「転校してきたばかりで、慣れないから迷っちゃって……食堂ってどこかな?」


 海一は学校用の作り笑顔で、困った風に宇津田に歩み寄った。その間に一瞬たりとも失敗を犯したような表情は見せなかった。


 だが、宇津田はそんな海一を突っぱねるように睨み続けていた。


「案内してくれるような友達もいないのかよ」


 周りの雰囲気で分かるだろう、こんな所は通常来るところではない、といういぶかしげな視線が海一に突き刺さっていた。


「いや、まだあんまり人と話してなくてさ」


 海一は苦笑してみせ宇津田の疑心を払拭しようとする。


 けれど、宇津田は疑り深かった。それもそうだろう、今この部屋の中でしていたことは明らかに公には出来ないことだったからだ。


 じっと海一を見つめている宇津田。


 戸惑った様子を装いながら、海一も宇津田を観察する。


 制服はきっちり着こなされており、頭髪は少しおしゃれをする程度にワックスで整えられている。目つきが悪いのは特筆事項だろう。吊りあがった目つきが服装や態度では隠しきれない悪さをかもし出していた。


「お前、クラスと名前は?」


「一年五組、神無月 海一。君は?」


 海一に聞き返されたのが気に食わなかったのか、少し頬をぴくっとさせてからぶっきらぼうに、


「一年六組の宇津田 明良(ウツダ アキラ)。俺の親父、学園長だから。そこんとこよく覚えとけよ」


 と、返事を投げつけた。


 海一は表面では困ったようにみせながらも、内心ではよくペラペラ情報を喋ってくれるなとほくそ笑んできた。


「……お前、何かムカつくな」


 宇津田は容赦ない言葉の矢を放つ。


 海一は少し脅えてショックを受けたような表情を作り、「えっ……」と戸惑って見せた。


「何コソコソしてんだか知らねえけど、もうこの階には来んなよ、眼鏡」


 海一はここで、何の権利があってお前は俺にそんな偉そうな口を聞いているのかと少しは反論した方が良いのかとも思ったが、とりあえずは守勢に徹することにした。


 少しの沈黙の後、海一はうつむいて小さく「分かった」と答えた。


 昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り、宇津田はそのままエレベーターを呼んで下りて行った。


 その後ろ姿を眼鏡越しに見送りながら、海一は目を細めて思考した。こんなに早く中心人物に接触できるとは思えなかったと、心の中で笑みながら。





 どうしてこう、時間って伸び縮みするのかしら。



 綾香は本日最後の授業の終了を知らせる鐘の音を聞いて、こっそりとあくびをしながら思った。



 楽しいことしてると短くなるし、退屈なことや嫌なことをしていると長くなるしね。例えば授業とか任務とか、と心の中でブツブツとつぶやきつつ荷物をまとめていた。


 ショートホームルームの後、小笠原が綾香の元へ寄ってきて、


「川崎さんはお帰りになりますの?」


 と尋ねてきたが、


「部活動を見学いたしますわ」


 と、やんわり誘いを断った。きっと一緒に帰ろうと言おうとしてくれていたのだろう。


 小笠原は「ごきげんよう」と微笑んで去って行った。


 教室から人がどんどん居なくなっていく。綾香もその波に乗り教室を出、部活動見学という名目で学校散策に向かった。


 学校指定の茶色い革のかばんを手に提げ、まずはエレベーターで八階まであがった。


 情報によると、家庭科室と美術室がありそれぞれ家庭科部と美術部が活動しているとのことだった。


 だが、八階の空気は死んでいる。


 おかしいなぁ、と思いつつそれぞれの部屋を覗くと、「家庭科部活動曜日:第二火曜日のみ」「美術部活動曜日:第三水曜日のみ」と手書きの張り紙が掲示してあった。


「こんなんで部活があるって言えるわけ?」


 綾香は右の眉をピクリとさせて張り紙を睨みつけた。


 一応入れる部屋の中は一通り覗いておいたが、多くの部屋に鍵がかかっていて、ほとんど入ることができなかった。物音ひとつしない。


 階段で一階上へ昇り、九階へ。


 ここは映画館のような視聴覚室が備えられている。綾香は転入初日の授業がこの部屋で行われて、ここが本当に学校なのか己の目を疑ったくらいだ。視聴覚室にはやはり鍵がかかっていた。


 何の収穫も得られぬまま、綾香は再び階段を上り十階へ。


 ここは理科実験室とパソコンルームがある。綾香はこの階が一番気が進まなかった。なぜなら、綾香が苦手とするタイプの「科学部」や「生物部」といった理系の人々の部活動があるからだ。


