第6話
雨が傘を弾く感覚が私は嫌いじゃない。雨滴が傘を弾く軽い揺らぎも、ぽつぽつと奏でる音も、余計な思考を奪ってくれるからだ。
傘は世界と私を遮断してくれている気がする。それにひどく安心する。
誰からも批判されない当たり前の行動で、傘は他人と私を隔ててくれる。
合法的な境目を傘は私に与えてくれる。
彼が転入してから調子が狂うことが多かったが、梅雨入りしてからは、傘で視界を狭め、雨音で声をかき消して、集中力を取り戻して期末テストに望むことができた。
テストの結果がどうだったのか、手応えがあったのかなかったのかは、いつも曖昧だ。
ある程度の点数が取れている自信はある。けれどある程度の点数では駄目なのだ。それでは私の願いには到底届かない。
届かない、のだ。
期末テストが終わり、テスト結果が返される頃には梅雨も明けた。
傘をさす必要性はなくなった。気温は緩やかに上がっていき、真っ白なワイシャツやセーラー服の半袖から幼さの残る腕をのぞかせている生徒や、長袖を捲って下敷で自分を扇いでいる生徒も増えている。
紫陽花ももうほとんどが枯れかけていた。……咲いていても枯れていても私には関係ないけれど。花を見て綺麗だと感じることはもうない。
「今回のテストの平均は六十八点だ。平均より下だった人は夏休みの間にちゃんと復習しておいてくれよ」
生徒からのやる気があるんだがないんだか分からない返事を聞くと、先生は答案用紙を配るため名簿順に名前を読み上げていった。
マ行の私は呼ばれるのが後ろの方だから、淡々と受け取る子、うめいたり無言で点数の所を折って見えなくする子、ちょっと嬉しそうな子、そんな皆の姿をいつも眺めている。
久保――。小坂井――。佐藤――。
村上君にまとわりついていた女子グループの子が、点数を見て顔をしかめている。そんなに嫌そうな顔をするなら普段からもっと勉強していればいいのに。
あなたが一夜漬けだ、どうしよう。と村上君に騒いでいた声、私にまで聞こえていたよ。
田中――。高橋――。堤――。
出来が悪くても許して欲しいとでも言うように、あらかじめ自分がマイナスの状態であるのだと、わざわざ口にする心理が私には分からない。
一体誰に、何に、許しを乞おうているのだろうと思ってしまう。
新山――。日高――。前島――。
前島さんの次に呼ばれるのは私だ。先回りするように自分の名前が呼ばれる前に立ち上がり、私は教卓に向かった。
「宮田。頑張ったな」
「ありがとうございます」
先生に誉められたところで何の感慨もない。
平均より上の点数は取って当たり前だ。平均より勉強に時間を費やしているのだから、そうでなければおかしいだろう。
三好――。
丸の多い答案用紙。けれど全部が丸ではない。
情けなくて答案用紙をぐしゃりと握り潰したくなる。表情を歪ませないように気をつけて席へ戻った。
この程度じゃ、駄目。こんなんじゃ駄目だ。
「村上」
名前を呼ばれた村上君が立ち上がり教卓に向かった。
席に戻る私とすれ違う時に、珍しく彼はこちらに視線を寄越した。一瞬だけ目が合った彼は、興味深そうにこちらを見てきた。……どうしたのだろう?
初日以外に私と彼は挨拶すらしていない。家が隣でもそうそう会うこともないみたいだ。登校時間も下校時間も違っていればそんなものなのだろう。
登校は私の方が早く、下校時間は私も村上君もまちまちだったが、かぶることはなかった。
微かに隣から聞こえてくるドアの開閉音からすると、村上君の方が私より帰る時間が遅いことが多いようなのだが、部活もしていない彼は、そういえば放課後一体何をしているのだろう。
合わさった視線はほんの一瞬でそらされた。村上君は何もなかったかのように答案を受け取りに教卓へ向かう。
私も自分が考えるべきは次の授業で返されるテストの点数だと、彼の視線の意味を考えることは放棄した。
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