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海一は自分が集中的に攻撃されていることを理解していた。
海一の属する五組と宇津田の属する六組はいつも合同で体育の授業を行っているのだが、宇津田が仕切っていると言っても過言ではない男子生徒達は集団競技の度に海一を集中的に攻撃したり、冷やかしの対象にしたりしているのが何となく分かっていた。
クラスで口を利く者などほとんどいなくなってしまった。恐らく宇津田の指示だろう。というより、皆が宇津田の態度に暗黙の了解で追従しているのだろう。
海一はそれを別に苦とも思っていなかった。どうせすぐにいなくなる学校だ。
しかし、悪い意味で目立ってしまったのは都合が悪いとは思っていた。
そうして海一は今日もまた、わざとドッジボールでヘマをしたふりをしてボールを追いかけるのだ。
6
宇津田が何かを仕掛けようとしていることに、海一は薄々気付いていた。
海一が投げ返したボールはゆっくりとゆるい曲線を描き、運動音痴でさえ安易につかめそうなものであったが、ボールを受け取った宇津田がそこで声をあげた。
「いってぇ!」
味方グループの男子生徒たちが、宇津田のそばにわらわらと寄って行く。
どうやら宇津田は突き指したとアピールしたいらしい。
教師が笛を吹き、一旦試合中止を告げて宇津田に近寄る。
「突き指か、宇津田」
「はい、先生。神無月君のボールが……」
と言ってもう片方の指でしっかりと海一を指していた。
馬鹿め、仮にもバスケ部のエースがあの程度のボールで突き指などするはずがない。万が一本当にしたならば、それは己の鍛錬不足を見せつけているようなものだ。それに、自分ならばそのようなヘマはしない。
体育館中の視線が海一に集まる。
海一はわざと戸惑ったようなふりをし、小さく「ごめん、宇津田君……」と言いかけたが、それをさえぎった者が居た。
「宇津田はバスケ部なのにひどいことするよなー」
やけに大きな独り言を言う奴が居ると思ったら、あの日茶道部の部室で宇津田とつるんでいた連中だった。
「眼鏡君さぁ、運動出来ないならせめて迷惑はかけないでほしいよね」
宇津田が「眼鏡君、眼鏡君」と連呼するものだから、一部の男子生徒の間ではすっかりその呼称が定着してしまった。
綾香命名の「海眼鏡」よりマシだとは思いつつ、多少のいら立ちは覚える。
宇津田はそのまま保健委員に付き添われて、エレベーターで二階の保健室へと消えて行った。
海一はどこか“狙われている感じ”を拭えないでいた。
ライオンに囲まれたシマウマのような状況。海一には逃げる選択肢しか用意されていないのだ。しかもそれは、追う側が“逃げさせている”だけで逃げられることはないのだ。
そして再び試合が開始され、冷たい視線にさらされながら海一はボールを投げ続けた。
帰宅した海一が早速取り掛かったのは、昨晩潜入して手に入れたデータの分析だった。
すると、驚くべき事実がつぎつぎ発覚していった。
まず、ここひと月の『献金額』というものが尋常でないのだ。
しかもそれは学校指定の口座にではなく、宇津田学園長と今泉理事長の個人口座に向けてだった。
巨額な献金をしたのはいずれも大企業など非常に裕福な生徒の家庭であり、過去の献金歴と照合してもかなり突発的で、かつ飛び抜けた額であることが分かる。
一昨日の地点では理事長に二人が高額献金、学園長に二人が高額献金していたが、昨日になって理事長への献金が一人増えている。
まとめると、昨日の時点では理事長に三人が献金、学園長に二人が献金ということになる。
今日の記録はデータがないので分からないが、これらは常識的に考えて異常なペースでの高額献金なのは言うまでもない。
恐らく今日も増えているに違いない。
そしてその献金額は、かなりの金持ちの家とはいえ通常の献金では考えられない額である。
それから、昨晩入手した新任の教師リストを確かめる。
綾香が小型カメラで入手した情報も海一の元にあり、それを参照しながら見ていく。
すると、あの謎の机の主が分かった。机の上からは一切の個人情報が消され、ただ英語のテキストだけが置かれていた机。
中川 由紀子(ナカガワ ユキコ)。臨時の英語教師だ。
常勤の英語教師が妊娠による臨時休暇をとったため、その穴を埋めるべくひと月前程から呼ばれている。そのため文科省からの最新データにも載っていなかったのだろう。
個人情報も詳しい事は書かれていない。中川由紀子、未婚、A型、十九XX年八月十日生まれ。最終学歴は某有名大学英文学科卒で、教職免許はその際に取得したものだろう。
それ以外の経歴などは一切空白だった。それが故意に消されたものなのか、急ぎの採用だったため元々この状態だったからなのかはまだよく分からない。
