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 綾香は結局、二時間以上かけて買い物をしてきた。帰宅した時にはちょっとしたスポーツを終えたように足が疲れていた。


 駅を越えた先にある大型スーパーは夜十時まで営業していて、この地域の住民にとっては二十四時間営業のコンビニに匹敵する利便性を誇っている。スーパーの面積の倍以上の広さの駐車場が併設されており、近所からはもちろん遠方からも沢山の買い物客が訪れるのだと分かった。


 スーパーの中には飲食店などもあり、それは綾香が今まで見たことのないチェーン名だったけれど、遅い時間でも多くの人々で賑わっていた。

 店の規模自体も“大型”というより“巨大”と言い飾れるレベルで、綾香は東京湾岸地域の大型ホームセンターを思い出した。


 しかし綾香が一番驚いたのは、そこで偶然ある人を見かけてしまったことだ。

 それは誰でもない、先程話題にのぼっていた浜田である。


 完全なオフの顔で、格好もなんだかラフだった。普段からジャージ姿とラフではあるけれど、部屋着に近い感じがした。恐らく家が近所なのだろう。


 そして綾香がもっと驚いたのは、浜田が見たことのない若い女性と一緒に居たことだ。


 浜田がハキハキとしているのに対し、女性はどこか落ち着いた、言葉を選ばないで言えば暗そうな印象があった。笑っていても目元がどこか憂鬱げに見える。髪は肩まででふわりとした毛質。背はさほど高くなく、ロングスカートにブラウスを合わせてシンプルながら女らしいファッションに身を包んでいた。


 買い物客で混んでいるし、あまり近づくと浜田に気づかれてしまう。どんな会話をしているのかは聞き取れなかったが、周りの買い物客に怪しまれぬ程度にチラチラ観察していると、いくつか分かることがあった。


 一つ目に、二人は夫婦や恋人ではないということ。あの浜田がどこか遠慮したように照れ笑いを浮かべながら喋っているし、二人の間にも距離がある。しない人もいるので必ずしも参考にはならないが、二人の薬指に指輪はなかった。


 二つ目に、一緒に買い物に来たわけでなく別々で来て偶然出会っただけだということも分かった。


 二人はそれぞれ自分の買い物かごを持っていて、明らかに別会計であることが分かる。カゴに入っている商品の種類から見て、浜田も女性も多分一人暮らしではなさそうだ。恐らく二人とも実家暮らしだろうか。


 最後は綾香の非常に主観的な判断だが、恐らく浜田はあの女性に恋愛的な好意を抱いているように見える。女の勘としか言いようがないのだが、なんとなくそう感じられた。


 そして哀れなことに、女性の方は浜田にそう言った感情はいだいていないようだし、今後もいだくようには見えない。これもあくまで綾香の主観にしかすぎないが、はたからに見ても二人が一緒にいるところは恋人や夫婦として釣り合いがとれている画には見えなかった。


 綾香は帰宅してすぐ海一にそれを報告した。


「浜田の女性関係か……。知る価値はありそうだが、生真面目な堅物だけに調べるのは難しそうだな」


 海一はそうこぼしていたのだが、翌日、思いもよらないルートでその女性の正体を知ることとなる。






 この日は朝から曇り空で、広い空にはまんべんなく灰色の雲が敷き詰められていた。ローカルニュースによると台風が近づきつつあり、明日にでも最接近するかもしれないらしい。

 生徒たちは明日は臨時休校になるんじゃないかとか、短縮授業になるんじゃないかとか、朝からどこかソワソワしていた。


 そんな中、海一はサッカー部の早朝練習に参加していた。


 海一がいくら表面的に愛想良く振る舞えても、綾香のようにすぐに他人と打ち解け、集団に馴染み、気づけば自然と輪の中心にいられるような能力は持っていない。今までの経験や育ってきた環境の影響もあるのだろうが、あれは一種の才能であるとさえ海一は思っている。


