第28話
はらはらと頬を熱い心が伝っていく。悲しみ以外で涙を流すのは生まれて始めてかもしれなかった。
泣き止まない私の様子に村上君はちょっと困った顔をしている。
悲しみや苦しさで泣いているわけではないのだから、困らなくていいのに。
後から後から溢れて私の頬を伝う滴。口許に流れてきた涙はしょっぱかった。
困っている村上君。しょっぱい涙。だんだんと笑いが込み上げてくる。
「……ちょっと、なに笑ってるのさ」
「どうしてでしょう? 嬉しいからかもしれません」
嬉しくて嬉しくて仕方ない。
矛盾のない心で泣きながら笑ってる。人間だから泣きながら、笑える。
能面だの、人形などと、クラスメイトから陰口を叩かれて自分でもそうなんじゃないかと自嘲したことがあった。――ああ、だから、私、余計にdollに夢を見たんだ。
彼は本当に綺麗だったから。陰口なんて吹き飛ばすような輝きがそこにあったから。
だけど、私の勝手なシンパシーを他所に彼はとても人間だった。
完璧な人だと思えば、家事が少しも出来なかった。
同級生との関わり方がひどく不器用だった。
意外とちゃんと中学生で、意外とお節介だった。
泣いてる女の子を上手く慰めることも出来ないような、男の子だった。
村上透君が同い年の中学生だったから、私は今泣きながら笑えてる。
小さな世界を救うのはだいそれた何かや誰かではなくて、たった一人の男の子からの「大丈夫」の一言だった。
「どうしていいか分からないから泣き止んでほしいんだけど」
「無理です」
数年分の心の蓄積だ。そう簡単には止まらない。どうか泣かせてほしい。
私の強がりがきちんとほどけるまで。
「また敬語に戻ってるし。さっきまではそうじゃなかったのに」
「さっきは……いっぱいいっぱいだったんですよ自分のことを話すだけで」
「いつになったら僕は君の友達になれるんだろうね?」
試すように笑いながら村上君が言った。
前に私が彼に話した「本心を話せる相手」が私たちの友達の定義であるならば、私たちはもうすでに友達のはずだ。
「出来ればお隣さんじゃなくなる前に、せめて友達にくらいはなっておきたいんだけど」
苦笑しながら伝えられた事実に動揺する。
「お隣さんじゃ、なくなる?」
「夏休みの間にマンションを引き払って家に戻ろうと思うんだ」
「そんなすぐに?」
私たちが住むこの町は彼には似合わない。最初にそう思った。
それなのにどうしてだろう、いつの間にか彼がここにいることが当然のようになっていた。
彼がここに来たのは五月の終わり、それから二ヶ月も経っていないというのに。
「決まってる仕事もあるからね。それに休みの日とかに撮影で向こうとこっちを行ったり来たりするの、結構負担だったんだ。……本当はどうするか悩んでたけど、決めた。君のお陰だ。決めることが出来た。僕は向こうに戻る。二学期には僕はもうここにはいなくなるけど、君は大丈夫?」
力強く私は頷く。不安はない。寂しさはあるけれど私は大丈夫だ。
「良かった。それじゃあ、またいつか会う日の君を楽しみにしてるよ」
「また会う日なんて来るでしょうか?」
彼と出会えたことは本当に奇跡で、もう二度とやって来ないような気もするのだ。
「関東圏にお互い住んでいるんだよ? それに、偶然隣の家に住む確率に比べれば、……偶然会うことがあってもおかしくないだろう」
「そうですね。……そうかも」
私にとって奇跡のような人だった。その人が自分の家のお隣さんになるだなんて、宝くじが当たるよりも凄い確率だ。
奇跡のような、人だった。
神様みたいに、思ってた。
偶像みたいに、思ってた。
あなたがいたから、私は色を思い出した。
あなたがdollで、だけど普通の中学生の男の子だったから、私はあなたと「友達」になれる。
「村上君、私と、友達になってください」
まだ頬を伝う涙は止まらない。嬉し涙は拭わないまま彼に手を差し出す。
「――勿論」
握り返してくれた彼の手は私よりも大きくて、彼はやっぱり男の子なんだなあと思った。
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