「えっ。そうだったの?」


 自習中という名のフリータイムを利用して、綾香は女子生徒たちとお喋りに興じていた。周りも皆、自分の席など無視して銘々好きな座席に座っている。


 幹線道路近くのため排気ガスと騒音対策で防音性能と気密性が高く、空調効率のため出入口のドアもピタリと閉まるようになっているので、大きな声で喋っていても廊下や隣の教室にはほとんど声が漏れない。


 綾香が驚きの声をあげたのは、クラスメイトの女の子たちから思わぬ事実を知らされたからだ。


「うん。あれっ、知らなかった? 今学期の転校生は綾香ちゃんで四人目だよ。同じ学年に四人もなんて多いねって話してたの。それに、夏休み前のこんな中途半端な時期に、バラバラに転入してくるなんて」


 基本的に生徒の情報は転入出を含めSS本部から事前に教えられるはずなのだが、綾香はそんなことは聞いていなかった。もちろん、同じデータを受け取っている海一もだろう。


 綾香と海一以外に、二人の転校生。


 綾香たちが転入する直前に決まったため情報が間に合わず、知らされていなかったのだろうか。こういうことは後からであっても教えておいてほしいものなのだが。綾香は不満げに思う。


「っていうか、うちの二年二組は転校生迎えるの二人目だから、それも珍しいよねって。まぁもともと、うちのクラスは女子が少なかったからなんだけどね」


 しかも、同じクラスだったとは。綾香はびっくりして、「ど、どの子?」とキョロキョロしながら尋ねる。


 自分は転校生としてクラスメイトたちから結構な歓迎を受けたので、他にそのような扱いを受けている転校生がいたならすぐに分かるものだと思うのだが。まったく心当たりがなかった。


「あの、廊下側から二列目の、前から三番目の席で本読んでるショートカットの子」


 女子生徒が指で示した先に居たのは、小柄で線が細い少女。でもそれはけして貧相というわけではなく、気品があり、雪の儚さを彷彿とさせるよう。


 その上品さのせいか、かなり短めのすっきりとしたショートカットなのだがスポーティな印象はまったく感じられない。高貴な寡黙さと聡明さを態度で示すように、周りが自由に騒いでいる中でも難しそうな本にだけ集中している。


 綾香からすると、物静かな彼女はあまりに目立たなくて、まさか同時期の転校生だとは思いもしなかった。


 すると、女子生徒たちがポツポツと本音を語り出す。


「……話しかけてもあんまり喋ってくれないんだよね」


「そうそう。うちらと話すより本読んでたいみたいな。正直、あんまり感じよくな――」


「あー! ええっとさぁ~……」


 感じよくない、と続こうとしたのを察して、綾香はアワアワと話題を変えようとする。


 経験上分かるのだが、絶対この会話は彼女に聞こえている。別に、話すより本を読んでいたい気分の人だっているだろう。それを離れた場所でコソコソと聞こえるように集団で非難するのは、綾香の性に合わなかった。


「えっと……そうだ、このウォッチってかなり珍しいのよね?」


 綾香が強引に逸らした話に、女子生徒たちは渋々ながら乗ってきてくれる。


「そりゃあね。珍しいどころか、うちの学校しかないんだってよ。『デジタル先進校』とか言って」


「用は実験台だよね~。面倒くさいもん、これ。家に忘れたら絶対取りに帰らなきゃだし」


「最近なんてたまにエラー起きるの! 開くはずの扉が急に開かなくなったり。しょうがないから遠回りして移動したよ。先生に言えば直してくれるのかもしれないけど、わざわざ遠くの職員棟に行くのもダルいし……」


「えぇ?! あんたもあったの? あたしもあったよ! 忘れ物したから取りに戻ろう思ったのに、何度センサーにかざしても女子更衣室に入れなくてさー。私は男子かっつーの」


「あはは、喋り方が男子っぽいよ」


 女子生徒たちのウォッチにまつわる雑談に相づちを打ちつつ、綾香は先程のもう一人の転校生へこっそり視線をすべらせる。


 やはり、事前にSS本部から受け取ったクラスメイトのリストにはなかった顔だ。


 まあ、今回は既に起こった事件の事後調査。事件後に転入してきた転校生のことなど、神経質にならなくてもいいのかもしれないが。


「ぎゃっはははははは!」


 綾香の思考が、教室のどこかから発せられた下品な大笑いに中断される。


 うるさいなぁもう、と声のした方向にさりげなく目を向けると。


 マスカラ塗りに余念がない派手な女子生徒たちが、教室の一角を陣取っている。


 かなり短いスカートなのに大股を開いて座っていたり、机の上に足を乗せていたりと、自宅並みの自由さだ。着崩した制服は胸元が大きくはだけ、見せてはいけないものが見えてしまうのではないかと不安になるほど。校則違反のピアスが耳に光っている。


 これまで綾香はいろいろな学校に潜入してきたけれど、ここまで派手で騒がしい、いわゆるギャルのような女子生徒たちがいるのも珍しいと思った。土地柄かしら、と綾香は考える。


