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もう彼女はいない。幼い愛を打ち明ける前に無残な姿で亡くなってしまった。早く大人になって彼女を守りたかった。守れなかった。間に合わなかった。力を身に付けるのも、強くなろうと行動を起こすことさえ、何もかも遅過ぎた。
そうして、何も出来ないまま、無力に彼女を喪った時のように……
もう、間に合わないのは嫌だ。後悔するのは嫌だ。
「ギムレイッ!」
ギムレイの周りで薄い燐光がさざ波のように震えて打ち消された。キインッ、と耳障りな音が鳴る。発動が完全でなかったシスター・セレンの防御障壁は簡単に破られた。歯噛みするがもう追い付かない。
モルフォ蝶の翅のような青い光が、踊る火花のように舞う。ギムレイは小路を疾駆し、暴虐の余韻を味わうように天を仰いで立ち尽くすラスに、渾身の力を込めた風の威塊を叩きつけた。予兆も無くラスの体が真横に吹っ飛ぶ。見えない攻撃。魔術にも似た。爆音。ラスはハイスピードでビルに衝突し、砕けた壁が派手に飛び散る。瓦礫が降り注ぎ、粉塵が舞い上がる。
ドオッ、と地響きが轟いた。
「ギムレイッ!」
やられた。やってくれた……
シスター・セレンは咄嗟にファウストのいる部屋を見上げる。窓にひらひらと揺れる掌。撮っていない、という合図だ。
ドッと冷たい汗が噴き出す。
危うい。あまりにも危うい。これ以上放置しては、彼の情熱的な正義感がこの計画を危機に陥れる。
もう動いてくれるな……
ちっ、と舌打ちし、苛立ち紛れに能力を発動させる。ぶわ、と青いプロミネンスがギムレイに向かい、シスター・セレンの力が鳥籠のようにギムレイを閉じ込めた。
理不尽に抑え付けられてギムレイは反発する。
「なぜです! シスター・セレン!」
どうして? なぜ邪魔をする?
防御障壁の形で展開された〈ディアボロ〉を振り解こうとギムレイは身悶える。
シスター・セレンは破らせまいと更に力を込め、ソロモンは縋るように叫んだ。
「ギムレイ! 駄目だ、動くな! 頼む、彼に構うな! 動かないで、そこにいてくれ!」
まるで哀願だ。懇願だ。なんという愁嘆場。吐きそうで、惨めで、恐ろしい。身も蓋もない混乱。
計画はどうなっている? 撮影は? こうもあからさまに〈ディアボロ〉を使って、シスター・セレンの能力光が映ったらどうする? 無事に進行しているのか、それとも破綻したのか、それすらも判然としない。
ガランッ、と小さな破砕音が響いた。瓦礫の中から、埃に塗れたラスが頭を押さえてのろのろと立ち上がる。
「ああ、まったく。何なんだ、この有様は……」
頭を振るって砂利を払い、ラスは足元の崩れた窓枠を蹴り付けた。ガンッ、と空疎な音が響く。能力を乗せない蹴りは呆気なく、窓枠の残骸はただガラガラと滑っていく。
「ポリスには見つかる。青臭い〈ディアボロ〉は突っかかってくる。訳のわからんシスターはいる。皆で俺の邪魔をしやがる」
苛々と呟きながら、玄関部分だけが見事に崩れた廃ビルから出ようと壁に手を掛けた。同時に、ラスの肩に再び瓦礫が落ちかかる。彼は、SHIT、と罵って今度は青い光を発しながら手近の石柱を蹴った。柱の一部が砕け、クリアな破裂音が轟く。ビルは倒壊寸前だ。
ラスは衣服に着いた埃を叩いて払いながら、ゆっくりと小路の真ん中まで歩いた。
どうしてだ、と呟く。
「どうしてこんな様になる?」
ラスは不意に怒鳴ってソロモンを振り返った。
「俺はおまえが欲しいだけなのに、なぜだっ!」
演技過剰の役者のように感情のままに訴える。ソロモンはただ、黙って見ていた。言葉が出ない。考えも回らない。
ラスはそんなソロモンに焦れて、駄々を捏ねるように、辺りに散らばった瓦礫を手当たり次第に蹴り飛ばす。それらが衝突して、またビルの壁が崩れた。
「もうお終いだ。畜生。ウジ虫どもが。寄ってたかって俺をいびりやがる。せっかくおまえに会えたのに、なんで邪魔ばかり増える。くそっ、あいつら、ここに俺がいるってコールしたんだろうな。ポリスってやつはそういうもんだ。きっと仲間がぞろぞろやって来る。袋のネズミにされて、俺は殺されるんだ」
ガンッ、と最後に瓦礫を一蹴りして、彼はぴたりと動きを止めた。
ひとしきり暴れて気が済んだのか、荒い呼気を吐き出しながらも、じっとソロモンを見詰める。
「俺は殺される」
もう一度、静かに彼は言った。
「そうだろう、ソロモン? これはそういうシナリオだ」
優雅なほどにゆっくりと、ラスはソロモンの居る方向へ歩を踏み出した。そして、吐息のようにとやんわりと呟く。
「これ以上、邪魔が入る前に、おまえだけは……」
「シスターッ! シスター・セレンッ!」