 そもそも女の私が行っても浮かないのかしら、と思いつつ赤じゅうたんを進み、理科室の前まで来ると何やら話し声が聞こえる。


 どうしてここに限って部活やってるのよと嘆きつつ、思い切って扉を開けた。


「失礼いたします!」


 と、中に入った綾香は、一瞬時間が止まったのかと錯覚した。


 中には女が十数人ばかり。教卓に座って足を組む短髪の少女を筆頭に、皆こちらを凝視していた。


 向こうも驚いたようで言葉を失ってしまい、綾香ともどもしばらく黙りあっていた。


「あっ、あの、こちらでは部活動が行われているとお聞きしたんですけれど……」


 綾香がおずおずと問いかけると、彼女たちは顔を見合わせて小声でブツブツ話しだした。「誰ですの、あの子?」「何を言っているのかしら……」というような言葉が断片的に聞き取れる。


 教卓の上で足を組んでいた少女が、ぴょんと教卓から飛び下りて綾香の元へ寄ってくる。彼女には確かな存在感があった。


「あなた、見ない顔ですわね。どなた?」


 少女は腕を組み、じっと綾香を見つめていた。それはほとんど睨みつけているに等しいだろう。


 短髪で眼光が鋭く、大きな目は強気に吊りあがっている。身長は女子としては少し高めで、綾香と同じくらい。中学生ながらにスタイルがよく大人びて見えた。


「わたくしは、一年一組に転入してきたばかりの川崎綾香と申します」


 少し脅えた風を装いながら小さな声で答える。実際は視線を逸らすふりをして理科室にいる女子たちの顔ぶれを確認していた。


「ふぅん」


 短髪の少女は少し色っぽいように返事をしてから、綾香の上から下までをじっくり品定めするように見つめた。


「ここでは部活動はやってなくってよ。他を当たりなさい」


 彼女が与える威圧感は尋常ではない。


 そんな中、綾香は見てしまった。複数の女子が囲む真ん中に、一人の女子生徒が椅子に座らされていた。


 栗色の髪を胸元で切った、幼げな雰囲気の小さな顔の女の子。表情はうかがえない。


 その視線に気づいたのか否か、目の前の短髪の女子生徒は少し声を張って、


「平穏に学校生活を送りたいのなら、ここで見たことを他言なさるんじゃなくってよ」


 と綾香に理科室の入り口までぐいぐいと迫り、扉を勢いよく閉めた。


 綾香の目の前数センチの所に分厚い扉が現れ、しばらく肩をすくめたまま目を見張ってしまった。何、今の……と頭の中は思考が停止している。


 ゆっくり深呼吸して落ち着きを取り戻す。このまま理科室の中を盗聴しようかと思ったが、再び見つかっては今度こそまずいことになるだろうと思い、駆け足で上の階へ昇った。


 十一階は職員室。放課後も仕事に追われる教師が職員室に残っていた。ようやく現実に戻されたような感覚がし、綾香はふぅと息をついて思考する。


 あの短髪の少女の顔はしっかり覚えている。帰宅したら文科省から送られてきたデータを参照しよう。

 それにしても、あれはやはり。


「いじめ……?」


 脳裏をよぎった言葉をポツリとつぶやく。大勢の女子生徒たちが一人の女子生徒を取り囲んでいる様子を思い出していた。


 椅子に座らされていた少女生徒の顔は確認できなかったが、色は白く、小さな顔をしていた。パーツでしか確認できなかったのに、儚げでとても印象に残る子だと思った。


「おい、転入生。迷子か?」


 綾香がぼうっと立っているのを見つけた体格の良い教師が彼女の背を叩いた。思わず短く悲鳴をあげてしまう。


「そんなに驚くことないだろう、一年の学年主任じゃないか。覚えておいてくれよ」


「す、すみません」


 微笑みつつ小さくおじぎをするが、内心では気安く触るなと怒りに震えていた。


「川崎はこんな所で何してるんだ?」


 この階はどうやら生徒は滅多に寄りつかない所だということを反応から瞬時に察知し、「部活動見学の為に運動場を探してましたの」と急ごしらえの適当な理由を返した。


「ああ、運動場だな。こっちにきなさい」


 そう言って学年主任はエレベーターの中に綾香と自分を半ば一緒に押し込むようにして、十六階のボタンを押した。


 ちょっと、他の階も回りたいのに! という綾香の心の中の悲鳴は、学年主任による実のない世間話でかき消された。


 エレベーターが十六階につくと目の前に開け放たれた門があり、そこには広々とした体育館及び運動施設があって、奥の方には武道場もあった。


「すごい……」


 そのあまりの豪勢さに口が開きっぱなしになってしまう。


