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「話は済んだわ。所長はしばらく彼女と話があるそうよ。彼が呼ぶまで誰も入室しないように」

 笑えない冗談を言ってから、初老の随行官に向けて続けて命じる。

「次は情報管理室に案内して」

 刑務所内の随所に設置された監視カメラの画像や、監視用センサーの反応をリアルタイムでチェックするのが情報管理室の仕事だ。随時、六ないし七人のオペレーターが詰めて作業にあたっている。

 ノックもせずに扉を開けると、女性一人と男性五人が真剣な面持ちでモニターを覗き込んでいた。

「シャーリー?」

 一人が言って、全員が入口に顔を向ける。

「シスターだ……」

 赤毛の青年がのんびりと呟いた。次の瞬間、音も無く空気が震え、六人は驚きの表情を張り付けたまま、揃って椅子からドサリと転げ落ちた。ただ一人の女性はスカートがめくれあられもない格好になっている。ソロモンは慌てて彼女に駆け寄り裾を直した。

「荒っぽいな」

「仕方ないでしょ、騒がれると面倒だし。どうせ記憶は消すんだから、手順はどうでもいいでしょ」

「まったく……」

 それにしても、とソロモンは思う。

 これは、制圧だ。シスター・セレンは何も持たずに、一人で、この堅牢な砦を制圧していっている。

「どんなに設備を強固に作っても、人が管理している以上、その〈人間〉が弱点になるのよ。ソロモン、覚えておきなさい」

 教師のような口調でシスター・セレンは言った。

「じゃあ、準備も済んだことだし、ラス・マドリガルに会いに行きましょうか」

 何気なく言われて、ソロモンはハッと目を見開いた。


   †††


 ついに……

 会う。会える。会わなければいけない。

 あのラス・マドリガルに……

 美しかった、

 愛しかった、

 切なかった、

 苦しかった、

 汚れてしまった、

 悪夢になってしまった、

 悲しい思い出の人……


   †††


 第三ゲートをくぐる際、

「施設を壊すつもりは無いわ、だからあなたがゲートを開けてね」

 シスター・セレンは初老の随行官に向かって言った。まだ解放はしない、目的遂行に協力しろ、と暗に脅迫されたのだが、彼はもう抵抗しなかった。黙って、従順に、野蛮な侵入者を案内して行く。

 三人は監視カメラを気にせずに堂々と奥へ進む。ボディチェックもIDチェックもいらない。省く。誤魔化す必要は無い。この不正が映っても構わないのだ。リアルタイムの監視者達は昏倒して不在だし、明日にはシャーリーがデータを消滅させるテロを起こしてくれる。もちろん彼女一人でそれを遂行することは困難だ。必要なのは事件の責任を負う犯人であって、実際にデータ消去を行うのはソロモンの息がかかった工兵だ。彼らがうまく証拠を消してくれる。遠隔地のバックアップもろとも、復元不可能な状態に。

 ストレスを緩和する為に淡いベージュ色の壁には明るいグリーンの塗料で蔦の絵が描かれていた。チタン晶体硝子の嵌められた幅十センチほどの天窓が規則正しく連なっている。明かり取りの目的で設置されたのだろうが、今日は雨が降っていて暗い。通路を白々と照らすのは人工の照明だけだった。

 ソロモンは長い通路を歩きながら、ひとり黙然と考えていた。

 もしも、シスター・セレンをこの任務に組み込まなかったら、遥かに長い時間を準備に費やさなければならなかっただろうし、計画の綻びや関わった者の裏切りを常に恐れ続けなければならなかっただろう。

 脱走は、もとよりラスの自由意志に任せる予定はなかった。最初の計画では、ラスを友好国──つまり国外の刑務所へ移送し、その途中で車両事故と囚人の逃亡を演出する事になっていた。銃口を向けて逃げろと脅迫し、射殺し、偶然を装ってそれを撮影する。いかにもボロが出そうな計画だ。そもそも、パワー増幅系〈ディアボロ〉のラスは、銃弾を目視して避けることが出来る。彼を射殺する、という事はあまり成功率の高くない賭けだ。

 だから、ギムレイに白羽の矢を立てた。見えない、そして切断以外の物理痕跡が残らない攻撃を繰り出せる彼を……

 状況が変化した今でも、最後の詰めは、やはりギムレイに担ってもらわなければならないが、それ以外の部分はシスター・セレンがほぼ一人で片付けている。彼女がこの作戦に参加しただけで、労苦は望外に減じ、機密保持の安全性は格段に上がった。成功率もおそらく……

 とにかく、シスター・セレンが協力してくれるお陰で、こうしてピクニックにでも出かけるように気軽に作戦を実行できる。

 こうなってみて改めて、ソロモンは、なぜノーラがシスター・セレンを使う事に難色を示したのか理解できなくなった。


   †††


 七つ目の強化鋼製のゲートが、重い音を響かせてゆっくりと開いた。

 その奥が、凶悪犯を収容する特別棟。

 静かだった。

 独房だけが十二並んでいる。

 ここに収監されるのは、他の囚人との共同生活が困難なほどに重篤な人格障害を持ち、なおかつ、本人あるいは他者に危害が及ぶ危険がある〈ディアボロ〉を有する凶悪犯罪者か、特殊な事情で他者との接触を防ぐ必要のある囚人だけだ。珍しい訪問者に騒ぎが起きるかと思ったが、声ひとつ上がらない。

