17

 対して海一はその時、都内でも名高いある有名病院に居た。そして、重要な事実を知ったのだった。


 時は放課後すぐまでさかのぼる。


 海一は手早く帰り支度をして職員室へ急いだ。何かと理由をつけて職員室に入り、視線は絶えず中川に送っていた。


 昨晩の潜入調査で発覚した、中川の任期終了日は明日。今泉が齋藤に示していた献金の締め切りも明日。明日が何かのターニングポイントになると、海一は踏んでいた。


 中川は特に変わった様子も見せずデスクワークをしていたが、心なしか机上の物が減って見える。明日の任期終了に向けて荷物を持ち帰っているのだろう。


 中川がトイレか何かでおもむろに席を立つと、それを追うようにして海一も一旦外に出た。万が一職員室以外のところへ行かれてしまったら後を追えなくなってしまう。

 そうしてさりげなく十一階の廊下で時間を潰している時だった。


 聞き覚えのある声に、海一は身構えた。


 気付いた時には、声の主は完全に海一の間合いに入っていた。


 何の気配もなかったはずなのに、と海一が見上げると、そこにはあの掃除夫が相変わらずキャップを深くかぶって立っていた。


 生徒がなかなか通らないこの階は、職員の行き来がない限りほとんど誰も通らない。掃除夫はいつもは曲げている猫のような背をピンと伸ばして、反り残した髭をさすりながら言った。


「坊っちゃん、中川センセーのことを調べてるんだろう?」


 海一は一切を顔に出さなかった。


 掃除夫は怪しく口だけで笑って、


「別に何も言わなくたって構わないさ」


 と言った。


 海一は表情を崩さず、


「アンタは何者だ」


 と問う。この男の前で学校モードを演じるつもりはもうない。


 掃除夫は肩をすくめるだけだった。答える気はないようだ。


「中川のことが知りたいんだったら、鳳大学医学部付属大学病院にいる大沢孝介って奴をたずねてみな」


 正体を明かさぬ代わりに、掃除夫は海一にいかにも重要そうな情報を渡してきた。


 海一は怪しんで眉をひそめる。


「なぜアンタは俺に構ってくる」


「さぁね。気になるならとっとと行かないと、病院の面会時間が終わっちまうぞ」


 ニヒヒと笑う掃除夫。


 悔しいが、手にいれた情報はどうしても明日までには整理したい。それが例え怪しげな掃除夫から理由も分からず手に入れた情報であってもだ。


 以前、SS本部から送られてきた用務員のデータからこの怪しい掃除夫の情報を調べたが、やはり写真から何から偽装丸出しの情報が載っているだけだった。


 海一がエレベーターのボタンを押す。掃除夫はその後ろ姿を見てニヒヒと笑っていたが、海一は黙殺することにした。


 しばらくしてやってきたエレベーターに乗り込みちらりと廊下を見たが、そこにはもう彼の姿は無かった。


 本当に気配なく行動する不気味な奴だと海一は思った。


 そして気配を消して行動するということは、きっと自分たちと同じような存在なんだということもしっかりと理解していた。




 教えられた病院で海一が知ったのは、大沢孝介という幼い少年の存在だった。

 その少年は国内で治療することが難しい悪病に蝕まれ、一刻も早く海外での移植手術を受けないとならないという状態だった。中川が隠し持っていた写真に写っていた、まさにその少年だった。


