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時間を少し前にさかのぼる。
綾香はクラスメイトたちと昼食を済ませると、すぐに海一と落ち合う場所に向かうつもりだった。
しかしそれからタイミングの悪いことが続いた。
最初に教室を訪ねて来たのは陸上部の顧問の先生。やはり君は本格的に陸上をやった方がいいと、昨日の勧誘の続きが始まってしまった。昨日しっかり断ったつもりだったのだが、あれではかわしきれてなかったのかと綾香は「あー、いえー、でもぉー、しかしですねぇ」と逆接の接続詞を度々投げ込むことしか出来なかった。
それを「トイレに行きたいので!」という嘘丸見えの理由でなんとか逃れたのだが、その後廊下で女子バスケ部の上級生につかまってしまった。昨日の体験入部を見、弱体化していく自分たちの部活を憂う三年生たちが綾香の入部を強く望んできたのだった。
教師より友達より何より厄介なのが女の上級生である。下手に断ったら今後の人間関係が非常にまずいことになる。女社会の死ぬほど面倒な問題点だ。
綾香は女子バスケ部の現状を嘆く三年生たちに「そうですねぇ~、それは大変ですねぇ~」と深く相槌を打ちながらひたすら話が終わるのを待った。
脳裏ではあとで海一に何を言われるかと考え、自分の方がよほど憂鬱で大変だと思っていた。
そしてようやく長い立ち話が終わると、廊下を急いだ。
しかしそこで最後の“タイミングの悪いこと”に遭遇してしまう。
「ん? あれって……」
走りながらちらりと横目に見た窓の外。中庭には生徒四人の人影が。
見覚えのあるぼさっとした髪。そして取り囲むように向かい合う三つの影。
綾香は数々の経験からすぐに、それがいじめの類であると分かってしまった。
程度の低いことをする連中に呆れるより、こんな時にこんな現場を目撃してしまった自分のタイミングの悪さを嘆くより、綾香は自分が昨日あれだけムカつかされた相手であろうとこういう現場を黙殺できない己の性根に内心でため息をついていた。いじめはよくないとかいうアバウトな正義感より、隠れた場所で一対複数で迫るという卑怯な手段が腹立たしかった。
それに自分が目撃するくらいなのだから他の人たちだって見ているはず。それなのに無視するしかないような人たちと一緒になるのはもっと嫌だった。
綾香は踵を返して中庭に急いだ。
よく考えてみたら私、あの男子の名前も何年生なのかも知らないのよね、と気づいた時にはその場に着いていて、どう間に入ろうかと物陰で少し思案した。
中庭はピリピリした空気に包まれていた。
「お前さー、自分がナマイキなんだって自覚ないっしょ? 今後のために俺たちが分からせてやるって言ってやってんの。これ善意だかんね?」
「土いじりしてるダサ男にはそういう社会の仕組みとかわかんないかもしんないけどー、おまえ相当キモイよ」
「なんか言えよゴミカス。ビビッてなんも言えねえってか?」
見事、絵に描いたように絡まれている。素行の悪そうな、それでも一部のヒエラルキー上位の女子生徒たちからは人気がありそうな、制服を着崩した男たち。様子を見る限り、こうやってストレスを発散するために立場の弱そうな生徒に絡んでいるのは日常茶飯事なのだと理解できた。
「あァ? 何睨んでくれてんだよ。人間性は駄目なのにプライドだけは一級品だな」
いけない。綾香は絡まれている男子生徒が不良たちに殴りかかろうとしているのを気配で察知して、慌てて飛び出した。
「ねえっ!」
突然姿を現し声をかけてきた見知らぬ女子生徒に、三人の男たちは驚いて目を見張っていたが、それ以上に絡まれていた男子生徒は信じられないという顔をしていた。
「あ、あの……担任の先生が呼んでたよ。私、頼まれて探しにきたの!」
綾香はとっさに考えた嘘を並べていく。男子生徒はもちろんのこと、不良たちだって嘘だと感付くに違いない。
しかし、つたない嘘であってもこの場を離れるためのその場しのぎの理由にはなる。
綾香は「来て!」と彼の腕を引っつかんでその場を早足で後にした。
不良たちの視線が背中に刺さるのを感じたが、綾香はそんなものは怖くない。喧嘩になったって勝つ自信のある身体能力、SSとしての実力、肉弾戦の経験。それにいずれすぐ離れる学校だ。
