「何なの、あいつ!」


 街の灯りが星を飲みこむ夜。高層マンションの入り口脇にある花壇の縁に腰掛けて、綾香は眉をひそめていた。


「学園長の息子だかなんだか知らないけど、どんだけ好き勝手してるのよ。部活じゃ威張り、関係ない部室を占領して飲み食いしてっ」


 初春といっても夜はまだ冷え込み、今夜は特に冬が舞い戻ったかのような寒さだ。綾香はその小さなあごをコートの襟元のファーにうずめていた。


 海一はマンションの影が作る暗闇の中、ズボンのポケットに手を突っ込んで立っていた。綾香の愚痴を聞いているのかいないのか、反応がないので推察出来ない。


「それになんなの、あの女子たちはっ。普段あんなおしとやかぶって大人しくしてるのに、ぎゃあぎゃあとやかましい! あれこそ、女女女、姦しいと言うんだわ!」


 綾香は太ももの上で小さな拳を二つ作り、付け足すように小さな声で言った。


「それに、海一が運動出来ないとかですぐ見る目変えるんだから……」


 唇を尖らす綾香が少し声のトーンを落としたところで、海一は口を開いた。


「何だお前、俺に同情でもしてるのか?」


 海一は珍しくわずかに表情を崩して、薄く笑うように綾香を見つめていた。


 綾香は少しどもってから、


「違うわよ! 私は宇津田とあの女子たちがむかつくの!」


 とそっぽを向いた。


 海一はわざとらしくため息をついてみせる。


「まあ、お前には分かるまいが、見てくれがいいと反感を買うことも多い」


 けして自慢するようにでなく、事実として淡々とそう述べた。

 そっぽを向いていた綾香が「あんたって人はぁ!」と飛び上がり海一に殴りかかって行くも、海一はそれらをひょいひょいと避け「やれやれ」と涼しい顔をしていた。


 二人はしばらく歩いた。


 海一が迎えにきたこの高層マンションには、今回の任務中綾香が滞在する部屋がある。学校には父・母・娘の三人暮らしと申請してあるが、暮しているのは綾香一人だ。


 今二人が向かっているのはその近くにある海一の滞在するマンションで、状況としては綾香とほとんど変わりない。


 夜風にスカートからのびる素足をさらしながら、綾香が海一の少し後ろを追うようについていく。


 海一は少し声をひそめて綾香に問いかけた。


「それで、その“いじめられていたかもしれない”という女子生徒は、今泉 麗(イマイズミ レイ)で間違いないのか?」


「ええ。そしていじめている筆頭格と思われる女子生徒は齋藤 真奈美(サイトウ マナミ)。二人とも一年生で、今泉さんは海一と同じ五組、齋藤さんは私と同じ一組よ。顔や体格も文科省からのデータと照らし合わせたから間違いないわ」


