18

 満月が煌々と照らす学校。さえぎるもののない高い月は、校庭に大きく校舎の影を落としていた。


 風の止んだ深夜、綾香と海一は再び夜の学校を訪れていた。


 前と同じく私服姿で、同じように裏手のフェンスを飛び越え、窓を越える。ただ前回と異なるのは、二人の使命感を帯びた瞳と、今日こそ決定的なことを知るだろうという強い緊張感だった。


 無駄口は一切叩かず早足で進んだ。


 向かうは理科室。肝試しをする生徒たちのため、寺崎によりわざと流されている解錠番号。前回さりげなく見て覚えておいた番号を素早く合わせ、二人は中に進入した。


 暗幕カーテンが全て閉まっていて光が外に漏れないことを確認すると、腕時計を操作して明かりを確保した。


 理科室より通ずる鍵のかかっていない扉から、理科準備室に急ぐ。

 前とは異なる緊張から、口が渇くのを感じた。この先のことを予感して心臓が大きく鳴り始める。


 二人はそのまま入り口の向かい側の壁に向き合った。この隣は廊下側の入り口を板で打ち付けられた廃教室がある。


 そして手分けしてそこを探る。綾香はしゃがんで床を、海一は壁を、それぞれ腕時計の照明をかざしてくまなくチェックしていた。

 綾香が先に発見する、埃が不自然に溜まっている場所を。大きな棚の足元に線状に溜まった奇妙なゴミのまとまりがあった。


 それを元に海一がその棚を確認する。脇から力を加えてみると、予想通り少し動いた。

 なるべく音を立てぬよう静かに押していく。その棚は大きいので軽いとは言えないが、男の力なら一人でも動かせるレベル。


 動かした背後から姿を現したのは、古びた扉。古いがしかし、埃が積もっているということはない。擦りガラスが入っている覗き窓は目隠しの板が打ち付けられ、鍵はドアノブ自身に備え付けられたのもの以外に、上と下に厳重に外部から施錠されていた。


 理科室の扉のザル過ぎるセキュリティとは雲泥の差。ここには確実に何かある。何かを隠そうとしている。


 二人は黙ってそれぞれの鍵の解錠作業にとりかかった。


 片腕で照らしつつ片手で作業していたが、低い位置に鍵があるので這いつくばる姿勢にならざるをえない綾香は、難航し始めると腕時計を外し、床に置いて手元を照らしながら両手で作業した。


 海一は適当なものを踏み台にして高い位置で作業出来るよう調整した。両腕をずっと上方にあげていると肩が痛んで作業効率が悪くなる。難しいタイプの鍵だったので少し時間がかかり、気持ちに少し焦りがにじみ出した頃。ようやく鍵が開いた。


 しばらくして綾香も下の鍵を開け、海一が続けて作業していたドアノブの鍵を開けると、ドアは完全に解錠された。


 二人は薄闇の中、互いを見合ってうなずいた。


 海一がドアノブに手をかけ、音を立てぬようひねり、ゆっくり前に押し開ける。


 開かれるドアの隙間から漏れる明かり。ドアノブをつかむ手を照らす人工的な色の光。とっさに鼻を覆ってしまう独特な匂い。


 二人の目に映ったのは。


 室内にみっちり並べられた、段のついた棚。天井から吊るされたいくつものライト。人工照明にまんべんなく照らされ、反射材に囲われた中に見える緑の葉。


 機械によりなされる大きな換気音の中で、二人はしばらく言葉を交わせずにいた。


 先に口を開いたのは綾香だった。


「これはホントに……ヤバいのが来ちゃったわね」


 隣に立つ海一に言ったというより、ほぼつぶやくように、自分を落ち着けるようにそう口にした。


 今までこなしてきた任務の中でも格段に危険で、重大なケースではないだろうか。SSになってようやく一年ちょっとという自分たちではなく、三年目の経験豊富な人たちが担当するような。


