一日の授業が終わった放課後。


 職員棟の、二階の職員室がある場所のちょうど真上。物置として使われているひっそりとした空間の物陰に、海一の姿があった。


 手に乗るくらいのサイズの、何か黒い機械のチャンネルをいじっている。


 そこに綾香がやってきた。


 今回の任務内容の性質上、部活動調査は必要ないと判断されたため、いつものように初日から放課後に走り回る必要はないのだ。


「はーい。どう? 順調?」


 軽い調子で声をかけてきた綾香に、海一は返事保留で聞き返す。


「来るまでに誰かにつけられなかったか?」


 何を今更とばかりに、綾香は肩をすくめた。


 綾香だって一応はSSの端くれ。誰かにつけられていないか、気配はないかということには十分気をつけている。


「もちろんよ。珍しいわね、あんたがそんなに神経質になるなんて」


「まあ、な」


 歯切れの悪い返答をする彼を不思議に思いつつ、綾香はそばにしゃがみこんだ。


「今回は事件の事後調査だし、しかもSS本部お墨付きで犯人の当たりもついてる。必要以上に敏感にならなくても平気でしょ」


 手元の操作に集中しているのか海一が返事をよこさないので、


「ま、私もいるんだから大丈夫よ」


 と言葉を足したところ。


「俺はそれが一番心配なんだが」


 先ほどの生返事を覆すような切れ味の一言が返ってくる。


 何よ、かわいくない、と綾香は頬を引きつらせながら思った。しかし、こんなことでイライラしていては海一の相方は務まらない。私が大人になってあげなきゃ、という大らかな気持ちでぐっと不満の言葉を飲み込む。


 海一が気配に注意深くなっているのは、言わずもがな昼休みに感じた気がした視線が原因だった。誰もいないはずの場所で何か不穏な気配を感じ、それを軽視できるほどSSとして劣ってはいない。


「あ、そういえば……。この学校に数日通ってみて思ったんだけど、ここって結構ギャルだとか不良みたいなの多いのね。ここって高級住宅街が近いじゃない? だから、良家の子女が集まってるのかと思ってたけど。転入前にいだいてたイメージから360度変わっちゃったわ」


 綾香が自習中の出来事を思い出しながらそう言うと、海一は作業しながら視線もくれずに返事をする。


「そういう家の子なんかは大体、地元の公立校には行かず私立の名門一貫校に行くだろうからな。それにここは高級住宅街もあるが、立地的には雑多な繁華街も近い。そちら側の人間も多く来ているんだろう」


 加えて、一言付け足される。


「それから、360度だと一周して元に戻ってるぞ」


 あれ、そうだったっけと、綾香が難しそうな顔をして指で何かを数えて考えている風にしていたが、指でどうこう計算できるものでもないし、きっとよく分かっていないだろうと海一は察した。


 海一が手元で調整しているのは、盗聴器の受信機だ。ペン型のものは充電と録音されたデータの回収のために毎日回収する必要があるが、コンセントタップ型のものは録音機能はなく、リアルタイムで盗聴することに特化している。


「あと、そうだ。このウォッチって結構不具合があるみたいよ? 開くはずのドアが開けられなかったりとか」


 自習中のことを思い出したついでに、その時耳にした女子生徒たちの雑談も海一に伝えておく。学校に関することならば、ただの噂話のようなものだって看過することはできない。


「ふむ……。まあ、初めての施行だしな。ある程度不具合はあるだろうが……」


 海一は作業しながらつぶやくようにそう言った後に、ちょうど調整が終わったのか「聞こえるようになった」と受信機に耳を近づけた。


 綾香も借りて耳を寄せる。職員室の音声が、思っていたよりクリアに聞こえてくる。


 これら任務の際に活用する物はすべてSS本部からの支給品で、特別製。


 SS本部からの支給品は、高機能携帯端末や高性能盗聴器以外にもさまざまある。


 例えば、今綾香と海一が制服の下に隠し持っている小型の高電圧スタンガン。差し迫った有事の際、最終手段として護身用として使われる。


 それから、登下校の際に履いている革靴も実はSSの支給品。つま先とかかとの部分が強化コーティングされており、いざという時の戦闘の際に有利になる。


 今は学校指定のウォッチをつけているが、SSからの支給品の腕時計もある。様々な機能があるが、機能の一つとして盤面があらゆる強さの照度の調整ができるライトとして使え、いろいろな場面で役に立つ。


「あー!! そうだ! 一番大切なことを忘れてたわ!」


 持っていた受信機を手からすべり落とす勢いで声を上げた綾香に、海一は眉をひそめる。


「何だ」


「私たち以外にも、同時期の転校生がいるって知ってた?!」


「初耳だ」


「でしょう? 本当に数日の差だったみたいなのよ。だからSS本部も事前連絡ができなかったのかしら」


 通常、そういった情報は追加でも随時届けられるものなので、SS本部側が連絡を失念していたのかもしれない。そんなミスは、かなり異例のことではあるが。


「一人は私のクラスの女の子だったの。あんまり目立たないおとなしい子だったから全然分からなかったんだけど……。あともう一人はたしか、海一の隣のクラスの男の子で――」


