start of student solver

 昨年建てられたばかりというピカピカの校舎内を、周囲を気にしつつ小走りに進む。


 真夏の朝の日差しが窓から差し込み、彼女をまぶしく照らし出す。


 長くつややかな黒髪。水色のネクタイを合わせた白い半袖のブラウスに、チェック柄があしらわれた深い群青色のスカート。短い白のソックス。制服から伸びる、すらりとした四肢。


 周囲は静まり返り、人気はまったくないけれども、それでも視線をたびたび左右にやって、人影がないか用心深く確認している。足音一つさせていない。


 と、その時。


「へぶっ!」


 彼女が突然奇妙な声をあげたのは、猫が首根っこを引っつかまれるかのように、急に襟首をぐいと後ろに引っぱられたからだ。


 引っ張った手の主が、なるべくひそめた声で注意する。


「そっちに行くな。あと半歩で監視カメラに映る」


 大人びて見えるが、彼女と同じ年齢の少年。白い半袖ワイシャツに、青いネクタイ。濃紺のズボン。彼女と同じ学校の男子制服に身を包んでいる。


 彼の止め方に不満を持ちつつも、忠告どおり、少女は一歩足を引いて視線を持ち上げる。


 右斜め上方向の天井に設置された、椀を伏せたような半球の中に、こちらに顔を向けたレンズがたしかにある。


 彼女はここに来る前に頭に叩き込んだはずの監視カメラの位置を思い出そうとする。


 事前に確認しておいた、捜査資料として送付されたこの中学校の校舎の図面。ドアや窓から教室の場所、監視カメラの向きまで詳細に記されているものだ。


 だが、この職員棟の図面がうまく思い出せない。しかしそれも無理もないこと。この学校はそれぞれ離れた場所に教室棟、部室棟、職員棟と三棟もあり、それがまたいくつもの階に及んでいるのだ。頭の中でゴチャゴチャになる。


 だから彼女は黙って彼の後ろにつくことに決めた。


 彼は足早に廊下を進み、たまに速度をゆるめて、監視カメラの位置を確かめ、目的の場所に近付いていく。


 ふと、何かを感じて二人の足が止まる。


 進行方向からこちらに向かってくる、早足の足音。速くて軽い。一人分。女の教師だろうか。


 二人は視線を素早く動かして、姿を隠せるところを探す。


 唯一見つけられた場所は、掃除用具入れの物陰になる死角。


 「まさか」と嫌な予感に顔をひきつらす彼女の二の腕をつかみ、彼は有無を言わせず掃除用具入れの中に押し込んだ。


 長細い掃除用具入れの物陰に姿を隠せるのは、せいぜい一人。もう一人がどこに隠れるかと言ったら、消去法で掃除用具入れの中しかない。


 彼もすぐに死角に身を隠し、教師が通りすぎるのを気配を殺して待つ。


 しばらくして無事に教師をかわすことができると、続けて誰かが来るかとそのまま意識を遠くに向けていた。だが特に訪れる様子もく、彼はようやく緊張を解いて小さく息をつく。