 海一は持ち前の演技力で、噂好きな看護婦たちに話を聞くことに成功した。顔の綺麗な若い男の子に周りは喜んで話に応じていた。


 大沢孝介は中川の元夫との間の一人息子らしく、以前よりこの病院に入院している。

 別れた夫は中川の持っていた金を全て持ち逃げし、ただでさえ一文無しだった状態のところに息子の重病が発覚したという。

 中川は入院費だけでなく、海外に渡り移植を受けるだけの途方もない金額を手に入れなくてはならないという状況らしい。


 海一はこの事実を踏まえて現状を振り返ると、まだ可能性の段階ではありながら一本の筋が通ることに気がついた。


 中川は学園長派でも理事長派でもない。


 理事長は愛人を演じ誘惑し、学園長も恐らく何らかの方法で誘惑している。

 そして互いに競って金を集めさせるようにあおり、その口座を全て自分で管理しているのだ。


 そうなると中川がお互いの入金報告をしているのも、両側が同じく“落とす”という隠語を使っているのにも納得がいく。


 そして、狙いをつけた裕福な家庭の生徒七人分の金が集まったら学校を辞め、その口座から金を持ち逃げし、蒸発するように息子と手術の為に海外に渡るつもりなのだろう。


 きっと今泉は、親に命令されて巻き込まれているだけに違いない。

 それと多分、今泉は中川と理事長の関係を知っている。


 海一は、中川を睨む今泉のあの授業中の形相を思い出した。


 今泉は恐らく、夫婦の不仲を利用して入ってきた中川が憎いのだ。

 なぜそこで今泉が恐喝をすることにつながるのかはまだ情報が足りなかったが、海一は今日得た情報で随分と整理が出来た。


 これらのことを一刻も早く綾香と共有するため、海一は急いでマンションへ戻ることにした。





 海一がマンションに戻ると、その玄関ホールには自分を待っていたのであろう綾香が一人座っていた。彼女の艶やかな黒髪が遠目からでも確認出来た。


「お前、何してるんだ? 今泉はつけなくていいのか?」


 海一が思わず早足で駆け寄り声をかけると、綾香は強い口調で断言した。


「宇津田のこと、中川のこと、全部分かったわ。今こそこっちの番よ」


 綾香の突然の言葉に、海一は表情を険しくした。


「一体何が分かったんだ?」


 詳しくは部屋で話すという綾香に連れられ、エレベーターを上がり海一の部屋に着いた二人。


 綾香は玄関に自分の学生鞄と脱いだブレザーを投げ捨て、すぐに話してたまらないとばかりにリビングへ急ぐ。

 海一はゆっくりとした動作でそれらを拾い、後を追った。


「早く早くっ」


 部屋の真ん中にあるテーブルに座り、すぐにでも話し合いを始めたそうな綾香を、海一はまず落ち着けようとした。


「落ち着け。恐らく大事な話をしようとしているんだろう。興奮したままでは良い結果は出ない」


 そう言っていつも通り自分のブレザーをクローゼットの中のハンガーにかけ、ポットからお湯を出して紅茶を二人分淹れた。


 綾香は「それもそうね」と一度深呼吸をしてから、それでもやはり興奮したままで海一に話し始める。


「それでね、私は事態の全貌をほぼ理解しかけてるのよっ! 宇津田と齋藤も味方につけられたし!」


 自分の言ったことが全く通じていない綾香に、思わず頭を抱えたくなる海一。紅茶に少し口をつけてから、ゆっくりと綾香に問いかけた。


「興味深い内容ではある。起こったことをゆっくりと聞かせてくれ。いいか、ゆっくりだぞ」


 海一の言葉に深くうなずいてから、綾香は説明を始めた。


「放課後今泉をつけていたら、それを追う宇津田と齋藤を見つけたの」


 綾香なりに勢いを制御しているのだろう、努めてゆっくり区切って話している。海一がそれに合わせて小さくうなずきを挟む。


「今泉を恐喝し返そうと宇津田が刃物を持っていたから、私はとっさに彼に飛びかかって武器を奪った。そしてその場で泣き崩れた齋藤と、脱力した宇津田から話を聞くことが出来たわ」


「お前、自分の正体はバレなかったんだろうな?」


「何か感付かれているとは思うけど、適当にはぐらかして済んだわ。向こうはわらにもすがる思いだったみたいだから。堅苦しいお嬢様言葉なんかじゃなくて、性格も普段通りで接した」


 海一は「そうか」と紅茶をすすった。


 そうなると海一も、今度宇津田と話す際には本当の性格を見せることになるのだろうな、と思い、少しおかしく感じていた。

 彼が散々いじり倒してきた大人しい“眼鏡君”が実はこんな性格だと知ったらば、一体彼はどんな顔をするのだろう。


「宇津田は献金騒動のことを知っていたみたい。だけど、あることで父親を嫌いになっていたから、協力をしたくなかったそうよ」


「あること?」


 綾香はうなずいてみせる。


「中川由紀子との再婚ですって。数年前に病で母親を亡くしてからずっと片親だったんだけど、最近になって転任してきた中川と学園長が恋仲になり、結婚を視野にいれていることを知って、宇津田は幻滅したらしいわ。母親っ子だったというより、死んでもなお母親を大切にしている父親が好きだったようだから」


