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「じゃあ、自己紹介も済んだことだし、仕事の話を……」

 握手が済んだのを見届けて、ソロモンがギムレイの肩を叩く。

 瞬間、バシンッ、と鼓膜を打たれたような衝撃にソロモンは襲われた。同時に網膜に強烈な光が閃く。あっ、と小さく呻いて恨みがましい視線でシスター・セレンを睨んだ。

 この衝撃。

 彼女が〈能力〉を使ったのだ。脳に〈波〉を起こされた。目の奥がチカチカする。しかしそれを意識できるということは心を操作されたわけではないという事。ホッと安堵したのもつかの間。じわり、イメージが浮かび上がり、次第に明瞭な言語になっていく。

(今夜はこのまま彼を帰せ。〈計画〉の話はするな。明日、改めて……)

 直後に猛烈な眩暈が起こる。ぐらりと世界が揺れ、ソロモンは倒れかけて床に片膝をついた。

「ソロモン、大丈夫かい?」

 慌ててギムレイがソロモンの肩を支える。片手を取られ立ち上がるのを手伝われると、頭を振ってソロモンは立ち上がり、視界のぼやけた目元をこすった。

「え、ああ。なんでもないわ……」

 テレパシーというものを魔法の通話機器のように誤解している人は多いが、実際に体験してみると実に負担が大きく不便である。能力者自身は息をするように気楽にその力を扱うが、その力で交信を受けた側は読み取るのに感覚のほとんどを導引させられる。脳への負担も大きく、重い疲労感を伴う。とても気軽に使ってくれと言える代物ではない。

「ソロモン、顔色が悪いわよ。これじゃあ今夜は仕事の話は無理かしらね」

 しれっとした顔。本当に憎らしい女。

「体調が悪い時は無理しないほうがいい。僕は出直したほうがいいかな」

 ギムレイの優しい視線。労わるように肩に添えられた手。心配そうな彼の所作全てが、ソロモンをなんとも申し訳ない気分にさせてくれる。これから悪事に巻き込もうとしているのに、この青年は善良過ぎて、毒だ。

「……ええ、そうね。そうしてくれると助かるわ」

 言って喘ぐようにソロモンは秘書を手招いた。ギムレイを自宅まで送る車を用意するよう短く指示を与えると、秘書は軽く頷く。

「どうぞ、お車を用意します」

 事務的に申し出る秘書に案内されてギムレイは足を踏み出した。相変わらず、ソロモンを気遣う視線を投げてくる。

「呼びつけておいて、ろくに話もできなくてごめんなさい」

 やっとそれだけの台詞を絞り出した。

「僕のことは気にしないで。ゆっくり休んでください」

 ソロモンに微笑んでから、ギムレイは名残惜しそうな視線をチラとシスター・セレンに向けた。どことなく飼い主に縋る大型犬のような風情だ。

「ギムレイ、また明日」

 シスター・セレンが手を振ると、パッと輝くような笑顔になる。

「はい。また明日。必ずお会いましょう」


   †††


「ちょっと。どういう事よ?」

 執務室の奥、衣裳部屋を兼ねたな控室で、座り心地の良いソファに身を沈めてソロモンは苛立ちを吐き出した。ローテーブルの上にはバカラが二つとラフロイグのボトル。この部屋にはスペースの都合で二人掛けソファをひとつしか置いていなかったから、仕方なくシスター・セレンと隣り合わせて腰掛けることになった。それもソロモンを不機嫌にさせている一因である。

「情報の欠落。ソロモン、そちらのミスよ。ペナルティひとつね」

 シスター・セレンは涼しい顔で返しながら、消毒薬に似た香りのスコッチをグラスに注いだ。彼女の甘い容姿に強いアルコールは似合わない。

「言っとくけど、氷は無いわよ」

 ん、と片手をひらひら翻して、シスター・セレンはグラスに口をつける。一口含んでゆっくりと飲み下すと、深く細く息を吐いた。そういう仕草は女性らしくない。

「任務に組み込むのに、彼の身辺調査もしてないわけ?」

 ぺちんと気安く頬を叩かれる。

「身辺調査なんて……」

 必要無いと思っていた。そもそも少年の頃から六年も自分が後見している青年だ。人々のギムレイ・ワイズマンの評価は常に最良。育ちの良い御曹司。人間関係の乱れも、嗜好の乱れも、金銭面での乱れも、メンタルの乱れもない。問題は皆無。皆無であることが逆に不審に思えるほどの清廉潔白。月に一度、為政者自身や近親者、関係者に義務付けられているカウンセリングでも、彼の健全性は少々行き過ぎと診断される程。

 そんな彼に、この上重ねての身辺調査が必要だと思うはずがないではないか。

「ダミアン・スミスの支柱破壊テロ、制圧に関わった部隊は?」

 唐突に言われてソロモンは狼狽えた。

「はあ?」

 間の抜けた声を出したら、シスター・セレンはにやりと笑った。

「ソロモンの記憶力が良くて助かるわ」

 反射的に、頭に浮かんだ情報を読まれた、と理解した。マナー違反にムッとしたが、反論はしない。

「F7とE2中隊、当時の隊員名簿と顔写真付きの個人情報。すぐ持ってきて」

「……了解」

 不愉快だが手間が省けたのは事実だ。そもそも不愉快だと思うこと自体、普段は読まないようにしてくれている、という甘えの現れ。存外、自分は彼女を信頼しているのかも知れないとソロモンは自嘲した。

 秘書を内線で呼び出し、短く要件を言付ける。もう人に会う気がしなくて、データのみ控室のコンピューターに送るよう指示した。五分と待たずに社内メールのコール音が鳴る。コンソールを操作して、奥の壁を占有しているスクリーンに映像を映し出すと資料が流れ始める。

