11

 使いの者が運転する車内。宮乃は助手席に、海一と綾香は後部座席に座り、車は二人のマンションを目指していた。


 黒塗りの車の内部はクリーム色の革で落ち着いた作りになっており、スマートな外見とは裏腹に広い作りをしていた。


 慌ただしさがようやく落ち着いて、最初に口を開いたのは綾香だった。


「宮乃、さん?」


 綾香は遠慮がちに、助手席に座る彼女の名前を呼んだ。


「はい」


 微動だにしないが冷たくはない返事が返ってくる。


「あなたがSSの関東支部長にして現役のSS、そして、海一のお姉さんですか?」


 綾香の問いかけに間髪入れず、厳しい口調で海一が注意する。


「俺の姉ではない。ただの支部長だ」


 しばらくの気まずい沈黙の後、宮乃が口を開いた。


「そうです、綾香さん。私がSS関東支部長、そして現役SS、中等三年の神無月宮乃です。私としては、神無月海一の姉と思っています」


 宮乃の言葉は淡々としているが、温度を持っている。それが不思議と優しさや、包み込むような感じを与えるのだろう。


 現役のSSが関東支部長を務めていることは知っていたが、会うのはこれが初めてだった。

 そして関東支部長が海一の義姉だということも綾香は知っていた。

 加えてその二人がSSの長官の子であるということも。


「支部長、俺はあなたの弟ではありません。あなたは神無月家の正統な血の元にお生まれになった方で、俺は先程言われた通り神無月の名を名乗ることすら相応しくない、ただ神無月家の血が少し混じっただけの人間です」


 海一はわざとらしいくらい恭しくへりくだって彼女に言う。


「それではあなたはなぜ神無月の姓を名乗るのですか?」


「俺にはこの名前しか苗字がありません」


 宮乃の静かな問いかけにも海一は冷たく言い放つ。

 しかし、悲しいかなそれは事実なのだ。


「知っての通り俺は、血縁上の父親・神無月誠二氏とその愛人の間に生まれた息子。俺を生んだ母親は、俺を神無月誠二氏に預けて姿を消した」


 海一は静かに続ける。

 ミラーからちらりとうかがえる宮乃は、目を伏せてじっと聴いているようだった。


「神無月 誠二氏の裏切りの発覚に、その正式な妻・神無月真清氏は大きなショックを受けた。その衝撃は彼女の腹に宿っていた男児を流産させる結果となった。そしてその男児に名づけられるはずだった名『海一』を俺が授かった。裏切りと流産の悲しみから病に伏せた神無月真清氏は、体裁のため離婚をすることも出来ず、屋敷の中で事実上の別居生活をしている。あなたはそんないびつな家庭で暮らしてきた。違いますか」


 問いかけているようで、それはほとんど断言だった。


 車は高速を止まらず走る。サングラスをかけた運転手は一切何も聞いていないようなそぶりだ。


「あなたの言う通りです、海一」


 宮乃は目を伏せたまま、それらの言葉を肯定した。


「あなたと私の母親が異なるのは事実です。あなたがこの“神無月”の苗字を名乗ることが不本意だということも、分かっているつもりです」


 宮乃がそっと目を開けたのを、ミラーでではなく空気で感じ取った綾香。思わず宮乃の後ろ姿を見る。


「ですが、私はあなたを弟だと思っています。全く血の繋がりがないわけではありません。そして、あなたが不本意でも同じ苗字を名乗る者ですから」


 宮乃の言葉に偽りや嘘はないように、綾香は感じた。それに何よりこの女性が海一に嘘などつくようには見えなかったのだ。


 だが、海一は違ったようだ。


「関東支部長、あなたは私を怨んでいる。憎らしく思っていないはずがない。俺の存在があなたの家庭を壊したのだから。俺の存在があなたの母上を追いつめてしまったのだから。見え透いた偽善はやめていただきたい」


 海一が怒っている。

 隣に座る綾香ははっきりとそれを感じていた。

 そしてそれよりもっと強く感じたのは、海一からあふれる悲しみだった。


「……あなたが私の気持ちを良く思っていないことは分かりました。しかし、私があなたを弟と思うのは私の自由です。あなたが一人きりでないということを、私が証明したいのです。家族が壊れてしまった私だからこそ」