 海一は先程の自分の推理に今のピースをはめ込むと、驚くほど筋が通っていくのを感じていた。


 中川は理事長を愛人として誘惑し、学園長は再婚をちらつかせて誘惑しているのだ。

 中川が偶然受け持った英語の授業の際の今泉と宇津田のあの態度にも納得がいく。


「齋藤は今泉に昔から良いように扱われてきたそう。自分の権力で色々理由をつけて退学にさせることが出来るとか、学校での居場所をなくすとか、そういう脅し文句で。それは今泉の両親が不仲になっていくほどにエスカレートしたそうよ」


 そこまで言いきって綾香は紅茶に口をつけた。


「宇津田は父親に関わりたくなくて、今回の問題には一切ノータッチだったみたいなの。でも恋人である齋藤の訴えを聞いて行動を起こさざるを得ないと思ったみたい」


「それで思いついたのが、刃物で今泉を逆に脅してやるということか」


 計画性がないな、という言葉がにじむような海一の言葉。綾香は首肯した。


「海一は前に二人の関係は冷めきってるって言ってたけど、案外そうでもなかったわ。話を聞いている時とか、何となくだけど、二人の雰囲気は一つって感じだった」


 以前海一が齋藤をつけていた時、宇津田は関心を一切示していなかった。

 それは父親のゴタゴタに関わりたくないという突っぱねだったのか、と海一は腕を組んだ。


「俺も今日は中川を見張っている最中に情報を手に入れて、ある大学病院に行ってきたんだ」


「大学病院?」


 綾香が不思議そうに単語を繰り返す。


「ああ。そこで中川の重要な情報を手に入れた。その大学病院には大沢孝介という、中川の離婚した元夫との子供が入院していて、非常に重い病気に冒されているそうだ。今すぐにでも大金をかけ海外に行き、移植手術を受けなければならない状態らしい」


「それって……」


 綾香は思わず口を手で押さえる。海一はうなずいた。


「俺は中川がこの事件の黒幕だと推理した」


 夕闇は既に暗闇へと変わり、カーテンを開けたままの窓から蛍のような明かりが多数確認できる。この部屋もそんな蛍の一匹なのだろうけれど。


 海一は先程自分がした推理を綾香に述べてみせた。


 中川が学園長と理事長を誘惑し、競い合わせてこの対立構造を作っていること。

 金を持ち逃げし、医療費に充てようとしているということ。


 綾香はひとつひとつ根拠を確認しながら聞いていった。


 そして全てに納得したようで、最後に気になっていた点を海一にぶつけた。


「どうして海一はその大学病院に彼女の息子さんが居るなんて分かったの?しかも息子さんは旧姓のままだったんでしょう?」


 海一は少しだけ目を細めてから、


「あの、掃除夫だ」


 と、少し悔しさをにじませつつ言った。


「あのって、夜中に偶然遭遇したり、私のピンチを教えたりしたあの掃除夫よね?」


「ああ」


 綾香も疑わしげに確認をする。海一はしぶしぶといった風に返事をした。

 海一自身も納得していないのだ。未だ正体の知れない謎の男にヒントを与えられたという不気味な状況に。


「うーん」


 綾香が腕を組んで唸り声をあげる。


「SSに実は大人部門があるってことはないのかしら?」


「あったとしたら、なぜ今までの任務で現れてくれなかったんだ」


 突拍子もない考えを海一がぶった切る。それに仮にも関東支部長の義弟でありSS長官の息子である海一は、一般のSS構成員よりは中枢に通じているのだ。


「その掃除夫の情報が全部的確ってことが気になるのよねぇ」


 綾香があごに手を添えて考えこむポーズをとる。


「しかもあいつは俺たちと同じように気配を消して行動することが出来る。不覚だが俺も気づいたら間合いに入られていた」


「何が目的だかよくわからないけど、同業者の類なのは間違いないのよね、多分」


 この学園の任務にはあまりに謎が多すぎる、と綾香はうんざりした。掃除夫の問題より前に、屋上入り口に設置していたていたはずの盗聴器が勝手に外されていたり、これだけ期間をかけていながら未だ明白になっていない部分が多すぎた。


 思考がループする綾香に向かって、海一が口を開く。


「とにかく、だ。中川の任期終了は明日。明日は必ず何かが起こるはずだ」


 海一の言葉に綾香は顔をあげ、見つめ返してうなずく。


「明日は決戦の日ね」


「中川、今泉、そして学園長や理事長、全てを出しぬけるような作戦を考えなくてはならないな。宇津田と齋藤もこちら側についたことだし」


「ええ。明日で全てのカタをつけてやりましょう」


 綾香の意気込みに海一も同意し、二人の作戦会議は深夜〇時を過ぎるまで続いた。

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