それより、綾香は反射的に男子生徒の腕を引っ張ってきてしまったけれど、この後どうしようと内心非常に困っていた。
しかし綾香がどうすると判断する間もなく、すぐに彼に大きく振り払われた。
足を止めて振り返った綾香の視界には、眉間にしわを寄せ、太縁眼鏡越しに自分を睨んでくる男子生徒の姿が。綾香とほぼ同じくらいの背の高さで、目線がばっちり合う。
「……余計なことをするなよ。可哀想な奴に良い事してあげた、とでも思ってるんだったら大間違いだからな。あんたみたいな上から目線で偽善振りかざしてくる奴、俺は一番ムカつく」
別に綾香だって感謝されたくてこうしたわけではない。割って入る時に脳裏をかすめたのだ。自分が惨めな思いをしている姿を、知らない相手とはいえ女子生徒に見られるなんて嫌だろうと。
だから綾香は、ひどく振り払われても憎しみを込めて睨まれても、何も反論することはできなかった。
何も返さない綾香としばし見つめあってしまってから、男子生徒は顔を背けてどこかへ行ってしまった。
綾香は自分が取りたい行動を取れたし、それを後悔してはいないけれど、なんとも心地が悪かった。
「よし、みんな揃ったな。じゃあ行こうぜ」
細めの懐中電灯を持った男子生徒がそう言うと、一行は夜の田んぼ道を歩き出した。もともと街灯があまりないのに加え曇天で月明かりはなく、互いの表情もよく見えない。
時刻は夜十時半。ただでさえ少ない車通りは大通りでさえ数えるほどとなり、ほとんどの店が照明を落としていた。人気はほとんどないが、水辺に響くカエルの鳴き声や草むらから聞こえる虫たちの合唱だけはとても賑やかだった。
各自宅で夕飯を終えた生徒たちは“肝試し”のために学校近くの待ち合わせ場所に集合した。
男子生徒二人と女子生徒二人。それに綾香と海一も加わるのでなかなかの大所帯である。みなラフな私服姿で、中には親に秘密で出てきたという人も。
いつも任務で深夜まで外で活動している二人はともかく、普通の中学生にとっては外出するには十分に遅い時間なのだろう。
学校方面に歩いていたのだが、黒い巨大な塊のように見える校舎と固く閉ざされた正門が見えてくると進む方向を変えた。
「どこに行くの?」
綾香が尋ねると、先頭を歩く男子生徒が簡単に答えてくれる。
「ここから入るわけじゃないんだよ。裏の方にフェンスがあってさ」
しばらく歩くと学校に隣接する寂れた広い公園に着く。すっかり背が高くなった雑草がサビだらけの遊具を取り囲んでいる。動物をモチーフにした遊具は塗料が剥げ、それでも虚空を見つめ続けるパンダやウサギたちのコミカルな笑顔が不気味だった。
学校と敷地を隔てるそこは背の高いフェンスが立っている。三メートルに届かないくらいだろうか。
男子生徒たちはそのフェンス沿いにどんどん公園の奥へ進んでいく。すると公園の隅の方でしゃがみこんだ。
そこは草が生い茂っているのだが、男子生徒の一人がひょいとそれをつかみ上げるとまるでじゅうたんがめくれあがるかのようにベロリと、根元の大地ごと草はきれいにそこからなくなった。
「えっ?!」
「これは入り口を隠すフェイク。別に俺らが置いたわけじゃないけど、一番最初に忍び込んだ時からあったんだよ」
声を上げた綾香に男子生徒が説明してやる。
綾香と海一はその薄闇の中で眉間にしわを寄せていた。どう見ても人為的なもの。この入り口を隠すために誰かが置いたものであることは間違いないが、こんな手が込んで面倒なことをたかが肝試しのためにわざわざ誰がするのだろうか。
「この一番奥のフェンスだけ、実は下がめくれるようになってんの」
そう言って草の剥げた場所の目の前の金網を押すと、まるでのれんのようにあちらへの通路が出来てしまった。そのフェンスが人の手によって切られていることは間違いなかった。
「まあ、奥まで歩くの面倒臭いから、男子だけだったらフェンスよじのぼちゃってもいいんだけどな」
男子生徒の一人が笑いながらそう言うと、女子生徒たちは「そんなこと女子ができるわけないでしょおー!」「男子だってそんなことできるわけぇ?」とぷりぷりしていた。
しかし綾香だけは最初にフェンスを見た時に「これなら余裕で行けるな」と心の中で思ってしまっていたのだが。そして海一ももし綾香が「こんなの越えられない!」などと言おうものなら、SSとしての鍛錬が足らないと厳しく鍛えるつもりだった。