 海一はそれに対して沈黙を返した。

 何か複雑な気持ちがあふれてはいたようだが、言葉にして伝える気が起きないのだろう。


 その代わりに海一は、綾香の手の甲の上に自分の指先を重ねた。

 まるで、「お前は一人じゃない」と語りかけるかのように。


 綾香はその不器用な指先に視線を落として目を細めた。


 一瞬にして父・母・妹、愛する家族全てを失ってしまった綾香と、生まれた時から周りにうとまれ本当の家族を持たない海一。

 誰にも見えない遥か彼方で瞬く星屑のような孤独と、誰も知らない遠い沖で降るしとやかな雨のような孤独が、ここでめぐりあっていた。


「本題に入ります」


 宮乃は急に厳しい口調に変わり、二人は一瞬にしてSSの顔へと切り替わる。


「藍季学園には、先程あなた方が会った人間の行った手続きよりももっと巧妙に対応しました。あの学校はお金さえ入れば正義はそちらに傾きます。訴えを起こした生徒の家よりも強い財力を示すことにより、相手側の訴えを取り下げさせることに成功しました。それだけの交渉能力を持っていない偽の両親役など、SSは立てません。無論、金銭面でかなりの負担をしたのは確かですが、現にあなた方は被害者です。その部分もしっかり理解させておきました」


 宮乃の口からすらすらと出てくる言葉はとても的確で、先程の男性の言葉よりもよっぽど納得のいくものだった。


「まず、神無月海一は騒ぎを聞きつけ家庭科室に入室しようとするも、ドアが開かずやむを得ず破壊したということになっており、壊してしまったドアや部屋の修繕費はきちんとこちらが払いました。そして危機的状況にあった川崎綾香を救うため暴力を行使することになる。川崎綾香は反撃をしているものの、幸いスタンガン等の武器を使わず肉体だけでぶつかって行ったため、反撃は正当防衛の域を出ません。男子生徒三人と女子生徒一人、状況的には完全に被害者と言えるでしょう」


 分かりやすく順を追って説明していく宮乃。


「その点を学校側に考慮させ、更に相手への慰謝料と和解金を払うことで神無月海一の退学は阻止されました。今は神無月海一は自宅謹慎・停学中ということになっています。川崎綾香への襲撃は生徒同士のトラブルとして処理され、もう触れられない事項になっているようです。川崎綾香は現在入院・休学中という扱いになっています」


「では、明日から学校に行って構わないのですね?」


 興奮した様子の綾香が改めて確認を取る。


 綾香の体調を気遣う海一としては諸手を挙げて喜ぶことは出来ないが、任務を続行出来るということはとても喜ばしいことだ。


「はい、二人には早速明日から調査に復帰してもらいます。綾香さんの体調はまだ万全ではないとは思いますが、この事件が解決に緊急を要することなどから、早い行動をお願いしたく思います」