「ソロモン、説明して欲しい?」

「もちろん。私には、何がなんだかサッパリ分からないわ……」

「あの子、私を見るなり地下庭園の噴水と銀髪の少女のイメージを叩きつけてきたのよ。さすがにあんな強い〈波〉をぶつけられたら読まずにいられなかった。マナー違反ではあるけど」

「どういうこと……?」

「想い人がいるならいるで詳細を把握しておかないとイレギュラー要素になりやすいのよ。任務中に余計な泥に出てこられたら面倒だわ。だいたい、強い思い入れのある人間って行動が制御し辛いから苦手なのよ。どうする? どこまでいじっていいの?」

 こつん、とシスター・セレンは自分の頭をつつく。不穏な仕草だ。嫌悪感にぞわっと鳥肌が立つ。動揺で、アメジストの瞳にサッと赤味が射した。

「駄目よ。ギムレイは壊しちゃ駄目。その為にあんたを呼んだんじゃないの」

 最初は鬱陶しいと思っていた庇護者でも、懐かれれば可愛くなる。ギムレイの後見をするようになって六年。ソロモンは意識せずに、ギムレイを弟のように思っていた。

 握りしめたソロモンの手は小刻みに震えている。シスター・セレンは、ぽんぽん、とその手を軽く叩く。落ち着け、と猫でもあやすように。

「はいはい。冗談よ。ああ嫌だ。デリケートな仕事。報酬積んでもらうわよ」

 何か嫌味を言い返そうとソロモンが眦を上げたと同時に、

「あ、これね」

 シスター・セレンが映像の流れを止めた。画面右手に映したデータにその少女が写っていた。特殊部隊の所属の〈ディアボロ〉──能力者だ。

 雪のような銀髪をきっちり結い上げて、緊張の為か厳しい表情をしている。髪型こそ違うが、シスター・セレンだと言われればそうだと頷いてしまいそうだ。

 あの日、テロ制圧の任務中に殉職している。

「なるほど……それであの子は……」

 シスター・セレンは独り頷く。読んだ通りである。それならいい。

 フィーネ・ハイゼンベルク少尉。享年二十一歳。少女と呼ぶのは失礼だが、実年齢より幾分年少に見える。シスター・セレンも少女のように見える時もあるが、フィーネのほうがもっと幼い。存命であれば二十八歳。目も眩むような美女になったであろうに。

 本人の経歴に、特に目立つ箇所は無い。〈能力〉の発現を契機にハイスクールを中退して軍に入隊しているが、特殊部隊ではそんな人間は珍しくない。ギムレイとの関わりも、彼女のデータだけでは分からなかった。シスター・セレンがコンソールを捜査して、彼女の両親の経歴を呼び出す。父親の経歴は一層平凡だった。中産階級の代表のようなシステムエンジニア。母親の経歴も平凡そのもの。ただし、二十年以上にも渡って、ワイズマン家のメイドをしていた。今も在職中だ。

「そうか……」

 それでギムレイはフィーネを知っていたのか。おそらく幼馴染みというものだろう。

「この子、確かに私と似てるわね。自分の写真みたい。気味が悪いくらいだわ……」

 シスター・セレンは軽い調子で肩を竦めた。

「確かに、よく似て……」

 あっ、とソロモンは息を飲んだ。

〈彼女〉だ。

 これは、あの〈彼女〉だ。

 選りにも選って、あの、あの……

「ちょっと、ものすごい〈波〉よ。大丈夫、ソロモン?」

「え、ええ。でも、こんな事って……!」

 冷たい汗が全身に浮かぶ。こんな偶然があっていいのか。

 ギムレイが恋している、いや、恋していた少女は、あの日、ソロモンの目の前でテロリストに殺害された銀髪の〈ディアボロ〉……

 ソロモンは喘ぐように唇を開いた。呼吸が乱れて、息が苦しい。

「ソロモン。どうしたの?」

 うう、とソロモンは呻き声を上げた。

 事件の後、彼女の顔を、ソロモンはぼんやりとしか覚えていなかった。それはそうだ。間近で見た死に顔はあまりにも凄絶で、それに、自分が黒焦げにしたテロリストの恐ろしい死に様が重なり、関連する記憶を無意識に拒否していた。

 今までも何度かシスター・セレンと間近く会っていたのに、こんなにも二人が似ていると気付きもしなかった。〈彼女〉は命の恩人であるのに、ソロモンは敢えて目を向けようとしなかったのだ。あの時の作戦で殉死した者の報告書は読んだが、無意識に〈彼女〉の顔を見ないように、記憶しないようにしていたのかも知れない。

 自分にとって重要なのは未来──これから起こるかも知れないテロを未然に防ぐ事だ、犠牲になった人や過去は重要ではない──そう思っていた。

 テロに向き合って来たつもりで、なんと脆弱な……

「言い訳しようも無いわ……」

「……ソロモン」

「こんな、こんな事……」

「もういい。もう解ったから。大丈夫よ、ソロモン。大丈夫……」

 そっとシスター・セレンがソロモンの肩を抱いた。彼女のほうが小柄だから無理のある姿勢になったが、そうされると、昔ママに抱かれた時のように少しずつ気分が落ち着いていく。

 やっぱり、操られているのかも知れない、と思う。シスター・セレンの声は穏やかで、このまま目を閉じていられたらどんなに良いか、とそんなことまで思った。

「でも、これで確定。彼の恋愛感情は任務を阻害しないわ。本物の〈彼女〉が絶対に現れないのであれば、かえって利用しやすいわね」

 残酷に言い捨てられて、ソロモンは泣きそうになった。

 この失望感はなんなのだろう……


   †††

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