ギムレイは必死に声を張り上げる。ソロモンが危ない、この戒めを解いてくれ、戦わせてくれ、無残に殺されたポリス達の仇を討たせてくれ、と。
破壊され、大量の水を噴き出し続ける消火栓からスコールに似た音が重なる。
どこからか、空気の焼ける臭いも。
ああ、燃えている……
通りの入口、破壊されたビルの瓦礫の下で横倒しになった黒いセダンから炎が噴き出していた。じきビルの内装に引火する。そうなれば、立ち昇る煙が人目を引くだろう。いくら周辺がゴーストタウンで、人の通行を抑えていると言っても、火事の煙は遠くからでも良く見える。隣接した他の区からやじ馬が集まれば、たった二十人の洗脳された手勢でどうにかできるものではない。
こんなに派手にやる気は無かった。
駄目だ。時間が無い。
もう、どうにもならない……
がくん、と全身の力が抜ける。ソロモンは諦めに身を任せた。その時、ほとんど反射的に、それでいいのか、と己の声が心の底で爆発した。星が輝くような鮮やかな叱咤だった。
成すべきことを為す。
そう決めて、生きてきたではないか。
すう、と深く息を吸い込んだら、煤混じりの空気が臭った。
「ラス……」
焼き殺そう、と思った。次に彼が攻撃の気配を見せたら、その時は、自分が……
何もかも燃やし尽くす。
「なぜだろう」
ラスは不意に、不思議そうにソロモンを見詰めた。
「ソロモン、おまえが俺を呼んだ気がする」
そんなはずはないのに、確信がある。ソロモンが、自分を、ここに呼んだ。招いた。
なぜ……
「俺が憎かったか? 殺したかったか?」
──それとも、愛していたか?
ずっと、それだけが訊きたかった。
「言い訳くらいしてくれっ!」
愛を乞うように彼は叫んだ。その一瞬、凶悪な殺人鬼がまるで恋人に裏切られた平凡な男のように見えた。悲痛で、情けない……そして、ただ哀しい……
「何も、言う事は無い」
ソロモンはいつかと同じように無表情で答えた。付き合ってやる、と侮辱のように言われ、おまえは好みじゃない、願い下げた、と言い返したあの日のように。
血の色を映して燃えるアメジストの瞳とは対照的に、冷えた指先がわずかに震えた。
「……オーケイ」
くくく、と喉の奥でラスは笑った。弱々しい泣き笑いだった。
「それでこそ、ソロモン・アスカリドだ」
ラスが腕を振り上げる。攻撃するつもりだ。
「ソロモン──ッ!」
ギムレイの悲痛な叫び。
その時、夢遊病者のような足取りで、一人生き残った警官がふらふらとラスに背後から歩み寄った。手にはナイフを構えている。
走る。無謀にもラスに向かって突進していく。ラスは振り返り、警官を正面に見た。
──そして……
瞬きするほどの一瞬、理想的な形が出来上がった。ギムレイとラスをつなぐ直線上、ラスの面前に立ち塞がる形で、わずかに利き腕側に風の抜ける道を空けて操られたポリスが重なる。シスター・セレンとソロモンは攻撃の影響を受けない角度にいる。これだ。この立ち位置になる瞬間を待っていた。
奇しくもそれは琴座の恒星の並びに似ていた。青いアルファ星ヴェガの位置にギムレイ、ベータにシスター・セレン、ガンマにソロモン、デルタの暗赤色の巨星にラス、ゼータの暗い二重連星に鈍い鉛色のナイフを構えた警官。
──これが、待ち望んだ局面……
「ギムレイ! 私を傷付けないで!」
シスター・セレンの声が射抜くように場を貫く。それは呪文だった。ギムレイに掛けられた魔女の呪い。
チカッ、と光が瞬いた。
もっと、細く力を引き絞って……
ダーツのように……
頸動脈はここです……
ここを切られると……
即死です……
気をつけて……
気をつけて……
私を傷付けないで──!
ブツン、と場にそぐわない鈍い音が聞こえた。続けて、細く鋭い風が天へ吹き抜けていく。
「ソロモン……」
ラスが惚けたように呟き、花火が弾けるように大量の鮮血が飛び散った。
深紅の薔薇が舞うような華麗な光景だった。
†††
そもそも、事の起こりから、ソロモンは自分の心が不思議でならなかった。
なぜ、ラスを生贄に選んだのかと訊かれても困る。
強力な〈ディアボロ〉を持つ凶悪犯、その条件に合致する人物が、そう多いはずがない。
ラスは、最適で、ほとんど唯一の候補だった。
この計画をノーラから持ち掛けられた時、なぜ、すんなりと、むしろ喜びさえ持って承諾したのか、どうしても分からない。
ラスとの過去を消したかった。無かった事にしたかった。それとも、書き換えたかった。元に戻したかった。
あるいは……
彼を自分だけのものにしたかった。
滅茶苦茶な感情は綯い交ぜになって、もう原型が分からない。
ただ……
どうしても彼を殺したかった……
それだけが、偽らざる己の心。
†††
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