 宮乃がミラー越しに二人の表情をうかがう。

 相変わらずの冷たい無表情の海一と、意気込む綾香。


 ふと綾香は疑問が浮かび、宮乃に尋ねた。


「宮乃さん」


 そう宮乃へ呼びかけたところを海一に注意される。


「綾香、この方は関東支部長だ」


「構いません。何ですか綾香さん」


 海一は気に入らないのか視線を窓の外にやった。


 綾香はそのまま続ける。


「長官はどうして、私たちの任務続行を指示して下さったんですか? 本来ならあの男性の言うとおり任務遂行失敗、解任になるくらいのトラブルだったはずなのに」


 宮乃は優しい声でそっと答えた。


「私が推したんです」


 綾香は小動物のように小首をかしげる。


「あなたたちの成功を信じているから、長官にあなたたちの任務続行を推薦しました」


 宮乃が少し表情を崩して微笑む。

 女性でもドキッとしてしまうようなその表情に、綾香は思わずポッと見とれてしまう。


「要はコネ、えこひいきだ」


 海一は宮乃の執り成しを冷たく切り捨てるようなことを言う。


「海一……」


 綾香はとても寂しそうな眼差しで海一に何かを伝えようとしていた。


 宮乃が先程の微笑みをもう一度浮かべて言う。


「海一、あなたは先程と言っていることが矛盾していますよ。長官、いや、私たちの父が、あなたを気に入っていないとしたらえこひいきなどするものでしょうか」


 海一は返事をしなかった。ただ窓の外の流れる風景を見つめるままだった。


 綾香がそんな彼に代わって感謝を口にする。


「ありがとうございます! しっかりと期待に応えて、この事件を解決してみせます。海一と一緒に!」


 宮乃はそんな綾香を見つめて深く頷き、海一の方へと目線を移した。海一は相変わらず宮乃の方を見てはいなかった。


「綾香さん」


 急な呼びかけに綾香が慌てて返事をすると、宮乃はただ一言こういった。


「ありがとう。あなたには感謝しています」


 言葉の意図が汲めず、綾香はただキョトンとしてしまった。





 車は高速を降りて、海一が現在住まうマンションの前まで到着した。その間車内には大した会話はなく、その気まずさで綾香は息が詰まる思いだった。


 宮乃と運転手は車から降りて見送ったりすることはなく、二人が降車するととすぐに走り去った。


 海一の部屋に二人で入る。


 久々のこの部屋に、お互い住まいを転々とする身ながら自然とほっとしてしまう。


「あー、疲れた!」


 綾香は勝手知ったる彼のリビングのソファに飛び込んでから、「いったぁーいっ!」と完全に忘れ去っていた左腕の痛みを思い出す。


 馬鹿だな、と無言ながらセリフを感じるような冷たい視線を海一が送る。


 それから、


「飲み物は紅茶でいいか?」


 と尋ねた。


 しかし綾香は体を勢いよく起こすと「いいえ」と強い口調で言った。


「今までのこと、これからのこと、すぐに話しましょ」


 何より早く任務のことを。

 綾香はこの一件で、自分たちを信じてくれた宮乃や長官のために、あの男性を見返すために、脅える生徒たちのために、そして何より自分たちの為に、この学校に巣食う闇を葬ってやると改めて強く決意していた。


 海一は黙ってうなずいて、綾香が座るソファと向かい合う形で、テーブルを挟んで床に座った。


「男子生徒たちに襲撃されたあの日の朝、私は齋藤真奈美にたんかを切ったの。偶然、理事長の娘・今泉麗がいじめられている現場に出くわしてしまったから。それから半日、陰湿な嫌がらせに遭うようになったわ。それと、前日には齋藤真奈美に高額献金を強要された初等部の生徒がいるって噂も耳にしたの」


 綾香は熱く語っている。

 海一は腕を組んで何かを考え込むようにしてその話を聞いていた。


「元凶は齋藤真奈美なのよ。齋藤真奈美と学園長の息子・宇津田明良が恋仲にあることは有名な話だから、海一も聞いたことあると思うけど、齋藤は自分の都合が悪くなると宇津田の力をちらつかせて脅迫したり、こうやって私みたいに暴力的な手段に訴えることも出来るのよ」


 そう言いながら自分のヒビの入った左腕を見せつける。


 海一は相変わらず黙ったままだった。


 綾香はじっと海一を見つめるが、何の反応もないことに半ばいら立ってきた。


「ちょっと、ちゃんと聴いてるの? 何か言いなさいよ」


 彼女のピリピリした言葉を受けて、海一がようやく綾香と視線を合わせる。


「それだけか?」


 彼の口から飛び出した思いもよらない言葉に、綾香は思わず眉根を寄せる。


「それだけ、ってどういうことよ」


「お前の得ている情報はそこまでか、と訊いている」


 良く分からない海一の問いかけに、綾香はイエスともノーとも取れない曖昧な言葉を発した。


 そこまでしか分かっていないのだな、と悟り海一はふうと息を吐く。


「いいか、綾香。お前はあの時田辺部長に」


「田辺部長って誰?」


「さっきSS本部で会った男性だ」


「ああ、はいはい」


 思えば自己紹介もされずに罵倒されていたのだなと、綾香はつくづく腹だたしく思う。そしてその分尚更、自分たちをかばってくれた宮乃の言動が誇らしく感じるのだった。


「とにかくだ。お前はあの時田辺部長に“事件はあともう少しで解決だ”と言っていたが、それは大きな間違いだ」


 海一は綾香の目を見つめて言いきった。


「未解決の問題・疑惑は山積している」


「いや、だから、その全ての元凶が齋藤真奈美だって……」


 綾香の言葉はどんどん強さと説得力を失っていく。


 こういうケースでの正しさは、百戦百勝で海一にある。


「よく聴け。俺はお前が襲撃に遭う前の夜とその当日に、色々な事実に気付いた。すぐお前に話しておけばこんなことにはならなかったのかもしれないと深く反省している」


「そんなことはどうだっていいわ。とにかくなんなのよ」


 綾香は結論を急かした。


「まず押さえておかなければならない事実。冷静に考えれば分かることだったのかもしれないが、黒幕は齋藤真奈美ではない」


「はぁ?」


 思わず綾香はワントーン高い声で海一に訊き返した。


「だって、え、そんな……。私は彼女が今泉麗をいじめているところを二回も見たし、生徒たちが彼女の名前をあげて彼女の脅迫を恐れているのも耳にしたわ!」


「落ち着け」


 鼻息荒く自分の推理の正しさを確かめようとする綾香に、海一は言葉を投げつける。


「正直、誰が最終的な黒幕で、誰が踊らされているのかはまだ分からない。しかし俺が辿り着いた結論の中で齋藤真奈美は、被害者の位置に居るんだ」


 海一の鋭い眼差しが綾香をとらえる。

 綾香は何かを言いかけようと中途半端に口を開けたまま、海一を凝視していた。


「齋藤真奈美が、被害者ですって?」

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