だが、何度も潜入調査を繰り返している海一からすると、これを見るに怪しい人物以外の何者でも無かった。
海一はパソコンラック付属のチェアの背もたれにぐっと重心をかけ、体を伸ばした。
一人きりの静かな時間。海一の部屋には音楽すら流れていなかった。
屋上で綾香と落ち合おうとして失敗したあの夜に、綾香が言っていたことが思い出される。
“中川という女教師、年齢は20代後半から30代、それからその目上に当たるであろう存在の40代~60代の男性が会話していた”
この“中川”というのは年齢からしてもこの臨時英語教師・中川由紀子で間違いないだろう。
そして目上に当たるであろう男性とは、一体誰だ。
“内容としては『生徒を一人落とした』という報告と、『あと三人生徒を落とすことによって自分たちは勝利をし、学園を我が物にする』といった感じ”
「……“生徒を一人落とした”?」
妙に引っかかるフレーズに、海一は再び体を飛び起こしてパソコンを操作する。
綾香が深夜にその会話を聞いたのは、今日から四日前。
まさかと思いながらもどこか確信に背を押されるように、四日前の献金の状況を調べてみる。
もし「落とす」という言葉が「献金させる」という意味の隠語だったらならば。
そして海一は一つの事実にたどり着いた。思えばもっと早く気付いてもおかしくなかったはずだ。
深夜の職員室にデータを収集しに行った、あの潜入調査の時。
理事長の怒鳴りつける声に耳を澄ましてた綾香が、その声になんの反応も示さなかった。
中川は教師なのだから、それより目上の人物ならば同僚ということは基本ありえない。せめて教頭以上のクラス。そして教頭は朝礼で毎回司会をしているから、声の主が教頭ならば綾香はその場で気付いたはずだ。
それでも綾香が分からなかった、夜の屋上に居た中川より目上の男性、それは。
「学園長か……!」
海一は思わず片手を額に添えて舌打ちをした。合点がいったことよりも、自分の察しの鈍さにいらだっていた。
そして、疑問は次々と浮かぶ。
ではなぜ、同じ「落とす」という隠語を学園長と理事長が同じく使っているのか。
中川と話す学園長も、今泉と話す理事長も同じように言っていた。
そもそもなぜ高額献金の数を争うのだ。
しかも、あと三人と具体的な数まで指定をし、それぞれが早急にとそれを急がせていた。
海一は再びパソコンを操作する。ブラインドタッチがキーボードの上を軽やかに舞い、特定の生徒がリストアップされた。
それは、今まで理事長もしくは学園長に高額献金をした家庭のデータを参照し、彼らに共通する項目を並べたもの。
既に献金した家庭を含めて条件に該当する生徒をリストアップしたところ、初等部・中等部併せて七人の生徒の名が上がった。
そして海一は、リストアップされた中でまだ献金をしていない残りの生徒名に、まさかとも思える人物の名を発見して、思わず眉間にしわを寄せた。
「そんな、まさか……」
海一は一旦落ち着こうとパソコンラックから離れ、テーブルの置かれたカーペットにあぐらをかいた。
テーブルには綾香が小型暗視カメラで撮影した写真が何枚も置かれており、その中には中川の机を撮影した写真もあった。
個人情報の多くが隠されていた中川だが、海一はふと、その写真に不審な点を見つけた。
「なんだ、これは?」
パッと見るとノートか教科書が折れ曲がって飛び出したページのようにも見えるが、よく見るとそれは写真の端であった。
綾香は暗くて気がつかなかったのだろう。
このSS本部支給品の特殊なカメラで写すと、暗闇のものも昼間と同様程度に明るく認識することが出来る。
個人情報を徹底して隠す中川が、危険を冒してまで持ち歩く写真とは一体何なのだろう。
海一は大きなため息をついて、新しく酸素を取り込んだ。
冷静に考えろ、何か見落としていることがあるはずなんだ、よく考察すれば分かることがあるはずなんだ。
そう己に言い聞かせながら、眼鏡を外す。外界はとてもぼやけて見えたが、その分余計な情報が入って来なくて済む。
立ちあがって窓に寄った海一は、ぼんやりと見える夜景を見つめた。
ここから見える先のマンションに綾香が居る。データを分析して発見した事実を伝えるため今から呼び出しても構わないとは思ったが、一帯の電気が消えているようなので、きっと綾香も就寝しているんだろう。
最近は任務続きでハードな日々が続いたから少しは休ませてやらないと、「寝不足は肌荒れの原因なんだからねぇ!」などと怒鳴られかねない。
今夜くらいは任務から解放させてやろうと、海一はカーテンを閉めた。
その判断が翌日とんでもない悲劇を招くことになろうとは、その時の二人は知る由もなかった。
綾香は昨晩ぐっすり眠れたお陰か、目覚めが早かった。