 それから、「ああ、そういえば」と思い出して掃除用具入れの戸を開けると。


 頭の上に何本ものモップの房を乗せた少女が右手に固く拳を作っていた。色は違うが、頭上から山盛りの焼きそばを何個も落とされたかのよう。


 うつむいた目元には影が落ちていて表情はうかがえないが、怒りに体を震わせている。


「海一ぃ……」


 正確に描写すると、「くぁああいぃちぃ~……」だった。こめられた怒りで言葉が引き伸ばされている。


 押し殺した小声ながらも、烈火のごとく彼に食ってかかる。


「ちょっとは隠れる場所考えてよ! なんで私がこんなとこに入らなきゃならないの?! あんたが入ったって良かったじゃない!」


「あの短時間で探せる範囲ではここしか隠れる場所がなかった。お前は俺より細身。俺の体格では入れない」


 彼女の三つの訴えに、顔色も変えず、それぞれ順番に全部冷静に返答する。


「私だってかなりギリギリで体を押し込んでたわよっ!」


「結果的に問題なく隠れることができたんだからいいだろう」


 半乾きのモップをしまっているためか、掃除用具入れ内部からはむわっと生臭いにおいが漂ってくる。


「……それにしてもお前、ひどいにおいだな」


 少年はかなり度の強いレンズが入った自分の眼鏡のブリッジを、指先で押し上げる。


「あんた……いい加減にしないと裸眼で物探しさせるわよ……」


 少女は片手に作った拳をプルプル震わせていた。


 彼女の名前は、川崎 綾香(カワサキ アヤカ)。


 普通の女子中学生のようでいて、彼女の正体は別にある。


 stundet solver(スチューデント ソルヴァー)。通称SS。その構成員だ。


 全国の中学校に起こる問題を秘密裏に調査・解決する、文科省直轄秘密組織。潜入調査を行う構成員はすべて現役の中学生で、正体を隠して様々な学校へ転入し任務を遂行する。


 ただしその存在は組織の性質上明るみにはされておらず、大臣経験者の国会議員でさえも知らないことが稀ではない。


 SSは男女ペアでの行動を基本としており、彼女の相方がこの眼鏡の少年である。


 彼の名前は、神無月 海一(カンナヅキ カイイチ)。


 少年アイドルオーディションに応募したら、申し込み写真だけで決勝進出できるような端整な顔立ち。白い肌にクールな目元。すらりと背が高く、引き締まった細身の体。


 だが、綾香に言わせれば、彼の内面は毒舌選手権なるものがあればジュニアの部で優勝できるくらいひねくれたもの。


 中学一年のはじめからSSのパートナーとなり、約一年半ほどが過ぎた二人だが、未だにちょっとしたことで言い合いが絶えないのであった。その大半が、綾香が噛みつき海一がいなすようなものなのだが。


 ちなみにこの海一、実はSS長官の息子である。だが、妾の子という不遇の立場ゆえ、その恩恵に与れた記憶はないに等しい。むしろ、彼の人生において足かせになっていることがほとんど。正統な神無月家の娘である異母姉、現SS関東支部長たる神無月 宮乃(カンナヅキ ミヤノ)との扱いの差は、誰が見ても明白なものだった。


 そんな二人は新たなる任務地であるこの学校に素性を偽って転入し、調査を進めていた。


 自身にまとわされた悪臭にしばらく文句を言っていた綾香だったが、一刻も早く目的の場所にたどりつかなければならないことを考え、不満をぐっとこらえた。無駄口を叩いている暇はないのだ。


 二人は廊下を進む。


 しばらくすると、二人の行く手に自動ドアが立ちふさがった。


 自動ドアの脇には黒いセンサーがあり、カードキーやタッチキーなど、それに適切な情報を感知させないと開かないようだ。


 どうするのかと綾香が海一の方を見ると、彼は彼女に視線を向けることもなく、あるものを取り出した。綾香は彼がなぜこんなものを持って潜入しているのか分からなかったのだが、ようやく出番のようだ。


 A4サイズの真っ白なコピー用紙。


 その場にしゃがんだ海一は、自動ドア下部にある1ミリ以下の隙間にそれをさっと通す。


 すると。


「あ、開いた……」


 海一は用済みになったコピー用紙を四つ折にしてワイシャツの胸ポケットにしまうと、特に説明もせずに中に入って行ってしまう。


 綾香は慌てて彼の背中を追いかける。


「ね、ねぇ。今の何?」


「オートロックマンションの共有エントランスなどに、自動ドアがあるだろう? 部屋番号を押して住人に内側から解錠してもらわないと開かないような。あれは外側から中に入るのは手間だが、内側から外に出るときは何の障壁もなく、自動ドアのセンサーが人物を感知して勝手に開く」


「そりゃ、出るだけだからね」


「その仕組みを利用して、自動ドアの内側に動くものを挟み込み、人物がいると誤認識させた。だから開いた」


 ”5つあったリンゴを3つ食べたら2つ残りました”とでも子どもに説明するかのような、ただただ事実を述べるような淡々とした口調でごまかされそうになるが、なかなかの悪知恵だ。


「そんな悪ガキのいたずらみたいな方法で……」


「高度なセキュリティも意外に見落とされている初歩的な点は多い。指紋認証なども、セロテープで盗み取った本人の指紋から解除できたというケースもあるそうだ」


 なんだか自分たちが泥棒になったみたい、という所感は、綾香は心の中だけに留めておくことにした。


 さらに足を進めた二人は、目的地である職員用ロッカールームへの潜入に成功した。壁際にみっちりと詰め込まれた縦長のスチールロッカーの一つ一つにネームプレートがついており、目的の人物の名を探す。


