第27話
懸命で、あること。
それが人から馬鹿にされやすいことだと私は知っている。――結果さえ出せば評価がひっくり返ることも。
懸命な人は一種異様だ。どうしてそこまで? と思われるような壁を越えてなお止まらない。それゆえに馬鹿にされる。
人は想像の範囲外で生きる存在を排除したいと望むから。嘲ることで、貶めることで、安心する。
相手は自分と同じ人間なのに。
言葉は人を絡めとる。蝕む。どれほど強固な心を持っていても。
人なんて、自分が思っているほど強くない。誰かが思っているほど強くない。
誰かが誰かの心を折る瞬間はきっとちっとも劇的じゃない。
「紗智ちゃん最近つまんない」「勉強が友達なんだって?」「能面みたい」「日本人形でしょ」「ダサい」
弱い。人は、とても。
『ねえ紗智。お願いだから紗智はお姉ちゃんみたいにならないでね』
懸命さは誰かの言葉の前で簡単に膝をつく。――だけど。
「好きだった……私、お姉ちゃんが好きだったんです。憧れてたんです。お姉ちゃんみたいに、なりたかった。優しくて頭が良くてお母さんの自慢で、あんな風に私もなりたかった」
憧れてた。私の人としての理想はお姉ちゃんだった。
お姉ちゃんと私の間にある、努力じゃ乗り越えられない差を分かっていても諦められないくらいに。
頑張れば、成績だけなら近付けると信じて、直向きに勉強した。少しでも近付くために。でも、だから。
「憧れていたから悲しかった。お母さんがお姉ちゃんを否定したことが。お姉ちゃんがお姉ちゃんを否定してしまったことが。今までが嘘だったように言われてしまったことが……私は本当にお姉ちゃんの気持ちを何も知らなかったんだ。って情けなくて、悔しくて、仕方なかった。それでも、どうしても、お姉ちゃん自身が否定しても、私は、信じたかったの」
涙が助長されるくらいに優しく、村上君は時折相槌をうちながら私の話を聞いてくれている。
「……それで、ね、私、お母さんのことも、好きなの。どっちも、否定したく、なかった」
姉のようになろうとした。喜んでほしかった。だけど頑張っても私はお姉ちゃんみたいになれなかった。
分かっていたことだ。けれど何度も何度も自分に失望した。母は私に期待することはなかった。姉と同じレベルを私に要求することはなかった。
私はそれが悲しかった。本当は期待されたかった。
「紗智なら出来るわよねって、お母さんに言われ、たかった」
「うん」
「当然大丈夫よねって、信頼を持たれるような自分で、在りたかった」
「うん」
「お姉ちゃんだけに、背負わせない自分に、なりたかったの……!」
自分のせいでもあると、思った。あの日、姉がいなくなってしまったこと。
もしも私が母の期待を共に背負えたのならば、少しでも姉の荷物は軽くなったのではないか。そうであれば、あんな風に仲違いすることもなかったのではないか。
もしも、もしも。もう遅いかもしれないけれど、今からでも私がそうなれば昔のように母も姉も笑ってくれるのではないか。
懸命であった姉を私だけは否定したくなかった。
結果とはとても残酷だ。一の懸命さで叶う人もいる。十の懸命さでやっと叶う人もいる。そして十の懸命さがいつ訪れるかは誰にも分からない。
きっと世界には七や八や九の懸命さを、十と勘違いして自分を見限る人がたくさんいる。――姉もきっとそうだったのだろう。
姉が出ていってから、姉が使っていたノートや参考書を借りるようになった。そこにはびっしりと姉の努力の痕跡が残っていた。
私は本当に何を見ていたのだろうと思った。私にとって姉は超人みたいな存在で完璧で漫画の主人公のような人だった。でも違った。
姉は姉であるために、こんなにも必死だった。直向きだった。直向きだったから、折れてしまった。
直向きで在り続けることはとても苦しい。消えてなくなりたくなるくらいに苦しい。けれどそれまでの自分を捨ててしまうのは、駄目だ。駄目だ。絶対に駄目だ。私はそれを許せない。
自分自身があまりにも可哀想だ。捨ててはいけない。否定してはいけない。……直向きなあなたを愛した人だっているのだから。そんなのは駄目だ。
だから私は、母のために、姉のために、自分の、ために、姉の目指したものに成ると決めた。
姉が必死に走り続けた九の懸命さを、十にするために。
否定なんてしてほしくなかった。嫌いになんてなってほしくなかった。
姉も、母も、私はとても好きなのだ。
――幼稚な考えだ。
とても幼い、願いだ。
分かっていた、本当は。起きてしまったことを無かったことには出来ない。姉と母のわだかまりを解決出来るのは当人たちだけだ。私には、それは出来ない。
妹、だから。子ども、だから。どうしようもなく無力だから。私に出来ることなんて、なんにも――。
「紗智なら、出来る」
それまでずっと話を聞いてくれていた村上君が、私の両手を強く優しく握りしめながら言った。
「……え?」
まぬけに口を開けながら聞き返す私に目の高さを合わせて、彼は再び繰り返した。
「君になら出来るよ。大丈夫、不安に思うことなんて何もない。僕が自信を持って言うよ、紗智なら出来る。大丈夫だ」
胸が、きゅうっとなった。世界に彩が広がる。空が、雲が、木々が、アスファルトが、電柱が。
彼の、瞳が。青く、輝く。
世界が色を取り戻していくようだった。
「これまでの君の頑張りは、精一杯の君の気持ちは、それだけ信頼の裏打ちになる。大丈夫。誇っていい。君になら出来る」
ポロンと、熱い雫が目からひとつこぼれる。私の強がりが、目からこぼれた。
「私なら、出来る?」
「出来る、出来るよ。紗智になら出来るよ。心配しなくていい、僕が保証する。君はとても凄い。……本当に凄いんだ。誰にも出来ることじゃない。それを君はひとりでずっとずっと頑張ってきたんだ。だから、大丈夫。もしも自分を信じられないなら、僕を信じなよ。君が好きなdollとしての僕でもいい」
窺うようにこちらを見る青い瞳に私が写っていた。
透君の、dollの、あの瞳に、私が。少しの不安を覗かせながら、彼の視線の先に私がいる。
私が。
「うん。……信じる。こんなに特別な男の子が大丈夫だって、凄いって、保証してくれるんだもん。私、なら、出来る。……うん。もう、大丈夫だよ」
誰に何を言われたってきっともう俯くことはない。だって私にとって世界で一番綺麗な人が、奇跡みたいな人が私を肯定してくれた。
悲しいことがあっても、どうしようもない現実に泣いてしまったとしても、それでも私、前を向ける。
一生もののお守りを私は今、手に入れた。
今日の出来事だけで私はいつだって何にも負けないでいられる。
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