「よぉ、俺の話か?」


 突然の飛び込んできた、第三者の声。


 予想もしなかった存在に、二人は反射的に現在地を飛びのく。声の聞こえた方向に体を向け、壁を背にした。


 二人の視線の先。この物置部屋の入り口には、一人の男子生徒が立っていた。


 まったく気づかなかった。どんなに二人が言い合いに夢中になっていても、素人の気配が分からないはずがない。


 まさか尾行されていたのか、と問うような視線を海一が綾香に送り、綾香は首を小さく横に振る。つけられていたなら気づくわ、と答えるように。この間ほんの一秒程度のアイコンタクト。


 一人立つ男子生徒。身長は男子の中でも高い方、海一と同じくらいだろうか。己の自信を反映するかのような堂々とした立ち姿である。


 綾香は驚きのあまり心臓が止まるかと思った。


 男子生徒は薄く嗤う。


「なんだよ、揉めてんのか?」


 軽薄そうな態度とは裏腹に目の奥に狡い何かを企むような光があり、対峙する者を不安にさせる。


 海一は彼の笑みが過去の記憶の何かに触れたような気がして、ん、と眉をひそめた。


 男子生徒は海一に視線を合わせると、ニヤリと笑った。


「お前はピンと来いよな。……ま、しょうがないか。神無月家のご長男サマじゃ」


 上がった口角から、尖った犬歯が覗く。


 この言葉で海一は何かを理解したようだが、同時に理解できないことも発生し、気をゆるめることができない。


 同じ身構えたままの綾香は、どういうことだかさっぱり分からず、何かを察したような海一と、目の前の男子生徒をチラチラと交互に見てしまう。


「student solver関東支部所属、神無月海一と川崎綾香」


 男子生徒からの口から吐き出される言葉に、綾香はいよいよ動悸が激しくなる。


 どうしてばれた。何か聞かれてしまったのか。どうしよう、これからどうなるんだろう。目が回るような感覚。


 でも、隣の海一はさほど動揺を見せていない。


 そうだ、この男子生徒は海一に対し“神無月家の長男”と口にした。ということは、神無月家のこと、ひいてはSSにおける神無月家の地位を知っているということだ。


 綾香はパニックになりながらなんとか思考をまとめようとする。


 男子生徒は綾香に視線を向け、得意げにこう話す。


「何も分かっていない外れ者のお前に自己紹介してやる。俺の名前は八剣 全(ヤツルギ ゼン)。SS関西支部所属。西の名門、八剣家の次男だ。一応言っておくと、俺の兄貴は関西支部長だからな」


 八剣の口から飛び出した言葉は、綾香の度肝を抜くには十分だった。


 一つの学校にSSが二組いるということもだが、そもそも綾香は自分たち以外のSSに直接会ったのはこれが初めてだったのだ。


 八剣からもたらされた情報に、綾香は八剣と海一を繰り返し首振り人形のように見てしまう。SSにおける名家の子息。上の兄弟が支部長。あまりに似たような立場。


 事態を把握しようとする綾香のまつげが、まばたきでパシパシ素早く動く。


 自己紹介を終えてしまうと、八剣はもう綾香に興味を失ったのか、意味深長な半笑いを浮かべたまま海一だけに意識を集中する。


「出世ルートから端(はな)から外れてるお前と違って、俺は全国のさまざまな任務を短期間で数々経験し、上に駆け上がっていく。今の関東支部長であるお前の姉貴がそうだったようにな」


 海一には分かっていた。彼の浮かべている薄い笑みは、これまで自分を嘲(あざけ)ってきた奴らが浮かべてきたものと同じ。


「それに引き換え、俺と同じ学年のはずの神無月家のご長男サマは、こんな所で盗聴器の調整か。のんびりしたもんだな。ま、こんな薄汚い場所で、一生埃にまみれてるのがお前にはお似合いだよ」