一同はそのルートから学校敷地内に潜入した。しかしより難しいのは校舎に入ることだろう。
だが、それもまたあっさりとこなされてしまう。
そのまま校舎の裏手に回り中庭につくと、男子生徒は踏み台になりそうな箱を近くから適当に拝借して、一階廊下の窓ガラスに手をかけた。
するとその窓は何の抵抗もなく開いてしまった。
二人が何か訊く前に、女子生徒の一人がふふっと笑いながら言う。
「ここね、前からずっと鍵が壊れてるんだ。先生たちは気づいてないみたいなんだけど」
「どのくらい前からなのか分かる?」
海一が尋ねると、みんなが「うーん」と首をかしげる。どうやら生徒たちにとってここの鍵が壊れていて自由に開閉可能だということは前からの常識であるようだった。
「あたしが最初にこの窓のこと知ったのは、去年の夏とかかな? 他の子たちに誘われて肝試しに来て。でも、その子たちも他の人から聞いたって言ってた」
みんなも口々に「人から聞いた」「自分が見つけたわけじゃないから分からない」と言う。
念のためどのように鍵が壊れているのかさりげなく確認しておくと、確かに鍵が下りているように見えるのだがそれは金具が外れてしまっていて、ただ飾りのごとくぷらんとぶら下がっているだけだった。
それから踏み台を使って全員が窓を飛び越え校舎内に入り込んだ。
男子生徒たちは体一つでひょいっと飛び越えられたが、小柄な女子生徒たちはもう一つ台を重ねて手を借りながら「うんしょ」と頑張って中に入っていた。
ちなみに綾香はというと、女子としてもさほど背は低くなく、むしろ平均より高い方。持ち前の身体能力でいつものようにピョンと飛び越えようとしたのだが。
「川崎、自力でのぼれないだろ。手ぇ引いてやるよ」
親切な男子生徒がそう申し出てきた。
滅多にない“女の子扱い”に綾香は少しキュンとしてしまったが、笑いをこらえるような海一の咳払いですぐに現実に引き戻された。薄闇の中で一瞬ギロリと海一を睨んでから、差し出された男子生徒の手を「ありがと」とつかんだ。
入り込んだ廊下は丁度、家庭科室とそれに隣接する家庭科準備室の前だった。
校舎は正面から見て中心の昇降口より右半分に生徒たちの教室が入り、左半分に家庭科室などの特別教室が入っていた。
綾香はひそめた声で彼らに尋ねる。
「どこで肝試しをするの?」
「二階の理科室。言っとくけど、結構やばいぞ」
一同は物音を立てぬよう注意しながら、静かに移動する。
靴は外に置いたまま靴下姿なのであまり足音はしないが、興奮する女子たちのヒソヒソ話が声をひそめているにしてもよく反響しているので、あまりコソコソしている意味はないように思えた。
だがもし夜遅くまで残っている職員がいたとしても、職員室や事務室などが入っている職員棟は校舎右半分の更に右端。生徒たちの教室がある廊下から各階渡り廊下でつながったそこにある。それだけ距離があるので、この校舎の左端で多少物音を立てたとしてもすぐには気づかれないだろう。見回りに来られたらまずいが、残業する教師たちがこんな場所に来る用事など滅多に無さそうだ。
それに今現在校舎内全ての照明が落とされていることは、注意深い綾香と海一が校舎全体をうかがい見た際に確認済み。
まぁみんなは遊びで来てるんだものね、と綾香はこのぬるすぎる潜入にあくびが出る思いだった。
学校といえば普通昼間に滞在する場所。照明の落とされた校舎は完全な非日常で、いつも青い空が見える窓は真っ黒に塗りつぶされたように何も見えない。点々とある緑の非常灯だけが床に不気味な明かりを落としている。
人が居ないので物音はいつも以上に反響し、廊下のどこかにあるゆるんだ水道からピチャン、ピチャンと水音がしているのが分かった。風に吹かれる背の高い木々の葉がまれに窓を打って奇妙な音を立てている。
正面階段を二階まで登ると、特別教室方面へ。人口が多かった頃には教室として使われていたのであろう閉鎖された部屋を通り過ぎる。入り口を板で塞がれた様は、夜中に見るとまるで悪いものを封印されたいわくつきの部屋のような感じさえした。
目的の場所につくと、誰からともなく「チームを分けようよ」という流れになった。話によると、みんなの間で流行っている肝試しのやり方があるらしい。
