第18話

 途切れた通話の、ツー、ツー、という音声が何度も何度も繰り返し聞こえる。

 きっと、姉から次に私に連絡があるのは半年後だろう。その時も今回と同じように姉から家には帰らないとだけ言われるのだろうか。分からないけれどそんな気がする。

「お姉ちゃん」

 ぽつりと、届かない電話の向こうに呟く。けれどそれ以上は言葉が続いてくれない。

 あの日から姉は母とだけではなく、私ともまともに話をしていない。


 ねえ、お姉ちゃん。私のこと覚えてる?

 ねえ、お母さん。私のこと覚えてる?


 私はあの日からずっとひどく寒いよ。

 私はあの日から緩やかに世界が灰色になっていったよ。


 恨み言だってあるけれど、それ以上に彼女たちに聞きたいこともある。きっと、私の望む答えなんて、返ってこないのだろうけれど。


 お姉ちゃん、私ね。お母さん、私ね。


 飲み込んだ言葉は喉の奥に積もっていく。私ね。私ね。私ね。

 積もって、積もって、積もって。溢れそうなのにどこにもいけない。だって今のあなたたちには、私の言葉は届かない。

 途切れた電話からの、ツー、ツー、という音が頭の中で鳴る。途切れた通話。姉と私の関係と同じ。――だが、その音をかき消すようにチャイムの音が部屋に響いた。

 ああ、今日は金曜日だった。

 自分の足がきちんと床を踏みしめているのを実感する。村上君が来たんだ。ぼんやりとした頭が少しクリアになる。

 喉にせりあがっていた感情の塊をどうにかして飲み込む。……そうしても自分がまだ揺れている自覚があった。

 村上君に会いたくない。顔を合わせたくない。今の私を、見られたくない。

 しかしそうは思っても私が家にいるのを分かられている以上、出ないのも追い返すのも不審に思われるだろう。

「いらっしゃい」

 鏡で表情を確認してから村上君を迎え入れる。

 私は今、本当にいつも通りの顔が出来ているだろうか。自信がない。

「……お邪魔します」

 私は今、どんな顔をしているのだろうか。

「あの、私ちょっとやることがあって、リビングで待っていてもらってもいいですか?」

「いいけど……ねえ、君さ」

「冷蔵庫に麦茶ありますから」

 振り切って自分の部屋へ向かう。瞼が痙攣している感覚がある。部屋に飛び込む。タオルケットを頭から被る。身体をぎゅっと丸めて自分を抱き締める。

 部屋は暑いのに身体が冷たい。

 きつくきつく自分を抱き締める。消えそうなくらいに縮こまる。

 お姉ちゃん。お母さん。お姉ちゃん。お母さん。

 心をぐっと底に底に沈ませる。慎重に息を吸って吐いた。心臓の鼓動が聞こえる。

 お願い、私。揺らがないで。

 今の私に甘えられる相手はいない。助けてくれる人もいない。私は私のエゴのために強くあらなくてはいけない。

 早く。いつもの私に戻って。早く。一人でも平気な私に戻って。

 お願い。


 タオルケットで自分を覆っていたが、塞いだ隙間から遠慮を感じる控えめなノックが聞こえた。村上君だ。

 数分で立て直すつもりだったのに、彼がわざわざ様子を見に来るほど時間がたってしまっていたようだ。

 すぐ行きますと声を出そうとしたが、感情が喉に絡まって言葉がうまく出なかった。

「どうかしたの? ねえ? ……入るよ」

 返事がないことに不安を感じたのか村上君は私の部屋の扉に手をかけた。

 ガチャリとドアノブが動く音が聞こえる。

 普段なら部屋に入られるのは断固として阻止していたはずだが、ひどく重い身体は意思に反して動いてくれない。疲労が全てをどうでもいいと思わせていた――のだが、とあることを思い出した瞬間に私はベットから飛び起きた。

 まずいと思い隠そうとしたが、時すでに遅く村上君は扉を開けた姿勢のまま固っていた。

 彼の視線をたどると私の机の上にたどり着く。

 机の上にはdollが載っている雑誌が置かれていた。しかも彼が見開きで使われているページが開かれたままで。

「…………僕じゃん」

「…………あなたですね」

 嫌な沈黙。村上君は落ち着かない様子で無意味に手を上げ下げしている。

「え、いや、ねえ、ちょっと待って。まさか僕のファンだったの? ていうか気づいてたの?」

 間抜けな表情だ。呆れた。どうして気づかないと思うのだろう。

 確かにdollの写真はグラビア等の写真はほぼ無い。アートの色が強いものが多いため化粧を落とし衣装を脱ぎ瞳の色を変えれば、気づかれにくかったのかもしれない。それでも輪郭の美しさも瞳の輝きも彼しか持ち得ぬものだ。

「……気づくに決まってるでしょうファンをなめないでください」

 皆さん言ってやりました。私、言ってやりましたよ。

 さあ、どうしよう。

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