 しかし、海一には海一の集団への馴染み方がある。その一番簡単な方法は突出した能力を見せることだ。


「す、すっげえな……」


 準備運動と軽いランニングで体をアップし、その朝の課題の一つであるシュート練習に取り組む。季節はずれの新入部員に興味津々だった他部員たちは、上級生も含め海一の能力の高さに目を丸くしていた。


 どんなに遠くからでも、どんな角度からでも、レギュラーの三年生がゴールキーパーを務めても、それに加えて顧問の浜田が敵として邪魔に入っても、一切のシュートを外すことはなかった。


 昨日の体験入部ではあまり目立ちたくなかったので実力を出さないようにしていたし、前の学校でもサッカー部ではなかったと最初に伝えてあるので、その隠された能力に驚きもひとしおだろう。


「これからうちの部活はすごいことになるぞ! 全国大会も夢じゃないかもな!」


「そういえば川崎の双子の妹も、陸上部に体験入部してすごかったらしい。とんでもない兄弟がきたなぁ!」


 他の部員たちにとって海一の練習風景はもはや、観賞するためのパフォーマンスのようになりつつあった。


 海一は幼少期から様々な英才教育を受けさせられてきたが、それは運動分野も例外ではなかった。


 “神無月家の人間たるもの賢いのは当たり前で、なおかつ文武両道でなければならない”という高いエリート意識のもと、厳しい教育が徹底されていた。子供の頃より体の最も効率的な使い方を学ばされ、早くからスポーツだけでなく多くの体術もたしなまされた。


 海一の二歳上の腹違いの姉、神無月家の正統な生まれである神無月も同じようにあらゆる分野の英才教育を受け育てられた。


 けれど、“生まれ”という違いによる両者の隔たりは大きかった。


 妾の子であり本来は神無月家に入れるような人間ではないと多くの者たちに見なされている海一は、反感を持ったり見下したりしてくる何人かの教官に、度の過ぎたスパルタな指導をされることが度々あった。


 もちろん誰もかばわないし、自分が訴えることもできない。唯一の血縁者である父親でさえも自分に干渉してくることはない。海一だってここに来たくて来たわけではないのに。


 ただただ耐え、誰にも伝えられぬ辛さと涙を押し殺し、文句を言われる隙を作らぬよう独りひたすら努力して努力して、今の自分の能力が出来上がった。


 あんなに辛かった過去が今の自分の力を作ったなんて、多くの人の場合それは素晴らしいことだと賞賛するかもしれないけれど、海一にとっては皮肉以外の何物でもなかった。しないで済むのならあんな経験はしたくなかった。


 シュート練習を終えた時、海一に駆け寄り人懐っこく話しかけてきた一人の男子生徒がいた。


「川崎のお兄ちゃんの方、ていうかどっちも川崎か。すっごい運動神経だな! どうやって練習したんだ? 色々教えてくれよ!」


 顔だけでなく性格や態度も爽やかな印象の男子生徒だった。身長は海一よりは低いが綾香よりは高いくらい。ごく平均的な体格だったが、とっつきやすそうな笑顔を見ていると、きっと男子生徒にも女子生徒にもとても人気があるのだろうなと思えた。川崎のお兄ちゃん、という呼び方からしてきっと綾香と同じクラスで二年生なのだろう。


 海一は学校用スマイルで「教えられることなんてあんまりないけど、よろしく」と突出した能力に反感を持たれぬよう言葉選びに気をつけて返事をした。


 そのあと海一はその日の朝の練習メニューの多くを彼とこなしたのだが、一つだけ気になることがあった。


 朝練終わりに部室へ向かう途中、疑問に思っていた点を尋ねてみた。


「そういえば、まだ名前を聞いていないんだけど……ジャージに『浜田』って書いてあるけど、まさか?」


「あれ? 知らなかった? 俺、顧問の弟だよ」


 へへっ、とにこやかに笑いかけてくる浜田弟に、海一はリアクションを返すのが遅れてしまうくらい驚いた。そして同時に、転入前にSS本部から送られてきた資料にはそんなことは書いてなかったぞ、と情報のムラに文句をつけずにはいられなかった。

