第23話

 心がひどく空っぽだ。

 起き上がる気力がどうしてもわかなくて、初めて学校をずる休みしてしまった。

 無断で学校を休んだら、母親に連絡がいってしまうのだろうか? したことがないから分からない。もしそうなったらどうごまかそう。ああ、思い込みで熱が出ればいいのに。霞がかった思考の片隅で理性がほんの少しだけ駆け回る。けれど何もかもが億劫だった。指先すらも、動かしたくない。

 空っぽだ。

 私はどうして今まであんなにも頑張れていたのだろう。

 友達も、部活も、遊びも、青春と呼べる全てを捨てて参考書と向き合った。

 あんなにも必死になって、中学生という輝かしいはずの時期を捧げていたのに、こんなにもあっけなく簡単に砕けてしまった。


『ねえ紗智。お願いだから紗智はお姉ちゃんみたいにならないでね』


 お母さん。お母さん。お母さん。

 そんなことを言わないで。

 お姉ちゃんはね。お姉ちゃんはね。

 ねえ、お母さん。

 私たちのこと本当はどう思っていますか?

 お姉ちゃんのことどう思っていますか?

 私のこと、どう思っていますか?

 話したいよ。話してほしいよ。だけど聞くのは怖いよ。

 本当は私はお母さんから嫌われているのかもしれないと思うと怖くて怖くて仕方ない。

 お母さんは、私のために毎日ご飯を用意してくれている。仕事が大変なはずなのにちゃんと用意してくれてる。たまに家にいる時は私の話を聞こうとしてくれる。

 笑ってくれる。小さい時は優しく頭を撫でてくれた。

 だけど、お母さんの自慢だったはずのお姉ちゃんが、今は話題に出すことすらタブーのような扱いになっている。

 変わってしまうのだと、知ってしまった。

 いつか私も嫌われてしまうのではないだろうか。

 そんな不安が私の胸の中にある。

 親に嫌われるのが怖いだなんて、クラスの子たちにはきっと理解してもらえない。

 私はまだ出会ったことがないけれど、育児放棄とか虐待とか大変な目にあっている子がいる。フィクションじゃなく現実に。

 そういう子も、親に嫌われるのが怖いと感じるらしい。けれど私は衣食住に不自由はしていなくて、殴られたり蹴られたりされたことは勿論なくて。

 同列に語っていい立場じゃないような気がする。だからきっと、私のこの不安はすごく宙ぶらりんで、口から出したところで溶けて崩れて消えるだけだ。


 お姉ちゃん。

 お願い、お姉ちゃん。帰ってきて。

 帰ってきて。

 私じゃやっぱり無理だよ。

 頑張ったけど、頑張ったけど、私じゃ駄目だよ。

 お姉ちゃん。

 帰ってきて。

 お父さん。顔も声も覚えていない、お父さん。

 思い出もない癖に心が弱った時だけ頼ろうとしてごめんなさい。

 あなたがここにいたならば、この悩みを相談出来たでしょうか。

 あなたがここにいたならば、母と姉が仲違いすることも無かったのでしょうか。

 ――誰か。

 誰か教えて。誰か。誰か。私はどうすればいいのでしょう。

 どうすれば、いいの。

 教えてよ。

 ねえ。


 部屋に差し込む西日のせいで目元に涙が滲む。

 こぼれ落ちそうなそれを拭おうとした瞬間、部屋の扉越しにインターホンが鳴らされたのが聞こえた。

 誰だか知らないが出たくない。

 宅配便なら悪いけれど出直してくれないだろうか。勧誘なら不在なんだと早く諦めて帰ってほしい。

 私の心とは裏腹にインターホンは間を置いてまた鳴らされる。

 うるさい。早く帰って。宮田さんのお宅はただいま誰もいません。不在です。

 帰ってください、お願いだから。

 耳を塞ぐために布団にくるまると、ガチャリと鍵が開く音と、扉の開閉音が聞こえた。

 まさか学校から連絡がいってお母さんが帰って来た?

 私が部屋にいるか確認するためにわざわざインターホンを鳴らしたの?

 足音が私の部屋に向かって近づいてくる。苛立ちを表すような荒々しい足音だ。

 ぴたりと音が止まる。

 布団を放り投げて、そろりそろりと扉に近づく。扉の向こうに人の気配を感じる。

 すぐにノックされるか、無言で扉を開かれると思っていたのに、母は扉の向こうに立ちすくんで私にどう声をかけるか悩んでいるようだ。

 嫌われて、しまっただろうか。

 せめて怒られる前に謝ろう。先手必勝とばかりに扉を開くと共にごめんなさいと口にした。

「……何で?」

 相手を認識すると、確認するように目を瞬かせながら疑問がぽろりとこぼれた。

 私が謝った相手が母ではなかったことに心底驚く。

「僕だって知らないよ理由なんて」

 不機嫌そうな村上君が腕を組んで目の前に立っていた。

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