第2話 王立アクア学園
2年後。
ルグレシアン帝国、帝都の執務室。
クロノは1枚の亡命の嘆願書に手を止めた。
「これは?」
嘆願書を目の前でヒラヒラとさせながら、今しがた書類を持ってきた部下に尋ねた。
「はい、昨晩提出された物でございます」
何てことない嘆願書。
クロノはじっと内容に目を通した。
真っ黒な髪と瞳。軍服に近い黒いスーツを身にまとい、彼は長身と分かる長い脚を優雅に組み替えた。
ルグレシアン帝国は大陸全土を統一している大帝国であり、周辺諸国よりもかなりの先進国であった。
その為、国内外問わず日々多くの嘆願書や依頼書が届く。これも何てことないよくある亡命嘆願書の1枚。
「持ってきた者は現在帝国にいますか?」
クロノは嘆願書から切れ長の目を離さず尋ねる。
「はい、申請手続きにひと月程度かかる事は伝えております。彼は現在帝国に留学中ですので特に問題はないかと」
「分かりました。あなたが対応したのですか?」
「はい、実は自分の弟の知り合いでして……」
「成程、分かりました」
クロノはおもむろに席を立つと、
「これは私が対応します。彼、ロロ・ウインザーフィールドには出来るだけ早く私の部屋に来るように伝えてください」
「出来るだけ早く、ですか?」
「ええ。勿論今からでも良いですよ」
クロノはニコリと笑った。
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アクア王国の中央に位置する王都リアンの魔術師協会の一室。
ここにも居ない、か。
ロイは面倒臭そうに窓の外を眺めた。
そこにはここ数年で劇的に近代化を遂げた街並みが整然と並んでいるのだが。
それにしても……。
ロイは思考の海に沈もうと試みるが、先程から目の前で唾を飛ばしながら必死で魔術道具の説明をしている豚のような男のせいで上手くいかない。
彼の名はアラン。
アクア王国 魔術師協会の理事長だ。
「これが最近我が国が開発した新しい魔術道具です。元来魔力の流れは……」
軽くため息を吐きながらそっぽを向いているロイは、光輝く銀髪とハチミツの様な金色の瞳の持ち主である。長身で腰の位置が高く、軍服に近い黒のスーツをラフに着こなしている。胸ポケットには金糸で綿密に刺繍されたルグレシアン帝国のマークがハッキリとその存在を主張していた。
アランは嬉々として魔術道具の説明を続けている。
彼の周囲にはまるで金魚のフンのように研究職らしき男達が合いの手を打ちながら立っているのだが、当の説明を受けているロイ達は全く聞いていなかった。
「ロイ様、お顔に出てますよ」
隣に立つクロノがロイの耳元で囁く。
彼はロイと同じスーツを隙なく着こなし、顔には胡散臭い笑顔を張り付けていた。
「どうかされましたかな?」
アランがクロノの声に気付いて振り返る。
「いえ、大変有意義なお話でしたがそろそろ次の予定がございます。そろそろ失礼させて頂いても?」
クロノはニコリとほほ笑みながらそう告げた。
「これは失礼しました。説明に夢中になってしまって……お恥ずかしい」
アランはハンカチで脂ぎった額を拭く。
「では、失礼します」
「あっあの、この研究成果は帝国へは……」
アランは期待に満ちた目でロイとクロノを交互に見る。
「勿論きちんと報告致します。ご心配無く」
クロノはこれでもか、と言う程の胡散臭い笑顔をアランに向けた。
「ありがとうございます」
アランは嬉しそうに口元を緩めた。
こうしてロイとクロノは用意された馬車に乗り込み魔術協会を後にした。
アクア王国はルグレシアン帝国の従国の1つである。
従国には数年に1度必ず帝国から視察が送られるのだが、特に近年、アクア王国は高度成長期に突入しており、多くの近代的な建物や高度な魔術道具などが次々に開発されていた。そしてその状況が余りにも不自然であった為に帝国側が調査に乗り出した、という話は王国貴族の間では有名な話だった。
当然であるが、帝国の使者はこの国の王よりも地位が高い。
ロイとクロノはそんな帝国の調査官としてこの国に来ていた為、アクア王国の特務機関であり、エリート集団である魔術師協会メンバーは帝国への媚び諂いに必死なようだ。
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馬車の中。
「あいつ等は阿呆か」
先程から全く話さなかったロイが呆れたように口を開く。
「多分間違いなく阿呆かと」
クロノは無表情で答えながら、
「それにしても、これは酷いですね」
と車内から窓の外を眺めた。
「見事に居ないな」
ロイは銀髪をかき上げ、同じく窓の外に目をやる。
街は発展を続けており現在も建築ラッシュのようだが、見渡す限り全く精霊が居ない。勿論加護すらない。
遠くに見える林にすら影も形も無い。よくこれで街として、いや国として成立しているものだ。
「10年前の報告書には、特に問題点は無かったと記憶していますね」
「つまりここ最近か」
「状況を聞こうにも、ここまで綺麗さっぱり居ないのではどうしようも無いですね」
「逃げた、訳では無いとすると消滅か……否、あやつらが消滅など……」
ロイは、意識を集中する為に目を瞑る。
「……居た、がかなり弱っている……のか?」
「私には感じ取れませんね、どちらに?」
「今から行く場所だな」
ロイは前方を指差した。
「成程、王立アクア学園ですか。楽しみです」
クロノはにっこりほほ笑んだ。
「かなり弱っていそうだ、手加減してやれよ」
クロノは答えず、笑みを深めるだけだった。
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「アレク、いつになったら私を正式に婚約者にして下さいますの?」
聞こえたのは偶然だった。
ララは自分が目立つ存在である事を自覚していた。だからこそ、昼休みはわざわざ人気の無い校舎横、渡り廊下の裏側まで来ているのだ。
決して盗み聞きをしている訳でもないし、令嬢としてあるまじき意地汚さでランチ後にも関わらずお抱えシェフからコッソリ貰ったおやつを1人コソコソ食べている訳でもない。
本日5個目のシュークリームを手に、ララはこの場を離れようかどうか思案した。
何故ならララは、この声の主に聞き覚えがあった。
会話から察するに、最近一番聞きたくない話題なのは間違いない。
盗み聞きなんて淑女のする事ではない。
しかし次のシュークリームを齧った瞬間、その考えは四散した。
こ、これはチョコクリーム!!
