15

「お互いの持つ情報のすり合わせを行った」


「ああ」


「何が問題かを明白にした」


「ああ」


「それで……」


「それで?」


「なんでまた深夜の潜入調査なのよ!」


 夜の虚空に吸い込まれていく綾香の咆哮。それを唯一聞きとめた海一も肩をすくめて相手にしなかった。


 夜風は以前よりは暖かみを増して二人を包み込んでいたが、その勢いは相変わらず二人の髪を、制服をもてあそんでいた。綾香の艶やかな髪が風に舞う。


「集合の前にちゃんと調査の説明をしなさいよね!」


 今にも胸倉をつかみかかりそうな勢いの綾香だったが、動じることなく姿勢も崩さない海一。しれっと言い放つ。


「お前に説明したところでどうせ理解出来ないか忘れてしまうだろう」


 それに対し反論しきれない過去の経歴があるため、綾香は「くっ」と引き下がるしかない。


「まあ、何も分からないままリスクを負わされるのは、いくら脳味噌縮小中のお前でも可哀想だから説明してやる」


 海一の口からすらすら出てくる皮肉の数々に、


「私は絶対あんたより長生きして、あんたの墓石蹴っ飛ばしてやるから」


 と毒づいた。


「今回潜入する目的は、まず学園長派の女教師・中川由紀子の情報収集だ」


 海一は綾香の足掻くような暴言を一切黙殺して説明を始める。


「彼女に関しては情報が足りなさすぎる。文科省からの最新データにも大した記載がないとなるとやはり、潜入調査を余儀なくされる」


 綾香は同意してうなずいてみせる。


「加えて、献金状況が今どのようになっているか最新の情報を知りたい」


 その言葉に綾香は、


「前回の最新情報は、といっても一週間も前だけど、理事長側二名の学園長側三名だったわね」


 と自分の知る情報を付け足す。


 海一はうなずいて言葉を続けた。


「ああ。加えて翌日、綾香がトイレでやましくも立ち聞きをした初等部の男子生徒たちの会話から、初等部C組の吾妻という生徒が齋藤真奈美に脅迫されて献金をしたという情報を得た。ただ、齋藤が理事長側のコマとして使われていたことを知った今、どちら側に献金が行ったのか明言出来なくなってしまった。今までは宇津田と付き合っているというから学園長側だと思い込んでいたが。だから献金の状態を改めて確認したい」


「やましくが余計よ。SSとしての高い意識がそうさせたの」


 今にも血管を額に浮かせそうになりながら、綾香は言葉を海一に投げつける。


「齋藤が今泉にいいように使われていたことを考えると、恐らくは理事長側に献金したんだとは思うがな。だからこそ今泉が齋藤を執拗に脅迫するんだろう。均衡状態の今だからこそ」


