12

「どういうことかちゃんと説明して!」


 前のめりになる綾香を、視線で「落ち着け」と制して海一は続けた。


「お前とまだ情報共有出来ていない部分に、大きな謎が隠されていたようだ。俺自身もどこから話していいのか見当がついていないくらいだ。分かりやすく話すよう努めるから、なるべく混乱しないで聞いてくれ」


 用心深く言葉を選ぶ海一に、綾香は12深くうなずく。


「夜中に職員室に忍び込んで得た情報を分析した俺は、色々なことを発見した。まず学校のパソコンから得た情報。学園長と理事長の個人口座に向けての突発的な高額献金が、ここひと月続いていた」


「高額献金?」


「ああ」


 眉をひそめる綾香。海一は続ける。


「今までの献金のペースや額からしてもここひと月は異常。学園長と理事長へ献金した生徒の数を調べていくと、夜中に職員室に忍び込んだ日の地点で、理事長側に二人と学園長側に三人。こんな短い期間に五人も、高額の献金をしているなんて尋常じゃない」


 海一は綾香の表情をうかがいながら、その理解度を推し量っていた。難しそうな顔をしてはいるが話について来られてはいるようだ。


「そして、ここで分かった事実があるんだ。誰が何日にどちら側に献金をしたのかということを調べていくと、屋上で綾香が聞いた“中川”という女教師と会話していた謎の男性とのやり取りと、夜中に職員室に潜入した際に理事長が今泉としていた会話の内容が明らかになってくる」


 綾香は相変わらず難しそうな顔をして聞いている。


「まず綾香が屋上で聞いた『生徒を一人落とした。あと三人生徒を落とすことによって自分たちは勝利をする』という発言における“落とす”という意味は、学園長への高額献金を指している。なぜならその日の献金状況を見ると、一人の生徒が学園長に高額献金をしているんだ。そして理事長側にはその日までには誰も高額献金をしていない。だからあの時夜の屋上で中川と会話をしていたのは、学園長だと思われる」


 綾香はぽつりと言葉を口にした。


「確かに……考えてみたらどうして早く気がつかなかったのかしら。一般教師の目上で年上の人物だったらある程度限られてくる。朝礼で聞きあきた教頭の声でも無ければ、今泉麗を怒鳴りつけていた理事長の声でもなかったら、残る年配のお偉いさんは学園長しかいないわ」


 あごに指先をやりながら、虚空を睨む。己の鈍さに対してのいらだちなのか、大人たちのやり方の汚さへの不満なのか、うかがい知ることは出来ない。


「そう、そして夜中に職員室へ忍び込んだ際に偶然盗み聞いた今泉と理事長の会話。『こっちはまだ二人しか落としていない』と言っていた。その日までに理事長へ高額献金をした人数を調べると、丁度二人なんだ。学園長と理事長は、理由は分からないが献金額や献金生徒数を争ってる。これは確かだ。しかもこれが偶然でない証拠に、今まで学園長や理事長に向けて高額献金した生徒計五名を調べると、共通項があるんだ。必ずある一定以上のレベルの大企業等の重役の一人娘や息子が対象になっている。学園にあとこの条件に当てはまるのは二名。計七名の奇数だから、彼らは間違いなく自分の方に献金をさせようと躍起になっている」


 その時綾香が尋ねる。


「ちょっと待って、その情報は夜中に職員室に忍び込んで調査した時までの情報なのよね?」


 海一は頷く。


「じゃあその条件から絞り出した残り二名のうち一人に、初等部C組の吾妻って人は居ない?」


 綾香の発言に、海一は訝しむ。


「なぜ、それを知っている?」


「だから言ったでしょう。私、偶然初等部の男の子たちの会話を聞いちゃったのよ。『齋藤真奈美に脅されて、C組の吾妻が高額献金をした』って」


 海一は黙りこくっていた。眉根を寄せたままだから、きっと何か思考を回転させているのだろう。


「私はその脅した様子を聞いて頭にきて、翌日彼女に売られた喧嘩を買ったのよ。そして昼休みに呼び出されて……って、これは海一にメールしたわよね」


 と、綾香がそこまで言い切ったところで、海一は彼女を凝視する。


「何を言ってる。俺は四限に携帯をいじっていたがそんなメールなんて受け取ってないぞ」


 海一の複雑そうな表情に、綾香は思わず「やばっ」と思った。鞄の中に手をつっこみ画面を見ずに操作していたため、送信がきちんとされたかも確認していなかった。


 恐らく『齋藤に家庭科室に呼び出された』という旨のメールは、海一に送られていなかったのだろう。


 綾香はわざとらしいまでの作り笑いをしてみせるしかなかった。


 海一は微妙に頬を痙攣させながら、


「次はちゃんと送れ」


 と釘を刺す。


 綾香は「はぁい」と出来る限り笑顔で答えた。


「話を戻すぞ」


 海一は今の一連の会話を無かったことにするかのように咳払いをして、綾香も右にならい姿勢を正した。


「ここまでのことで、学園長対理事長の七人の生徒の献金対決の様相を呈しているという事実は理解してくれたと思う。次に問題になるのは、あの夜屋上にいた女教師・中川の正体だ」


