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 建物内の最初のゲートは、駐車場脇にある監視所の係官に面会申請をすれば意外と簡単に通れる。代表者がIDを提示し、面会相手の名前と面会理由を申請用紙に書き込めば、全員が建物内に通されるのだ。

 電子情報時代に移行して二世紀以上が経つが、紙は相も変わらず流通している。なんと言っても、電子データは電源が無ければ再生出来ないが、紙に書かれたデータはそれ自体で自立している。データの簡易保全の為に紙を利用する風潮は上流階級や公務に携わる部署で顕著であった。貧しい階層ほど紙に馴染まない時代である。書くためだけでなく、嗜好品としての書物や、ティッシュペーパーやナフキンなどの生活用品として、あるいは医療用品として、紙の需要は健在だ。

 そして、公共機関でもプライバシー保護が求められる場合の申請書として未だに使用されている。IDによる管理はプライバシーが筒抜けになり過ぎるからだ。市民は徹底した情報管理を恐れ嫌う。柔らかなブラインドとして、紙をクッションにする情報管理はこの時代でも随所で行われている。そんな事情で、オストロス刑務所でも、面会申請の最初の手続きは紙なのである。囚人に直接面会しない、つまり面会人に付き添ってきただけの者のために。

 しかし、ゲートの先はそうはいかない。入口脇にある待合室に待機する者以外──つまり奥に進む者は、プライバシー云々と贅沢な我儘は通らない。身元の照会とボディチェックが念入りに行われる。ましてや禁固十年を超える重い刑を科せられた受刑者への面会は、市長のサイン入りの許可証を必要とし、凶悪犯が収容されている棟の面会室へ通されるまで七つの強化鋼製のゲートをくぐり、その都度、IDおよび許可証のチェックと、危険物や武器を所持していないかのボディチェックを繰り返される規則になっていた。

「ギムレイの分は市長に面会許可を申請してなかったのよ。だから、少しここで待っていてくれる?」

 ソロモンは紙袋をギムレイに差し出してウインクをした。シスター・セレン御用達のクッキーと珈琲、それに、最新式の携帯ゲーム機が入っている。

「おやつと、子供に大人気のアクションゲームよ。これで時間を潰していてね」

 あまりの子供扱いに、むむ、と困ったように唸ったが、ギムレイは差し出された品を素直に受け取った。

 ちら、とソロモンの陰に隠れるように立つシスター・セレンに視線が流れる。どことなく憂鬱そうに見える横顔が気になった。ここに向かう車内でも彼女は沈みがちで口数が少なかった。

「シスター・セレン。今日のあなたは元気がないですね。大丈夫ですか?」

 思い切って声をかけると、シスター・セレンは驚いたように顔を上げた。数瞬、確かめるようにギムレイを見詰める。その眼差しに〈彼女〉の面影が重なって、ギムレイは胸騒ぎを覚えた。奇妙な類似。こんな風に、自分を見透かすように見詰めてくる人がまた現れるなんて……

「ありがとう、ギムレイ」

 シスター・セレンは不思議な表情で言った。笑顔というには剣呑な、暗く強い意志を秘めた瞳……

「一時間もかからずに済みますから、待っていてくださいね」

 優しい声で言われ、ギムレイは後ろ髪を引かれる思いで、待合室に引き返した。


   †††


「さて、と。これからが本題なんだけど」

 随行官は二人、一人は初老の男、もう一人はまだ若い青年だった。第二ゲートの監察所でボディチェックをしようとした二人に向かって、ソロモンは市長のサイン入りの命令書を突き出した。出発前、社用車を回してきたドライバーに、副社長から、と手渡された例の封書だ。オストロス刑務所長の権限を一時的にソロモン・アスカリドに代行させるという委任状である。