「そうか」


 海一は少し視線を下げるようにして何かを考えているようだった。


 綾香は海一のその鼻筋や顎、首の整ったラインを見ていると、「なんでこいつは美形に生まれたんだろうなぁ」とつくづく憎たらしく思うのだった。


 しばらく歩くと海一の滞在するマンションに着き、指紋認証で中に入る。大きな生花が飾られたエントランスを通り過ぎ、エレベーターへ。


「今泉 麗は理事長の娘だ。理事長の娘がいじめられてるなんてことがあるのか?」


「理事長の娘だからこそ、でしょ」


 海一のつぶやきに綾香はそっけなく返す。先程のことをまだ許してはいないようだ。


「宇津田くんみたいに立場を利用して人生うまくやれちゃう人もいれば、不器用で立場に潰されてうまく生きられない人もいるのよ」


 宇津田明良は学園の長・宇津田学園長の一人息子。今泉 麗は学園の経営の長・今泉理事長の一人娘。文科省のデータからその事実は明白だ。


 綾香が話し終わった丁度その時、チンと音がなり目的階についた。


 海一の部屋は無駄なものがほとんどなく、最低限に用意された家具があるだけだったが、パソコン周りだけは異様にごちゃごちゃしていた。


 二人はパソコンの画面を覗き込み、前回の実力テストの結果を見ていた。学年順位は宇津田が二位で今泉が一位。二人とも各科目競い合うような接戦の点数である。


「あら?」


 綾香はふとあることに気づいた。


「私たちの転入テストって、この実力テストと同じだから順位に反映されてるはずよね? 海一、あんたちょっと馬鹿になった?」


 ニヤリといやらしく笑う綾香に向かって、海一はカーソルを少し下げて二十番台を示した。


 するとそこには海一の名前が。


「潜入調査において、まずは目立たないようにするのが鉄則だろう」


 そこまで計算してあの超難問の試験に取り組んでいたのか、と綾香はいびつな笑みのまま固まってしまった。


「お前の成績こそ、悪目立ちしないように偽装工作が大変だったんだからな。頭が悪過ぎて」


 海一はわざとらしくため息をついて肩をすくめる。


 どうして私の投げた小石は土石流のような大災害になって返ってくるのだろうと、綾香は自問するのであった。


 そのまま海一はしばらく黙ってパソコンを操作していた。


 その間、綾香は勝手知ったる海一宅のキッチンに向かい紅茶を淹れた。海一の座るパソコンラックからは少し離れたソファに腰掛け、紅茶を味わいながらようやく言葉を口にする。


「理事長の娘・今泉 麗はいじめられっ子。学園長の息子・宇津田 明良は傍若無人。あの夜屋上に現れた女教師・中川は依然として正体不明、か」


「いじめられているらしい理事長の娘・今泉 麗。ワガママ放題な学園長の息子・宇津田 明良。いじめの筆頭格らしき齋藤 真奈美。三人は共に初等部からこの学園の生徒のようだな。初等部から一緒というのは多くはないようだから、互いが顔見知り以上の関係でもおかしくはないと思うんだがな」