まず最初の一組が理科室から理科準備室に入り、部屋のどこかに何か決めておいたものをあとの組の数の分置く。次の組からは置かれたそれを一つずつ持って帰ってくるというものだ。
「じゃあ、男女ペアで二人一組な。グーチョキパーで分かれといて」
そう男子生徒の一人が指示を出すと、男子はスムーズに、女子はきゃいきゃいしながら決まった。それにテンションを合わせつつ、こういうのも肝試しの盛り上がりの一つなんだろうな、と綾香は思った。
そして蓋を開けてみると綾香と海一は見事同じ組に。
みんなは「うわー、双子の偶然ってすごい」と口々に驚嘆の言葉を漏らしていたが、もちろんまぐれではない。こうなることを見越して予め打ち合わせをしてあったのだ。同じチームの方が都合が良ければそうなるように、違うチームの方がよければそうなるように。直前に咳払いをしたらグー、足を組み替えたらチョキだとか、どちらかが何を出すか合図を送る。思い切り不正手段を使った“偶然”である。
だんだん盛り上がってきたところで、理科室の鍵を開けることに。
理科室の鍵は古いタイプで、鉄の棒で固定したところに番号式の錠前が差し込まれている。みんなは当たり前のようにその錠の番号を知っていて、いとも簡単に解錠された。
まず最初の一組目が行く。持っていけるものは小さめの懐中電灯一つだけというルール。
物を置きにいくチームなので探すより楽なはずなのだが、一番目というのは何事もみんな嫌がる。仕方ないのでリーダー格の男女ペアが立候補し、五分かからないくらいで戻ってきた。
「うわぁー、やっぱり何度きてもダメ! 怖い! また人体模型が動いたよぉ!」
最初に飛び出てきたのは、楽しくてはしゃいでいるのか怖くて泣いているのか分からない騒ぎ方している女子生徒。
待っている女子生徒が「怖いこと言わないでよ~」と半泣きになる中、彼女を追うようにペアの男子生徒も駆け出てきた。
「ちょっ、勝手に先行くなよ! いきなりダッシュするから超ビビったんだけど!」
「だって、なんか見えた気がしたんだもん~!」
女子生徒と言い合いする男子生徒を、他の男子生徒が「男のクセにビビってんじゃねえよ~」とはやし立てている。
「フン、じゃあ次行って来いよ。棚に入ってるホルマリン漬け……やばいぞ……」
最後に一言恐怖の情報を添えられてから、次のペアが行くことに。
室内に置いてきたものは中身の入った小さいペットボトルだという。青と白のロゴが特徴的なスポーツ飲料で、掌に収まるくらいのサイズ。
途中室内から「うわっ」とくぐもった声がし、女の押し殺された悲鳴みたいなものが何度も聞こえた。「もーやだぁ」という弱気な声のあとに、ようやく見つかったのか転がり出るようにして二人は戻ってきた。声を殺すことも忘れて大騒ぎしている。
片方の女子生徒は完全に泣いていて、そんなに怖がるならなぜ肝試しなんか来たのだろうと海一は不思議に思った。
「あー、ああいう生き物って、夜になると死んでも目が光るのか? 俺がそう見えただけ?」
すっかり表情が強張っている男子生徒は、どこを見ているのか視点が定まらないままによく分からないことを言っている。
最後は綾香と海一の番。
「二人は初めてだし、ダメだと思ったらすぐ戻ってきていいからな。ペットボトルは探せたらでいいぞ」
一番手で行った男子生徒は随分恐怖から回復したのか、二人ににそんな優しい言葉をかけている。
「ありがとう、でも頑張ってくるわ」
綾香はそう言って細身の懐中電灯を受け取った。
「あ、懐中電灯はビビリじゃない人が持ったほうがいいよ! 大騒ぎして天井とか変なとこばっかり照らしちゃうから」
女子生徒が冗談のような内容を真顔でアドバイスしてくれるので、海一はニコリと微笑み、
「じゃあ妹に持っていてもらおうかな、俺は結構怖がりだから」
などとうそぶいてみせる。
それが綾香だけに向けた冗談であることは明白だった。
何言ってるのという気持ちと、気持ち悪いから妹って言わないでという気持ちで、海一を見やる綾香の表情は冷たく引きつっていた。
そして二人は覗き窓もない重い扉を押し、理科室の暗闇の中へ足を踏み入れた。
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