 視線を転校生に戻すと、下品な大笑いなど違う次元の出来事であるかのように、動揺一つ見せない能面のような表情で読書を続けていた。










 昼休み。


 海一は職員棟にある職員室を訪ねていた。食事や休憩に出ているのだろう、職員たちの姿はまばらだ。


 生徒たちの教室がある教室棟からは距離があるので、特に用事がなければ職員棟にわざわざ訪れる生徒はいない。海一は職員棟で自分以外の生徒を一人も見かけなかった。


 職員室に入室するときも、扉の横のリーダーに自分の左腕にはめられたウォッチの情報を読ませる。すぐに自動でドアが開く。流石は最新の技術というべきか、その認識時間と反応はコンマ何秒の速さ。


 海一は職員室内に設置された監視カメラの位置を、さりげなく目視で確認する。


 それから、小道具用に持ってきたボールペンを落としたふりをして、カメラを背にして床に這った。


 自分の体で死角を作りながら、教頭のデスクの背後にあるコンセントにコンセントタップを素早く差し込む。小さく目立たない、二個口の三角タップ。


 何事もなかったかのように立ち上がり、何かを探すふりをしながら次の目的地へ。


 今、海一が設置したコンセントタップ。一般的には、コンセント穴が一つしかないところなどに取り付けて差込口を二つ三つなどに増やすという目的で使われる、どこにでもあるもの。だが、海一の取り付けたそれのメインの機能は盗聴だ。ありふれたものなので怪しまれにくいし、コンセントから半永久的に電源を供給することができる。もちろん、コンセントタップとしての機能も備えているから発見されづらい。


 これもSSからの支給品で、職員会議などで議長的役割を果たすことの多い教頭・校長らの席の近くに設置することが多い。


 次に海一が向かったのは、マークすべき教師・黒川のデスク。不審に見られていないか周りを意識しつつ、頭の中で職員室の座席表を思い浮かべながら探し出す。


 都合が良いことに彼の机はかなり散らかっていた。乱雑に鉛筆や赤ペンなどが突っ込まれたペン立てがある。


 海一は今の自分の位置が監視カメラに映らないことを確認しつつ、ボールペン型の盗聴器をポケットから取り出した。


 これはバッテリー式なので、コンセントタップ型のようにずっと作動し続けることはできないが、近くで言葉が喋られた時だけ録音が作動するタイプのもの。毎日回収して、録音を確認・充電するつもりだ。


 ペン立てに手を伸ばし、物音を立てないようにそれを入れる。


「……おい」


 その時。男性教師の野太い声が海一の動きを制する。


 思い切りやましいことをしているときに声をかけられて、これが綾香ならばビクンと肩を跳ねさせて驚きの反応を示してしまっていたかもしれない。


 しかし海一は。


「はい、なんでしょう?」


 一切動揺の反応を見せることなく、静かに振り返った。


 海一を呼び止めた人物は、彼の所属する二年三組の担任だった。歩いて近付いてくる。少し離れた場所からだったが、海一の姿を見とがめたようだ。


「こんなところで何をしてるんだ? ここは二年の先生の机の島じゃないぞ」


 担任教師が指摘するように、ここは担当クラスを持たない教師たちの机の島だった。


 海一は脊髄反射の速さで嘘をこしらえる。


「ああ、良かった。先生のことを探していたんです。親にこの学校の紹介パンフレットをもらって来るように言われていて」


 海一は普段綾香とのやりとりでは絶対に見せない愛想を全開にして話す。任務のためならこんな表情も貼り付けられるのだ。


 それでもなお担任教師の、今この机で何かしていなかったかという疑念を含んだ視線には、


「この机の前にボールペンが落ちていたので、拾ってペン立てに入れておいたんですよ」


 と、さらりと対応する。


 するとようやく、そうだったのかと担任教師の警戒心がゆるんだようだ。海一はパンフレットを取りに行った彼に続きながら、内心で息をつく。


 別に海一も、まったく緊張しないわけではないのだ。ただ、これまでの短い人生の中で、感情が表に出ないよう、思っていることを悟られないよう、自然に鍛えられてしまっただけで。


 海一は担任教師から、本当は必要ないパンフレットを受け取ると、すぐに職員室から退散する。


 昼休みの職員棟の廊下は人気がなく、シンとしていた。


 窓の外には真夏の真っ青な空と、真っ白な入道雲が見える。運動場に注がれる日差しは、そこに迷い込んだ生物を焼き殺す勢いだ。しっかりとした壁と、騒音対策用の厚いはめ殺しの窓ガラスが外界をさえぎり、十分にエアコンの恵みを享受しているこちら側とは別世界のよう。


 その時突然、海一が足を止めて振り返る。


 誰もいない廊下。


 でも海一は、たしかに人の視線を感じた気がしたのだ。


 しばらく辺りを見回し、気配を探る。


 機密性の高い室内は暑すぎず寒すぎないちょうどいい空調が効いていて、その静かな音以外気になる物音はない。


 先ほど不意を衝かれて担任教師に声をかけられたため、神経が過敏になっているのだろうか。


 海一は首をかしげつつ、教室棟へと戻っていった。

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