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 説明を受けて理解したが、戦闘になればラス・マドリガルの能力とシスター・セレンの能力は相性が悪いという事か。ラスが〈ディアボロ〉を発動させてハイスピードで攪乱してくれば、シスター・セレンが不利になる。お互いに先手必勝の能力なのだ。だが、今回は計画の性質上、シスター・セレンは先手を打てない。目的を遂行する為には、襲撃を受けやむを得ず犯人を殺害した、という状況を演出し、撮影せねばならない。突然犯人が卒倒する〈洗脳〉は使えないのだ。防御障壁も可能ならば使いたくないのだろう。目に映る現象は困る。ギリギリまで攻撃を受けないよう知恵を絞って、耐えて、地味にしのぎつつ、目的の局面が整うまで待ちの一手に徹さざるを得ない。

 ともかく罠は張ったのだ。最大限の努力を払って。後は、うまく獲物が掛かってくれるよう祈るしかない……

「ただし、本当に危なくなったら形振り構っていられない。どうしても手に負えなくなったら、ソロモン……」

 あなたが焼き殺して、と低く凄惨な声が響いた。

「私は防御で手が空かない。と言って、あの〈綺麗な子〉に、足が付くような派手な攻撃をさせるわけにはいかないでしょ。広範囲に鋭利な切断面が拡散すれば、あの子の記憶を消しても、あの子がやったと特定される力の痕跡が残って手詰まりになる。誰が気付かなくても、あの子自身が気付くわ。隠蔽不可能な攻撃をするなら、あなたがしなさい」

 隠せない罪はおまえが背負え、と。罪悪感も、誹りも、罵りも、忌諱も、おまえが背負え、と。背負うべきおまえが背負え──と彼女は言った。

 ギムレイに消えない罪悪感を背負わせたくないから私を呼んだんでしょう、と。

「当然ね」

 計画が失敗した場合、ラスを殺して汚れるのは自分だ。覚悟はできている。

 どうせ、間接的に手を下すか、直接手を下すか、それだけの違いだ。

 権力を使えば、彼が殺したと報道される事は無いし、そうすべきであるが、消せないものは消せない。ソロモンの炎は派手過ぎる。痕跡を見ればソロモン・アスカリドがやった、と解る者には解る。疑惑は残るし、囁かれ続けるだろう。そんな事は構わない。彼には周囲の反感を捻じ伏せるだけの力がある。

 それでも、ギムレイの自分を見る目は変わるだろう。今度は、彼の眼前で人を焼き殺す破目になるかもしれないのだ。実際に目にしていない殺人と、目の当たりにした殺人は、さすがに重さが違うだろう。今まで偏見を持たないでくれた彼も、変わってしまうかも知れない。

 しかし、計画に重大な変更が生じ、彼を決定力として使用しなかった場合、記憶はいじらないと決めてある。大切な人の脳に無駄な負担はかけたくない。だから、それでいい。

 疲労の色濃い溜息を吐いた時、不意に、平和な呼び鈴の音が響いた。

 ギムレイが戻ってきたのだ。


   †††


 ギムレイは、バルの朝食がいかに美味しかったか上機嫌で語った。

 はいはい、とソロモンが呆れ顔で遮るまで、ギムレイの朝食談義は続いた。

 自分ははしゃぐ気分ではない、とソロモンは少し不機嫌になったが、事態は早急には動かなかった。

 ダイニングキッチンで無聊をかこちながら、インターネットのライブ放送を流してニュースを待つ。情報が無くても出発の予定は変更しないが、それでも、確信が欲しかった。

 ディスプレイにはキャベツのぬいぐるみが世界各地の珍しいレシピを紹介するという番組が流れていた。気分にそぐわない軽妙な音楽が不思議と現実感を奪っていく。

 目当てのニュースはなかなか流れない。

 報道されるのか、それともされないのか。報道管制は布かないと予め財閥総帥達の間で取り決めはしてあったが、報道が間に合わない可能性もある。あるいはラスが逃亡に失敗しているという可能性も……

 じりじりしながらソロモンは時を待った。

 ──午前十時五十三分。

 耳障りなニュース速報の合成音が、ぬいぐるみの台詞を遮った。

『……番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝えします。たった今入った情報によりますと、凶悪犯罪を起こしてオストロス刑務所に収監されていた囚人が脱獄をはかってディアナポリス市内を逃走中とのことです。なお犯人の行方は未だ確認できておらず、市内に潜伏しているものとみられ……繰り返します……』