久しぶりに自慢の黒髪を丁寧にとかして、少し赤みのつくリップクリームを塗る。
そして姿見の前でスカートをひらひらとなびかせてくるりと回って見せる。任務中の短期間だけとはいえせっかくの可愛い制服、と綾香は気に入っていた。
ゆっくり鏡と見つめ合うことが出来た朝は、何だかいつもの通学路も爽やかに感じられる。
そのようにして綾香は、珍しく朝早くに登校した。
いつもは口の端にパンかすをつけながら教室に走りこんでいるような生活で、こんなにゆっくりと登校出来たのは恐らく初めてだった。
校舎にもまだ生徒はほとんどおらず、朝の静粛さが校舎を支配していた。
玄関を通り抜け、たまにはエレベーターでなく階段で五階まで行ってみようと思い、軽快に踏み出す。
そして二階に差し掛かった時だった。
この階の窓ガラスを掃除している掃除夫が目に入った。
この学園では掃除夫なんてどこにでもいて、今朝も校門でも玄関でも見かけたのだけれど、その掃除夫からだけはなぜか他と違うオーラのようなものを感じ取っていた。
綾香がゆっくりそちらに近づこうとすると、掃除夫はとても自然に綾香から遠ざかり、階段から離れて行った。
綾香は少し距離を持ったまま立ち止まり、その顔をうかがおうとしたが、掃除夫は背を向けたままわざとらしいくらい同じところを念入りに磨いている。
立ち止まり腕組みする綾香の元に、ある人物が声をかけた。
「川崎さん」
綾香がどきっとして振り返ると、そこにはにこやかに微笑む小笠原の姿があった。
「あ、ああ、小笠原さん」
急いで作り笑顔で対応する。
内心では、あの掃除夫が一昨日の夜の掃除夫だとしたら私の名がばれたかもしれないなと顔をしかめたい思いだったが。
「珍しい、と言っては失礼かしら。今日はお早いんですね」
「え、ええ」
綾香はドギマギしながら、視線を時々掃除夫に送りつつ返事をする。
「わたくし、川崎さんが見えたものですから走って参りましたのよ。階段を使われたので、追いつけましたわ。いつも階段を使われますの?」
綾香はこれ以上の会話を掃除夫に聞かれては、万が一の場合良くないと判断し、小笠原をそれとなく促して、階段をのぼりながら会話することにした。
「いいえ、いつもは知っての通り、遅刻魔ですから。無論エレベーターでしてよ」
苦笑しながら綾香は答える。それを聞いて、小笠原が上品に笑う。
ここに転校してきてからしばらく経つが、そういえば小笠原はずっと傍にいてくれているなぁと綾香は感慨深く思う。
同じクラスに齋藤真奈美がおり、彼女に気に入られなかったために一部の女子には口きいてすらもらえないこともあるが、小笠原がクラスに居てくれるだけでとても心強く感じる。
「小笠原さんも、今日はいつもの登校時間より早くなくって?」
「今日は日直ですの。朝は日誌を取りに行ったり、黒板に日付を書いたりしないといけませんのよ」
吐息交じりに少し面倒そうに言う様子は、いつもより歳相応の少女に見えた。
ここにいる人間の振る舞いは、統一されたような言葉遣いをはじめ、まるで作り物のようなものが多くて、感情豊かな綾香としては若干の気味悪ささえ感じていたのだ。
「そうでしたの、大変ですわね」
と、まるで他人事のように言ってしまってから、綾香はハッと気づいた。
「大変ですわねって、川崎さんもいつかは務めますのよ」
小笠原はおかしそうに笑っていた。
彼女は知らないのだ。綾香は任務が終わればまた別の学校へ転校してしまうことを。
小笠原の出席番号から、転入してきて一番最後になっている出席番号の自分に日直当番が回ってくることがないことは、分かりきっている。
そんなに長い期間この学校に留まることはだろうと、綾香は経験から予期していた。
「川崎さんがいらしてから、授業もクラスの雰囲気も随分明るくなって、学校が楽しくなってきました」
小笠原はにっこりと微笑むと、
「日直の時にはわたくしがお手伝いいたしますわね」
と綾香の肩に親しげにそっと手をやった。
そんな彼女に、綾香はうっすらと微笑みを返すことしかできなかった。
少しの寂しさを抱きながらも、あたたかな雰囲気で階段をのぼりきった二人が教室のドアを開けると、そこには二度と見たくなかった、以前見た風景が広がっていた。そして、背後の小笠原は思わず顔を背けていた。
「何、あなたたち」
ナイフのように尖った言葉。
そう、そこには齋藤真奈美が居た。
そして彼女の目の前には、理事長の娘であり海一と同じ5組の今泉麗が、心細げに立っていた。
二人が対峙している、いや、齋藤が今泉をいじめているであろう現場に綾香と小笠原は踏み込んでしまったのだ。
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