 海一はおもむろに立ちあがり、パソコンを起動させた。そして職員室で得た、文科省から得たものよりも最新の職員のデータを開く。


 中川由紀子と書かれた箇所をクリックして中身を綾香に参照させた。


 そこには最新のものとは思いがたい古い顔写真が載っていた。あまり細部までは確認できなかったが、大まかに見るには十分だった。

 これくらい分かれば本人を特定出来る。


「臨時の英語教師、か。血液型、誕生日、最終学歴しか載っていないのね……。教員免許はちゃんと持っているみたいだけど。学校側もよくこれで採用したものだわ」


「俺も、お前の吸収性ゼロの脳味噌でよくこの学校に転入出来たなと思っているが、彼女は急な長期休みを取った英語の専任教師の代理だったらしく、採用を相当急いでいたらしい。まあ、もしかしたら後で自らデータを消したのかもしれないがな」


「あんた今、微妙に皮肉挟んだでしょう」


 綾香がギッと海一を睨みつけるが、海一は無視をして話を続けた。


「代理教師でありながら学園の中枢に詳しいのは、恐らく学園長側に秘書の様にひっついているからだろう」


 あの夜を思い出せば納得がいく。彼女は優秀な秘書のように学園長に対応していた。


「じゃあ、『学園長&中川』対『理事長……&今泉麗』ってこと?」


 綾香は不思議そうに首をかしげる。


 あの夜中の潜入調査時の理事長の言葉を思い出していた。「お前しか出来ないのだから」と今泉の背中を押すような言葉。


 しかし今泉 麗は、理事長は知らないのかもしれないが、学校ではいじめられっ子だ。恐喝など出来る子には見えない。


「そこも不思議な点ではある。中川が学園長についていることは理解出来る。学園長の息子・宇津田は俺と同じクラスだからよく様子を見ているが……というか向こうがしょっちゅうちょっかいを出してくるから分かるんだが、奴はそういう脅迫等は恐らくしていない。学園長に駒として使われてはいない。まあ、以前に偶然宇津田が友人らと部室でたむろしているところを立ち聞きしたときに『父親が金を欲しがっている』という発言をしているから、何をしているかは知っているとは思うんだが。しかし、今泉は……」


 海一も閉口する。


 今泉 麗はいじめられっ子。だが実の父である理事長から、特定の生徒に高額献金させるよう脅迫をするようにきつく命令をされており、実際既に二人が献金しているのだ。


 学園長側において学園長が直接手を下していないのと同じように、理事長も直接は行動していない。

 今のところ理事長側において脅迫などの行動出来るのは今泉麗しか候補が居ない。


 考えてもどうにもならない事柄に二人で頭をひねっても仕方ないと、海一はパソコンの画面を切り変えた。


 夜中の職員室に忍び込んだ時に綾香が暗視カメラで撮った写真が表示される。個人情報が何も無い机だと不思議がっていた机に唯一あった、意味深長な何か。


「あ、この本に何か挟まってるわね……写真かしら?」


 綾香は自分で撮った写真を改めて覗きこんで、海一と同じところに着目した。


「ああ。ここは中川の机だ。これだけ個人情報を隠し続ける彼女が危険を冒して持つ写真とは、何だと思う?」


 海一の問いに綾香は口をつぐむ。


 最初に海一は、なるべく分かりやすく言うから理解してくれと言っていたが、もう既に綾香の頭はパンク寸前だった。


 その時、綾香の頭を一筋の光が走る。


「ていうか、ちょっと待って。七人の奪い合いで、あと二人なのよね? その内一人は私が盗み聞きした初等部C組の吾妻という子。齋藤に脅されていたようだから、きっと齋藤のバックについている宇津田の父である学園長に献金したんでしょう。じゃあ学園長側が勝利になるじゃない、もう七人中四人落としてるんだから」