「囚人への面会は後でいい。まずは所長室へ案内してちょうだい」

 ただの面会人だとばかり思っていた随行官達は面食らった。二人顔を見合わせて、どうしようかと逡巡する。

 刑務所長の権限を外部の人間が代行とはただ事では無い。そもそもそんな重大な事案に前もって通達が無いのはおかしい。初老の随行官が窺うような目をソロモンに向けた。

「所長室にコールして、ソロモン・アスカリドが来たと伝えなさい」

 言われて、やっと所長室にコールする。短いやり取りの後、初老の随行官は不承不承の態で、

「ご案内します」

 と頭を下げた。

 所長室は、第二ゲートをくぐって左に折れた廊下の奥にあった。所長室の手前で再び強化鋼製のゲートをくぐる。オストロス刑務所長室は、白い天井と壁が、無機質で冷たい印象を与える部屋だった。

 口髭を蓄え、痩せてネズミのような目付きをしたアラブ系の五十代男性。それがオストロス刑務所、所長ウルグ・アリだった。

「どういったご用件で?」

 おどおどと顔色を窺う態で彼は言った。

「命令書が読めないのかしら?」

 ソロモンは呆れ顔で書面を突き出す。

「いや、しかし、そのような指示は、私には一切届いていない。自分の一存では拝領しかねる。市長に確認をしないと……」

 考えを決めかねる、と口に出した途端、いきなり肩を小突かれた。修道女姿の若い女性──シスター・セレンが、逆手で彼を打ったのだ。鋭い眼光で睨めつけられて、所長は息を飲んだ。

「おまえに考える権限は無い。命令を速やかに実行しろ」

 ウルグ・アリは見慣れない生物を見るように華奢なシスターを見詰めた。

 優しげな女だと思っていたのに、その威圧感は異常だった。自分より頭ひとつ低い場所から命じられているのに、まるで巨大な肉食獣と対峙したような恐怖を覚える。

 ただの人間ではないのかも知れない。

〈ディアボロ〉なのか──?

 人智を超えたものに対する畏怖で、ゾッと全身が総毛だった。

 一方、ソロモンは内心の焦りを顔に出さないよう、少しの努力を必要としていた。

 市長に確認など取られては困る。委任状は本物であり市長のサインも本物だが、この命令は公式のものではない。ノーラがゴリ押しして非公式に用意させた一枚である。これから隠蔽工作を行う刑務所のサーバーにならともかく、市庁舎のサーバーに〈この通信〉の記録が残るのはマズイ。