 訝しげに眉根を寄せたシスター・セレンに、ソロモンがぽつりと囁いた。

「ここに収監されているのは、今はラスだけなの……」

〈ディアボロ〉犯罪者の検挙率は高くない。本人に捕まる意思が有るか、あるいはよほどチャチな〈能力〉でもなければ、普通の人間には〈ディアボロ〉の身柄確保は難しい。また、たいした〈能力〉を持たない囚人、あるいは〈能力〉自体を持たない囚人であれば、いかに凶悪であっても普通棟の懲罰独房に収監されるだけだ。この特別棟は他の棟より壁も厚く鉄格子も頑丈に作られている。それでも、ラスの〈能力〉の前には無力だ……

 なぜ、彼がおとなしく収監されているのか……

 本来であれば、思想犯として収監されている〈ディアボロ〉モニーク・ヘッセ女史にこそ、この隔離房は相応しい。しかし彼女はある事由によりまったく別の場所に、幽閉という形で鄭重に保護されている。彼女は生きてあってこそ益のある特殊なケースなのだ。

「ラス・マドリガルの監房は?」

 シスター・セレンが初老の随行官に問う。

「奥の七番です」

 彼は言って、ゲートの脇に立ち止った。手が小刻みに震えている。

「ここに居させてください。私はあいつが恐ろしい……」

 シスター・セレンは冷たい視線を向けた。

「だめよ」

「頼む。あいつは素手で人間の頭を潰す化け物なんだ。本当だ。去年同僚が殺されたんだよ。ああはなりたくない。近付きたくない。頼む、頼む……」

 拝むように言って、初老の随行官はその場にへたり込んだ。

「頼む。頼みます。頼みます……」

 床に額をこすり付けるようにして哀願されて、さすがにソロモンは気の毒になった。

「気を散らしたくはないけど……」

 ちらり、とシスター・セレンを伺うと、

「しかたないわね」

 彼女もお手上げのポーズで許諾した。

「その代わり、私達を置いて逃げようとはしないでね。私にはあなたの心の声が聞こえるの。逃げようとしたら、どうなるかは分かるわね?」

「分かる。分かるから……」

 初老の随行官は、安物のロボットのような動きでこくこくと頷いた。


   †††


 ラス・マドリガルは本を読んでいた。

 固いベッドに腰掛けて、ゆったりと足を組み、じっとページに目を落としている。長い黒髪が一筋乱れて額にかかり、夜を湛えた瞳は優しく伏せられていた。美しい鼻梁が、薄い唇に影を落とす。

 その姿は驚くほど清廉で、静謐で、世を捨てた無欲な哲学者のようにも見えた。

 あ、と思わず口を覆う。ソロモンの心臓が、重く、激しく脈打った。

 鉄格子の向こうに、遠い昔に淡く恋した少年の美しい面影を宿した顔があった。年齢を重ね、髪はだらしなく伸び、無精髭が薄く顎を覆っていたが、それでも甘く優雅な雰囲気が残っている。

 込み上げる懐かしさと切なさに胸が締め付けられた。

 不意に、彼が視線をこちらに向けた。ハッ、と鮮明な驚愕が浮かぶ。

「ソロモン? ソロモン・アスカリドか?」

 一目見てラスはソロモンの名前を呼んだ。親しげに、愛情すら込めて。

 ビクッとソロモンは身を竦ませる。アメジストの瞳に、瞬間、血の色が射して赤く染まった。

「なんだ。驚いたな。まさかおまえが会いに来てくれるなんて……」

 嘘のように穏やかな声。静かな笑顔。これが本当に、残虐な手口で十数人の女性を惨殺した男なのか。

「背、少しは伸びたんだな。あの頃は本当に小柄で……」

 可愛かった、とラスは呟いた。濃い情の籠もる蠱惑的な声だった。首筋をくすぐるように、愛撫するように、まとわりついてソロモンを揺さぶる。

 ああ、と溜息が零れた。

 こうなるだろうと予想していて、なお、酷く心を乱される。

 ソロモンは二世紀前の連続殺人犯T・Bの記録を読んだことがある。彼と対面した多くの人物が、彼を明るく気さくで感じの良い魅力的な人物だったと証言している。その証言が、彼の異常な殺人衝動を理解する一助になった訳では決してない。むしろ、その好意を掻き立てる明るい面が、相容れない凶悪な一面と激しく乖離して、より一層理解し難い存在になった。

 つまるところラスも、黒髪の美女ばかり殺したシリアルキラーT・Bと同類なのだ。善良で魅力的な男の顔の下に、凶暴で異常な殺人鬼の顔を隠し持っている。

 ただそれだけのこと……

 だけど……

「ラス……」

「あのソロモンが、今じゃジャンヌ・ダルク・コーポレーションのCEOか。すごいな。ネットニュースで見て、おまえの今の姿は知ってたけど、実際に見ると不思議な感じだ」

 ラスは鉄格子の隙間から、そっと手を差し出した。

「ソロモン、今も、綺麗だ……」

 パンッ、と肘を打たれた。

 ハッと我に返る。

「ノーラから、会話はするなとアドバイスされなかったの?」

 シスター・セレンが鋭い調子で言った。

「されたよ……」

 ソロモンは力無く答える。

「昨夜、どうしてあのビールを出したか分からなかった?」

 ソロモンは黙って首を横に振った。

「まったく。綺麗な思い出は現実と切り離して片付けておいて欲しかったわね」

 ああ……

 あのビールには……

 ──今夜のうちに泣いておけ──

 そんなメッセージが込められていたのか。些細な嫌がらせだと思っていた。情けなさと申し訳なさが綯い交ぜになって、思わず自嘲の笑みが零れた。

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