海一は教頭を探ったあと、浜田をつけてみることにした。


 会計をまとめ、文科省に提出する資料制作を担当している浜田。会計の数字をごまかすことができるとしたら、最終チェックをする教頭か会計を担当する浜田ではないかと海一は睨んでいる。


 他にも色々と気になる点はあるのだが、今は浜田の行動が一番気になった。それはなぜかというと、浜田は今、あの冬間を呼び止め人気のないところに連れて行こうとしているのだ。海一が教室に戻ろうとしたところで偶然見かけた。


 二階の職員室から職員棟を一階まで下り、昼休みに近づく者は誰もない駐輪場付近まで、周囲を気にしながらやってきた。ただ、周りの気配を気にしているのは浜田だけで、冬間はいつにも増した不機嫌そうな表情でいやいや彼についていっているだけの様子だった。


 浜田はもう一度人気がないことを確認すると、重々しくその口を開く。


 もちろん、そのすぐそばでは気配を殺した海一が聞き耳を立てていたわけで、浜田の用心は全く意味がなかったわけだが。


「冬間も見ただろう? お前も気をつけたほうがいい……」


 近くで聞いているのだが、時々吹く強い風が言葉の一部を持っていく。


「あんなこと……何があるか分からないぞ」


 浜田が喋ってばかりで、冬間は口を一文字に結んでいる。


 元々会話を成り立たせる気がほとんどない奴だということは分かっているし、他人に対しつっけんどんな態度を取ることも知っている。しかし浜田をじっと冷たい目で睨む様子は、もう少し複雑な感情を包含しているように見えた。


 浜田も浜田で、冬間を心配している様子ではあるのだが、いつもの癖かどうも説教のようになってしまっている。


「……今日の帰り、特に注意を……」


 冬間から一言も発せられぬまま会話が終わろうとした時、浜田は最後に気になる言葉を残した。強風で聞き取りづらかったが、妥当な予想で補完すると「今日の帰りは特に注意をしろ」と言ったのだろう。


 海一は最後の一言が妙に気になった。


 そもそも今日は朝からおかしなことがあったのだ。見慣れない黒いセダンが、違和感丸出しで校舎の片隅にとまっていた。早朝の校門前という場所に全くそぐわない、スモークが効いた窓。

 とりあえずそのナンバーは控えたので、先程SS本部に所有者情報が欲しいと連絡しておいた。


 浜田の話が終わるや否や、冬間は早足でその場を立ち去る。普通はもう少し会話の余韻があるものじゃないかと海一は思ったが、彼は体全体で拒絶を示すかのようにすぐに居なくなってしまった。


 海一は冬間と鉢合わせぬようすぐに校舎内に飛び込み、通行人のふりをして難を逃れた。






 放課後、綾香は帰宅する冬間のあとをつけていた。

 人気がないのはまあいいとして、建物などの物陰もほとんどなく見通しが良すぎるのは尾行する上では大問題だった。


 時間を少しさかのぼり、帰りのショートホームルームが終わってすぐのこと。


 また今日も部活動の調査をするため体験入部めぐりをする予定だったのだが、突然海一に人気のない場所に連れ出され、「今日はこれから冬間をつけろ」と言われた。

 理由を聞く前に綾香は反射的に「ええっ、嫌よ!」と言い返してしまった。


 考慮するつもりはなかったが海一が一応訳を訊いてみると、


「私アイツにブスって言われたのよっ! 信じられる?!」


 とぷりぷり怒りながら口をとがらせた。

 海一は深くため息をついたあと、


「はいはい、分かった分かった。お前は至極凡庸な顔立ちだが不細工ではないから安心しろ。あくまで世間並みにな。十人並みに、凡人並みに」


 と慰めにもなっていない慰めを口にした。


 綾香は激しくイラッとしたが、悔しくも言い返す言葉は見つからなかった。


 どう言っても海一の顔立ちが整った部類に入るのは間違いなく、しかも本人もそれを自分で理解している。普通美形の人ってそういう自覚は無いもんなんじゃないの、と綾香は非常に腹立たしく思う。


「ともかく、今日は俺も部活動の調査に行かないといけないから手が放せないんだ。浜田の担当するサッカー部を探ってくる。あと単純に俺は冬間に毛嫌いされているようだし」


「はぁ? 私なんて毛嫌いなんてレベルじゃなく超明確に嫌われてるわよ」


「そこはお前の持ち前の図々しさでどうにかしたらいい。というより、別に奴のあとをつけて様子を見てくれたらいいだけだ。何もなければそれで構わない」


 綾香としては言ってやりたいことは沢山あったのだけれど、人が近づいてくる気配を察知したので二人は会話を強制的に終わらせざるをえなかった。


 現れた年配の女性教師に「あら、兄弟二人揃っちゃって。仲がいいわね」と声をかけられたが、綾香は微笑みの下で「ど、こ、が?!」と鬼の形相を浮かべていた。


 去り際に海一がさりげなく耳元で情報を付け足してきた。


「浜田が冬間に『今日の帰りは特に注意しろ』と言っているのを聞いた」


 綾香はそれを先に言いなさいよねと思いつつ、それじゃあつけないわけにはいかないじゃないのと腹を決めた。


 そして今に至り、綾香は帰宅する冬間をつけているのだった。


 中庭でまた何か色々と作業をしていたが、本人が言う通り園芸部は彼以外の姿はなく、顧問が現れることもなかった。観察していると、部活というより彼が個人的にやりたいことをしているだけのようにも見えた。