 生徒たちも特に話題にしていないし、人口の少ない地方だと職員の血縁者が生徒ということもそう珍しくはないのだろう。


「兄ちゃんは勝利、俺は久利。年も一回り以上離れてるし、全然似てないよな」


 そう冗談めいてみせる彼だったが、よく見てみると目元や口元に似通う点を見出せた。弟の方はニコニコしているので、いつも厳しい表情ばかりを生徒に向けている兄の浜田を見てもなかなか印象が重ならないのだろう。


「ん? そんなにびっくりした?」


 顔をじっと見て反応を返さない海一に、浜田弟がそう尋ねる。


「あ、ああ。知らなかったから驚いた」


 海一は脳内がフル回転していた。これは浜田のプライベートなことを色々と聞き出せる絶好のチャンスなのではないか。だがあまりに急なことだったため、どれを優先して尋ねるべきか急いで考えて、自然と会話がとまってしまっていた。


 変な間を作ってもいけないしと、海一は昨夜綾香から聞いた情報について訊いてみることにした。


「妹が昨日、大型スーパーで浜田先生と女の人が一緒にいるのを見たって言ってたんだけど、もしかして何か知ってる?」


 今時の中学生らしく下世話なネタに興味があるふりをして尋ねてみた。すると。


「おっ。結構深いトコ知ってんね~。やっぱ田舎ってこういうの、隠しても筒抜けになりやすいからかな」


 ニヤリとしてそう語る様は、何かとても面白い情報があるような含ませ方があった。


「じゃあ、本当に女の人と居たんだ? 恋人?」



「相手の正体ねー。これはかなりの超レア情報だからそう簡単には教えてあげられない……けど!」

 さりげなさを装い探りを入れるも、やはり難しかったか、と諦めかけた時。浜田弟は海一にこう提案してきた。


「俺は今後、川崎と仲良くしたいしサッカーも教わりたい。だからウィンウィンの関係で居たいんだ。だからこの超面白ネタを特別に教える代わりに、俺の頼みも聞いてくんないか?」


 一体何を頼まれるのだろうと少し緊張しつつ、海一は「もちろん」と快諾した。


「マジかー、超助かるよ! 川崎が居たら百戦百勝、絶対勝てるぜ!」


 だから何を頼みたいのか早く言え、と心の中では文句を言いつつ学校用の表情を崩さない海一。


「で、何をしたらいい?」


「説明するとな、今日の五、六時間目の授業、二年生の全体体育があるんだ。そこでサッカー部VS野球部で校庭の覇権をかけてバスケ対決をするんだ!」


 もうどこからつっこんでよいか分からない事態に、海一はギリギリのところで学校用スマイルを維持した。


「メンバー入れ替えて全部で三試合あるんだけど……まあもちろん人数足りないから他のクラスメイトにも参加してもらうんだけどさ、野球部の奴ら根回しが早くって他のほとんどの運動部男子を先に取られちまったんだよ」


 それはそれは勝ち目の無い間抜けな話だ。戦略性の無さに海一は心の中で毒づいてしまう。


 心の声が浜田弟に聞こえているはずもなく、浜田はやんちゃな笑顔を浮かべてこう言ってきた。


「だから、運動神経抜群の川崎には、三試合とも全チーム全試合に全部出てほしいんだ!」


 海一は一瞬動きが止まってしまってから、少し遅れて「分かったよ」とうなずいてみせた。うまく学校用スマイルで笑えていたかどうか、頬の筋肉が引きつっていたので定かではないが。


 きっとこれは勝たないと聞き出しにくい流れになるなんだろうな、と海一は腹をくくるしかなかった。

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