 海一は再び綾香の言葉をさらっとかわして、自分の考えを並べた。


 綾香は彼のご立派な推理を片耳に、大きくあくびをして肩を回す。


「なんでもいいけど、もう今回は途中で理事長が来たり掃除夫が来たりするのはなしにしてよね」


 前回の深夜潜入時のトラブルは、確かに綾香の挙げた二つであった。しかも掃除夫に至ってはその後にもまた、海一に対し謎めいた言動をとっている。


 海一はその状況を思い出していた。


 各エリアを受け持つ掃除夫を探っていった最後に辿り着いた場所で知らされた、綾香の危機。その情報で貸し借りなしにしようと彼は言った。


 恐らくそれは、あの夜に姿を見られてしまったことに関して忘れろと言っているのだろう。そして互いに互いが何かの任務を負っている人間だということを悟っていた。


 海一が考え込んで腕を組んでいると、その背を綾香に叩かれた。


「何やってんの、時間よ!」


 すぐに我に返り時計にちらりと視線をやってから、今回も同じように用務員入口を開けて入り込んだ。


 ここからはまた十一階までの階段ダッシュが始まる。


 綾香は前回引けをとったことを気にしていたのか、今回はどれだけ階段をのぼってもばてたりしない。

 口では二度の潜入調査に不満を垂れながら、彼女なりに予期してトレーニングを積んでいたのだろう。

 また、負傷した腕は頑丈に太巻きにされ、多少の振動では痛みなど感じないようだった。


 相変わらず薄汚く、裸に近い蛍光灯が吊るされただけの簡易な階段には足音が小さく響く。豪華絢爛な学園内部とは雲泥の差だった。


 海一と綾香は息が上がりながらも何とか目的階に辿り着き、呼吸を整えた後でゆっくりとドアを押し開ける。

 薄暗い夜の学園はとても不気味で、廃れた古い洋館を思わせた。


 二人は足音を忍ばせて職員室へ急ぐ。


 前回と同じく一時間のみセキュリティを全て解除してある学園の戸。どこも簡単に開くことができる。


 海一はパソコンへ、綾香は中川の机へと急いだ。


 暗闇の職員室でパソコンの画面が海一の顔を白く照らす。眼鏡に画面が反射して写りこんでいた。


 綾香は光が外に漏れないよう細心の注意を払いながら、SSからの支給品である腕時計型のライトを机に向けていた。

 片腕が不自由な身でありながらなかなか上手にこなしている。


 綾香は教科書などをパラパラとめくっては戻し、ついに目的の本に辿り着いた。


 そう、その中には写真が挟んである。

 以前中川の机を怪しんで撮影した際に写りこんでいた謎の写真。あれだけ個人情報を消そうと手をまわしている彼女が、危険を冒してまで持っている写真。


 ライトで照らして見ると、ようやく立てたばかりといった感じの男の子が写っている。両脇にはその小さな体をしっかりと包み支える、若かりし頃の中川と、見たことのない男性の姿がある。男性の顔は油性マジックか何かで塗りつぶされていた。綾香は口を結んでじっと写真に見入る。


 海一は最適化されずOSも古い教頭のパソコンの起動が遅いことにいらつきながらも、ようやく操作を開始した。音を立てぬように優しく、素早くキーを打っていく。そして目的の情報までたどり着いた。


 海一は心の中で、やはりな、とつぶやく。


 理事長と学園長への献金は丁度三人ずつで止まっている。

 予想通り一番最後になされた献金は、初等部の吾妻から“理事長側へ”だった。文科省から支給されたデータを参照したところ、吾妻の家は相当な資産家らしかった。


 綾香は子供が写った写真を小型カメラで撮影すると、海一の元へそっと駆けた。


 海一は無言で画面を指し示し、自分が理解した献金の構図を表した。綾香は瞳を素早く動かして情報を認識していく。


 その時だった。


 どこかで扉が開いた音がした。


「近いぞ」


 海一はひそめた声を綾香に投げかけ、パソコンを急いでスタンバイ状態にし灯りを隠して、教頭の机の下に身をひそめた。


 そして強引に連れ込んだ綾香も団子になってそこで息を殺している。また誰か来たっていうの、と心の中で悲鳴を上げながら。


 四肢が長い海一は窮屈そうに首を曲げていたがすぐに息をひそめ、綾香もこの海一との近距離に少し戸惑いを感じながらも同じく黙っていた。


 狭いわずかな空間。海一が股を開いた間に綾香が小さくなって入りこんだ形で、背の高い海一と綾香との顔はお互いのわずかな息づかいが聞こえるくらいに接近していた。互いの体の熱さえ感じられる距離に、気恥ずかしさと緊張から綾香は思わず強く目をつぶる。


 次の瞬間には職員室の扉が開いて、何者かが入ってくるのが分かった。二人は一瞬にして気配を殺す。さほど広いとは言えないこの職員室。呼吸一つでもボロを出してしまうかもしれない。


 二人はお互いの心臓の音が聞こえる程に、神経を研ぎ澄ましていた。


 足音、ハイヒール。細身の女性だと分かる。とてもゆっくりと歩いているが、大体入り口から七メートルほど進んだところ、二人が隠れた机からもかなり近い場所で足音は止まった。


