進校に指定された新設校に通うため、わざわざ引っ越してきたのだろう。
でも、綾香がなんと言っても三浦は、「私なんて全然ダメですから……」と否定しつつけていた。
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