 いっそ威力行為に出ようか、とソロモンが考えた時、

「おまえら、その命令書が本物だという証拠はあるのか?」

 若い随行官が無礼な侵入者を鎮圧しようとホルスターの光学銃に手を伸ばした。

「やめなさい」

 慌ててソロモンが制止するが、青年は銃を構えてセオリー通りの威嚇を行う。

「両手を頭より高く上げて後ろを向け。抵抗すれば撃つ」

 ちっ、と鋭い舌打ちが聞こえた。

 ほぼ同時に、ビリッと空気が震える。肌の表面を見えない雷が撫でて行ったような感覚。ソロモンが声を上げる前に、若い随行官はドッと砂袋が崩れるように昏倒した。

 シスター・セレンは冷たい視線を所長と初老の随行官に向ける。

「彼のようになりたくなかったら余計な真似はするな」

 倒れた青年は傍目には死んだように見える。年配の随行官が、化け物、と低く呻いた。

「殺したのか?」

 青褪めた所長が震えた声で問う。

「一時間ほどで目を覚ます」

 数秒、無言の時間が流れた。

「……分かった。言う通りにする」

 所長がこくこくと首を縦に激しく振った時、場にそぐわない明るい合成音声のアナウンスが響いた。

「ゴゴ、ニジデス。ゴゴ、ニジデス……」


   †††


 午後二時。刑務官達の勤務交代時間まで、あと三時間。余裕は充分にある。ランチも済んで、目的の部署では人員の移動がほとんど無い最高の時間帯である。

 この時間に合わせて決行した。

 なぜなら、目撃者全員の記憶は消さねばならないからだ。

 作戦開始時に居た者が勤務時間を過ぎて後続と交代して帰宅してしまえば、わざわざ追いかけねばならない。もしも、この場から目撃者をただの一人でも、記憶を保持されたまま取り逃がせば、確保できるまでトレースしなければならなくなる。なるべくならそんな手間はかけたくない。かと言って、途すがら、受付など人目に付きやすい部署にいる目撃者達の意識を片っ端から失わせていくのも得策ではない。まだ自分達が内部に居るうちに昏倒した彼らが発見されれば、騒ぎが起こって〈計画〉自体が露見する危険性が増す。それらの事情を考え合わせ、最も良いと思われる方法を選択した。交代の無いこの時間帯であれば、イレギュラーの問題でも起こらない限り、まず目撃者全員を確保しておけるはずだ。手早く済ませて、目撃者が誰も移動しないうちに、仕事を片付けてここを出たい……

「……勇気があるのも善し悪しだね」

 お陰で余計な時間がかかった、とソロモンは額の汗を手袋の甲で拭いながら言った。

 血気盛んな青年のせいで一悶着起こしてしまった。足元に倒れている青年は、しかし好感が持てる。職員としては優良な人材だ。

「うちの社員に欲しいかも」

 日常の気軽さでソロモンは言ったが、シスター・セレンは曖昧に首を振る。無駄口を叩くつもりは無いらしい。即座に次の行動に移る。

「彼をソファの陰に運んで。その入口から見えないように」

 所長と初老の随行官は命じられ、二人がかりで昏倒した青年をソファの陰に運んだ。

 何をされるのか、あるいはさせられるのか、ビクビクしている所長に、シスター・セレンは次の指示を出す。

「今日勤務している情報管理室のオペレーターの中で、最も勤務態度の悪い職員を今すぐここに呼びなさい。あなたの感情は差し挟まないように。いい? 客観的に判断して、一番不真面目な者よ」

 はあ、と一瞬言われた事の意味を判断しかねて、所長は素っ頓狂な声をだしたが、慌てて通信機のボタンを押した。応答した情報管理室の女性に、

「シャーリーを」

 と告げ、すぐ所長室に寄越すように、と命じてコールを終えた。

「あの……」

 二分も待たずに、所長が指名した人物は、なぜ呼ばれたのか分からない、という表情でおずおずと入室してきた。

 二十代半ば、濃い栗色のロングヘアで胸の大きいセクシーな女性だった。

「ミス……シャーロット・ジュリア・ウェーバー」

 紹介される前に、シスター・セレンは彼女の正式な名前を呼んだ。所長がぎょっとして顔を上げる。教えた覚えはない。なぜ、知っている……

「ミス・シャーリー。あなたがここにいる事はとても不幸な巡り合わせだわ。こうなる運命を紡いだ神を恨んで欲しい」

 シスター・セレンは一見沈痛な面持ちでそう告げた。

「あの、これはどういう……」

 シャーリーが疑問を発したと同時に、ビリッ、と再び空気が震えた。まるで無音の落雷。天から降るような激しい衝撃。その場にいた全員が、冷や汗が吹き出し全身に鳥肌が立つ感覚を味わった。先刻よりも遥かに強い力が行使されたのだ。

 ソロモンは目の前で速やかに遂行される非現実的な光景に、呆気にとられてシスター・セレンを見詰めた。

 なんて手際の良い……

 どさり、と重い音がして、目の前の女性が崩れ落ちる。白目を剥いて軽い痙攣を起こしている。奥で昏倒している青年より一層強い負荷が脳にかかったのだろう。

 何をしたのか……

 おそらく、あの一瞬で、多くの情報を脳に焼き付けた……

 シスター・セレンは、くるり、と所長に向き直った。

「彼女は明日の早朝、その時間から遡って一週間分のオストロス刑務所の全ての記録を消去する。些細なサイバーテロよ。所長に叱責されたことが動機。あなたの管理責任は問わない。その代わり、今日の事は一生口外しないように」

「なにを……なにを……」

 所長は酸欠になった魚のように口をパクパクと動かした。哀れなくらいブルブルと震えている。

「約束しなさい」

 再び、電流に似た衝撃が走る。所長はぽかんと口を開けて棒立ちになっていた。

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