『黒川 彰一(クロカワ ショウイチ)』


 念のため二人はポケットから取り出した薄手の手袋を着用すると、まず海一がロッカーの鍵をピッキングで開ける。SSでは鍵開けの研修があり、よほど特殊なタイプでない限り問題なく解錠することができる。


「それで、デジタルセキュリティの主任の黒川先生のロッカーがこれってわけね。失礼しますよ~っと」


 一応後ろめたさはあるのか、軽い口ぶりながらも断りを入れて、綾香がロッカーの戸を開ける。


 ハンガーにかかった背広。ネクタイ。無造作に置かれた鞄の中には、財布、鍵、定期券、読みかけの本など。財布の中も検めてみるが、特に変わったものはない。近所のコンビニのレシート、クレジットカード数枚、保険証、免許証、いくつかの店のポイントカード。


 鞄に手を突っ込んで底を漁ってみると。


「あ、USB」


 綾香の手からそれを受け取った海一は、SSから支給された自分の携帯端末に差し込んで高速コピーを開始する。スマートフォンと変わらないような見た目のそれは、SSの任務遂行補助に特化した、いわゆる一般的な携帯電話とは異なる機能を持つ。


 すべての荷物を調べつくしてしまうと、綾香は不満げに唇を突き出した。


「むぅ……。こういうケースの調査って初めてだから、いまいち勝手が分からないわ」


「まあ、もう既に起こってしまった事件の事後調査だ。さほど気を張ることも、急ぐこともあるまい」


 携帯端末を操作しながら海一は淡白に言う。


 実はこの学校で、二ヶ月ほど前に生徒の個人情報流出があったことが発覚した。


 近年問題になることが多い、個人情報流出事件。しかしなぜ、それにSSが出張ってくるのか。


 この学校は、普通の学校とは少し事情が違っていた。


 綾香は新品のにおいがまだまだ抜けきらない部屋をぐるりと見回す。幹線道路近くのため、騒音と排気ガス対策で窓ははめ殺しが多く、気密性が高い。非常時に窓から逃げられないことを考慮して、各部屋や廊下の床には下階に降りられる避難ばしごまで設置されている。この真新しさと密封された息苦しさから、見たことはないけれど宇宙船の中みたい、と綾香は思う。


 学校教育の現場では、より良い教育環境のために常に新しい試みが考えられている。


 すべての指示を英語で行う授業だとか、教室ごとの仕切りを一切無くした校舎だとか、理科実験室に大学の研究室と変わらない機械を導入してみたりとか。


 これらの革新的な取り組みを全国すべての学校でいきなり開始するわけにはいかないので、まずは指定されたいくつかの学校に試験的に導入される。その”指定先進校”と呼ばれる学校の中で成果を確認できたものを、徐々に全国に展開していく。


 そして、去年新設されたばかりのこの中学校では、このデジタル隆盛時代にふさわしく、文科省の肝いりで始められたある実験的取り組みがあった。


 デジタル先進校。


 学校管理を高度にデジタル化し、効率化、安全性、防犯性などを高めるというもの。


 特徴的なものだと、生徒全員が腕にはめている”ウォッチ”と呼ばれるものだろう。スポーツ向け腕時計を少し太く、ごつくしたようなもの。色は清潔感のある白。盤面の裏側にはうっすらとローマ字で所有者の名前が刻まれている。


 国内のある企業と共同開発されたもので、改札にかざせば定期券、電子マネーとしてコンビニや自販機で使え、防犯ブザーも鳴らせるのは序の口。


 登校の出欠もこのウォッチを机のセンサーにかざすことで取れる。この学校は教室などの各ドアはほとんど電子管理の自動ドアで、施錠された教室などは入り口のリーダーに自分の情報を読み取らせると、その持ち主の資格によって開けることができる。例えば、女子更衣室は女子のウォッチなら開けられるが、男子のウォッチでは開けられない。職員による定期試験の会議中であれば、職員室には生徒のウォッチでは入れないように設定できる。


 そもそも、ウォッチをつけていない人間が勝手に敷地内に立ち入ることはできない。校門のセンサーが反応し、途端に警報が鳴る。綾香は登校初日にそれをやらかして、ものすごく驚いたしものすごく怒られた。


 また、廊下などの通路にも一定区間ごとに非常時用の仕切り扉が設置されている。近年深刻化する学校に侵入してくる不審者対策だ。普段それらは防火シャッターのように隠れているが、非常事態になればそれらを下ろして、不審者を閉じ込めることもできる。


