第13話

 初日のきまぐれが恒例へと変わり、村上君は食後のお茶も飲んでから帰るようになった。

 クラスメイトでもある彼とは結果として短くはない時間を共にしているわけだが、私たちの間で交わされる会話は多くない。

 お互い食事をしている時はあまり喋らないし、お茶を飲んでいる時だって二人ともぼんやりとテレビを見ている時間の方が長い。その中で時折ぽつぽつと話すくらいだった。

 私の好みで食後の飲み物は決めているのだが、なんとなく今日はそんな気分だったのでカルピスにした。村上君はいつも特にこだわりはないようなので、自分の好みの濃さで作る。

 どうぞ。とテーブルにグラスを置く。

 ありがとうと言って受け取る村上君はいつも通りだった。

 そのなんともなさそうな姿を見たら、つい、言葉が口から出てしまった。

「明日からどうするんですか?」

「どうするって?」

 出てしまった言葉は取り戻せない。余計なお世話。言わなきゃ良かったかもしれないと思いながらも話を続ける。

「加藤君」

「……ああ、そうだね。ごめんね何かさ。空気悪くしちゃって」

「別に気にしてません。そんなことより自分たちのことでしょう」

 村上君は珍しく少し困った様子だった。

「どう、するんだろうね?」

「場に馴染む努力は云々言ってた村上君はどこに行っちゃったんですか?」

 あの時の彼はひどく大人びて見えたのに、同い年とは思えないなと思ったのに。今は大人には到底見えない。

「本当にね、偉そうによく言ったもんだよね。上手くやってるつもりだったってだけで実際は健にはバレバレだったみたいだし」

 自嘲するように村上君が言う。加藤君がどうして怒ったのか彼はきっと分かってない。

「加藤君は多分、村上君とちゃんと友達になりたいんじゃないでしょうか」

「そうなの?」

 やっぱり分かってないと加藤君にちょっと同情してしまう。

「村上君は聡いのかにぶいのかどっちなんですか」

「苦手なんだよね同年代」

「どうしてですか?」

「え……いや、んー……理屈が通じないから?」

 発言そのものよりもその中に悪意がないことに驚いた。それはまるで大人が赤ん坊に対するような、言葉が伝わらない相手に対するような言い方だったのだ。

「村上君って実は友達いないんですか?」

「いるじゃん、めちゃめちゃいるじゃん、毎日見てるじゃん」

 ぎょっとして慌てているが、私は彼の感覚の方にずっと驚いている。

「私の思う友達と村上君の思う友達には溝があると思います」

 彼はもしやただのクラスメイトすらも友達と思っているのだろうか。

「なら宮田さんの思う友達の定義を教えてよ」

 もしも、もしも、私に今、友達がいたのなら。どんな距離の相手を友達と思うのだろう。もしも、もしも、もしも。

 もう願うこともないけれど。

「……本心を話せるかどうか、とか」

「健もそうみたいだよねえ。僕はそうは思わないけどさ、友達ってそこまで深刻なものではないでしょ。もっと気軽なものだと思うよ」

 いつも意見の揺らがない村上君だけれど、言葉に疲労が滲んでいる。

「だからさあ、今日のあれ。驚いたんだよね。健にああ言われて。はぐらかすとかごまかすとか隠すとか健は言ってたけど、友達だからって何でもかんでも話すのは違うだろうと僕は思う」

 全部を話さなくてはならないというわけではないと、私も思う。

 お互いにオープンであることを強制してしまうのはそれはきっと友達ではない。そういうことじゃなくて、自分が、この人ならと、そんな――。

「それでも、私は、……私にはもう友達いないし、友達がほしいなんて願わないけれど。この人にだったら話せるし話したいって気持ちになる相手が友達なんだって思いますよ」

 伝わるだろうか。彼に。別の人間だ。他人なんだから考えが違って当たり前だけれど、伝わるだろうか。

「見解の相違かな。……だけど、そうだな、思う所は、あるよ。僕もつい意地になっちゃったしなあ」

 情けない、弱ったような笑い方を彼はした。

「そうだったんですか?」

「健ってさあ。名前のまんまなんかもう本当に健やかじゃん。のびのびと育ちましたって感じ」

 そうかもしれない。屈託のない彼の周りにはいつも人が集まる。

「裏なさすぎてさ、……ビビる。なんか。そんなに剥き出しで平気なのかよって思う。そういうとこの価値観違いすぎるし。正しくて真っ直ぐでさ。……そんでちょっとムカついた、のかも」

 もしかしたら二人は似ている部分があるから余計に反発するのかもしれない。村上君は加藤君を正しいと表したけれど、私は村上君に対してそう思ったことがある。

「あれはちゃんと喧嘩だったんですね」

「そうだよ」

 家事がまったく出来なかったり。駄目なところを見たことはあったけれど、それでも彼は浮世離れして見えていた。それが、やっと、友達と意見が対立して喧嘩するみたいな、普通の、ことをしていて、今日やっと彼は同い年なのだと思えた気がする。

「……村上君って中学生だったんだね」

「精神が年齢不詳だってよく言われる。あと可愛いげがないともね。仕方ないだろうそういう環境だったんだから」

「どういう環境?」

 つい、聞いてしまった。彼も私たちと同じなのだと思えるようになってしまったから。

「……僕のことよりさあ、気になったんだけどさっきの発言。友達がほしいなんて願わないってどういうこと」

 問いに答えてくれなかったのに、彼は私の聞かれたくないことに踏み込んできた。

「そのままの、意味ですよ」

「それ結局何も答えてないって自分で分かってるでしょ」

 分かってる。でもそれでも。

「お互い様だと思いますよ」

 彼の事情を私が聞き、私の事情を彼が聞いた。そして彼が沈黙を選ぶのなら、私が選ぶのもまた沈黙だろう。

「――そうかもね。君が思う友達が本心を話せる相手なのだとしたら僕達は友達じゃないってことだ」

「友達では、ないでしょう」

 私たちは友達ではない。どれだけ時間を共にしていてもお互いに話していないことが多すぎるのだ。

「僕たちはただのクラスメイトかな? ただのクラスメイトは、夕飯を相手の家で食べないとは思うけどね」

 私もそう思う。ただのクラスメイトとは言えない。けれどそうなった元凶がよく言うものだ。

「村上君が勝手にやって来たんでしょう」

「頷いたのは君でしょ?」

 あれは頷かされたというべきだ。選択肢は用意されていなかった。

 私達の関係性を敢えて言葉にするのなら、一つしかないだろう。

「……じゃあ、お隣さん。お隣さんなら、まあ、まだクラスメイトよりは夕飯を一緒に食べる可能性あるんじゃないですか?」

「お隣さん、ね。いいんじゃないの。それくらいがちょうどいい」

 友達でもない、ただのクラスメイトでもない、村上君は私のお隣さん。

 ――今は、そうなのだ。

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