 数秒、重い沈黙が流れる。

 これが、目当てのニュースだった。

「それじゃ、行きましょうか。正午の約束に間に合うように」

 歌うように言ってシスター・セレンは立ち上がる。椅子が軽く乾いた音で鳴った。聖母のような微笑を彼女は浮かべていた。

 無言でソロモンも立ち上がる。

「いや、しかし……」

 ギムレイはニュース画面に視線を残し、気遣わしげに眉をひそめた。市民の安全を守る責任に満ちた表情だ。シグルト・コミューン総帥である父親から緊急の呼び出しがあるのではないかと気にもしている。

 その可能性は無い、とソロモンは内心で呟く。この件では絶対に〈ワイズマンの息子〉に声はかからない。シド・ワイズマンとはすでに密約が成っている。それに、どのみちこの事件は、これから自分達が片付けるのだ。

「ギムレイ。今はこちらが優先事案よ」

 乱暴に彼の肩を掴んでソロモンは偽りを耳打ちする。

「か弱い女性を護衛するのが今の私達の使命でしょ。脱獄犯はポリスに任せて」

 一瞬、危うい逡巡を見せたものの、ギムレイは力強く頷いた。

「わかった。あなたの言うとおりだ」

 精悍な青年の顔に、美しく鮮やかな義務感が翻った。


   †††


 ──〈ノースカルヴァン〉、オールドラムゼイ通り、五百四十二番。

 ──午前十一時三十二分。

 黒のセダンが荒廃した雰囲気の路地をゆっくりと抜けて、通りの一角になめらかに停車した。

 ギムレイの運転するジャンヌ・ダルク・コーポレーションの社用車である。

 路面は昨日の霧雨の名残でしっとりと湿っている。水溜りが透明に散在していた。

 寒々しい曇天の下、ガラスの割れた窓、壊れたドア、打ち捨てられた古い廃ビルが、壁に汚れを張り付けて疲れ切った老人のように佇んでいる。

「ここは、昨日の……」

 ギムレイは意外の感を声に乗せた。

「ここで会う約束をしているんです」

 シスター・セレンはしれっと言った。

「しかし、では昨日の皆さんの身が危ないのでは?」

 車から降りて辺りを窺うと、身形の良くない男が数人、周辺を警戒するように立っている。昨日、食糧を受け取って喜んでくれた彼等だ。

「おーい、君たち」

 ギムレイは両手を口に当てて声を張った。彼等は呼び掛けに気付き、何かに操られているような胡乱な動きで顔を上げてこちらを見た。

「やあ、こんにちは」

 さっと手を挙げて挨拶する。

「ここに居ると危険だ。しばらく避難していてくれないか」

 昨日の彼等の気さくな様子から、何事かと問い質されるかと思ったが、なぜか今日の彼等は素っ気無く、ふい、と顔を背けて離れて行った。顔見知りに対する反応ではなかった。

 少しは仲良くなったつもりでいたのだが、自分に気付かなかったのだろうか。

 ギムレイは少しがっかりした表情で手を下ろした。

 しかし、すぐに微苦笑を浮かべて肩を竦め、あっさりと気を取り直す。この引きずらないところが彼の魅力だ。

「他の皆にも避難を勧めないと」

 軽快に走って、六十メートルほどの小路と廃ビルを見回った。

「おーい、誰か。誰かいないのか」

 各ビルの前に立って声を掛けてみるが誰も顔を出さない。見える場所には人影は無く、しんと静まり返っている。ざっと見渡しただけだが、無人の気配だった。

 奇妙だ……

 ギムレイは軽く小首を傾げる。生活臭の溢れた場所に人の気配が皆無というのは、ましてや昨日の賑わいを見ていれば、なんとも言えない違和感がある。

 もう少し見回りを、と廃ビルの奥へ続く扉に手を掛けた時、ソロモンにポンと肩を叩かれた。

「プライバシーの侵害よ。中までは見に行かなくていいわ。こういうところの連中は物見高いんだから、呼んでも顔を出さないってことは留守なのよ」

 ソロモンは微苦笑を浮かべていた。このまま奥に進まれては困る。このビルの五階にはカメラを手に撮影のタイミングを待つクラウディウス・ファウストがいる。

「でも、なぜ……」

