大相撲煉獄変

 相撲協会の力士の心得にはこうある。

 一、驕らぬこと

 一、怒らぬこと

 一、妬まぬこと

 一、怠らぬこと

 一、欲張らぬこと

 一、食べること

 一、色に溺れぬこと

 横綱・七大斉がこれら全てを破ったとして、千秋楽結びの一番の土俵入りを拒否されるという異常事態が、ここ国技館で起きていた。

 花道の途中に立つ横綱。それを数人の力士達が押し返そうとしても、横綱はびくとも動かず土俵を見据えている。

 土俵を挟んで向こう側では、取組相手の大関鶏つくねが途方に暮れていた。

 土俵下の砂被り席で、紋付き袴の老人が怒りに満ちた声で呟いた。

「図りおったな……ルシフェル」

 隣に座るスーツの偉丈夫、ルシフェル親方は微笑んだ。

「お互い様でしょう」

「ぬけぬけと……」

「私は力士として当然のことをしているだけだ」

「貴様ッ! 土俵に封印されたものが蘇ればッ……」

「それが人の考えの限界だ。力士はそう考えない」

 ルシフェル親方は座ったまま叫んだ。

 「砂淡! 構わねぇ! こっちへ来い!」

 砂淡は七大斉の旧四股名だ。七大斉は、親方の声を聞き歩みを進めた。もはや誰も止めることはできなかった。数人の力士を引きずりながら、横綱は普段のように花道を歩き、呆然とする太刀持ちや露払い達を置き去りにして土俵に上がった。

 そして土俵中央で悠然と柏手を打ち、四股を踏んだ。

 同時に土俵が発光した。光は爆発的に大きくなり、突如、雷のような破裂音と共に土俵から光の柱が上がった。

 やがて光が消え、呆然とする人々が見たのは、土俵の上に立つ一人の力士だった。

 髷は解け、髪は天を突くように逆立っている。盛り上がった浅黒い筋肉の体は鉄のよう。穏やかだった顔つきは、ギラギラとした瞳と、頬までさけた笑みにより一変していた。

「これが、蹴速……素晴らしい」

 土俵に上がったルシフェル親方は目前の異形に対し、感動に震えていた。

 次の瞬間、振り向いた七大斉――蘇った相撲の神の蹴りがルシフェルの顔面を捉え、そのまま二階席まで吹き飛ばした。

 誰もが息を呑み、誰かの悲鳴と共に全員が動き出したところで――

 ズドン

 その音が国技館の人々の動きを止めた。

 土俵の上、蹴早に相対する力士が四股を踏んだ。

 大関、鶏つくね。本場所、七勝七敗。振るわない理由はムラの多さ。しかし、ついたあだ名は大物喰い。

 蹴速が向き直る。

 鶏つくねが腰を低く低く下げていき、拳を土俵についた。

 それに引っ張られるように行司が軍配を掲げ、待ったなしを宣言した。

「はっけよい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編1000字 朝飯抜太郎 @sabimura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