 海一はうなずく。そして、


「とにかく、まずは証拠だ。綾香」


 と、綾香に撮影を指示して、自分は部屋中をくまなく探索することにした。






 日中、海一は浜田弟と話したあの後、まずはすぐに事務室へ向かった。そして学校内への物の出入りを管理している事務員にこう訊いてみた。

 会計の不正操作が行われ出した時期前後に、沢山の荷物が届いていませんでしたか、と。


 事務員は答えた、確か園芸部が購入した園芸関係用品とやらがやたら届いていたな、と。


 次に、園芸部の顧問を務めるという校長のもとへ向かった。

 綾香から聞いた情報によると、冬間いわく部員が彼しかいない園芸部が潰れないのは、校長が趣味を兼ねて名ばかりだが顧問を務めているからだという。


 海一は校長にこう尋ねてみた。会計の不正操作が行われ出した時期前後に、園芸部で何か物を購入されましたか、と。


 校長は答えた、一応園芸部の顧問を務めてはいるが細かいことは全て唯一の部員である冬間に任せていて、詳しいことはすぐには答えられない、と。ただ、園芸部は中庭で細々と花の世話をしているだけなので、ほぼ物を購入することはない、とも語った。


 海一は昨晩寺崎の学者時代の本を読んで、ある可能性を考えていた。


 学者時代の寺崎は“発芽能力のない種子を発芽させる”研究をしていた。どんな状態からでも、欠けた物を補い必要なものを足し、植物を育たせるという研究。


 この情報だけでは思いつかなかったかもしれないが、あの柄の悪い男たちの存在を考えた時、反社会的団体と関係があることを考えた時、海一はもしやと思いある事を調べてみた。


 ある事とはそう、『麻薬』だ。


 通常、日本に一般的に出回る大麻草の種子は発芽能力がないもののみと国により決められており、発芽能力のある大麻草の種子の管理は免許制で徹底的に管理されている。


 だがもし寺崎の研究の成果があれば、比較的容易に入手できる一般流通している種子からいくらでも栽培が可能になる。


 まさかとは思ったし、勘繰り過ぎだろうとも思ったので、綾香にははっきりしてから話そうと思っていた。


 だが学校で色々聞き込んでみると、会計に不正が行われ出した時期に寺崎が園芸部の名義で大掛かりな装置や道具を大量に学校に持ち込んでいることが分かった。


 大量に増加した電気代は、人工照明や換気設備、その他研究のためなどに使われていたのだろう。


 加えて、浜田弟から聞いた情報によると教頭は寺崎に会計のチェックを丸投げしているという。嵐の日に浜田との会話を綾香と立ち聞きした時に寺崎が言っていた「上の方は大丈夫なので」とはこういうことだったのだろう。


 浜田が寺崎の指示のもと会計の数字を違和感のないものにする、そのチェックをする教頭は全てを寺崎に任せているので指摘する者は居ない。


 パソコンが出来ないことで周囲の人間に恥をさらしたくない教頭は、寺崎に監査の全てを任せている。恐らく代わりに寺崎の借金や学校に来る借金取りのことを触れないでやっているのだろう。


 よく考えてみたらおかしな話だ。会計報告書の表面上の数字をどれだけいじくり回しても、出費が増えている事実は変わらない。金は無限にあふれるわけじゃない。いつか金額の辻褄が合わなくなっていることに誰かしら気づくだろう。浜田が会計担当の任を解かれ別の教師が担当になる可能性だってある。そうしたらどうするつもりなのだろう。


 そんなことも分からないくらい没頭しているのか、それとももうそんなことなどどうでもいいと思うくらい自暴自棄なのか。いずれにせよ寺崎には何をしでかすか分からない怖さがあった。


