ヒューマン

恢々疎にして漏らさず、僕の悪事は、見事にバレた。

 悪いことをした、そのことを、自分の中で認めて、謝罪をするときの、バツの悪さ、気まずさ、これは、本当に辛い。生きているのが、嫌になってくる。

 

 申し訳ありませんでした、と腰をほぼ直角に曲げ、床と睨めっこする。

 「いえいえ、何はどうあれ、無事に見つかってよかった」

 父親は、柔らかく笑って、隣の椅子に座る息子に、虫かごに入ったヘラクレスを手渡した。

 息子は、多分小学生二、三年生くらいかもしれない。

 手渡されて、しばらくキョトンとしていたけれど、急に虫かごを両手で掴み、お前が悪いんだぞ、と通じるはずのない言葉を、ヘラクレスに投げかけていた。

 虫かごの中のヘラクレスは、まるで墜落する旅客機の中の乗客みたいに、狭い虫かごの中で上下左右に打ち付けられていた。

 「お前が勝手に逃げ出すから」

 おい、と小さな声で、父親は息子を叱っていた。


 僕はしばらく俯いて、顔面の痛みを噛み殺しながら、必死に父と息子の口喧嘩を聞いていた。


 彼らは何の前触れもなく、いきなりやってきた。いきなりやってきたと言っても、やっぱりそれは、僕が家に帰ってくる時間を見計らって、用意周到に計画されたものだったんだろうけど、僕にとっては突然すぎた。

 彼らは怒るでもなく、慰謝料とかの話をするわけでもなく、ただひたすらに父と子の間で他愛のない話をするだけだった。

 今日のおかずは、匂いからしてカレーかな、とか、いや、カレーうどんかも、とか。

 僕の言葉は、まるで初めから存在していなかったみたいに、すーっと流れていく。何年も前のニュースの話を、誰も覚えてないみたいに、僕の言った言葉たちも、何事もなかったみたいに、すーっと流れていく。


 「私たちいつも、南米までヘラクレスを獲りに出かけるんですよ」

 不意に話を振られて、僕はハッとなった。

 「南米ですか」

 「ええ、向こうではカブトムシをつかまえて育てるっていう風習がないみたいで、みんな結構不思議がるんですよ」

 もう子供は、退屈そうだ。はやく喧嘩させて遊びたいと言わんばかりに、ギラギラした目でヘラクレスを見ていた。

 税関とかは引っかからないのか、とか、聞きたい気もしたけれど、負い目のせいで、うまく話せなかった。

 

 おじさん、パンダみたいだね。

 おじさん、と言われたことも結構ショックだったけれど、パンダみたいと言われたことも結構ショックだった。

 父親と子供は、そうして帰っていたけれど、僕は一人浮かない顔をしながら、顔の傷を摩った。

 一生残るかもしれない、仮に治ったとしても、白く蜘蛛の巣みたいに、顔に亀裂の痕が残る、そのことを考えると憂鬱だった。

 


 いつも自分のことばっかりだ。こんなんじゃいけないと思ってはいても、余計なことかもしれないと尻込みする。

 いつの間にやら、この狭い部屋に引きこもっていって、気がついたら、玉手箱の蓋を開けた浦島太郎みたい。


 この顔の傷は、人間を失格した印なのかもしれない。そのうち慣れるか。

 笑って、指差して、この傷は、近所の子供のヘラクレスを盗んで、そのヘラクレスにつけられた傷なんです。

 隠し通せると思っていましたが、駄目でした、あははは、それでいいか。それでいいな。


 

 庭に目をやると、金木犀の花が咲いていた。

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