 揺れる花たちはどれもきれいに咲いていて、冬間の植物を育てる腕は中学生男子でありながら一級品であることをまざまざと見せ付けられるようだった。


 活動を終わる時間も彼の自由。まだ他の生徒たちは活動している時間帯だが、冬間は太陽が高いうちに帰路についた。


 綾香は彼の後姿を少し遠めに距離をあけて見守りながら、今日起きたことを考えていた。


 授業中に廊下を歩いていた時に偶然見かけた、柄の悪い男たちに絡まれる寺崎。その時現れた謎の足音。そしてその足音は理科準備室に入ったと思ったのだが、覗き込んだ時そこには何者の姿もなかった。しかしドカドカと何か物音は聞こえていた。


 今日は不可解な現場に多々遭遇する。


 そういえば、と綾香は更に思考する。謎の足音といえば、肝試しをしたあと深夜に職員室に忍び込んだ時のこと。


 海一に作業を続けさせ一人で気配の正体を探りに行った際も、近づいてきた正体不明の足音があった。その時背後から突然自分を取り押さえた冬間のせいで、その正体を探ることはかなわなかったのだけれど。


 冬間はなぜあんなことをしたのだろう。あの足音の正体を知っていたのだろうか。


 綾香が深く思案していると、ふっと場の空気が変化したことに気がついた。


 冬間は異変には気づいていない様子。しかしSSとして一般人よりはるかに気配に敏感な綾香は、すぐにその存在を察知した。冬間の歩く道の前方に誰かがいる。


 動きはない、ということは冬間を待ち伏せていたのかもしれない。

 目を凝らすと足元に影が見え、それが一人分であることが分かった。


 相手の正体を探るよりまず一般生徒の安全確保が優先。綾香は姿を隠していた塀の裏から飛び出し、冬間の背中を追いかけた。


 そしてまさかの同タイミングで、道の前方に潜む者ものっそりとその姿を冬間の前に現した。男性が一人。


 綾香はその顔に見覚えはなかったが、派手なスーツをラフに着崩している様子やおっかない顔つきには思い当たる節があった。昼間に寺崎に迫っていた柄の悪い男たちと同属。あの時真上からしか見られなかったので顔は分からないが、もしかしたらその内の一人かもしれない。


 この道には、というよりこの周辺には他には全く人気が無く、柄の悪い男と冬間だけが対峙する格好となった。冬間は足を止めるべきか否か迷っているようだった。


 柄の悪い男が口を開こうとした時、綾香は背後から冬間の肩を強く叩いて声をかけた。

 冬間は驚いて振り返る。


「一緒に帰りましょ!」


 突然出てきた綾香の存在に、冬間だけでなく柄の悪い男も目を丸くした。


 柄の悪い男は予定外の部外者、しかも女子生徒の存在に都合が悪いと思ったのか、起こそうとしていた行動をやめ、すれ違うだけの他人としてただ冬間と綾香の傍を通り過ぎた。


 その時綾香はその柄の悪い男の物騒な眼差しを、全身にビシビシと感じていた。


 綾香は理解した。この男が冬間を待ち伏せしたのは今回が初めてじゃない、と。冬間の取る行動、ルートに妙に慣れている様子だった。何か行動を起こそうと冬間の前に姿を現したのは今回が初めてかもしれないが、以前より観察していたであろうことは間違いない。


 思い返してみれば、冬間と中庭で初めて出会った時。日曜日に中庭で冬間と花の話をした時。その二回で両方とも綾香は何者かの強い視線を感じた。学校敷地内での出来事だったけれど、まさかあの視線も冬間をつける柄の悪い男のものだったのだろうか。


「……おい」


 綾香は全神経を去り行く男の方に向けていたが、冬間に呼びかけられて慌てて前方に注意を戻した。

 冬間が不愉快そうにこちらを見ている。


 綾香ははっと気がついて、彼の肩に乗せたままだった右手を引っ込めた。

 しばらく沈黙が流れる。


 綾香の機転により結果的に話しかけられなかったとはいえ、あの柄の悪い男が冬間に何か行動を起こそうとしていたことは綾香だけでなく本人も気づいていただろう。あの男は誰なのか、冬間は知っているのか、どんな関係なのか。


 そしてそれと同じくらい冬間が怪しく思っているのは、都合よく現れた綾香の存在だろう。どう考えてもあとをつけていたとしか思えない、絶妙なタイミングで声をかけてきたのだ。