「理論としてはそうなる。だが、納得できない点があるんだ」


 海一はそう言って表情を険しくさせた。


「納得できない点?」


「ああ」


 綾香の疑問符に力強く答え、海一は腕組みしたまま言った。


「残り二人のうち、あと一人は齋藤真奈美なんだ」


 まるで一瞬時が止まってしまったかのように綾香はハッと息を飲み、目を見開いた。


 そして、


「なんですって?!」


 と、ようやく言葉にする。


「齋藤真奈美も高額献金候補者の条件に合致する。というか、それ以外に今までの高額献金者と同じ条件に該当する者は居ないんだ」


 綾香は絶句した。


 齋藤が本当は脅す側でなく脅されている側だったとは。本人はそれに気付いているのだろうか、気づいてはいないのだろうか。綾香の中を疑問符が駆け巡った。


「学校に忍び込み、もう一度最新の献金データを調べるしかない。齋藤が恐喝したという初等部C組吾妻が、本当に学園長に献金したのか。そして齋藤が献金をしたのか否か」


 海一の言葉に、綾香はおろおろしながらもうなずくしかなかった。


「それから謎はそれだけじゃない」


「まだあるっていうの?」


 もう頭がパンクしかけでうんざりしていた綾香は口をへの字に曲げる。


「どうして俺はお前が家庭科室でピンチだと気づいて、助けに行けたんだと思う? メールももらっていないのに、だ」


 海一の言葉に、綾香は「確かに」とうつむいてあごに指を添える。


「答えは、掃除夫だ」


「掃除夫?」


 綾香は一瞬ポカンとしたが、しかしすぐ訝しげに顔をしかめた。


「夜中に職員室に忍び込んだ時、五階から出てきた不審な掃除夫がいただろう。昼休み、あの掃除夫に十一階で会ったんだ。そしてその男性に言われた。綾香が家庭科室でピンチであること、そしてこの情報を提供することにより、あの夜の出来事を水に流せと」


 海一は掃除夫を調べた方法を簡潔に綾香に教え、更にその信憑性、同業者である可能性を出来る限り説明した。


「あいつが何者かは知らないが、あいつとは再び、貸し借りなしの立場になってしまった。この事件にどう絡んでいるのかもよく分からない。ただ言えるのは、あの男はただの掃除夫ではないということだ」


 綾香の脳裏を、あの男性の姿が横切る。汚れたユニフォーム、汚いバケツ、無精髭、猫背、濃い色の肌。断片的にしか思い出せない。


「行動範囲が分かっている以上、マークしなきゃならないわね」


 海一も綾香の言葉に同意した。


「ただ、今泉麗、齋藤真奈美、掃除夫、女教師中川……こんな複数名をどうやってマークするべきかしら」


 綾香が真剣に考え込んでいる姿を見て、海一は少し目を細める。


 ひとしきり説明をし終えて疲れた体を椅子に任せてもたれながら、軽く息を吐いた。

 そして、ほんのわずかだけふっと表情を崩し、


「お前は少し、関東支部長に似ているな」


 と彼女に言った。


 考え込んでいた綾香は、海一が自分を見つめているのに気がつく。


 いつになく柔らかい表情でそう言う海一に、綾香は思わず頬を赤く染めた。


「はぁ?! そ、そんな私美人じゃないし、宮乃さんみたいに色気ないし……」


 慌てて言い訳をするが、しかし満更でもないような表情だった。


 海一は呆れて吐息交じりに訂正する。


「違う。容姿の話じゃない、中身の話だ」


 海一はあの夕陽の滲む病院の屋上で、二人で話した時のことを思い出していた。

 いつだって意思の強い言葉を持っている綾香を、誰かに似ていると思ったのは、義理の姉、神無月宮乃だったのだ。


「中身? やだ、私そんなに頭良くないからお偉いさんにはなれないってばー」


 照れているようで嬉しそうな、見当違いな理解をする綾香に海一は「もういい」と一言言いきった。


 そして内心で「やっぱりあまり似ていないかもしれないな」と前言撤回を考えるのであった。


 綾香は相変わらず照れたままだったが、海一は構わず続けた。


「女教師中川をほとんど見かけないのは、職員室のある階にに生徒があまりいかないせいもあるが、彼女が初等部専任の英語教師だということもある」


「え、この学校って初等部から英語あるの? 道理でみんな英語出来るはずだわー」


 綾香の馬鹿丸出し発言を海一は無視する。


「だからか知らないが、学園長側の献金者は初等部の人間が多い。その法則で行くと、初等部C組の吾妻も学園長に献金していておかしくはないんだが……」


「中川と齋藤真奈美の関係のこと?」


「そうだ。二人が親しいといった話や、コミュニケーションをとっているといった情報は今のところない。着目していないから分からないだけかもしれないが」


 綾香も「そうね」と小さく呟いて黙り込んでしまった。


 しばらくしてまた口を開いたと思ったら、また疑問を広げる海一。


「そもそも、だ。なぜ高額献金などで理事長と学園長が恐喝をしてまで争わなくてはならないんだ。しかも、学園長は屋上であの夜『この学校を手に入れる』と言っていた。意味が分からない」


「もう! 分からないこと増やさないでよ! 脳内スペック限界!」


 綾香が思わず大声を上げる。気持ち的には頭から湯気が出ていてもおかしくないような状態だ。


「ほう、スペックという言葉は知っているんだな」


 感心したように海一が言うと、綾香は右手で小さな拳を作り海一に振りかざす。案の定海一はそれをすっとかわした。


「謎だけだったらいくらでも提供出来るぞ。一番初めに屋上で張り込みを行った際にも、知らぬ間に盗聴器が外されていたり」


「もうそれ以上やめて」


 綾香は半ば涙目になりながら海一に訴えた。


「とにかく、学校に行かないことには進まない。今日は作戦を練り、明日から任務に本格復帰だ」


 海一の言葉に、綾香はパンク寸前の頭を支えながら「おぅっ!」と同意の声をあげた。

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