 海一が最後の最後で決定的な情報をつかめなかったのは、寺崎が装置を持ち込み栽培している場所だった。


 そしてそれは綾香の口から語られた冬間の告白により明らかになった。廃教室と思われていた部屋には理科準備室から通じる入り口があり、そこが問題の部屋であると。






「証拠になりそうなものは大体撮れたわ」


 綾香の言葉に海一は視線だけで応えた。


 この部屋には狂気の空気が満ちていて、長時間居たら頭がおかしくなりそうだった。


 二人は無言のまま鍵をかけ直し、棚を戻して部屋を後にした。

 再び同じようにして理科室から出て、鍵を戻し、外に出ようと一階の鍵が壊れている窓まで急いだ。


 しかし海一には、妙に心に引っかかるものがあった。

 その正体がつかめず、急ぎながらひたすら思考する。


 前もここに来た。その時はクラスメイトたちと肝試し、という名目。

 今回も同じようにここに来た。今回は秘密の部屋を探るため。


 あの部屋では寺崎が作業していて、夜に作業しにくることもあるため、深夜の学校に侵入した人間を特定されぬよう、幽霊の噂を流し誰でも夜の学校に入れるルートを作った。


 実際に自分たちも肝試しをした。肝試しをしたのは理科室と理科準備室。


 ではもし、“肝試しをしている生徒と鉢合わせてしまったら”どうするのだろう。真っ暗な部屋だし、監視カメラをつけて四六時中監視しているというわけには行くまい。


「まさか……!」


 海一の思考がある恐ろしい可能性にたどり着いて、思わず言葉が口をついて出た。

 もうすぐ窓から出られるという時、綾香は急に声を出した海一を振り返った。


 その時、廊下の奥の方からキュ、キュ、と足音が聞こえてきた。


 深夜の職員室に忍び込んだ時に綾香が聞いたそれと同じもの。そして確実にこちらに迫っているものであることが分かった。


 寺崎だ。足音を聞いた事がある綾香も、そしてある可能性に気づいてしまった海一も瞬時に理解した。


 そして次の瞬間、背筋が凍るようなセリフを聞くことになる。


「撮った写真を、返してもらえますか。……アヤカさん?」


 真っ暗で顔なんて見えないはずなのに、寺崎と自分たちの位置にはまだ距離があるはずなのに。はっきりと自分の名を呼ばれた綾香は、衝撃と恐怖で動きが止まってしまう。


 海一は瞬時に腕時計を操作して、最大出力の光を寺崎に向けた。

 暗闇に慣れた目には痛くなる程の強い光。逆光にすることで寺崎の目をくらました。


 そして固まる綾香の背を打って、二人は窓から飛び出した。走り、見通しの良い適当な草木の陰に身を隠す。


 海一が気づいたある恐ろしい可能性。それは、“理科準備室に『盗聴器』が仕掛けられていたかもしれない”ということ。


 肝試しをする生徒たちが来たら、極力潜めたとしても足音や声、ザワザワした物音は必ずする。それをイヤホンででも聞いていれば、ずっと監視カメラを見ているようなことをしなくても、誰か居るのか誰かが来るのかが分かり、鉢合わせの可能性は極力減らせる。あんな乱雑な部屋、どこにだって仕掛ける事ができよう。


 流石に盗聴器越しの声だけで人物が分かることはないだろう。でも、会話内容や互いに呼び合う名前で正体を推測することは可能だ。


 彼女は自分の名前を呼んでいないし、特定できるような会話もしていない。恐らく自分の正体はばれていない。声から男子生徒だということくらいしか特定できていないだろう。


 しかし彼女は違う。自分がしっかり名を呼んでしまったのだ。


 海一は先程、綾香に証拠写真を撮るよう指示する際、彼女の名前を口にしてしまっていた。「とにかく、まずは証拠だ。綾香」と。


 だから先程こちらに迫ってきた寺崎は彼女の名を口にしたのだろう、「アヤカさん」と。


 寺崎が追ってくる様子はない。


 ちらと視線だけで隣をうかがうと、混乱の中に恐怖をにじませた綾香の横顔がある。


 やってしまった。海一は久々にそう思った。

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