 これら建物内のセキュリティは民間の警備会社に委託するのではなく、学校内の専用セキュリティルームで厳重に管理している。外部とのつながりは一切遮断し、学校内だけでセキュリティを成立させることによって、外部からの悪意あるアクセスの可能性も限りなく排除できる。


 そこのマスターとなるコンピューターの頭の中には、あらゆる情報が入っている。ウォッチによる入退室履歴や監視カメラの映像はもちろん、定期試験やスポーツテストの成績から身体測定の結果、進路希望、家族構成から保護者の勤務先、高校の合否結果まで。


 デジタル先進校として新設されたこの学校では、新しく建てられた校舎が丸ごと高度デジタル化に対応した特別な作りになっている。これが成功すれば次から新設される、あるいは建て替えられる学校はこのような作りになっていく予定で、けして失敗は許されない取り組み、のはずだった。


 それがほんの一、二年のうちに生徒の個人情報流出事件が起きてしまったものだから大変な騒ぎだった。


 どれだけ外を警戒しても、中に一匹でもネズミが居たら、内部は食い荒らされてしまうのである。


 デジタル化を推進したい文科省としては、大事にならないよう、警察でなくSSにこっそりと実態調査を命じたのだった。


 誰がどうやって流出させたのか。また、その証拠。


 実を言うと、この事件はほとんど犯人の目星がついており、SS本部の指示によりその被疑者を徹底的にマークし、調べることが今回の任務の主な内容だった。


 その被疑者である教師・黒川のロッカーを、綾香と海一は朝の職員会議でここが無人になる時間を利用して探っていたのであった。


 SS本部からの資料によると、黒川は近年増えつつある民間企業を経験したサラリーマンからの転職組。教師になる前は有名なIT関連企業に勤めていたことから、この学校のデジタルセキュリティの主任担当となったそう。


 デジタルセキュリティの主任担当である黒川は、管理責任者としてコンピュータのマスター権限を持つ。ほかに自由なアクセス権限を持つ人間が極端に少ないことからも、黒川はかなり白から遠いグレーと言える。


 綾香は腕にはめたウォッチのセンサー部分に自分の人差し指をすべらせる。指紋認証でウォッチが起動し、主を認識した画面が代わる代わる個人情報を表示する。


 AYAKA KAWASAKI、自分の名前。


 2-2、クラス。


 39、出席番号。


 MG-03582XXX、ID代わりとなる生徒番号。


 綾香が教師から受けた説明によると、これは身分証として使える生徒手帳代わりになるという。しかし、これを映画館などで割引申請のために見せるのは恥ずかしすぎるだろう、と綾香は思う。


 そうこうぼんやり考えているうちに、海一がUSBのコピーを終えたようだ。


 接続を解除し、黒川の荷物を元に戻して再びロッカーを施錠する。


「今日はどういう調査の流れにする?」


「俺は休み時間にでも職員室に行って、何箇所が盗聴器を仕掛けてくる。あとは、黒川の空きコマに奴をつけて監視する」


 綾香の問いかけに、海一は携帯端末で黒川の担当科目の時間割表を確認しながら答える。


「了解。私はクラスの子たちとかに、この学校のことをいろいろ聞き込んでみるわね」


 先ほど海一が言ったとおり、すでに起こった事件の事後調査なので、二人にさほど強い緊張感はない。限りなく黒に近い疑わしい人物の指定や、調査方法の具体的な指示まであるのだ。重大事件が続いていた二人にとって、いろいろな意味で肩の力が抜ける任務だった。


 予鈴が鳴る。デジタルに加工された、うるさすぎない聞き取りやすいチャイムが、音質のいいスピーカーから流れてくる。


 うなずきあった二人はすぐさま職員用ロッカールームを出、自動ドアを抜け、監視カメラに気をつけながら職員棟を出る。


 職員棟を出ると、二人は先程まで気安く話していた事実などなかったかのようにつんと澄ました他人になり、別々の道へと歩いていく。


 SSのペアは、原則として任務中は他人としてふるまうことになっている。


 いい意味で、少しだけ気をゆるめて臨めそうな任務。綾香と海一はさほど焦ることもなく、余裕を持って各々の教室へ向かった。






 そんな二人から少し離れたところに、一つの影があった。


 SSとして、あれだけ気配に敏感な二人が気づいていなかった人影。


 その人物は、澄ました顔で歩く二人をそれぞれ視界に入れると、ニヤリと笑う。


 上がった口角から、鋭利な刃を思わせるような犬歯が覗いていた。

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