 八剣はまた一歩海一に近付く。そして多くの人と同じようにこう口にするのだ。


「お前はどうせ、神無月家の正統な子息じゃない。名ばかりの長男だ。妾の子が図々しく、名家の一員のふりをしやがって」


 さあ怒れ、さあ傷つけと、八剣の瞳がぎらつく。


 けれど。


「……あんたの周りの人間って、ほんっと、バカの一つ覚えみたいにこれしか言わないのね~」


 綾香の声が、シリアスな二人の間に割って入った。


 その気の抜けた一声で、その場に張り詰めた緊張感がゆるやかに解けていく。


 海一も、ふぅと息を吐いてそれに同調する。


「だから言っただろ、慣れてるって」


 海一は八剣からの挑戦的な視線を逸らさぬまま受け止め、呆れたように目を細めて腕を組む。八剣の攻撃など痛くもかゆくもないといった風だ。


 眉間にしわを寄せて不快感をあらわにする八剣は、海一だけに向けていた意識を綾香にも移す。


「……なんだこいつは。お前の相方、どこの家のやつ?」


 海一に向けられた質問だったようだが、いち早く綾香が答える。


「別に普通の家だけど」


「ハッ。身体能力だけの後先考えないバカとくっつけられてんのか。腐っても神無月家の人間が、何も希望を聞いてもらえなかったのか?」


 侮蔑の笑みを浮かべてなされた問いに、海一は何も答えなかった。


「お前はそんな凡人以下が相棒で、なめきられてるな。軽んじられてる」


 海一を貶めるために放たれた言葉の数々はほとんどが綾香の悪口でもあったので、綾香としても反論したかった。


 でも、どう行動したらいいのか分からなくてブレーキがかかる。海一や他の関係者に迷惑がかかってしまうのでは。


 綾香は海一の表情をうかがおうと彼をチラチラ見つつ、むぅっとした表情を崩さない。


 八剣はふと思い出して、こんなことを口にした。


「ああ。そういえば、たしかお前ら関東支部の偉いやつに嫌われてるんだろ。噂で聞いたぜ。この女が張り手したんだっけか?」


「俺の相方は女力士だったのか……」


「話が大きくなってるわ!」


 八剣のとんでもない誤情報に、感心してみせる海一と、たまらず大声を出す綾香。


 実際はただ口答えをしただけである。しかも、悪く言われていた海一のことをかばって、だ。


 綾香はそこで自分のしたことや言ったことを後悔などしていないけれど、あの時後先考えず行動してしまっていろいろ面倒なことになったからこそ、今こうして慎重になっているというのに。


 すると不意に、八剣は綾香に顔を近づけてきた。意志の強そうな眉に似合う勝気な釣り目で、いろいろな角度からジロジロとながめてくる。


「お……? ん。良く見るとお前、結構俺の好みの顔してるな」


「う、うぇっ?! なっ、何よ!」


 綾香は一気に赤面して、両肩が飛び上がる。それと同時に、反射的に下がって距離をとった。


「八剣さんは……」


 するとその時、また新たな声が。


 動揺していた綾香は一切気配に気づけなかったが、八剣と海一が身構えていないので、警戒すべき対象でないことだけは分かった。


 物置部屋の入り口から姿を現したのは、小柄でショートカットの女子生徒だった。落ち着いた長めの制服スカートに、ゆったりとした品のある仕草が似合っている。


 精巧な人形の繊細さを思わせる、長いまつげが彩る伏し目がちのすっと切れ長の瞳。


「お、同じクラスの転校生の子?!」


 綾香は不躾ながらも彼女のことを指差して、目を白黒させる。


 女子生徒は静かに移動すると、八剣の一歩後ろに控えた。


 横並びで立つ綾香と海一と、合わせて四人が対峙する。


「冴木、来たんか」


 八剣が後ろに声をかけると、冴木は返事代わりにペコリと頭を下げた。


 八剣は改めて説明する。


「冴木家って言ったら、西の二番手。んで、俺の相方」


「……冴木 怜(サエキ レイ)です」


 半歩前に出て、ささやくような感情の起伏を感じさせない声で端的に氏名のみ告げると、海一の方にだけ頭を下げた。


 綾香は、「私、見えてないのかな……」なんて不安に思って顔をのぞきこもうとする。


 すると、顔を上げた冴木がじっと自分を見ていることにびっくりした。


 そして、先ほど途切れた言葉の続きを口にする。


「八剣さんは……いわゆる“B専”というものです。世間の評価とは少々異なるセンスの、顔面に一癖二癖ある女性が好みで、イニシャルのBとはすなわちブサイ――」


「待って、それ以上言われたら私立ち直れない」


 綾香は強引に手で制して、淡々と述べられる彼女の説明を止める。


 私のドキドキを返せ、と言わんばかりにがっくりと肩を落とす。


 綾香にとっては、そんなことを男の子に面と向かって言われるのは初めてだったのに。どんな相手であれ、ドキッとしてちょっぴり嬉しかったのは事実なのに。


「世間が認めてなくても、俺が認めてればいいだろ」


 すさまじく俺様なセリフを言い放つ八剣。そのあまりの気の強さに、どちらかといえば気が強い方であるはずの綾香も圧倒されてしまう。


 八剣はこれ以上無駄話をする必要もないと判断したのか、締めの言葉を口にする。


「俺らは名門同士、全国でいろいろ経験してすぐに役職につくから。ま、よろしく。お前らもせいぜい永遠にド底辺で頑張れよ。俺が上に行ったら死ぬほどこき使ってやるからな」


 最後に彼の特徴とも言える尖った犬歯を見せるようなニヤッとした笑みを残し、背を向けて去っていった。冴木は無言で一礼し、八剣のあとに続く。


 嵐のように彼らが去ると、物置部屋には呆気に取られる綾香と、何かを考えている様子の海一だけが残された。

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