「近くで炊き出しでもあるんじゃない? ボランティアが時々やってるのよ。そういう日は誰も居なくても珍しくないわ」

「そうなのか……」

 ギムレイが戸惑い顔で呟いた時……


   †††


 突然、小路の入口近くで爆音が轟いた。

 ドンッ、と大質量の物体同士が衝突するような重低音。連続して派手な破砕音が響き、間髪入れずに建物の崩れる音も続く。

 驚いて振り向くと、彼等が乗ってきた社用車が、通りの入口にあるビル壁面に衝突した状態で、今も降り掛かりつつある瓦礫に埋もれて横転していた。通常車両の何倍もの重量がある装甲車を、いったい何が、あるいは誰が、どうやって吹き飛ばしたのか。

 もうもうと土煙が上がり、弱い気流に乗って小路を緩やかに流れていく。微かに火煙と水の臭いも漂ってきた。

 そして鼓膜を打つ豪雨のような音。その方向を見ると、消火栓が壊れて派手に水が噴き上がっている。

 何が起きたのか……

 その水柱の向こうに人影が見えた。

 背の高いスラリとした精悍な男。黒っぽいスラックスと白いシンプルなボタンシャツの上にダークブラウンのコートを羽織っている。

 長い黒髪が、優雅な……

「コールして」

 シスター・セレンが短く言い、ソロモンは素早く衛星回線の端末を取り出した。

 呆気に取られるギムレイの面前で、ソロモンは手早く小路の住所を伝え、不審人物が暴れている、早く来て、と早口に続けた。ええ、そう、と相槌を打ちながら、もう一度住所を繰り返す。

 その声は不思議なほど落ち着いていた。

「どういう事です? クライアントではないのですか?」

 不審に声を険しくしてギムレイはシスター・セレンに向き直った。

 状況が全く理解できない。

「彼はいったい……」

「別人です。私達が約束していた人物ではありません。私にも、何がなんだか……」

 困惑した様子を取り繕い、シスター・セレンはギムレイの手を引いた。彼を小路の奥へ避難させようとでもいうように。

「正体の分からない〈ディアボロ〉が能力を発動させて暴れています。警察を呼ぶのは市民の義務でしょう」

 それは、そうだが。

 なにがなんだか分からない。クライアントを待っていたのではなかったのか? あの人物は何者だ? 〈ディアボロ〉なのか? 昨夜、危険があるかもしれないと言われたが、これがそういう事なのか? それにしても、なぜ警察を呼ぶ? 自首したいという麻薬密売人との交渉はこれからではないのか? 余計な邪魔が入れば交渉が決裂してしまわないか?

 疑問が脳裏を駆け巡り、ギムレイは呆然とシスター・セレンを見詰めた。

「警察を読んだら、クライアントが困るのでは?」

 場違いにのんびりと彼は言った。

「こんな騒ぎになっては、たぶんクライアントは来ません。私の仕事は振り出しです」

「あの、つまり……」

「ギムレイ。状況をよく見て。私達は事件に巻き込まれたんです!」

 彼女の叫びは悲痛に響いた。

「取り押さえます」

 ギムレイは表情を引き締め踵を返す。が、その腕をシスター・セレンが強く掴んだ。

「待って! 私が説得してみます。それと、あなた達の周りに昨夜お話した防御障壁を張ります。だから、しばらく動かないで」

 しまった、という表情を初めてギムレイが浮かべた。

 彼女はシスターだ。神の教えに従い犯罪者さえも救おうとしているのだろう。だから、自分が説得してみると言う……

 違う、とソロモンが彼の思考を読めたら叫んだだろう。

 しかし、布石がひとつ力を持った。防御障壁という〈能力〉の有無は、彼女に任せるべきかと逡巡する隙を作る。小さな布石だったが、ギムレイの足をわずかに遅くするには充分だった。動くな、と言われたことも素直なギムレイを迷わせる。この瞬間に、ギムレイは些細な、そして決定的な迷いを抱いた。

 ──午前十一時五十九分。

 撮影は始まった。


   †††


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