 綾香はあの齋藤の視線を、海一はあの宇津田の視線を思い出していた。

 そしてふと海一が口を開く。


「そういえば、『中川』という女教師の名は文科省から渡されたデータ内にはないぞ」


 その言葉に綾香は困ったように眉をひそめた。


「えぇ、おかしいわね。私は確かにそう聞いたのよ……」


「あの暴風の中だ、お前の頼りない耳のことだからと思って似たような響きの名前も候補に入れて探したが、男女共に該当しそうな者は居なかった」


 いたってまじめに、腕を組みパソコンの画面を見つめている海一。


 綾香は頬をピクピクさせながら言う。


「あんたはほんと、気は回るけど余計なこと言うのね」


「お前みたいに自分だけ茶を淹れて人には淹れない、気の回らない人間よりマシだと思うが」


 綾香はキッと海一を睨みつけ、この熱い紅茶をぶっかけてやろうかという衝動を何とか思いとどめた。


 こいつがどれだけ美形でもこの性格の悪さ、ファンになる女子たちの気持ちが知れないと綾香は強く思った。


「それにしても、相手が教師だと分かっているというのに学校でここまで姿を見ないとなると、ある意味不気味ではあるな」


 綾香もそれには深くうなずく。


「加えてあの人がしてる香水はかなりどぎついわ。すれ違ったらきっとすぐに気付くもの。それなのに職員室にすらほとんど匂いはないの」


 あの夜中に屋上で嗅いだ匂いを思い出しながら、綾香は言う。


 海一は腕を組んで眼鏡のブリッジを押し上げた。


「とにかく、これは一度職員室に忍び込んで情報を引き出してくるしかなさそうだな」


 勝手に話を進める海一にもう反論する気力も湧かない綾香だったが、「えぇ」とあからさまに嫌そうな声を出す。


「まるでアル○ックかセコ○のショールームみたいなあんなセキュリティの宮殿、忍び込めるわけ? 資料だけじゃなくてパソコンにも手をつけるんでしょう?」


 今まで二人が派遣されてきた学校はほとんど公立で、設備もこんなに立派ではない。万が一警報をならしてしまったとしても即逃げられるような学校ばかりだった。


 それに比べてこの学園は見るからに金がかかっている上に、万が一警報など発動させてしまったら簡単には逃げられないだろう。


「心配するな」


 そう言うと海一はキーボードを素早いブラインドタッチで打ち始める。


 何をしてるのかと思い、綾香は立ちあがって画面を覗きこむ。そして思わず口をあんぐり開けてしまった。


「明日の晩は学園のセキュリティを一時間だけ全て落とさせるぞ」


 海一がエンターキーを押すと、SS本部へとその要望の旨がすっとメールの形になって消えていった。


 何も言えずにいる綾香に、海一が「なんだ、どうした」と顔をうかがう。


「いや、SSってすごいなと改めて思って……」


 実務的なことはともかく、こういう手続き的なことや事務的なことは海一に任せきりなので綾香にはまだまだ未知な部分が多い。


 海一はやれやれと肩をすくめた。そしてふと尋ねる。


「それよりも、気になっていたんだがお前は昨日の晩どうやって学校の屋上に忍び込んだんだ? お前の言う通り夜中の学校はセキュリティの展示場だぞ」


 すると綾香はきょとんとした顔で、


「海一が居た隣のビルから跳んだのよ。ぴょーんって」


 と、さも当り前のように答えた。


 海一は眉間にしわを寄せて、己のパートナーのじゃじゃ馬っぷりに頭を抱えるしかない。


「あのな、十七階建ての建物相手に、夜風吹き乱れる中簡単に跳ぼうと思うな。仮にも十三歳の女子だぞお前は。仮にも」


「なんで“仮”って二回も強調して言うのよっ。海一だってやってたじゃない! ジェンダーフリーよっ」


 綾香が大きな声で反論するも海一はそれを受け流し、


「はいはい、ジェンダーフリーだな。そんな荒技を余裕でなせるお前が、たかだかアル○ックやセコ○に脅えるな」


 と冷たくあしらうのであった。




 夕飯を共にしながら情報共有、お互いのこれからの動きを確認し、二人はマンションを出た。


 一応夜道は危険だからという海一の配慮で、海一宅で会議の際は海一が綾香の送り迎えをしてやっている。


 綾香からすると、不良学生とのケンカに巻き込まれたり逃亡する犯人をとっ捕まえるのに私がどれだけ身体張ってると思ってるのよ、と余計な親切心のようだが。


 実際に二人は任務中何度もそういった戦闘に巻き込まれたことがあり、綾香は普通の女子では考えられないような回数の肉弾戦をこなしている。おかげで二人はある意味ケンカの達人のようになってしまい、ミイラ取りがミイラなんじゃ、と綾香はたまに自嘲してしまうくらいだ。


 海一のマンションから綾香のマンションまではほんの十分ほど。新興住宅地帯で高層マンションが立ち並ぶ中ちょっとした公園や広場があり、その道を抜けていく。


「星、見えないねぇ」


 夜空を仰ぎながらつぶやくが返答がない。綾香が不審がってきょろきょろと見回すと、海一は砂場のそばにあるバスケットコートのもとに向かっていた。


 「もうっ」と憤慨して駆け足でそちらへ向かう。


 海一はバスケットゴールの下に置きっぱなしにされたバスケットボールを手に取り、軽く何回かついてみせた。


「海一っ……」


 彼の勝手な行動を非難しようと口を開いてから、ふと放課後の運動場での一連の出来事を思い出して口をつぐんだ。


 海一はボールをつきながらゴールからどんどん距離をとっていく。


 綾香はそれを見つめながら、きっと悔しかったんだろうな、と彼の心情を察していた。


 しかし海一は綾香が予想する以上にゴールから距離をとって行く。軽くスリーポイントの域に達していただろう。


「ちょっ」


 綾香が何かを告げようと唇を動かした瞬間、海一は完璧なフォームで跳躍し、ボールはまるでそれが道理であるかのように美しい曲線を描いてゴールに潜って行った。


 綾香は目を見張ったままぽかんと口をあけてしまう。


 海一はボールを拾うと綾香の方に向き直り、指で軽くボールを回しながら、


「お前はこれが悔しかったんだろう?」


 と笑うように言った。実際の表情は笑っていなかったが、綾香にはそう感じられたのだ。


「“まずは目立たないようにするのが鉄則”だ」


 海一は回転させたボールを止めゴール下に投げて戻し、綾香の先を進んだ。


 少し遅れて、何も言えずに綾香がついていく。


 点々と立ち並ぶ街灯に一個一個照らされながら、綾香はポツリとつぶやいた。


「海一のド馬鹿」


「馬鹿はお前だ」

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