ありがとう!シェフよ!
君のお蔭で私はハッピーだよ!!!
ララは嬉しそうに残りの塊を口に放り込む。
彼女はかなりのスイーツ好きであった。
ここは王立アクア学園。
由緒正しき貴族の子息令嬢が、見栄と権力と横繋がりの為に12歳から18歳まで通う学園である。
ララは今年入学を果たした訳なのだが、3学年上には彼女の婚約者でるアレキサンダーも既に在籍している。
しかし予想通りララとアレキサンダーの接点は無く、入学してから今日まで挨拶ですら一度も交わした事は無かった。
「ああ、愛しいアン。もうしばらく待ってくれないか」
「そんな事おっしゃって、もう2年ですわ。いくらあの辺境伯の娘だからと言って、あんな気味の悪い女との婚約、早々に破棄して下さいまし」
「後1年もすれば国王陛下が認めて下さる。そうすれば直ぐに婚姻出来るさ」
「本当ですの?」
「ああ、あの女は体が弱い。うっかり病死なんて事、起こらないとも限らないしな」
「まあひどい方!」
「そうかい?あんな気味悪い女と婚約してやってるんだ。これ位は言わせて欲しいものだね」
アレクことアレキサンダーとアンは、笑いながら渡り廊下を通り過ぎていった。
アン・サザランド。
赤毛が美しいサザランド伯爵家の令嬢である。
アレキサンダーとは学園で知り合い、今や恋仲。と言うのが学園内の噂であるが、
先程の会話からすると真実だろう。
「気味の悪い女……かぁ」
ララは思わず唇を噛む。
やせ細った左の薬指には今も尚、婚約者の証である銀の指輪が鈍く光る。
今は食欲も戻り、よく食べ、よく眠って人より健康的に過ごしていると自負しているのだが、いかんせん病気の後遺症で青白く痩せこけ、パサパサの白い髪と瞳は治らないままだった。
誰かが揶揄した。
ララ・ウインザーフィールドはまるで死んだ魚のようだ、と。
「はぁ……」
ララはゆっくりと息を吐き出しながら、側にある木の幹に背を預けた。
後遺症のせいか、いくら食べても太らない体を忌々しく思う。
ララがこの姿になった後、彼女の両親は何度となく婚約解消を国王陛下に頼んだ。しかし何故か頑として受け入れては貰えなかった。
「アレキサンダーが自分の婚約者はララ嬢しか考えられない」と。
病気になって、姿形が変わっても君だけが好きだ、と。
まるで美談のように国王陛下は言ったが、当のアレキサンダーは一度もララの見舞いに来る事は無かった。
年に数回の形式的な手紙と花のプレゼントのみ。
ララが回復してからも頑なに会いに来ず、パーティーではエスコートすらしなかった。学園に入ってからも特に接点は無く、すでにアン嬢とは相思相愛だともっぱらの噂。
辺境伯の娘であるララに直接的な嫌がらせは無いが、それでも陰口や悪口などこれみよがしに囁かれる。
『あんな化け物が婚約者なんて、アレキサンダー様もお可哀想』
『アン様の方が余程お似合いですのに』
『図々しい、さっさと婚約破棄されれば良いですのに』
っと言うか、いい加減ララは頭にきていた。
正直うんざりなのだ。
勝手に婚約させられたのはこっちだっていうのに。
王家が欲しいのは辺境伯との繋がりだけ。
そんなにアン嬢が好きなら、とっとと婚約破棄してくれれば良いのに。
まるで婚約破棄出来ないのが私のせいみたいな言い方をして。
周りもアレキサンダーとアンに同情的で、私は身の程もわきまえずに婚約にしがみつく愚かな女扱い。
あんな男、犬のクソ以下だわ!
ちょっと金髪だからって!
ちょっと青い目だからって!
ちょっと美形だからって!
ちょっと王子だからって!
そう、アレキサンダーは10人中7人が見とれる一般的な美男子である。
それに王族、第2王子と言う計り知れない付加価値が付いている。
ああ!怒りに任せて叫びたい!
「アレキサンダーは、犬のクソ以下ですよ!!」って!!
誰のせいで来たくもない王都に住んで、通いたくもない学園に通ってると思ってるのよ!ふざけんな!
王族の婚約者と言うだけで強制的にアクア学園に入学させられたララは、両親と共に大好きな領地を離れて「臭い」「汚い」「煩い」の三拍子揃った王都にわざわざ来てやってるのだ。
ああ、領地に戻りたい。
大自然の中で自由気ままに走り回りたい!
ララは怒りに任せて地団駄を踏む。
そう、彼女は見た目に反して心はそんなに弱くなかった。
そしてそれは彼女の両親達も同じのようで、最近では、
「亡命も良いかな~」とか
「やっぱり住むなら帝国かな~」とか
「ララはどこに住みたい?」とか聞かれる始末。
ララの兄ロロに至っては、いつの間にか帝国に留学していた程だった。
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