 学年主任は得意げに、


「すごいだろう。ここは最上階の十七階と直結だからとても高さがある。立派な施設だ。ほら、そこでバスケ部が練習しているだろう。川崎に合う部活を見つけられるといいな」


 と熱く語って、一人エレベーターへ戻って行った。


 なんてマイペースな人なのかしら、と思いつつ仕方なく体育館をのぞいていくことにする。


 屋内用運動靴を持っておらず、仕方ないので靴を備え付けの靴入れにしまい、学校指定の茶色のハイソックスのまま中へ入った。この学校は全館土足制の為、こういうときは自分で上履きを準備しなくてはならないのだ。


 中に入るとキャーッと黄色い声が聞こえてきた。どう見ても運動部員ではないだろう制服の女子生徒らが沢山いて、男子バスケ部に熱い声援を送っていた。


 一人ではおしとやかでこんなことは出来なくても、まとまったらこんな声まで出せてしまうのだから、集団の力というものはすごいなと綾香は感心してしまう。

 それと共に、あの理科室での一連の出来事を思い出して眉をひそめた。


「宇津田くんかっこいいーっ!」


「上手ーっ!」


 綾香は彼女らが一番熱心に声援を送っている相手をじっと見た。


 そしてその宇津田という名前にも引っかかった。綾香の記憶だとそれは学園長と同じ苗字だ。確か学園長の一人息子は現在中等部一年生として本校に通っている、と。


 綾香がその騒がしい女子集団の間を縫ってもっと覗きこもうとした時、はねとんだバスケットボールが勢いよく飛んできた。


 周囲の女子生徒たちの悲鳴が聞こえる。しかし綾香の視覚がそれを認知するには、あまりに球が速過ぎた。


 顔面を打ちつけようとしたその球は、大きな音をあげて綾香の目の前で静止した。


 正しく言うと、綾香の目の前に現れた何者かの手によって静止させられていた。


 綾香が恐る恐る目を開くと、横には慣れた背丈のあの男、海一が立っていた。


 しばらく一帯の空気は固まったようになっていたが、海一が「危なかったね、間に合ってよかった」と綾香に学校用スマイルを向けたことでその空気は溶けだした。


「あ、ありがとうございます……」


 綾香は呆気にとられた顔のまま、海一に他人行儀な礼をした。


 海一が片手につかんだそのボールを投げ返す。その相手こそ学園長の息子・宇津田明良だった。


 ボールを受け取った宇津田は、海一の姿を認めるなりニヤリと笑った。


「これはこれは、転入してきたばかりでお友達の居ない眼鏡君じゃないか」


 周りのバスケ部員もクスクスと笑っていた。


 宇津田がなぜ海一のことを知っているのか、綾香には事態がつかめなかったが、ここは海一に任せることにし口を結んだ。


「ここに何しに来たんだ?」


 宇津田は軽く笑いながら海一に歩み寄った。綾香と同じく靴下の海一だったが、背丈は宇津田と同じか少し高いくらいだった。


「部活動を見学にね」


 綾香は海一が少し困ったような演技をしているのが分かり、こういう関係が作られているということを雰囲気で悟った。


「ほー。じゃあこの眼鏡君に一本打ってもらおうじゃないか。バスケの素質があるか見てやるよ」


 周りの連中も馬鹿にするようにはやし立てる。


 綾香は自分がからかわれているわけではないのに、なんともいえない歯がゆい気持ちがしていた。


 海一は冷静に、我を失うことなく「分かったよ」とボールを受け取った。投げられたそのボールには敵意がにじんでおり、海一の手元で大きな音を立てた。


 そして海一はゴールの前に立ち、何度かボールをついてからシュートの姿勢を構えた。


 決めちゃいなさい! 目にもの見せてやるのよっ!と、綾香は内心で叫んでいた。海一の運動神経は折り紙つき。それは綾香が一番分かっている。


 海一は両手を伸ばしジャンプをする、そして。


「やっぱ、眼鏡君じゃ才能はないみたいだねぇ」


 ボールがボードにはね返り遠くて音を立てており、宇津田が不敵に笑っていた。


 海一は苦笑しながら「そうみたいだ」と言って、笑われながら去って行った。


 周りの女子も、


「何だぁ、見た目はちょっといいと思ったけど……」


「運動出来ない男の子は……」


 とボソボソ言っていた。


 海一はそのみじめな空気を全て背中に負っていた。


 綾香はしばらく、コートの遠くでバウンドし続けるボールを睨みつけていた。

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