 互いに気になること、聞きたいことはあったけれど、尋ねれば自分だって訊かれる。あの日の深夜の学校での出来事に互いに触られないのと同じような状況だった。


 強めの風が道を吹き抜けて、綾香の長い黒髪をなびかせていく。風を受けてシャツが空気をはらみ、ふわりと広がった。

 最初に口を開いたのは冬間だった。


「……一緒に帰るんだろ。行くぞ」


 予想もしなかった言葉に、綾香は「う、うんっ」とびっくりしてどもってしまいつつ、彼の隣に駆けた。


「川崎の家ってどこなんだ?」


 興味なさげなドライな声色でそう尋ねられて、


「え? うーんと……あそこの大きい道を右に行って、その先の先の十字路を左に行ってずーっと歩いた奥」


 と指を差しつつ答えた。


「幼稚園児のする説明じゃないんだから、地名とか番地とかで言えよ」


「私ここに越してきたばっかりで、まだ地名とかよく分からないんだもの」


 しょうがないでしょ、と頬を膨らます綾香。

 先程の出来事の話題をお互い避けながら会話しているのでどこかぎこちないけれど、なんとかいつも通り話せそうなことに綾香は内心でほっとしていた。


 冬間がちらりとこちらを見る。


「なぁに?」


「いや、川崎の家ってこっちじゃなくてあっちの道から行った方が近くないのかと思って」


 冬間があごで示してみせた道は、指摘の通り最短ルートであり綾香がいつも通学に使っている道だ。なぜそこから行かないかといえば理由はただ一つ、今日は冬間の帰り道をつけていたからだった。


 流石に冬間も理由は分からないながらになんとなくそれは察していたようで、小さくため息をついてこの話題をうやむやに終わらせた。

 その代わりに冬間はつぶやくようにこう言った。


「川崎って、本当にお節介な奴だよな」


「ん? 海一のこと?」


「違う、お前のことだ」


 なんでここでいきなり兄貴の話になるんだよ、と冬間は軽くうなだれた。


 とぼけてみせたけれど、綾香だって本当は彼が何が言いたいのか分かっている。


 中庭で冬間が不良たちに絡まれていた所に飛び込んでいったり、今だって柄の悪い男が居る中に飛び出してきたり。普通の女子生徒とは思えない行動に呆れ半分、もう半分は驚いているのだろう。


「基本的にはただの無鉄砲なバカだけど、たまに川崎にはすごいと思わされることがある。ごくたまに。バカも突き詰めると能力になるんだな」


「ねえ、それって褒めてるの? けなしてるの?」


 綾香が頬をピクリとさせながら尋ねる。


 またケンカを吹っかけられてるのかと思ったけれど、冬間は綾香の方を振り返りはっきりとした口調でこう言った。


「褒めてるよ」


 いつも人を一瞥するようにしか見てこない彼がしっかり目を見て言ってくる。その言葉は嘘や冗談ではなさそうだった。


「お前ってすごいなって本当に思ってるよ。変な意味じゃなくて。いい意味でな」


 今までの態度が全てくつがえされるかのような素直な言葉に、綾香はなんと返していいか分からなかった。改めて言われるとなんだか気恥ずかしい。

 とりあえず、皮肉を言われているわけではなく本心から褒められているのだということは自分に理解させようと思った。


 いつの間にか日は傾き出して、橙色の光をまとい始めている。

 見つめる先の冬間の顔に夕日が作る影がかかる。


「すごいすごいって、アバウト過ぎて何がすごいのかよくわかんないわよ……」


 妙な間に困って、綾香は照れ隠しにそう言葉を投げ込んだ。


 二人は核心を避けるような話題を、差し障りの無い間を埋めるためだけのような会話を続けながら歩いた。互いに触れられないことはあるけれど、今の瞬間だけ切り取ってみると夕暮れ時の同級生との普通の帰り道。


 綾香はまるで自分が普通の女子中学生になった気さえした。

 なんだか今日は冬間も素直なような気がした。家はそんなに遠くないから、と結局自分が冬間に家まで送られてしまった。


「冬間ってこんな親切なキャラだったっけ?」


 自宅の前に着いた綾香は、からかうように彼にいたずらっぽく笑ってみせる。


 冬間はムッとしたのか少し口をへの字にすると、咳払いを交えつつゴニョゴニョと口ごもるように何か言っていた。


「だからこれは……この間のあれ、ほら、ああいうこと言ったお詫びっていうか……」


「へっ? 何?」


 モゴモゴして全く聞き取れなかったので綾香が片耳を寄せて聞き返すと、


「なんでもない! じゃあな」


 と乱暴に言い捨ててそのまま踵を返して行ってしまった。

 綾香は慌てて彼の背中に「またね!」と手を振った。


 夕日が包むのどかな田舎の住宅街。


 二人でのんびり穏やかに会話が出来るのがまさかこれで最後になるとは、お互い思ってもいなかった。

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