第25話
あの日から、ずっと、誰かに本音を溢すなんてことは忘れてしまっていた。
話したところで意味などないと思ってしまっていた。
私は自分の話をすることがひどく下手になっていたのだと、言葉をつむぎ出してから気づく。
「……私、分からなくなっちゃったんです。ずっと一つのことのために頑張ってきたはずなのに、簡単なことで心が負けそうになっているんです」
こんな曖昧な説明だけじゃきっと何も伝わらない。けれど上手く話せない。
私はたった一つの願いのために多くの時間を勉強に費やしていた。
友達とか、趣味とか、学校行事やイベント、そういうもの全部を手離してまで。
叶えたかった。どうしても。本当に叶えたかったのだ。それなのに、こんなに簡単に折れてしまった。その程度の思いだったのかと自分にがっかりする。
私は、私に、がっかりしてばっかりだ。
「どうして。私、こんなにも駄目なんだろう」
今は夏だ。太陽がぎらぎらと世界を照らし、生物がけたたましく活動する。冬のあの日は熱により、もう遠くに消えてしまったはずだ。
ちっとも寒くはないはずだ。なのに、内臓がひどく冷たい気がする。
記憶はどうやら心と身体どちらとも連動しているらしい。あの日を思い出す時は、いつだって冬の朝の空気を伴う。
「――僕さあ、言われるままにやってたんだよね。モデルの仕事」
勢いをつけるように村上君はソファから立ち上がる。彼が自分からdollの話をするのは初めてのことだった。
「父親がカメラマンでさ、僕を撮った写真を仕事で使ったらしくて。それを見た僕が所属してる事務所の、うちの社長がスカウトに来たんだ。そこからはもうトントン拍子に物事が進んでいった」
多分、面と向かっては話しにくかったのだろう。
キッチンに向かった彼はいつもの私の真似をするように飲み物を用意し出した。
前は何も出来なかったはずなのに、いっちょまえにコーヒーメーカーを使っている。
「僕の芸名を決めたのだって、父親と社長。透の芸名がドールなんて駄洒落かよ。ダッセえ。絶対本名バレだけはしたくないね、何があっても本名バレするよりはマシだよ」
芸名の理由は、名前だけではなく彼の造形が主な理由だと私は思うけれど。今はそこに口を挟む状況ではなかった。
「だから、まあ、流されるままに僕はモデルを始めてしまったわけで。だから、さ、このままモデルの仕事を続けていていいのかな。とか、思うことがあるわけだよ。学校を休んでまで仕事にいって、皆が部活や行事に参加してるなか僕は仕事をしていて。……青春を仕事に費やしていて」
入れたてのコーヒーの良い香りが漂い出す。飲んでもないのにほろ苦いコーヒーの味が舌の上に甦った。
「最後に僕の中に残るものは何だろうと思うようになった。大人になってから少年時代を、学生時代を、振り返って、皆のように思い起こせるエピソードがない人生は果たして幸せなんだろうかって」
……幸せ。幸せとは、なんだろう。
大人になってから今の自分を振り返ったとき果たして私は自分は間違ってはいなかったと。そう、思うことが出来るのだろうか。
「これから先もモデルの仕事を続けるのか、続けられることが出来るのかも分からないし。流されて始めたやつが本気のやつらに勝てるわけないじゃん。とか。他のモデルとの熱意の違いに後ろめたさを感じたりね。……悩んでるし迷ってるんだよ。僕だって」
力のない苦笑を目にしたら咄嗟に言葉が口から飛び出ていた。意図したものではなかった。
「あなたは誰にも負けませんよ」
反射のように出た言葉だったけど、だからこそ心の底から思っている本心だった。
「……君が僕のファンだからそう思うだけでしょ。ありがたいことだけどさ。仕事は、お金が絡む大人が作ってる世界は、残念なことにちっとも優しくないんだよ」
「それでも、あなたは誰よりも綺麗です」
誰が彼を否定しようとも彼の価値は変わらない。これが私の混じりっけのない本心だ。
「君は……、どうして僕をそんなに過信しているんだ」
どうして? そんなの単純なことだ。
「あなたの瞳が、あなたの青が綺麗だったから」
「……それだけ? ……たった、それだけ?」
「それだけのことに、救われる人だっているんだよ」
たった、それだけ。たったそれだけ。それだけが私の支えだったから。
色彩の消えた世界のなかで、奇跡みたいに現れた綺麗な綺麗な青。
海よりも空よりも美しい、輝きを凝縮した宝石のような瞳。
「私にとっては本当にあなたは奇跡みたいな人なの」
綺麗な、本当に綺麗な青を宿す瞳がまん丸に開かれて、私を写している。
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