 そしてそのまま、二人が身をひそめる教頭の机に近づいてくるのが分かった。つばも飲み込めぬほど喉は固く、口がカラリと渇き、心臓が早鐘を打つ。


 絶体絶命だと思い身を小さくする綾香の手を、海一が強く握った。


 指先に訪れた温かい感覚に綾香は思わず目を見開いた。

 鼻先が触れ合いそうなくらいの近距離で海一と見つめ合う。


 綾香の目には薄く涙すらにじんでいただろうか。滅多に表情を作ることのない海一が、うっすらと微笑んでいた。まるで「安心しろ」とでも言うかのように。


 暗闇の中で綾香は、眼鏡越しの海一の眼光がとても頼もしく思えた。


「由紀子くん」


 その時、呼び止める声がして足音がとまった。この足音は中川のものだったのかと二人は思った。


 そしてその呼びとめた声の主は。


「理事長先生」


 今泉麗の父、この学園の理事長だった。

 妙に艶っぽい中川の声色は、年若い二人にも勘づく所があった。


「データはそちらだけでなく理事長室にもある。早く来なさい」


「はい、理事長先生」


 職員室に入った中川を理事長が呼びとめたのだろう。


 中川のハイヒールの音が部屋から完全に出て行くのを聞き終えてから、二人はふぅと息を長く吐いた。


 中川と理事長の足音が理事長室の方へと消えて行く。


 それを確認してからしばらくし、綾香はまだ体を動かさぬまま口を開いた。


「もうだめかと思ったわ」


「大丈夫だ。いざとなればどうにでもなる」


 小声で会話をする二人。海一は握っていた綾香の手を離し、二人の絡まった体をゆっくり解きながら、物音立てずに机の下から出ようと模索していた。


 綾香は内心、どうにでもなるってこの状況をどうするつもりだったのよ、と愚痴をこぼしていた。


「写真は確認出来たんだな?」


「バッチリよ」


 海一の問いに綾香はウインクを返す。暗闇の中だからきっと海一には見えていないだろうけれど、綾香のクセの一つなのだ。


 そして二人の体がようやく自由になったかという時に、急にバタバタとあのハイヒールの音がした。間違いなくこちらへ駆けてきているのが分かった海一は、事態を把握できていない綾香の首に腕をまわしてそのまま強引に引き寄せ、再び机の下に押し込んだ。


 綾香はギリギリの所で悲鳴をあげるのを我慢した。そして何とか綾香が隠れきってからすぐ、海一の読み通り再び職員室に中川が入ってきた。


 足音から中川は素早く四メートルほど動いたのが分かった。入口から四メートルというと、丁度彼女の机がある辺り。


 綾香は中川が突然入ってきたパニックで高鳴る自分の鼓動と、押し当てられた海一の胸の鼓動を直に聞きながら微動だにしなかった。

 この暗闇のおかげで、彼女の顔が真っ赤に染まっていることは誰にも分からなかったが。


 中川は教科書か何かを手に取ると素早く職員室を出、理事長室の方向へ戻って行った。


「何を持ちだしたんだ……?」


 海一が小声で独り言を呟く。そしてその腕の中で暴れる少女が一名。


「ちょっ、びっくりするじゃない!」


 なるべく声をひそめながらも怒鳴りつける綾香は、なんとかようやく海一の腕から解放された。


「お前は気付いていないようだったし、こうするしかなかった」


 一切悪びれていないような海一に綾香は赤くなった顔を背けて、乱れた髪を軽く指先でとかした。


「強引だと女性に嫌われるわよっ」


「お前は女性なのか?」


 しれっとする海一に綾香は小声で怒鳴りつけた。


「うるさいっ」


 もう迷惑な来訪者が来ないことを祈りながら、二人は机の下から出た。


 埃がたまっていたのか海一のズボンは汚れてしまっていた。その上に土足で座っていた綾香は少し罪悪感を覚えたが、未だに火照った顔を隠すため何も言わなかった。


 お互いそれぞれ得るべきだったものは得たので、パソコンの電源を切り、前回と同じく職員室から直結する応接室に入り込み、応接室の隣にある理事長室の壁に耳を押し当てた。暗闇を手探りで進むしかなかったが、二回目なので動きはスムーズだった。


 二人が無言で理事長室からの情報を待っていると、妙に上機嫌な理事長の声が聞こえてきた。


「いやぁ、君のおかげであと一人だよ。由紀子くん」


「ええ、理事長先生」


 前回、今泉 麗を怒鳴りつけていた人物と同一とは思えない猫撫で声に、綾香は背筋に悪寒さえ覚えた。


 中川は理事長には特別な呼ばれ方をしているようだ。まるで、愛人のようだと二人は思った。


「わたしがこの学園の権力を全て手に入れられる日も近い、全ては君の支えのおかげだよ」


「とんでもございません。理事長先生のお力です」


 褒め称える理事長と謙遜する中川。とても普通の上司と部下の話し合いには思えなかった。


 そして何より疑問に思ったこと。中川は学園長側のエースではなかったのか。

 どうして深夜の学校で、で理事長と怪しげに密談をしているのか。


「金と親戚付き合いのためとはいえあんな妻と結婚をしてしまったわたしだが、由紀子くんのような相手が居てくれるなら十分だ」


「嬉しいですわ、理事長先生」


 吐き気のしそうな気味の悪い大人の会話に綾香は鳥肌を立てながら、中川由紀子先生って二人いるわけ? とさえ思い首をひねってしまう。


 海一も同じらしく、眉根を寄せて深く考えこんでいる様子だ。


 対立する二つの勢力の両方に側近としてつくことなど出来るはずがない。

 どちらかを裏切ってスパイになっている可能性が一番濃厚だろうと海一は思った。

 学園長の方では優秀な秘書のように、理事長の方では愛人の様に。もしかしたら本当に愛人なのかもしれないが。


「私の任期が終了します明後日までには、理事長先生には良い結果をお見せ出来るかと」


「任期が終わっても由紀子くんはそばにいてくれるんだろう?」


 薄気味悪い、と青ざめる綾香だったが、対して海一は冷静に耳をひそめていた。

 明後日というと、今泉が齋藤に献金の締め切りに提示した日にちと同じだ。


「ええ、勿論です。私はずっと、愛した男性のおそばに」


 中川の言葉の妖艶な響きが、二人の耳にいつまでもまとわりついていた。

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